接触
放課後、久しぶりに警察に呼ばれた直樹は炎と共に署内へと入った。
誰かに見られてはいないか少々挙動不審だったので、かえって怪しまれてしまったかもしれない。
「すまないね、直樹君、炎。わざわざ呼び出したのはある男が市内に侵入してきたからなんだ」
達也はパソコンを開き、例の監視ネットワークを表示した。カメラには、筋肉質の男性が映し出されている。
「すごい筋肉……。ボディビルダーかな?」
炎がボソッと呟く。達也がデータベースを開きながら答えた。
「そんな奴じゃない。悪党だ。奴は既に三十人は殺した凶悪犯罪者だよ」
最も、異能者では少ない方なんだけどね、と達也が補足する。
「そんな奴が……どうしてここに?」
「理由は一つしかないだろう。狭間心だ。どうせ異能省あたりが雇ったに違いない」
正確には異能省内の異能派だろうが、と達也は思っていた。
「殺し屋紛いの事をやっているようだが、よく他人を巻き込む。極力無関係な人間を巻き込まない異能殺しとは正反対の人物だ」
自分は巻き込まれたんだが、と直樹は心の中で突っ込む。
そして、自分を保護してくれたのが達也で良かったとも思った。
ニュースなどでは知りえなかった社会の構造を知って、もし普通の警察官と出会っていたら生きていられたかどうか疑問を感じるようになっている。
もはや、今の社会に既存の常識は通用しないのだ。世紀末、もしくは暗黒郷か。
物語の世界のような殺伐とした状況。現状の世界を正しく理解出来ている人間がどれだけいる事か。
多くの人間は死の間際にそれを知り、絶望して殺された事だろう。
「しかし、これは好機でもある。奴が来た事は狭間心も知っているはずだ。上手く事が運べば、奴と狭間心両方を拘束する事が出来る」
それは危険でもあるんだが、と達也は危惧する。
ハイリスク、ハイリターン。上手くいけば一網打尽、失敗すれば炎が殺される危険性もある。
しかし、達也は動けない。彼が炎を見ると、異能犯罪対策部の同僚は快く頷いた。
「分かってます。失敗なんてもうしません。心ちゃんを捕まえて、この男も捕まえます」
「すまない」
達也は申し訳なさそうに呟く。
(怖いけど……やるしかないよなぁ……)
そんな二人を見ながら、直樹は何とか決心を固めようとした。
でもやっぱ怖い、とも思う。
本来彼は何もしなくてもいい。何事もなかったかのように高校生活を送っても二人は何も言わないだろう。
だが、それでは男が廃る。
そうだとも、これで炎に死なれたら、目覚めが悪いじゃないか、しっかりしろ、神崎直樹。
直樹の決心は固まった。
「直樹君は……」
「俺もやりますよ。ここまで来て引き下がれません」
実の所、胃はきりきりと不気味な音を立てていたのだが、直樹は強がる。
そんな彼に達也は再びすまないと言った。
「危険を感じたらすぐ逃げてくれ。俺も出来るだけサポートする」
以上、解散! という号令の後、直樹と炎はパトカーと言う名のタクシーを断って、徒歩で帰路についた。
ふんふふーん、と鼻歌を歌いながら、監視ネットワークにハッキングする。
ヘッドホンを耳に付けて、お気に入りのCDを聞きながら、カチカチとキーボードを打ち続ける。
彩香は、仲間に頼まれた神崎直樹なる男を捜索していた。
薄暗い部屋の中で、長時間パソコンの画面を見続けているので目に悪そうだが、彼女は気にしない。
彩香の目はとても良かった。というより良すぎた。
今彼女が見ようと思えば、ここから壁を透しして反対の家のそれなりにガタイのいい男の着替えも覗ける。ちなみに、彩香の日課だった。
しかし、一人だけではだめだ。たまに訪れるもう一人のイケメンが現れなければ彼女が本当にみたい光景を覗く事は出来ない。
(たまにしか来ないんだよなー。毎日来ればいいのに)
などと考え事をしながら検索しているとようやっとヒットした。今までなぜ見つからなかったのか不思議だが、どこかで見落としていたのかもしれない。
(ふつーだな……。がっかり)
彩香の目にはそこら辺にいるような平凡な男と赤い髪をした女が写っている。どちらも制服だ。
(デート中かよ……リア充爆発しろ)
まじで爆発しねーかな、と念をいれながら彩香は集中した。
スキャンの開始である。
見た者を爆発させるような力はないが、見た者が異能者かどうか判断する力を彩香は持っていた。
直接目で見る事が出来ればもっと詳細を見る事が出来るのだが、監視カメラ越しではこれが限度である。
(片方は……発火能力、うっとうしそー)
私の嫌いな人種っぽい、と彩香は思った。
だが、本命はこちらではない。もう一人の男に目を移す。
すっと、彩香の頭の中にイメージが湧き起こる。査定結果は……。
(ん? んんー……何もない……いや?)
