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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第三章 異端狩り
62/129

新しい道

 煙が立ち昇る、壊れた民家。

 壊す原因となった男が、ガレキを押しのき立ち上がる。

 頭から血を流し、だらりと下がった左腕。

 初めて、ロベルトの顔から余裕が消えていた。

 目の前に立ち塞がるのは、同じく左腕が垂れ下がる少年。

 しかし、まるで魔法がかけられたかのように、その左腕は修復されていく。


「ハハ……ハハハハハッ! そうか……なるほど、私は勘違いしていた……」


 血を吐きながら、前へと進む。


「貴殿だ。貴殿こそ一番最初に排除すべき敵だった……。ノエルではなく、狭間心でも、草壁炎でもなくな」


 ロベルトは周囲を見渡した。

 そして、叫ぶ。聞いているはずの存在に向かって。


「クイーン! 貴殿が奴をお気に入りにする理由がわかったぞ。異能でも力でも、ましてやその容姿などでもない。奥底に潜む意志と、その心だ」


 ロベルトは大声で直樹を評価した。

 その間にダウンしていた敵が立ち上がり、徐々に追いつめられていく。

 だが、ロベルトはまだ死ねなかった。やるべき事がある。


「私は、無能者の楽園を創り上げる! この世界から化け物を……悪魔を一掃する! 何としてもだ!」


 ロベルトはアーマーのパワーで跳び上がった。

 ノエルの近くに降り立ち、彼女が持っていた剣を奪う。

 そして、死にかけるノエルを一瞥した。


「ロ、ベ、ルト……」

「ふん。お前の父母は、間違いなくお前を愛していたぞ。悪魔であるお前をな」


 ロベルトは吐き捨てると、追い付いてきた水橋達中立派の銃撃を避け、撤退した。





「くそ……逃げられた!」


 直樹は悔しがり、すぐにノエルの傍に駆け寄った。


「ノエル、大丈夫か!?」

「ナ、オ、キ……」


 大量に血をこぼし、顔が真っ青になっている。

 彼と同じように駆け寄った心達をかき分けて、水橋が現れた。

 医療班、と叫んで医療キットを持ったエージェント達が応急処置をしていく。


「もう大丈夫だ。異能者は丈夫だから、安心してくれ」

「本当ですか!? 良かった……」


 と直樹が安堵したのも束の間。


「「全然良くない!」」


 という二つの声に驚かされた。


「うわっ、何だよ!」

「わかってるの? あなたは下手したら死んでいたのよ!?」

「そうだよ! 何であんな無茶な戦い方をしたの!?」


 心と炎に言い寄られ、直樹はとても困り果てる。

 何でお前達そんなに心配するんだよと訊くも、返ってくるのは怒鳴り声ばかり。

 そんな彼らのやりとりを横目で見つつ、左腕を押さえている矢那が訊ねた。


「ロベルトに逃げられたけど……大丈夫なの?」


 すると、水橋はああ、と頷いて、


「そっちも問題ない」


 と言い切った。




 ロベルトは何とか街の外れまで逃走することが出来た。

 呼吸が荒い。ここまで追い詰められたのはいつぶりだという疑問が頭をもたげる。


(しかし、これほどとは。クイーン所ではない。認めよう、神崎直樹。私は貴殿に敗北した)


 ロベルトは素直に負けを認めた。

 強さで言えば、確実にロベルトの方が上だが、勝敗で言えば、確実にロベルトが負けている。

 勝ち負けにこだわらないことも、ロベルトが歴戦の戦士であることの証だ。


(何とかして生き延びねば。そして、本国へ帰還し……っ!?)


