想定外な観光
フランという少女に導かれるまま、直樹は歴史ある街並みを歩いていた。
元より今日は観光する気だったので、その点は問題ない。問題ないのだが……。
(本当は心達といっしょだったはずなのに……携帯はさっきから繋がんないし……)
知識が皆無な異国で、初対面の外国人といっしょというのは心細いものがある。
そもそも、本来の彼は気が小さいのだ。胃がきりきりと痛み、そしてすぐ再生していく。
「この道程、一直線に進むの」
フランがおかしな日本語で道の先を指す。一瞬、童貞とバカにされたのかと直樹は錯覚してしまった。
彼女は行き当たりばったりに進んでいるわけではなさそうだ。
明確な目的地があり、そこに向かってジグザグにレトロな街並みを進んでいる。
「そこに何があるんだ?」
「……親友との記憶の場所」
「親友……さっきの写真の子か」
「正解よ」
直樹は写真に写っていた紫髪の子を思い出した。
貧しそうな格好をしてはいたが、とても幸福そうな笑顔。
人の幸せに貧富は関係ない。そう思ってしまいそうなほど幸せそうな顔だった。
「何で探してるんだ?」
直樹がフランに尋ねる。
なぜいなくなったのか。自分に知る必要があると思ったからだ。
フランは寂しそうな顔をして、おかしな日本語で答えた。
「不明。わからない。謎。……唐突に消えたの」
「そうか……そうだよな」
そうでもなければ捜索するはずもない。
納得しかかった直樹だが、一つ疑問が頭をよぎった。
なぜ、警察機関を利用しないのか。
直樹はそのまま口に出した。
「捜索届は出したのか?」
「既に提出済み。でも、待機してることはとても難しかった」
「……だよな」
自分は何を当たり前のことを聞いているんだ。
直樹は頭を振って気を取り直した。異国の空気にやられているのかもしれない。
いくら捜索願いを出したとして――大事な人間がいなくなったらじっと待つなんて出来るはずがない。
もちろん、一人の人間が、それも素人が足を動かしたって無駄かもしれない。
だが、無駄だからと言って待ってることなど出来ないのが人の心情だ。
だから、フランもこうやって足を運んでいるのだろう。思い出の場所へ、可能性が1%でも残っているならと。
「彼女はとても素晴らしい人だった。私の位をご存じながら……っと!」
「え? 今なんて……?」
咄嗟に口を押さえたフランを直樹が訝しげに見つめた。
今の言葉は変換出来なかった。後半が。
「位をご存」
「ミス! ミスミス! 日本言語が不可解なので」
とりあえず言い間違いだということは理解出来た。
なぜか冷や汗を掻いているフランに案内され、小さな公園についた。
こじんまりとした公園で、申し訳程度に生えている木と、真ん中にある噴水、その近くに置いてあるベンチがなければ公園だとはわからなかっただろう。
あまり人気がないようで、今もベンチに老人が一人しか座っていない。
「……いつも人が現れないはずなのに……」
フランが不思議そうにベンチに近づく。
彼女は写真を取り出し、流暢な異国語で老人に話しかけた。
何を言ってるのか直樹にはさっぱりだ。空耳で理解不能な言語に変換される。
だが、予想は出来た。写真の女の子を見た事がないか聞いているのだろう。
フランが一言二言聞くと、急に老人が笑い声をあげた。そして立ち上がる。
老人が指を鳴らした。すると、信じられない出来事が目前で起こる。
「ノーシャ……!!」
フランが驚き、名前を呼んだ。
直樹も思わずおお、と声をあげてしまう。
なぜなら、目の前に立っていた老人が紫髪の少女に変化したからだ。
「会いたかったわ……フラン。ずっと……ずっとね」
少女がアミカブル語で語りかけた。とてもとても、暗い瞳で。
フランは誰だか知らない外国の異能者そっちのけで、突然いなくなった親友との再会を喜んでいた。
彼女はずっと考えていた。ノーシャに会って開口一番、何を言うべきか。
怒るべきか喜ぶべきか。それとも、寂しかったと泣くべきか。
しかし、実際に会えた今、そんなことなどどうでも良かった。
正直、諦めていた節はある。もう五年程立っていたし、死んでしまったのではないかという想いが胸の中で見え隠れしていた。
だが、今ノーシャは目の前にいる。もうそれでいいではないか。