ピンボケしてる気がした。
これは彩香がスキャンした時、よくわからない場合に使う例えだ。
(微弱だったりする? それとも……)
しばらく画面とにらめっこしたがよくわからない。
こういう場合、彩香はとてもむしゃくしゃする。
視えそうで視えない。それが許されるのはサブカルチャーだけである。
「くそー! だるいけど行くしかないか……」
彩香は頭をくしゃくしゃ描いて、大きくため息を吐いた。
が、すぐに笑顔になる。
反対の家にいつも良い事を行うイケメンが現れたからだ。
何やら寒気がして辺りを見回したが、確認出来るのは監視カメラだった。直樹は不安になって炎に声をかける。
「誰かに見られてないか?」
「え? ほんなおとないとおもふけど」
クレープを頬張っていた炎はきょろきょろと見回したが、そのような人物は発見出来なかった。
「そうかな……だといいけど」
ダメだ、怯えるんじゃない。直樹は自分に喝を入れた。
直樹は炎と寄り道中である。
妙な誤解をされたばかりだったので二人で行動するのは避けたかったが、そうやってこそこそするのもかえって怪しまれる気がする。
何かやましい事を行う時は堂々とする事も必要だ。
何かの本で読んだ。別に直樹はやましい事をしている訳ではなかったが。
商店街には帝聖高校の生徒も確認できる。ここは地元の寄り道スポットだった。他には駅前にあるデパートやら、ショッピングセンターなどもあるが、高校生の溜まり場としてここが一番である。
「でも、ここいいよねー! 美味しい食べ物一杯あるし、お店もたくさん!」
炎はクレープを食べ終えてきらきらした笑顔を見せた。ご機嫌のようだ。
「そうやって食べ過ぎて、後で泣いても知らないぞ?」
直樹は炎をからかうが、機嫌のいい炎はちっちっち、と指を振った。
「私はすぐ燃やしちゃうからね、太る事はないんだよ」
そんなものなのか? と直樹は思ったが、深く考えることはやめた。
異能については科学者でも解明出来ていない。そもそも、解明出来ていればこのような状況にはなっていない。
「この炎は便利なんだよ? 太らない、マッチ、ライター要らず、キャンプファイヤーだってお手の物!」
「火力には気を付けろよ……」
炎はよく頭から火が出ている。
それがコントロール出来ていない為か、はたまた別の理由か直樹には分からない。
「そ、それは努力するよ……」
自覚があるのか、炎は少ししょんぼりする。そして、すぐに笑顔になった。
「あ! これ……。プラモデルだね」
「ん? あーそうだな……」
炎が覘いたのは模型店だ。そこにはプラモデルや電車、車、エアーガンなどの模型が展示されている。
「好きなのか?」
「兄さんが大好きだったんだよ。私も好きだけどね、遊び専門だけど」
直樹には、炎が組み立てたプラモをボロボロにしている姿しか想像出来なかった。
「フフッ……」
「あ、あー! 笑った! 女の子がロボット好きなのがそんなにおかしい!?」
「い、いやそうじゃなくて、炎はプラモ壊しそうだったからさ」