 森の中に逃げ込もう、と方策を決めていたロベルトが驚愕する。

 今まさに入り込もうとした木々の間から、銃弾の雨が降ったのだ。

 待ち伏せされていた。

 もちろん、予期していなかったロベルトではない。

 直樹達の所から逃げる間に、何度も待ち伏せを避けてきた。

 立火市は、海方面を除いて森に囲まれている。

 その中で、ピンポイントにロベルトが逃げ込む位置を張っていた事に驚いていた。


「まさか……貴殿が……」


 片腕で銃弾を弾きつつ、木々の間から姿を現す影に問う。


「貴殿が、シャドウか!?」


 シャドウは問いに答えず、サブマシンガンをフルオートで撃ち続けた。

 そして、迷いなく銃を投げ捨てる。

 弾が切れたのだろう。

 ナイフを抜き取ったシャドウは、ロベルトに立ち向かってきた。


「それは失策だぞ!」


 ロベルトの格闘技能は言わずもがな。

 左腕が使い物にならず、満身創痍の今でも、そう簡単に後れを取るような腕前ではない。

 ロベルトがサーベルを振り上げ、シャドウがナイフを横へ振る。

 一閃。

 両者が交差し、片方が血を噴き出した。


「ぬ……ぁ……」


 首を掻き斬られたロベルトが、断末魔をあげる。

 あっけなく、実に単純な結末だった。


「お前を生かしてはおけない」


 シャドウは死体に向かって言うと、次のターゲットを殺す為、行動を開始した。




 次のターゲットは、警視庁の奥底、シェルターの中に籠ってガタガタと震えていた。

 流石に自分が狙われているとわかったのだろう。権力を使い大量の警察官とSP、果てまで自衛隊まで護衛についていたのには、シャドウも失笑を漏らさずには、いられなかった。

