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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第三章 異端狩り
56/129

水橋の回想3

 それからの日々はあっという間に過ぎて行った。

 朝起きて、学校で話して、放課後遊んで。

 そのサイクルを、水橋は毎日続けた。

 異能者が学校で一般生徒と何ら変わりなく勉強する。

 それが可能になったのは、ひとえに結奈のおかげだ。

 彼女が、人間の怖さを、優しさに変えてくれたから。

 水橋は彼女に感謝しつつ高校生活を謳歌した。

 とても、とても楽しかった。まるで夢のように。

 だが、夢が突然覚めるのと同じように、楽しい生活も唐突に終わりを告げた。

 全ては、あの一通の手紙からだ……。



 アパートの一室から、眠い目を擦りつつ出てきた青い髪の少女。

 朝、寝ぼけ眼の水橋がポストを見ると、一通の手紙が入っていた。

 差出人は異能省だ。


(……何だ?)


 家の中に戻った水橋は、朝食のパンを咥えながら開封した。

 水橋が異能者であることをやけに強調しながら書かれている。

 その事に若干不機嫌になりつつも、読み進めたその内容は、同じ異能者を救うべく共に戦いませんか、というものだった。


「異能者のため……?」


 内容に興味を持った水橋が、朝食を摂るのも忘れて読みふける。

 

 社会には不当に迫害されている異能者が大勢います。

 男も女も、子どもも老人も関係ありません。人格も考慮されません。

 ただ、異能者というだけで攻撃されます。

 理不尽な暴力です。死人も大勢出ています。

 幼い子ども達が、いじめられ自殺しています。

 彼らを救う為に協力しましょう。無垢な異能者を助けましょう。

 みんながあなたの助けを待っています。


「バカな……それを何とかするのが異能省の仕事だろう」


 水橋は呆れた。

 それを実行するべき異能省からの応援要請。

 しかもまだ学生の身分である自分にだ。

 こんなものではどうでもいい。急いで学校に行かなければ。

 手紙を捨てさっさと学校へ行こうと動いた水橋は、ゴミ箱に捨てる前に躊躇した。

 脳裏に“みんながあなたの助けを待っています”という一文がこだまする。


(……私と似た境遇、いや、私のように誰か信頼できる人間がおらず、苦しんでいる子どもが大勢いる、か。結奈ならどうするだろうか。……協力、するのだろうか)


 もしや親友はこの要請を受諾するのではあるまいか、という思いが頭の中を巡った。


「直接聞いた方が早いな」


 水橋はパンを牛乳で無理やり押し込むと、アパートから出て学校へ向かった。



 学校で結奈と健斗に会った水橋は、手紙には触れず、午前中の授業を受けた。

 三人は幸運な事にいっしょのクラスだった。その事が、水橋が学校へと積極的に登校する源になっている。

 だが、あの封筒の話は三人でするにはデリケートな問題だった。

 出来れば結奈とふたりきりで話がしたい。

 そう思った水橋は機会を伺い続けた。

 そして、案外早くその機会が訪れる。

 昼休み、健斗は別の友人と共に食事をするため、席を外したのだ。


「結奈」

「ん? ここじゃないの?」


 教室で昼飯にありつこうとしていた結奈に、水橋は声を掛けた。


「いや、たまには屋上で食べよう。ふたりっきりになりたくてな」

「え? 恋愛相談はもうこりごりなんだけど……」


 どうやら誤解してる親友に違う! と叫びつつ、二人で屋上に向かう。

 幸いなことに屋上には誰もいない。それもそのはずで、もう七月だ。日差しが熱く、外で食べるには向いていなかった。


「暑いよ優ちゃんー。水でもかけて」

「どうせ消えてしまうだろう」


 嘆息しつつ弁当を広げ、水橋は座った。

 そして、いただきまーす! と食べようとする結奈に、例の封筒を差し出す。


「これ、来たか?」

「なにそ……って、ああ! 来てた来てた!」


 結奈は未開封の封筒を取り出した。

 曰く、朝忙しくて中身を見れなかったらしい。


「えっと、なになに? ……は? 何これ」


 どこか怒ったような口調で言う結奈。

 どうしたんだ? と水橋が訊くと、彼女は憤慨して一文を指す。


「彼らを救う為に行動しましょう? 無垢な異能者を助けましょう? 全く、ふざけてるにも程があるわ」

「……なぜだ? だって君は」


 結奈は、私という異能者を救ったじゃないか。

 水橋の疑問に、結奈が勢いよく答える。


「そりゃあね、何も悪いことをしていない異能者を助けるんなら、私も手放しで協力するよ? でも、これには無能者について書かれてないじゃん」


 事実だった。

 水橋が確認すると、無能者は悪人のように書かれているだけだ。


「確かに……」

「でしょ? これじゃあダメ。私は異能者だけ助けるんじゃないの。異能者も無能者も助けるヒーローになりたいのよ」


 水橋は苦笑した。

 結奈はどこまでも結奈だ。

 そう思って、話を終わらせようとした時。

 頭の中で、不思議なことばが思い浮かんだ。


 ――本当に、その選択でいいの?