う、と炎は言葉につまる。実際に兄が組み立てたプラモを炎はよく壊していた。
「で、でもおにいちゃ……じゃない、兄さんは別に怒らなかったもん。また壊しちゃったのか、って言って喜んで組み立ててたもん」
それはなかなか甘い兄だな、と直樹は思う。俺なんか妹がプラモを壊した日には……あれ? 何か情けなくなってきたぞ。
「……どうしたの?」
炎が急に黙った直樹を見上げる。炎の兄と自分を比較して少し落ち込んでいた直樹は気を取り直した。
「いや、別に……。まぁたまには謝れよ? それとお詫びにプラモを買っていくんだ。そうすると喜んでくれると思うぞ」
自分の経験談と照らし合わせながら、直樹は炎にアドバイスする。だが、返ってきた答えは予想外だった。
「……兄さんもういないから、無理だなぁ……」
「それは……ごめん」
「いやこっちも言ってなかったし……」
直樹は自分の配慮の足りなさに呆れる。なぜ炎が警察に協力しているのか考えればそのような答えがかえってきてもおかしくないではないか。
沈黙が二人を包み込む。気まずかった。お互いに何か言わなければならないのだが、何をどう言えばいいか分からない。
その時、店のドアが開いて客が出てきた。その客を見て二人は声を上げる。
「心ちゃん!?」「狭間心……」
「神崎直樹……草壁炎……デート中?」
店から出てきたのは狭間心だった。
「デートじゃないって! ……それは?」
心は袋を持っていた。直樹に訊かれて、反射的に袋を隠す。
「……何でもない」
心はそう言って、二人の元を去って行った。
「……今の……プラモの箱だったような……」
「俺もそう見えた。案外趣味だったりするのかもな」
とすると隠していても仕方のないかもしれない。
直樹は特に気にしないが、気にする人は気にするのだ。
「今度聞いてみようかな……」
「聞いてみたらいいんじゃないか? 仲良いみたいだし」
そうかな? と炎がはにかんだ。
直樹は心の中で、場の空気を変えてくれた心に感謝した。
家に帰ってきた心は、思わず手に取ってしまった商品をテーブルの上に置いて、心はため息をついた。
それは少し古い作品のものだ。丁度五年前にやっていたアニメのものだった。
その中で弟が好きだと言っていたものだ。
「作るのは得意じゃないのに……」
嘘である。今の心はプラモ以上の物……銃すら組み立てる事が出来た。
しかし、心はそう思っている。その評価は五年前から揺るぎない。
今から作りたい所ではあるが、心にはやることがあった。
パソコンを起動して、彩香にコールする。
神崎直樹が異能者か確認する為だ。
しかし、彩香からの応答はなかった。
(寝てるの……?)
彩香の生活サイクルは心のそれとは異なる。
彼女は夜の住人だ。最も一般的な意味合いとは違うが。
まあ、彩香の学力は常人の高校生を凌駕していたし、学校には事情により馴染めないのだから致し方ない。
しかし、コールにはいつも出ていたはずだが……?