そうだ。お説教は後でいい。今は再会出来た喜びを祝おうじゃないか。
「会えて良かった……!!」
「ええ、あたしも」
フランは無邪気な笑顔でノーシャに抱き着いた。
傍からジャパニーズが少々困惑した様子でこちらを見ている。
説明してあげないとまずいかな。
そう思ったフランはどんな感じだったっけ、と日本語を組み立て始めた。
しかし、先程から何回も思っているが日本語と言うのは難しい。
一つの言葉でも似たような単語がある。家で働いている日本人にコーチをしてもらうのだが、自分の立場に遠慮しているのかはっきりと間違いを指摘してくれないので、正しいかどうか自信はない。
だが、自信の有無は物事への言い訳にはなりえない。彼女の父親の口癖だ。
その為、フランは大声で直樹に向かって叫んだ。
「合流したのだ! 親友と!」
良し。これで親友と出会えた、という意味になっているはずだ。
ノーシャとの抱擁を終え、フランが直樹に目を向けると、彼はぎこちない笑みでそうか、と言った。
あれ? 何かおかしかったかな。
疑問が頭をもたげたが、フランにとってはどうでも良かった。
今は。
「ノーシャ! 私、ずっと探していたのよ!」
「そうなの」
フランとは違い、ノーシャの反応はドライだった。
どうしてだろう、とフランは首を傾げる。そこまで嬉しくなかったのかな。
「ノーシャ……?」
「あなたはあたしを探すのは大変だったろうけど、あたしはあなたを見つけるのは簡単だったからね」
それもそうだろう。フランは当然だと思った。
なぜならば、自分に会いたいなら――。
そこでふと、新しい疑問が湧き起こった。
なぜ、ノーシャはここにいたのか。
確かにここはフランとノーシャの思い出の場所だった。
一目に付かず、基本的に人気がないここはフランが好き勝手出来る唯一の場所だ。
毎日ぴったりとくっついてくるボディガードに煩わせることもなく、勉強勉強と口うるさいメイドに怒られることもない。
だが、別に警備はノーシャをつまみ返す訳でもない。ちゃんと訪問すればちょっとばかし拘束されいくつかあるチェック審査を行わなければならないが、普通に面会することは出来る。
なのに、なぜ、ノーシャはここで待っていた? サプライズという訳でもあるまいし。
「じゃあ何で会いに来てくれなかったの? 私はいつでも――」
「最近、ちょっと忙しかったの。暗い……とても暗い場所にいたから。出てこれたのは数日前」
「なら連絡の一つくらい……」
「寄越してもいいけど、それだとあなたはお父さんに言ってしまうでしょう。それだとまずいの」
何がまずいと言うのか。フランの父親は厳つい顔の癖に娘の自分でも甘いなと思ってしまうような男だ。
どうせ、ウインクして言うだろう――あまり遅くなってはいけないぞ。誤魔化せなくなるからな。
せいぜい警備の者にそれとなく伝わるぐらいで大した弊害はないというのに。
「何がまずいの……?」
フランは急に悪寒がした。
何だ? 何か嫌な予感がする。
せっかく親友に出会えたという喜びもとうに消え失せていた。
改めてノーシャを見回したフランはやっと違和感に気付き、後ずさる。
五年の歳月はフランもノーシャもより女らしく成長させている。そこら辺は自然だ。
だが、どうも不自然に感じてしまう部位がある。
瞳だ。紫色のアメジストのような眼。
かつて無邪気な光を宿していたはずのノーシャの瞳。
しかし、今宿っているものは光ではない。暗く深い……闇だ。
闇がフランを覗き込んでくる。怪しい笑みを浮かべながら。
「の、ノーシャ……」
怯えるフランの声。この展開は想像していなかった。
フランの頭を疑問が駆け巡る。
おかしい。自分の親友はこんな怖い瞳をしていなかった。
何があったの。何があなたを狂わせたの。
「あたしはね……ずっと辛かったの。暗くて狭い場所に押し込まれて……意味がわからなかった。理解が出来なかったよ。何で、あたしがこんな目にあってるのかって。だから、ずっと考えてた」
「……ノーシャ……いったい……?」
フランに出来たことは、困惑し瞠目し狼狽して、後ずさることだけだ。
そんな彼女に一歩一歩とゆっくり近づくノーシャ。笑顔なのに、目は笑っていない。
「そしたらね、思いのほか簡単に結論が出たの。答えはとても単純だった……聞きたい?」
「……っ」
