空戦
ノーシャと睨みあっていたノエルは、油断なく相手を見つめつつ周囲の状況を上空から確認した。
民間人のほとんどは避難が完了済み。何人か戦いに参加しようとしている異能者らしき存在も確認出来たが、相手と自分の実力が釣り合ってないことに気付くと素直に身を引いた。
それでいいのです、とノエルはサーベルとピストルを握り直す。
これで自分は目の前の相手に集中出来る。相手は強敵だ。
心と炎、メンタル、水橋、矢那の全員を倒した。勝負は時の運とはいえ、自分を討ち果たした相手をこうもあっさり戦闘不能にするとは。
(……ですが、異能者であればこれくらい当然です。モノによりますが、ひとりで国一つ相手取ることも可能……)
旧来の兵器ではそう簡単に相手取れるものではない。だからこそ、自分のような存在が生まれたのだ。
幼い異能者の子供を誘拐し洗脳し、忠実な騎士として育て上げる計画。
ノエルにとってその計画は忌み嫌うものであると同時に、力の証明でもある。
無能者でありながらそこら辺の異能者を遥かに凌駕した男が言っていた。
お前は私の最高傑作だと。
ならば――。
「――すぐに決着をつけます。手当を急がないと」
「フフッ。舐められたものね」
風の力で空を飛ぶノエルは改修された銀色の強化鎧を煌めかせながら、右手に持つ刃が潰されたサーベルをノーシャへと斬りつける。
当然、ノーシャは防御してきた。対異能物質で構成されているサーベルを漆黒に包まれた右手で難なく受け止める。
(単純な剣では無理そうですが――)
ノエルは風の力を握る剣に注いだ。ただの剣であったノエルのサーベルに風の力が付与される。
風力で攻撃力を増した打撃をノーシャは避けた。漆黒の翼で空を切りながら後方へ飛行していく。
「楽にはいかないみたいね」
ノエルが追尾しながら、サーベルを振るうが、ノーシャは避け続ける。
ならばとノエルは左手に持つフリントロックピストルを構えた。
装弾数は一発である部分と、その装飾と形状以外は全く別物の銃から風に覆われた弾丸が放たれる。
だが、銃撃への対処を心得ているノーシャは高速で空を裂く弾丸すら回避した。
しかし、ノエルの狙いはそこにはない。
弾丸を躱す為減速したノーシャに追い付いたノエルはサーベルを凄まじい勢いで振り、ノーシャもノーシャで右手を剣に変化させ対応する。
青い空の中で繰り広げられる剣戟。風が鳴り、漆黒の翼が羽ばたく。
「フフッ、埒が明かないわね」
「同感です。ですから――」
ノエルが一瞬、目を細ませた。まるで、何かに意識を割くかのように。
瞬間、ノーシャも気づけた。放たれ虚空に消えて行ったはずの銃弾が戻ってきていることに。
ぎりぎりで気づけたノーシャは風弾をギリギリで回避する。そして、その先に待ち構えていたノエルの斬撃をかろうじで受け止めた。
「惜しかったわね」
ノーシャが微笑む。まだ、彼女は左手、右足、左足を残している。
あくまで、右手しか使っていない状況で追いつめられたとしても挽回の余地はまだまだあった。
「――まだ終わってませんよ」
ノエルは余裕の笑みをみせるノーシャに向けてフリントロックピストルの銃身を持ち、その銃床を思いっきり叩きつけた。
笑っていたノーシャはハッとして左手を盾へ変化させ、銃床による打撃を防ぐ――はずが。
バリンッ! と鏡が割れるような音がして左手が砕け散る。
「……ッ!!」
「古式銃にはこういう使い方もあります」
フリントロックピストルには、現状の銃器とは明らかな違いがある。
それは――鈍器としても使用出来るということだ。
銃床に備え付けられている金属パーツは伊達ではない。もちろん、本来は装飾要素を兼ね備えていたものではあるが、そもそも本来のフリントロックピストルは命中率はイマイチだった代物だ。
故に――鈍器として使用された例がある。装填に時間がかかり射程も短いピストルでは、銃を一発撃ち放った後、敵の目前でリロードするのは不可能に近い。
無論、旧来の銃そのものではノーシャの盾を破壊するには至らなかっただろう。
だが、ロベルトの趣味の塊である見た目と装弾数以外はてんで別物のレプリカなら別だ。
「……調子に!」
ノーシャの顔が笑みから苛立ちに変わる。
一瞬ショックを受けた顔を浮かべたノーシャだったが、すぐに左足をチェーンソーに変化させ、足を振り上げた。
「く――」
ノエルは身体を反らし、その鋸蹴りを避け、サーベルをノーシャの胴に突き立てる。