 だが、悪い状況に見えても、これはむしろシャドウにとってチャンスである。

 邪魔者を始末し、敵の数を減らせる絶好の好機。

 シャドウは丁寧に一人ずつ始末して、内部へと侵入していった。


「どうなってる! どうなっているんだ!」

「味方が……殺されています! 一人ずつ確実に……!」


 シャドウはターゲットの映像を端末越しに見つめた。

 新垣がいるシェルターには、監視カメラなど存在していない。だが、カメラは存在している。

 今や、ちょっとしたスキルさえあれば、携帯などに付属するカメラから敵の容姿を把握することなど容易い。

 額に汗を浮かべる警視総監は、いつ気絶してもおかしくないほどに蒼白となっている。


「ふざけるな! 一人だ。相手は一人のはずだ!」


 新垣の予想は当たっていた。

 シャドウは単独潜入中だ。異能殺しのように外部からのサポートすら存在しない。

 それで十分だった。

 地下深く、シェルターの間に辿り着いたシャドウは、分厚い防護扉を防御している自衛隊員を殺し、端末をキーに翳す。

 瞬時に暗号を解析し、扉が開く。

 中から銃撃が鳴り響いたが、前以て予期していたシャドウはグレネードを放り投げた。


「よ、よけっ!?」


 避けようとした隊員の悲鳴。

 シャドウはサブマシンガンを使い、反撃しようとした敵を有無を言わさず撃ち殺し、本命のターゲットまで接近した。


「お、お前! バカな! どうやって!?」


 新垣の狼狽も仕方ない。

 単独でどうやってここまでたどり着いたというのか。二百名程部隊を配置していた。

 しかも、戦いぶりを見るに異能を用いておらず、パワードスーツの類も装備していないというのに。

 だが、シャドウに答える義務はない。会話を交わす意味も。

 必要な事は新垣を抹殺すること。それだけだった。

 シャドウは、取り出したハンドガンを新垣の額目掛けて撃つ。

 任務は十五分きっかりに成功した。


「俺の声を忘れるな。そう言ったはずだ」


 死体に向かって声を掛ける。返事は期待していない。

 シャドウは端末を取り出し、今度は応答を求めて口を開く。


「これより本国へ帰還する。そちらの状況は?」





 素敵な、とても素敵な夢を見た。

 昔ながらのレンガ造りの家に、皆がいて、笑っている。テーブルを囲んで。

 誰も悲しんではいない。

 父も母も、ジェームズも。

 今までやってきたことが嘘であったかのように、みんな笑っている。

 だが、それが虚構であるとノエルは知っていた。

 みんな、死んでいる。全員、ノエルと関わったせいで。


「私が悪いのでしょう。私が生まれたから」


 ノエルが呟くと、みんなが首を振った。

 そんなことはない、と。お前を愛している、と。


「ですが」

「ツー、いや、ノエル。君は純粋過ぎるんだ」


 突然、椅子に座っていたジェームズが言った。


「もう少し、自分を顧みてもいいんだ。死者に囚われず前に進んでもいいんだよ」

「しかし、そんな資格は」

「困ったノエル!」


 今度は母親が言う。父親も、苦笑していた。


「私は、あなたを自己責任の塊に育てたかったわけじゃないの。自由気ままに、生きて欲しかったのよ」

「……母さんぐらい自由になられるとそれはそれで困りもの……うぐっ!?」


 父親が、母親に肘鉄をいれられる。それを見てノエルはくすっと笑った。

 もし、両親が生きていたならば、このようなやりとりを毎日見ることになったのだろうか。


「資格がない? そんなこと言う人はお説教よ! 世界中の誰でもね。私達の可愛いノエルを傷付けたら誰だって赦さない。例え、神様でもね!」

「いや、それは言い過ぎじゃ……」

「あなたは言わなさ過ぎよ! だからね、ノエル。これからの人生は自分のしたいことをしてみて。他人に迷惑をかけるな! なんて言わないけど、お世話になった分はちゃんとお礼するのよ? 私達はずっと、あなたを見守っているから……」


 母親が遠ざかる。父も、ジェームズも。


「俺も見守ってるよ。母さんが墓から蘇らないようにね……」

「私を見てどうすんのよ!」


 また母が父を殴った。

 俗に言う、尻に敷かれているという状態だろうか。

 ノエルは、なぜそんな状態になっているのか知りたかった。

 いや、知りたいのはそれだけではない。

 どうやって二人は知り合ったのか、なぜ私にノエルと名付けたのか。

 学校はどんな所? 自分の故郷はどこ? あなた達は、自分に何を望んでいたの?

 だが、両親はどんどん離れていく。ジェームズと共に、手を振っている。


「――待って!」

「大丈夫さ、ノエル。君には友達が……支えてくれる仲間がいるから」


 三人の影は、どこかへと消失した。


「父さん、母さん! ジェームズ!!」




「うわっ、びっくりした……」

「――あ、ナオキ……」


 ノエルが跳び起きると、直樹が目の前へと座っていた。

 白い部屋。

 だが、そこは異端狩りの教育施設と言う名の監禁部屋ではなく、れっきとした病院だった。


「……ぅ」


 何か熱いモノが頬を流れ、拭うと、自分が泣いている事にノエルは気づく。

 なぜ泣いているのだろう。両親がいなくなったからだろうか。

 もう既に亡くなっており、忘れてさえいた両親が。


「く……ぅ……」

「え? え? 何で泣くの? え、俺何かした!?」


 涙を流すノエルを見て、直樹がわかりやすく慌てだす。

 そんな彼を、涙でぼやけている視界で捉えながら、ノエルは理解した。

 違う。悲しいんじゃない。嬉しかったのだ。

 例え幻でも、両親と会話出来たから。二人に会う事が出来たから。


「違います……私は悲しんでいません……嬉しかったんです……」

「は……? え……?」


 え? どういうことなの?

 と理解出来ない直樹を放置して、ノエルは泣いて笑った。

 何だ。自分にもまだ人らしさが残っているじゃないか。

 洗脳されて人を殺していた。だが、それは言い訳にしかならない。

 例えどんな理由があろうとも、人殺しは人殺しだ。

 だからこそ死のうとした。

 だが、困ったことに両親は死ぬなという。ジェームズは生きろという。

 ならば生きよう。生きて、自分にも出来ることをしよう。

 現実に囚われていたノエルは、視点を変え、また現実を歩み始めた。

 今度は自分のしたいことをして、恩返しをするのだ。

 助けてくれた人々に。


「ありがとう。ありがとうナオキ」

「えっ? いや、え、どういたしまして?」


 あれ、俺なんか褒められるようなことしたっけ?