 不思議、としか言いようがない。

 そんな事を言う気は全くなかったのだから。

 まるで、別人のことばを自分が代弁しているようだった。


「本当に、その選択でいいの?」


 水橋が頭に響いてきたことばを復唱する。

 それを聞いた結奈は不思議そうな顔をしつつ、頷いた。


「もちろん。私はヒーロー志望だから」

「全くだ。結奈はそういう人間だ」


 別の誰かに語りかけるように、水橋の口からことばが漏れる。


「優ちゃん?」

「ん? 何だ?」


 結奈が首を傾げた。

 その時はそれで納得していたが、後々になって自分がおかしかったことに気付かされた。

 いや、今でもそれがおかしいと思い込まなければ違和感を感じない。

 気づくのが、遅すぎた。それに気付ければ――。

 ……今はいい。回想を続けよう。

 傍観者は、記憶を進めた。



 次のシーンの冒頭、傍観者の身が竦んだ。

 あの日だ。見たくない。

 でも、見なければならない。

 そもそも、見ないという選択肢は彼女にない。

 水橋は、森の中でつまらなそうな顔をする自分を注視した。



 

 えいっ! という掛け声と、トスッ! という物音。

 虫の鳴き声がうるさい森の中、水橋は訳の分からないことを始めた相棒を見ていた。


(何してるんだ、全く)


 呆れつつ、物を投げる彼女を見続ける。

 結奈は銀色に輝く物を持っていた。投げナイフだ。

 先程から手製の的に当てようとしているのだが、全く当たる気配が見えない。

 せっかくの夏休みだというのに、自分は何をしているのか。

 水橋は悲しくなり、結奈に尋ねた。


「全く、何をしてるんだ、君は」

「え? 遠距離攻撃の練習。背中を預けたとは言ったけど、やっぱり自分でも出来なくちゃダメかなぁ、と」


 水橋は嘆息する。


「それでなぜ投げナイフなんだ?」

「え? そりゃあ、カッコいいからさ!」


 ドヤ顔で結奈が言い放つ。

 水橋は帰りたい衝動に駆られた。ただでさえ夏休みに入って健斗に会えていない。

 これほど夏休みを恨めしく思ったことはなかった。

 さっさと過ぎてしまえ。そして、早く始まれ学校よ。

 夏休みの初日に、水橋はそんな念を送ったものだった。

 カップルにとってはイベント盛りだくさんの夏休みも、片思いには絶望しかない。

 ならさっさと告白しろと言われてしまうかもしれないが、そもそもそれが出来れば苦労しない。


(……健斗に会いたいなぁ)


 などと結奈が知ればうっとうしいと思われることを水橋が考えていると、近くの茂みからがさ、と鳴った。


(ん?)


 と水橋が目を向けると、そこには健斗が立っている。


「とうとう私も幻が見えるようになったか。恋とは人を惑わせるもの……」


 などとしょんぼりした顔で呟いて、健斗がやけにリアリティであったことに気付く。

 VRでも導入されでもしない限り、ここまでリアルに草むらを避けて来ないだろう。

 ましてや、結奈を見つけて、結奈……と呟いたりするだろうか。


「……ッ!?」


 水橋が飛び跳ねそうになる。

 それに呼応して、結奈は健斗が来たことに気付いた。


「あ、健斗。やっと来たわね」

「なっ何だと!?」


 驚いた顔で結奈を見る。

 どうやら、結奈が健斗を呼んだらしい。

 だが、そんなことはどうでも良かった。

 水橋はパニックに陥っている。


(なっ、ななななな! まさか! いや! これは困る!!)


 想い人にあっただけでそんなに動揺するかと思われるかもしれないが、水橋が健斗を異性として意識だしてから、彼女は前以て心を落ち着かせてから会っていた。

 つまり、高校生活のほぼ毎日を、深呼吸してから過ごしていたのだ。

 そんな彼女に、不意のエンカウントは強烈過ぎた。もし、これが暗殺者と目標の関係だったならば、水橋は反撃できずに殺されているだろう。

 うわうわと水橋が慌てていると、結奈が意味深な視線を送ってきた。ドヤ顔で。


(……ッ!! アイツ!!)