ノーシャの戦い方はもう既に八割型学習出来ている。
彼女は変化の異能を持っていると言っていい。自分の体をあらゆる物に変化させる。
だから、彼女は炎に化けることが出来たし翼を生やすことも出来る。
そして、矢那の不意を衝いたように、自身を想い通りにコーディネートすることも可能。
だが、種が割れてしまえばその程度だ。
攻撃方法さえわかってしまえば倒す為の算段も付く。
相手の攻撃を防ぎ、避け、反撃する。人の戦い方は旧石器時代から変わってない。
しかし……これはノエルにとって予想外過ぎた。
「――ッ!?」
突き立てたはずのサーベルの感触がない。
肉を貫く感触がない、というのならばわかる。彼女のサーベル先端は刃を同じく潰してあるからだ。
だが、刺突の感覚さえないというのはおかしい。
ノエルは瞠目し、目前の状況に呆けた。
ノーシャが風に舞う砂のように、サラサラと消えていく――。
「――まさか、自分を粒子化……く!」
「ご明察。頭が回る人ってホントは初撃で倒したいの」
瞬時に事態を理解出来たノエルは、散らばった自分の欠片を再構成したノーシャの、背後からの一撃を防御することが出来た。
右手の剣をサーベルで受け止め、左手の槍をピストルの銃床で押さえる。
だが、ノーシャにはまだ二の足がある。右足をチェーンソー、左足をメイスに変貌させたノーシャの足蹴りを高密度の風を纏わせた両足で迎撃。
両者とも、両手両足が使えなくなった。
「――八方塞がりですか。しかし、おあいこならば――」
「残念。あたしにはまだ武器があるの」
ノーシャの言う通り、翼から数枚、羽が射出される。
鋭いナイフのような漆黒の羽が二人の周りを囲んだ。狙いはノエルただひとりである。
「――くっ!」
ノエルは風の流れを操り、自分とノーシャの周囲に竜巻を発生させた。ノエルを射抜こうと飛び回っていた羽が蹴散らされる。
ここからだ、とノエルは実感した。
今、互いに行動を封じ込まれている。だが、ノーシャにとって背中の翼が武器だったように、ノエルにとってもそこら中に吹く風が武器である。
風の流れを一点に集中。研ぎ澄まされた風鳴る疾風。
極限まで鋭さを増した風ならば、ノーシャの漆黒の鎧を打ち砕き、戦闘能力を奪うことも可能なはずである。
なれば今こそ――と、風の力を凝縮しようとノエルが意識を割いたその刹那。
ズシャッ! と強化鎧ごと自分を貫く音が聞こえた。
「――ぁ……」
「あたしはね、全身が武器。あたしという存在そのものが武器。あたしは自分のカタチをめちゃくちゃに出来るの。だから……腹から棘を出して、あなたを串刺しにすることなんて造作もない」
「そうでしたね……さっさと決着を……つけるはず……がぁ……」
自分の腹に刺さっていた漆黒の棘が抜け、赤い血潮と共に、ノエルは地上に落下していく。
「確かにその通り。何で加減してるの。その剣も銃も、異能も全て」
ノーシャは落下していく緑髪の騎士を見下ろしつつ呟いた。
若干不機嫌である。それも当然で、敵に手加減されたからだ。
実際には手加減ではなく、不殺という信念の元行われた攻撃なのだが、ノーシャにとっては不快以外の何物でもない。
(……武器メインの黒と白はともかく、赤い奴と黄色い奴、青い奴はなかなか厄介の敵だったはず。それこそ今死にかけてる緑色と同じくらいに)
目下にはカラフルな髪と目の色をした少女達が倒れている。全員まだ死んではいない。
でも、あたしに挑んだのが運の尽き――そう思いながらノーシャは着陸した。
「……よく見たら、ひとりは異能殺し……。あたし知ってるよ、ニッポンって国で異能者を殺しまくった悪名高い暗殺者……。でも、腑抜けになったものね」
ノーシャはよく知らないが、噂では“異能殺し”狭間心は金色に輝く拳銃を用いて、異能者を極悪非道な手段で殺しまくったという。だが、実際にはどうか。
かの悪名高き暗殺者は、ノーシャの打撃によりあっさり気絶している。
噂が嘘っぱちだったのではと思ってしまうほど。
「――それは腑抜けなんでしょうか……」
「……喋んない方がいいと思うけど。どうせ殺すんだけどさ」
ドクドクと溢れる赤い血に自分の鎧を汚しながら、ノエルが言葉を発する。
ノーシャには理解出来なかった。なぜ、今から自分を殺す相手と言葉を交わそうとするのか。
「……やはり、あなたは私と同じ匂いがします」