 と言い直樹が考え始める。

 ノエルは心の中で教えてあげた。


(たくさん、してくれましたよ)


 だが、口には出さない。

 この男は天然なのか、頭が足りないのか。

 それとも情けは人の為ならずを実践しているのかもしれない。

 情けは人の為ならず、自分の為なり。

 誤用している人がたまにいるが、このことばは情けが人の為にならない、という意味ではない。

 人を助ければ、いずれ自分にも返ってくる――。

 意訳すればこのような意味になる。

 日本に入国する前、辞典を読み耽ったノエルは、この言葉を用いる人間が本当に存在するのかと疑っていた。

 いいことわざ、だとは思うのだが、実際に情けをかけても返ってくるとは限らないし、誤解である情けは人の為にならない、という事になる可能性もある。


(でも、私はナオキに、ナオキ達にこのことわざを実践しましょう。私は、恩を返します……)


 そして、たぶんナオキ達に返した恩をまた彼らは返してくるのでしょう。

 そう思って、ノエルは笑みをみせる。にっこりと、溢れんばかりの笑顔で笑い続けた。




 病院の廊下を、三人の少女達が歩いている。

 黒、黒、白。

 そのうちの二人は、双子と見間違う程そっくりだ。


「一つ、訊いていい?」

「なに?」


 心が相棒である彩香に尋ねた。


「直樹をどう思う?」

「いやどう思うって……何とも。私はあなたと違ってアイツのことは――」

「違う! ……そうじゃない」


 相棒は何か誤解していたらしい。

 その何かについて心当たりがあった彼女は思わず怒鳴ってしまい、はっとして声量を落とした。


「……よくわからない。何であんなことが出来たのか」

「……そう」


 あんなこと、と彩香が言うのは、直樹の傷が即座に再生したことだ。

 異能を複写させた張本人である心すら理解し難いことだった。

 心の異能は、あそこまで瞬時に再生する事が出来ない。


(……私も、自分の異能について何か誤解しているということ? 水橋みたいに)


 水橋曰く、異能は想いの力らしい。

 当然である。基本的に異能の発現は、主のイメージによって発生する。

 心とて初めて異能を発現させたのは、家族が燃やされ、自分も生きて焼かれそうになった時だ。


「……っ」


 嫌な事を思い出し、心の顔が歪む。

 何度思い返しても、胸が張り裂けそうになる。

 実力を付ければ付ける程、その痛みと無念は、大きくなっていく。

 あの時、自分に力があれば。そう思わずにはいられない。


(クイーン……? そう言えば)


 ロベルトは大声で言っていた。

 直樹はクイーンのお気に入りだと。

 それは、直樹の身近にクイーンが存在するという事にならないか?


「……まさか」

「心?」


 隣を歩く彩香とメンタルが不思議そうな表情を浮かべる。

 だが、心は一人で思案に耽った。

 やはり、いる。

 直樹の近くに。

 一度疑い、放置していた。

 そして、改めて確信する。


(私の家族と炎の兄が死ぬはめになった元凶……。見つけたら――)


 そこで、心は止まった。思考も、歩みも。

 怪訝な顔をする彩香とメンタルが、彼女の顔を覗き込む。


(見つけたら? どうする? 私はどうしたい?)


 かつての心ならば、確実に暗殺した。復讐もかねて。

 では、今の狭間心は?