 その顔に水橋はムカッとした。

 どう? 私の気遣い。

 結奈の目はそう語っている。

 だが、反論することは出来ない。

 言葉を発することも難しかった。


「投げナイフの練習、だったね」

「うん。健斗もやってみる?」


 結奈が、健斗に投げナイフを手渡す。

 その時、結奈と健斗の手が触れるのを、水橋は眺めた。

 不意に湧き起こる二つの想い。

 手が触れていいな、と思う気持ちと、自分には到底出来ない、という諦観。

 水橋が複雑な想いに駆られているうちに、健斗がナイフを投げた。

 放たれた投げナイフは放物線を描き、見事、まとに命中。


「わぁすごい! 一発! でもね、ちょっと惜しいね」


 おお、と感心していた水橋は親友の一言が引っかかった。


「どこが惜しいというんだ?」


 ナイフは的に突き刺さっている。これ以上ない見事な投擲だ。

 それのどこが惜しいというのか、という水橋の疑問に対して。

 結奈は微妙な表情で答える。


「だって、それじゃあ人を殺しちゃうよ」


 結奈はどこまでも結奈だった。

 水橋は喉まで出かかっていた文句を飲み込んだ。

 言っても聞く訳がないし、下手をするとヒーローはどうあるべきかなどという説教が始まってしまう。

 健斗も笑いながらそうかい、と一言言うだけで怒っていない。

 自分が言うのもおかしいだろう、と水橋は納得した。

 そういえば、と健斗が口を開き、結奈に尋ねる。


「何で急に呼び出してきたんだい?」

「あぁ~それはぁ」


 と、意味深な視線を唐突に送ってきた結奈。

 嫌な予感がした水橋は、余計な事を言うなよという念を親友に送った。

 が、水橋の念は届くことなく、結奈が余計な事を言う。


「優ちゃんが話があるってさ」

「水橋が、僕に?」


 素知らぬ顔で言い放った結奈を水橋は殴り倒したかった。

 しかし、その衝動に突き動かされるよりも早く、別の衝動が身体を駆け巡る。

 頭の中で、選択肢が表示された。

 1、このまま勢いに任せて告白する。

 2、何でもないよ、とごまかす。

 そして、3。


「って、ええっ!? 逃げるの!?」


 突然走り出した水橋に対して、結奈が発した言葉。

 そう、水橋は3番目の選択肢である、【自分の本能に従って逃げ出す】を実行したのだ。

 はっきり言って、水橋の許容量はオーバーしている。

 話すことも難しい状況で、結奈が創り上げたことばは、水橋を逃げさせるには十分すぎた。


「無理……無理だ!!」


 叫びながら猛ダッシュする水橋。

 後には訳がわからず呆ける健斗と、やり過ぎちゃったか、と頭を手で抑える結奈が残された。



(なっ何を考えてるんだ結奈は! 出来るわけないだろう……!)


 セミが喚く森の中を、気を静めるかの如く歩く。

 走って汗だくとなった水橋は、適当な木によりかかった。


「くそ……」


 ひとり、毒を吐く。

 結奈に対してと、情けない自分に対して。

 確かに強引だったかもしれないが、さっきの状況はチャンスだった。

 勢いに任せて取り返しのつかないことを、となってしまう可能性はあったが、今の自分に必要なものは間違いなくその勢いだ。

 失敗を恐れず告白する勇気が、水橋には足りなかった。

 そして、それを自覚している。

 なのに、解決出来ない。


(いや……違う。解決したくないって、逃げてるだけなんだ……)


 自分が逃げていることを、水橋はわかっていた。

 何となく、未来が予想出来る。

 結局、このまま高校も卒業してしまうのだろうと。

 そして、親友相手に愚痴を言うのだと。


(ダメだ……くそ。でもやっぱり……)


 そうだ。先延ばしにするな。

 水橋は逃げようとする自分を取り押さえた。

 彼女の頭をよぎったのは結奈のことば。

 人はことばで繋がる。

 つまり、自分で声を出さなければ、想いを口にしなければ、未来永劫伝わることはない。

 もし、片思いで想いが届くなら、水橋は今頃返事をもらっているはずだった。

 だが、それはない。水橋が持つ異能は水を放つものだ。

 ならば、どうすればいいか。せっかく目の前にあるチャンスを無駄にしてしまうのか?