「だからさっきからそれなに。同じ香水でも使ってるの?」
ノーシャは苦しそうに息を吐くノエルの横に移動し、血が付着している顔に目を向けた。
血は空中から落下した時に顔にまで移ったらしい。緑色の髪が血で汚れている。
「――あなたは、自由、ですか?」
「……さぁね。答える義務はないし」
「では質問を変えましょう……。人を殺すのは……好き、ですか?」
「……さあね」
「私は嫌いです」
痛みに顔をしかめ、呻きながらもノエルははっきりと答えた。
ノーシャも同じように顔をしかめる。相手の話の意図がみえない。
「――でも、私はずっと殺人を強要されていました。……フ、私にとって人殺しは、睡眠と食事を得る為の仕事だったのです。正義も……信念もない。何の意思もない私が、意志を持って生活していた同胞達を殺しまくりました」
「そ。で、なに? あたしに同情して欲しいわけ?」
「まさか。……でも、似たような境遇の同胞を……放ってはおけません」
ノーシャはイラつき、剣に変化させた右手の切っ先を、ノエルの顔に突きつけた。
「何訳わかんないことを……」
「なら、なぜ苛立つのでしょう。私のことばなど……ただのたわごととして捨て置けばいいだけです」
「……その整った顔を切り刻んでやろうか?」
ノーシャの苛立ちは収まらない。なぜここまでイラつくのか自分でもわからないほどに。
そんな彼女に、ノエルが声を掛ける。確固たる意志を持って。
「――あなたが今行ってること……それは本当にあなたがやりたかったことですか?」
「……本当にぐちゃぐちゃのめちゃくちゃにした方がよさそうね」
ノーシャが右手の形状を変化させる。巨大なハンマー。
それでノエルの頭蓋骨を打ち砕くつもりだった。
「もうやめてください。自分の意志と違う行動を続ければ……いつか、後悔するはめになりますよ……」
「二度と言葉を発せなく――」
――あのクソガキを二度と話せなくしてやる。
ハンマーを振り下ろそうとした瞬間、内側から声が響いて、ノーシャはよろめいた。
どうか……しましたか、と今から自分に殺される相手の、気遣う声が聞こえる。
だが、ノーシャは構っていられなかった。また、あの頭痛。記憶の暴走だ。
「くっ……また!」
――知ってるか? ターゲットはいつも街外れの公園に現れる。あのホームレスが住んでそうなところさ。誰も来ないからホームレスすら寄り付かないんだがな。
「黙れ! お前は誰だ!」
ノイズのような音と共に発せられる、男の不快な声。
誰だ、誰の声だ。フランじゃない。自分はこんな男知らない。
――今ならターゲットは無防備…………だから……拐…………完璧…………成功するぞ。
「くそ……くそっくそっ!!」
喋るな話すな黙ってくれ。
どれだけ願っても、記憶は止まらない。フラッシュバック。
ふとしたきっかけから発生する記憶の奔流に彼女は呑まれている。
「くぅ……だまれぇ!!」
ガンッ! というアスファルトを抉る音。
ノーシャがノエルの真横にハンマーを叩きつけ、地面が割れた。
はぁはぁと息荒く再びノエルを見下ろすノーシャ。
回想は止まったが、今度は別の声が脳裏に響いてきた。
――さっさと殺して。その子は捨て置いて。
「くっ……今度はなに!?」
――疑問を感じる必要はない。あなたはやるべきことを終わらせて。
狭間心を殺して。確実に。
「狭間……心……」
ノーシャは視線を赤の少女と共に倒れている心へと移した。
どこかから自分の心に語りかける声に導かれ、ノーシャはノエルを無視し心へと歩く。
「……頭が痛い……!」
――頭痛を取り除いてあげる……可哀想な人。きっとオカシナコトを大人に吹き込まれたのね。
「オカシナコト……?」
だが、声は答えない。無言でさっさと心を殺せと急かしてくる。
無論、そのつもりだ。ノーシャは、ノエルの頭蓋を打ち砕く為のハンマーを心の前で振り上げた。
「よくわかんないけど、死んで」
何の躊躇いも相手に対する感慨すら思い浮かべず、一気に鎚を振り下ろす。
その刹那――。
「デバイス起動!」
という起動コールと共に高速移動した異能殺しが、ノーシャのハンマーを避け、彼女の懐に入り込んだ。
そして、右手に持った理想郷を脇腹に突きつけ接射する。
ガガガガガガガッ!! という連続した銃声。
マシンピストルによるフルオート射撃を至近距離で受けたノーシャは、頭痛と相まって後ろによろめいた。
――何してるの!