(私……私は――)


 結論を導き出すのに、何の逡巡も躊躇いもなかった。


(クイーンを確保する。……彼女とて何かしらの事情があるはず)


 狭間心は、変化している。

 神崎直樹と草壁炎の影響を受けて。

 それが自己満足であり、自身の救済欲を満たすだけの行為である可能性も十分にある。

 だが、それでいい。

 偽善でも何でも構わなかった。

 それが新しい心の在り方だ。他人にとやかく言われる筋合いはない。

 可能性に賭けたいのだ。人と人のわかり合い、無能者と異能者の共存する理想郷へ。

 その為には、一歩ずつ、先へ進んで行くしかない。

 例え、果てなく険しい道のりだとしても。


「甘い、甘いね」「そんなんじゃ、やっぱりあなたは私の敵よ……」

「……っ!?」


 心は驚き、反射的に身構える。

 彩香とメンタルが、明らかに別人の言葉を喋った。

 そう、まるで炎がクイーンに操られた時と同じように。


「あなたは……っ!」

「え? どうしたの」「姉さん?」


 心が叫ぶも、時すでに遅し。

 二人はもう元の二人に戻っていた。

 何でもない、と心は二人にいい、再び歩き出す。

 そんな彼女に、妹が声を掛けた。


「そういえば、姉さん」

「なに、メンタル」

「さっきの話。直樹の異能について」

「何かわかるの?」


 彩香に心が尋ねたのは、彼女に透視異能がある故だ。

 しかし、直樹の周囲にクイーンがいると仮定すると、またもや謎の妨害がかかる恐れがあったので詳しく訊きだしはしなかった。

 そして、二人はついさっきジャックされたばかりだ。

 大丈夫だろうか、と思いながらも心は妹に目を移した。


「三つの可能性がある。一つは、直樹に何かしらの特別性があるということ。二つ目は、直樹自身が成長したこと。そして、最後は……」


 言って、メンタルは意味ありげな瞳を心へ向ける。

 その先を口にすることはなかったが、彼女と姉妹の契りを交わした心にはわかった。

 メンタルも自分と同じ結論に達したのだと。

 だが、これはあくまで仮定であるし、どう試せばいいかもわからない。

 実際に試すとなれば――自分の腕を斬り落とし両足を使い物にならなくする必要があった。

 心は痛みに喜びを感じる性癖は持ち合わせていない。

 ……最も、妹は姉を困らせることに喜びを見出せるようなので、もしかするともしかするかもしれないが。

 メンタルの姉に対する間違った認識はどこで覚えたのだろうと真剣に悩みだした心は、目的地である病室の前で固まっている親友を見つけた。


「……炎?」

「何してんの?」


 心と彩香の呼びかけに、しかし炎は答えない。

 少しだけ開いた引き戸からノエルが寝ているはずの病室を凝視している。


「そう。炎は百合心に目覚めたよう」


 メンタルが心の頭が痛くなるようなことを言う。

 心はメンタルに自分でもどうかしていたと思ってしまうレベルのことを吹きこまれ危うく実践する所だった。

 しかし、もう惑わされない。

 あの後心は恋愛バイブル系の本を片っ端から読み、規制だらけのネットワークをサーフィンした。


「まさか。だって炎は――」


 私と同じで、直樹が好きだもの。

 流石にそう口に出すことはなかったが、二人にはバレバレのはずだ。

 なぜ、腐女子と姉を困らせることが大好きな妹にこうも簡単に自分の気持ちがばれるのか。

 心は元暗殺者であり、偽装するのは得意中の得意だというのに。

 複雑な心境に駆られつつ、心が音も立てずに炎へと忍び寄る。


「炎」

「うっわ! ……とまずい……」

「何見てる……の……」


 親友に訊いたはずの答えを、心は目の当たりにすることとなった。

 それはとても衝撃的で、炎と同じように硬直してしまう。


「え……あ……」


 嘘だ嘘だ、と自分に言い聞かせるが現実として、目の前にある。

 心を喪失感が襲う。

 人が死んだ時のような刺すような痛みではないが、確実に心を射抜いてくる痛み――。

 ノエルが、直樹にキスをしていた。


「…………」「…………」