嫌な予感がする。心が監視ネットワークを開こうとした瞬間、携帯が鳴った。
メールである。送り主は彩香で、「今ちょっと出れないー」と書かれていた。
「なら結果を書いて欲しいのだけど」
心は多少呆れながら、返信する。内容は『神崎直樹は黒? 白?』とだけ書いた。
ピロリーンと音が鳴り、画面を覗く。そこには『灰色』と書かれている。
「……灰色?」
どういうこと、と心は訝しむ。監視カメラ越しでも異能者かどうかは判断出来るのではなかったか。
心は、異能者について自分の知りうる限りの知識を想起した。
異能者には不明な点が多い。詳しい仕組みは分かっていない。
彼らを神だとさえ言う者もいる。
しかし、いくつか判明している特徴がある。
一つは異能者は突然現れる事。
というよりも気づいていないという言い方が正しい。自分の中に眠れる異能に気付かないでいるのだ。仕方のない事とも思う。自分に対して空を飛べ、炎よ出ろなどと念じて確認するしか術がないからだ。
一応、簡単に判別出来る方法もある。それは死にかける事だ。
死に直面した時、人は自分の持てる最大限の力を発揮しようとする。生存本能、生きたいと思う意思がそうさせるのだ。
だが、この方法はリスクが大きすぎる。それに異能の種類によっては、異能が発動しても死を避けられない場合もあった。
例えば、彩香の能力がそうである。透視能力は死を回避する直接的な力とはなりえないだろう。危険を察知する事は出来るが。
逆に、炎のような能力は死を回避する事が出来る。炎の能力の全貌を知るわけではないが、彼女は飛んでくる攻撃を火で跳び躱すだろう。
そして、炎を纏わせた拳で相手を倒すのだ。
これは二つ目の特徴でもある。物理的か精神的か、大雑把に分類出来る。炎の異能は前者で、彩香の能力は後者だ。
だが、この区分はもう少し複雑に分岐する。それに、分類出来ない力も存在した。
ふと、心は自分の異能はどちらに分類するのかと考える。
だが、結論は出なかったし、出たとしても意味があるのだろうか。
(今は神崎直樹について)
心は本題に戻り、思考を続ける。
三つ目は、異能は進化する、という事だ。分かりやすく言うとレベルが上がるという事か。
これは世界にはまだ発表されていない。公表されていないだけかもしれないが。
彩香にはその異能がはっきり視えるかどうかで判断が可能らしい。
彼女曰く、はっきり視えれば、レベルが高い。視えなければ、レベルが低い。との事だった。
しかし、レベルが高いかどうかは普段の心には関係ない。
どれだけ異能者として進化していようがいまいが、彼女にとって敵は暗殺するだけのものだからだ。
だが、ここに来て、そのレベルという曖昧なものが重要になっている。
神崎直樹は異能レベルが低く、判断が出来ない可能性があった。
(……彩香が無理となると……自分で何とかするしかなさそうね)
とはいえ、目下の敵は有馬である。
心はパソコンを閉じて、戦闘に備える為、装備品を調達しに向かった。
三日が過ぎたが、有馬と心の戦闘はまだ起きていないらしい。
直樹はほっとしつつも、不安が拭えず、悩ましげだった。
嫌な事は避けられるならば避ける。だが、避けられない嫌な事を先延ばしにしている時の緊張感と不安感に毎日襲われるというのは考え物だった。
自分に物語の主人公のような度量が欲しい。
痛々しい想いではあったが、直樹にとっては切実だった。
奴らはどんなにやばい状況でも諦めないし、怯えない。作品にもよるものの、腹痛に悩まされる事もないだろう。
胃に穴が空きそうというのはこういう事だったのかと、直樹は十七歳にしてストレスに見舞われる企業戦士の気持ちをほんの少しだけ理解できた。
夕日が差し込むいつも通りの教室なのだが、直樹にはやけに眩しく見える。遠い世界のように感じた。
もうさっさと決着をつけて、いつも通りの日常に帰らないか? と心に言いたくなった。
だが、当の心はいそいそと鞄に荷物を仕舞っている。今日も炎の誘いを断って一人急ぎ足で帰るのだろう。
どこに行くのか。銃を取りに? 爆弾を仕掛けに? よもやプラモ屋という事はないだろう。
直樹がそんな事を考えながら心を見つめていると、炎が声を掛けてきた。
「ねえ、遊びに行かない?」
「……今日も? 流石に毎日寄り道ってわけにも」
最近、炎は良く直樹を誘う。
女の子に誘われるというのは直樹も別に嫌ではないが、炎は恋愛感情を持っているわけではないし、単純に何か起きた時便利だから、という理由なのだろうから、そこまで喜べない。
「それには賛成」
炎に同意する声が前から聞こえる。直樹が黒板の方へと目を向けると、狭間心が歩み寄ってきた。
「今日は私も混ぜて欲しい。デートの邪魔にならないならば」
「デートじゃないよ! でも、いいよ、心ちゃん」
心が直樹を意味深な瞳で見ていた事に二人は気づかなかった。