「黙れ!」
ノーシャは右手を剣に変化させ、心を切り裂こうとし、吹っ飛ばされる。
空中で制動したノーシャが慌てて振り返ると、炎を纏った少女が、太陽の如く赤い拳を構えていた。
気絶したフリをしていたのは一人だけではなかったらしい。
「生意気……でも」
先程と同じことだ。どうも相手に合わせて火力を変えたようだが……。
と戦術を組み立てていたノーシャの耳に、エマージェンシーコールが鳴り響く。
『くそ! 早く戻れ!』
「何事です!?」
指揮官の慌てる声に、ノーシャも戸惑った。
『敵だ……くそ! まさか奴め……護衛対象を囮に……ぁ』
指揮官の呆然とする声。直後に、耳をつんざく音が聞こえた。
「爆発……戻らないと」
言って飛翔したノーシャは眼下の敵に目を落とす。
心、炎と視線を移し……最後にノエルを見た。
「あたしが自由ですって……? ええ、自由になる為に……親友を殺すのよ」
ノーシャは翼を羽ばたかせ、空軍の攻撃を受ける前に味方の元へ飛んでいった。
「くっ……何してるの!」
彩香が苛立ちを隠さず机に当たった。
どうも状況は彩香の、いや彩香の中の人の思惑通りには運んでいないらしい。
彼女は今、パソコンと睨めっこするのに必死だ。
自分と、ベッドの上に呆けている久瑠実は眼中にない。
(……今がチャンスです!)
そう思った小羽田は、念思で久瑠実に話しかけた。
(久瑠実さん、久瑠実さん!)
――…………。
(聞いてください! あなたは誰ですか!? 自分を思い出してください)
――私は……。
(立花久瑠実。そうですよね! 透明異能のせいで影が薄くて、点呼の時は飛ばされていても誰も不自然に思わなかったり、自分の分だけお土産がナチュラルに忘れ去られたりしてる久瑠実さんですよね!)
――…………ッ!
久瑠実が段々と自我を持ち始めているのを見て、小羽田はよし! と念思を続けた。
期待していたより反応がキレ気味なのが気になるが。
(思い出して、思い出してください。あなたは今何をする為にここにいますか?)
――直ちゃんと……観光?
(ムム、何で男の名が出てくるのか気になりますが、今はいいです。ですよね、観光ですよね! そしてホテルで私といちゃい……ううん、今は違う。とにかく、これをほどいてくれませんか!? 大至急! 声を出さずに!)