 心と炎、二人の恋焦がれる少女は固まる。

 声を出すことも、逃げ出すことも出来ずに、ただじっと隙間から覗きこむ。

 こうなることは、わかっていた。

 直樹は確かに情けない部分もある。だが、それでも自分達を受け入れ、救ってくれた。

 ただそれだけのこと。でも、人が恋をする瞬間にそれだけもクソもない。

 そんなこと言う奴は恋したことないか、異性を性行為するものと見てる変態野郎かのいずれかである。

 などと恋愛理想主義者の二人が思っていると、ノエルの行動がエスカレートし始めた。

 まだ傷も完治していないだろうに、入院患者用の服を脱ぎ始め――。


「いや何止まってんのよ」

「きゃ!?」「わぁ!?」


 突然、彩香が二人の背中を押した。

 心と炎は、そのまま扉に激突。そして、なぜか引き戸ごと倒れるはめとなった。


「あ、やば!」


 病室の扉をぶっ壊した張本人である彩香はそそくさと逃げ出す。

 残されたのは、ダイナミック入室をした心と炎、その後ろに立っているメンタルと、服を脱ぎかけるノエル、真っ赤になって戸惑ってる直樹だけだ。


「あ、ココロ、ホムラ、メンタル。こんにちは」


 ノエルだけが平然と挨拶するが、心達はそれどころではない。


「こんにちは」


 いや、メンタルも平常だった。

 それはさておき。


「……な、何してた……の」


 炎の上に倒れ込んでいる心が、恐る恐る訊ねる。

 炎も無言だったが、目は同じだった。

 え、いや、その……と慌てる直樹を後目に、ノエルは、


「恩返しです!」

「え……?」「は……?」「う……?」


 三者三様の反応をして、止まる。

 全員、ノエルが何を言っているのかわからなかった。

 ノエルが、嬉々とした様子で口を開き説明する。


「私は恩返しをすることに決めました。そこでです。人が悦ぶとは何かと考え、書物で得ていた知識を活用することにしてみたのです」


 絶対、よろこぶって漢字の変換を間違っている。

 三人は同じ思いに至っていた。

 しかし、廊下から室内を見渡す白パーカーは違う。


「それはとてもいい。私もいくつか書物を貸してあげる」

「本当ですか? それはとても助かります。しかし、男と女では対応が違うと聞いていますが……」

「それも大丈夫」


 心の頭を巡る想いは、恐らく他二人と同じだった。

 男と女。つまり男女関係なくコレをやるつもりなのだろうか。

 それに、なぜメンタルはそんな書物を持っている?

 だが、言葉に出さぬ想いは特殊な異能を持っていない限り相手に届く事はない。

 半裸のノエルとパーカー姿のメンタルによるやりとりが三人の前で続く。


「そうですか! 助かります。私はまだ、人にどうやって恩を返せばいいのかわからなくて……」

「大丈夫、私が教えてあげる……」


 二人の会話を聞いて、心はまずいと思った。

 無垢なる者が、純粋な者を陥れようとしている。

 それはまずい。まずいのだ。

 心にとって。そして、下敷きになっている炎にとっても。

 二人は目配せすると、立っていたノエルはベッドに寝かせ、混乱している直樹を引き剥がした。


「の、ノエルちゃん! とりあえず今は休憩しよう? そして、いっしょに学んでいこうか。喜びについて」

「え? でも」

「いいから、今は休んで? そう、果物持ってきたから!」

「ホントですか!?」


 純粋なノエルは、色気よりも食い気である。

 ぱっと目を輝かせて、炎が持っていたフルーツバスケットの中からリンゴを取ると、そのままかぶりついた。


「おいしいです……!」

「それは良かったよ……」


 一応果物ナイフ持ってきたんだけど、と炎がぎこちない笑みで言うがノエルは気にせず皮ごとむしゃむしゃとリンゴを咀嚼する。

 その間に心は直樹を廊下へと追い出した。


「……」

「そ、そんなに睨むなって」


 睨んでいたつもりはないのだが、視線がきつくなっていたらしい。

 しかし、それも仕方のないこと。

 好きな相手が別の相手とキスしてるのを目の当たりにすれば、目つきの一つや二つきつくなっても仕方ない。

 