 親友が、無茶苦茶なやり方でも、機会をセッティングしてくれたというのに。


「……そうだ、そうだ! 何とかなるはず! ダメならダメで……どうにでもなれ!」


 水橋は決意した。

 そうとも、ここで言わなければもうチャンスはこない。

 それくらいの気概で。

 想い人と親友の元に、駆けて行った。



 勝手知ったる森、と言っても闇雲に走り回った後だったので、戻るのに時間が掛かった。

 そろそろ夕暮れだ。水橋は内心焦る。

 暗い森というのは危険だ。例え身近にある森だとしても。

 急がなければ、二人は帰ってしまうかもしれない。

 そうなれば、せっかくの覚悟が無駄になる。

 焦燥感に駆られつつ二人を捜索していた水橋の耳に、二人の声が聞こえてきた。

 健斗の声だ。結奈の声もする。


(良かった、まだいた。……よし)


 行くぞ、私。

 想いを胸に秘めて、ゆっくりと近づいた水橋は、彼女の決意をあっさりと打ち砕くことばを聞く破目になった。


「結奈、僕は君が好きだ」

「「え……?」」


 水橋と結奈の声がシンクロする。

 二人とも、驚愕していた。

 結奈は、予想外のことばを聞いたという顔。

 水橋は、何が起きたかわからない、という顔。


「水橋……?」


 水橋が戻ってきたことに気付いた健斗が呟く。

 だが、告白しに舞い戻ったはずの水橋は固まっていた。


「優ちゃん……」


 結奈の、戸惑いを隠せない声。

 水橋はどうしていいかわからなくなった。

 それでも、告白するべきではないという事と、ここにいるべきではないという事は、わかった。


「っ!」


 水橋は先程と同じように、そして全く違う理由で走り出す。

 目からこぼれた涙が、きらきらと輝いた。


「優ちゃん!」

「結奈!?」


 さっきとは違い、結奈がその後ろを追いかける。

 突然の動きに、健斗が声を荒げた。


「返事は!?」

「あ、後で! また明日ね!」


 結奈は適当に返事をすると、逃げ出した親友を追った。




「っう!!」


 もう慣れたはずの森。

 なのに、木の根に引っかかって転んでしまった。

 とても、とても痛い。

 擦りむいた膝が。

 自分の、心が。


「くっ……うっ……そんな……」


 水橋は涙を堪えようともせず、泣いた。

 こんなことが、あるのか。

 好きな人が好きだった相手が、自分の親友だったなどということが。


「そうだ……結奈は魅力的だ……当然じゃないか。私と結奈なら、みんなが結奈を選ぶはずだ」


 自虐的に言葉を漏らし、立ち上がる。

 だが、その顔は希望に満ち溢れてなどいない。

 ただひたすら、やるせない気持ちが全身を巡っている。


「優ちゃん!」


 結奈の声を水橋は聞いた。

 木々の間を駆け抜けて親友が姿を現す。

 水橋は、どういう顔をしていいかわからなかった。


「だ、大丈夫だって。きっと健斗は何か誤解を……」


 結奈はぎこちない笑みを浮かべながら何かのたまいている。

 元気づけようとしている事は水橋にも理解出来る。

 だが、心が納得してくれない。

 何て声を返せばいいかも。

 彼女は、黙って帰ることにした。

 結奈に怒るのも筋違いだ。ただ、私に魅力がなかっただけのこと。

 そう思って、足を動かしたその瞬間。

 奥に潜んでいた声か、無意識的に想っていたことか。

 不思議な声が彼女の脳内に響いた。


 ――結奈は、はめた。


(何を? 誰を?)


 突然頭に湧き上がった声に、水橋は訊ねた。

 すると、その声は笑いながら、


 ――わかってるでしょ?


 と言ってくる。


(何が……いや、そんなはずはない……)