フランは息を呑むことしか出来なかった。
その沈黙を肯定と受け取ったノーシャがフフッと笑い、
「もうわかってるわよね。――全部……お前が悪い!!」
親友であるはずのノーシャ。
彼女はフランが見た事もない憤怒の形相で、距離を詰めてきた。
可愛らしいはずの顔を怒りに染め上げて、右手を振り上げる。
「あ……」
固まったフランの前で、ノーシャの右手が変化した。
刃の形に変わった右手は、そのままフランの頭へと――。
「あぶねぇ!!」
直撃する前に、間に入った直樹が、ノーシャの右手を受け止めた。
どう見ても高校生にしか見えない少年が、片手で刃を掴んでいる。血をこぼしながら。
「何で割ってはいっ……」
「下がっててくれ! 危ない!」
自分が殺されそうになったというのに直樹の身を案じたフランを、自分の左手に刃が食い込んでいる直樹が怒鳴る。
フランは何か反論しようとしたがやめ、言われた通り距離を取った。
無能者であるフランに戦う術はない。
「くそ……お前いきなり何してくるんだ!!」
「それはこっちのセリフ、ジャパニーズ。他所の国の人間があたしとフランの間に割り込まないでよ」
じゅくじゅくと、刃が手に食い込んでくる感覚に顔をしかめながらも、直樹はずっと刃を握りしめていた。
離してなるものか、と直樹は気合を入れる。
ここで手を離したら、いったいどんな手を使ってくるかわからない。
そして、相手は話を聞く手合いではないようだ。その場合どうすればいいのか、方法を直樹は心得ている。
「話し合い出来るようになるまでぶん殴る!」
「怖い男」
ノーシャは短く言うと、右手の形状を変化させた。
今までのタイプを剣と言うならば、今度は槍だ。
急にスマートになったノーシャの右手を直樹は掴み損ねてしまう。
「くっ!」
「邪魔。死んで」
ノーシャはさらに左手を盾に変え、直樹の左拳を防いだ。
右槍を直樹に突きつつ、足を蹴り上げる。
直樹に当たる直前に、右足はチェーンソーへと変化した。
「ぐっ……!」
だが、黙ってやられる直樹ではない。もう似たようなことを何度も経験している。
槍を避け、チェーンソーを身体を反らせて躱し、炎の異能で後退する。
その状態で右手に水鉄砲を持たせ、左手をノーシャへと掲げる。
鳴り響く雷鳴と、水鉄砲の放射。
矢那と水橋の異能の合わせ技。雷を纏った水圧カッターがノーシャへと迸る。
「ちぃ!!」
ノーシャは盾で難なく防いだが、拡散した水が辺りに散らばり下手に動くと感電する恐れがあった。
ノーシャがまともに動けない隙に、直樹はフランへと接近する。
「貴公は現在有り得ないことを行って……!?」
「今は黙っててくれ! 後で説明するから」
もう動けるはずだ。だが飛んでしまえば何とかなる。
ノーシャという少女が何でこんな場所で親友のフランを襲うのかは不明だが、ここを選んだというのは何かしらの理由があるはずだ。
逃げれば何とかなる。そう思った直樹は炎の異能で空中に跳んだ。
ノエルの異能がないのが惜しい。本来なら彩香の異能を手に入れた後、ノエルの異能も貰うつもりだったが、透視異能のコントロールに予想以上に手間取り結局借りてないままだ。
「良し、これで!!」
と、目下に目を移した直樹は、自分の目論見が崩れ去ったことを知る。
下に、天使がいた。漆黒の翼を生やした紫の少女。さながら堕天使のようだ。
「翼が生え……!!」
「跳んで逃げられたと思った……?」
ノーシャはフフッと笑うと、直樹達へと一直線に飛行した。
いちいちジャンプしなければならない直樹と翼で飛べるノーシャ。どちらが有利かは明白だ。
直樹は咄嗟に雷を飛ばし、ノーシャを迎撃した。
だが、すいすいと避け、ノーシャは直樹達に迫る。
一人だったら対応出来た直樹だったが、フランを抱えた状態では足しか使えない。
選択肢としてはフランを手放すという手も残されてはいた。だが、回収出来るか危うい賭けを実行出来る程彼は強くない。
「くっそ!」
迫るノーシャに炎と雷の蹴りを入れる直樹。しかし、予想していたようにノーシャは軽々と避けた。
「死んでね。あたしをあんな目に遭わせた原因」
「ぐ……は……!!」
再び剣へと変化させたノーシャの右腕が、直樹の背中を切り裂く。
直樹とフランは、悲鳴を上げながら街の中へと墜落していった。