「睨まれてもしょうがないと思う……」


 思わず心の本心が漏れ出る。

 はっと口を押さえたがもう遅い。異能殺しと言えど、元はただの少女なのだ。


「そう言われてもな……」


 直樹が困り果てる。

 それもそうだろう。ここで言い訳するのもどこか変である。

 ノエルは恐らく恩返しというのを誤解して行ったのであって、直樹が無理強いしたわけではなかった。

 不純異性交遊ならばともかく、キスぐらいならば高校生だってしてもおかしくはない。

 最も、かくいう心は未だキスの味というものがどんなものか知らない。

 そんなものとは縁遠い生活を送ってきた。

 彼女の身近にあったのは、死と血と、叫び声だけである。

 命の終わる声、絶望に染まる声。

 だが、今は違う。

 周りに響くのは明るく楽しそうな声ばかり。

 もちろん、敵はいつだって現れる。戦いと無縁になったわけではない。

 異能殺しなどと呼ばれるまでに至った自分が、全てを忘却しただの少女になれるなどとは思っていない。

 だが、今の自分には余裕がある。

 人と繋がりささやかな幸せを享受出来る余裕が。

 人が当たり前だと思っていて、自分には縁のなかったこと。

 学校生活、怠惰な休日、友人や仲間とのひととき……。

 贅沢を言えば、そこに家族が入っていて欲しかった。


(って、今はそんなことは……)


 また胸が痛み、心は首を振る。

 前に立つのは困った顔を浮かべる直樹のみ。


「心?」

「あ、うん……」


 ずっと黙っていたので、直樹が訝しげな顔をみせた。

 とはいえ、何を言っていいのか心はわからない。

 いや……もしかするとこれはチャンスなのでは。

 先程の通り、今の自分には余裕がある。

 敵は多く、強大だ。告白をするタイミングは限られる。

 それにノエルのこともあった。

 今回は止められたが、また同じような事が起き、直樹が奪われてしまったら?

 それだけではない。直樹の幼馴染である久瑠実もまた、彼を狙っている。

 そして……炎だ。

 心は壊れた扉からノエルを諫めている親友をちらりと見る。

 彼女の顔が悲しみに歪むのは辛い。だけど、直樹が取られてしまうのも辛い。

 どうすれば……どうすればいい?

 散々悩んだ心は、自分の気持ちに向き合うことにした。

 すぅ、と息を吐いて、直樹を真っ直ぐ見つめる。

 シチュエーションとしても微妙だし、そこの壊れた扉が気にかかるが、だからと先延ばしにしていたら、いつまで経っても想いは伝わらない。

 無能派や異能派の敵と同じく、恋敵も多いのだ。


「直樹」

「な、何だよ」


 直樹が戸惑う。先程の動揺がまだ続いているのだろう。

 しかし、心は冷静だった。冷静になることが出来た。

 暗殺と同じだ。不意を衝くのみ。

 違うのは目標を殺すのではなく、目標に想いを伝えることだ。


「私は」

「すみません」


 意を決してことばを発した心を遮って通りがかった看護師が言葉を投げかけてくる。

 出鼻を挫かれた心は少々イライラした様子で何ですかと尋ねる。


「このドア、誰が壊したんですか?」

「彩香です!」


 と名前を出すが、看護師は彩香が誰だかわからないようだ。

 えっとですねぇ、と言いづらそうに看護師が目を伏せる。


「これ、弁償なので。彩香って人呼んでもらえますか?」

「はい! ……はい?」


 勢いよく答えた心に、疑問が渦巻く。

 彩香が弁償するということ。つまりそれは――。

 彼女を養っている自分につけが回ってくるということではないか?

 衝撃の事実に気が付いた心は、声を震わせて叫んだ。


「あ、彩香ー!!」


 病院に響き渡る暗殺少女びんぼうにんの絶叫。

 当の本人は颯爽と自宅に帰り趣味に没頭していることを家主は知らない。

 心の頭から告白という文字は完全に吹き飛んでいた。


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