――う、うん。
久瑠実が苛立つ彩香の後ろで小羽田のロープをほどき、ガムテープを引っ剥がした。
思わず、小羽田がいって! と声を上げてしまう。
異変に気付いた彩香があなた達! と声を荒げた。
「ばれましたか!」
「彩香ちゃん、なに……を……」
彩香が久瑠実を睨む。すると、再び久瑠実はぼーっとした瞳になった。
「まずい、久瑠実さん、お気を……きゃっ!」
何者かに操られた久瑠実が、小羽田に襲いかかる。強引に飛び掛かった久瑠実は、小羽田を部屋の真ん中にあるテーブルへ押し倒した。
「…………」
「ぐっ……強引なのも嫌いではないですが……」
首を絞められ、苦悶に顔を歪める。小羽田は椅子の上から薄ら笑いを浮かべる彩香を見上げた。
そして、キレる。操られているとはいえ、角谷彩香が小羽田美紀を見下しているその事実に。
小羽田は、近くにあった灰皿に手を伸ばした。刑事ドラマでよく殺人事件の凶器になるヤツだ。
「腐女子が私を見下すな!」
「ぐわっ!?」
見事彩香の頭部に命中した灰皿は、床に落ちバラバラに砕け散った。
「――……~~っ! 頭いったぁ! 何これ……何これ!?」
目を覚ました彩香が頭を擦ろうとした瞬間、自分の身体がロープでぐるぐるに巻かれていることに気付き、困惑した声を上げた。
「あっさり操られちゃうような人は、拘束しないと危険です」
「あんたの仕業か!」
何でこんなことするの! と憤慨した彩香だったが、小羽田は当然ですと返すだけ。
戸惑いと焦りを隠せない彩香の携帯から着信音が響いた。
「心から電話……って勝手に!」
「心さん! 私です、小羽田です!」
『……彩香は?』
「ゴミ箱に捨てておきました!」
スピーカーモードになっていたので、彩香が床から大声で叫ぶ。
「ふざけんな! 私はここよ、心」
『……そう。さっきのアレは……』
「だから、小羽田といいあなたといい、一体何のこと? 私はただ……ただ?」
自分はただ、何をしていた?
彩香は記憶を辿るが、ホテルに入ってからの記憶が一切ないことに気付く。
うーん、うーんと唸っていると、心がもういいと思い起こしを中断させる。
『今は敵の追撃が先。こちらはしばらく休んで戦いに備えるから、彩香達も準備しといて』
「はい、わかりました。じゃあ、準備しましょう!」
と嬉々とした様子で、芋虫状態の彩香をベッドの上に乗せた。
何の意図があるのか困惑する彩香に、小羽田が怪しい笑顔を向ける。
「私、気づいたんです。腐ったその心を浄化するのもまた、一つの使命なんじゃないかって」
「……唐突に何を言い出すの?」
冷や汗を掻きつつ、顔を引きつらせる彩香。
彼女は危機感を感じていた。ここはホテルで、彩香は拘束され身動きが取れない。
そして、小羽田は百合百合なおひとである。
今は平時じゃないだろいい加減にしろ、と怒鳴ってもこの百合娘には何の関係もないのだ。
「そろそろ、充電しないと辛いんです」
「いや知らなってちょ待てマジで久瑠実助けて!」
という彩香の悲痛な叫びに、久瑠実が引きがちな笑みをみせて、
「何か危険な香りがするから、私は外で待ってるね」
と部屋を出て行ってしまった。
「ふふ、今から浄化してあげます……」
「ま、待っ――きゃああああ!!」
彩香の乙女な悲鳴が、ホテルの一室に響き渡った。
彩香と小羽田のやりとりに嘆息しつつ、心は携帯を仕舞った。
敵は逃げた。しばらく襲撃は有り得ない。
別働隊という線もあり得たが、それなら襲撃タイミングが遅すぎる。
それに今は自分の心配をしている場合ではない。直樹の捜索が先だ。先なのだが。
「姉さん、まだ無理してはいけない」
「私は問題ない。……ノエルと水橋、矢那が重傷」
担架で運ばれていく三人を横目で見ながら、心は呟いた。
しかし、自分を案じる妹の言葉も一理ある。心はデバイスを二度使用してしまった。
三度目は限界により肉体崩壊が始まってしまう。
再生異能により死ぬことはないが、しばらく時間を空けないとデバイスは使えない。
「……今は身体を休めよう」
炎が落ち着かない様子の心に提案する。
心は反論しようと口を開きかけたが、同じように飛び出したいはずの炎に言われたことで何も言わなかった。
「回復して、直樹を見つけて、敵を倒す。それが今ワタシ達に取れる最善の方策」
「……わかった」
心は妹と親友に言われ、空を見上げた。
黒い天使が飛び去った方向を見て、そして直樹が切り裂かれ地上に落ちていった方を見る。
(……大丈夫。直樹はいつも死にかけてそして戻ってきた。今回も、大丈夫)
もどかしい気持ちを紛らわせるため、理想郷のグリップを強く握りしめた。