 そうだ。そんなことは有り得ない。

 そう思っていたはずなのに、想いが、思考が、上書きされていく。


「それにさ、うん。きっと優ちゃんが想いを伝えれば――」


 水橋を励まそうとことばを紡ぐ結奈。

 そんな彼女に、水橋は辛辣な言葉を浴びせた。


「黙れ」

「え……?」

「黙ってくれ! もう全部わかっている!」


 何がわかっていたというのだろう。

 その場面を思い出すたびに水橋は疑問を感じずにはいられない。


「な、何のこと?」


 急に怒り出した水橋に、結奈が問いかける。

 水橋はふんと鼻を鳴らしながら答えた。


「君は私に……健斗が好きなのは自分だと見せつけようとしたのだろう!?」


 何度思い返しても、その言葉はおかしい。

 なのに、納得してしまう。

 奇妙だった。

 封筒のことで結奈に問いかけたのと同じ感覚。


「そんなことしないよ!」


 結奈は叫んだ。

 どう考えても、彼女は嘘をついていない。

 結奈はそういう奴だ。嘘をつく事をよしとしない。


「嘘だ! そうだ……私が邪魔だったんだ。君も健斗が好きだから! そうなんだろ!」


 自分で自分の言葉がぐちゃぐちゃだとしか思えなかった。

 しかし、その時の水橋はそれに何の違和感も感じていない。

 おかしいことと正しいことの認識が置き換えられたような感覚だった。

 おかしいことを正しいと思い込んで、水橋は結奈を責め立てる。

 彼女は何も悪くないのに。


「全部君だ……君が悪いんだ! そうだ、何もかもだ! あなたがあんな選択をするから、悪いのよ!」

「優ちゃん……様子が、変……?」


 結奈の目つきが変わった。

 友を心配する目だ。

 この後に及んで自分を友達だと思っている。勘違いも甚だしい。

 水橋は怒り狂った。本来の彼女なら有り得ないことを言い放つ。


「もういい! 君など知らない! 絶交だ! どこにでも行け!! そして――」


 死んでしまえ。

 最後にそう言って、水橋は駆け出した。一目散に。

 後ろを振り返らなかったので、結奈がどんな表情をしていたのか、わからなかった。


 なぜ、私はあのような事を言ったのか?

 スクリーンを眺めていた水橋は自問する。

 健斗が結奈に告白したから? いやそれは理由にはならない。

 確かに胸は痛んだし、どうしていいかわからなくはなった。

 でも、そんなことは絶対に言わない。

 絶交だなどと言うはずはない。ましてや――。

 死んでしまえなど。命を賭けてもいい。

 だが、何度思い返しても、それは事実だ。

 現実に、言ってしまったのだ。私は、結奈に。


「くそ……何で……。いや、理由は……」


 もうわかっている。

 水橋は、再びスクリーンを注視した。

 場面は今までとは違い、少しだけしか進まない。

 雨が降った日。

 今でも夢に見るあの日だ……。




 水橋は目覚ましの音で、目を覚ました。

 目は泣き腫れている。

 家に帰った後、ずっと泣き続けたからだ。

 何で私はあんなことを言ったのか?

 ずっと考えていたが、答えは出ない。


(……結奈、怒ってるよな。君は悪くないのに、私があんなことを言ったから)


 結奈の性格上、笑って許してくれるのでは、と水橋は思いもした。

 しょうがないよ。ショックだったんだもんね。

 そう言って、笑いかけてくる結奈は容易に想像出来る。

 だが、それとは別の、冷めた瞳の結奈も簡単に想像出来るのだ。

 絶交って言ったでしょ、と言って冷たく立ち去る彼女の姿を。


「くっ……」


 結奈に会うのが恐い。

 水橋の中から、健斗についての想いは吹き飛んでいた。

 気づくと、結奈、結奈だ。

 それだけ水橋にとって結奈は大切な人間だった。

 なのになぜ、あんなことを言ったのか。自分で自分が解せない。

 などと昨晩と同じ思考に耽ろうとした水橋の携帯が喧しくなる。

 相手は健斗だ。昨日の朝は心躍ったはずの水橋も、今の状態では喜べない。


「……何だ」


 短く訊ねる。

 さっさと電話を切ってしまいたかった。

 今の水橋に、健斗の電話程辛いものはない。

 だが、次に聞いた言葉で、水橋からそんな気は失せた。


「急いで来てくれ! 結奈が!」


 水橋は急いで服を着替え、家を飛び出した。




 雨が、降っていた。

 水橋にとって、雨は嫌いなものじゃない。

 通行人の大多数が疎ましく思う雨も、水を放つ異能を持つ水橋にとっては身近なものだったからだ。

 だが、その時のばかりは雨が嫌いになりそうだった。


「ゆ、いな……」


 自分の口から言葉を発せているのか水橋は疑問だったが、呆然と呟かれた自分の声を聞いて、問題なく機能していることを知った。

 彼女が横を見ると、健斗が顔を真っ青にしている。

 もし、水橋が今のように客観的に自分を見ることが出来たなら、自分も同じような顔をしていたことがわかっただろう。


「結奈……」


 もう一度、名前を呼んだ。

 だが、返事が返ってくることはない。

 結奈の状態は、水橋の予想と違っていた。

 結奈はいつも水橋の予想を裏切ってくる。

 最初の時から、そうだった。

 だが、今回の裏切りは、予想外過ぎた。

 それに、普段通りでもない。

 いつもなら、彼女のしてやったというような顔が付きまとってくるのだ。

 それを見て、水橋は苦笑する。

 なのに。

 今の彼女は。天塚結奈は。水橋の親友は。

 真っ赤に染まった血の海に、沈んでいた。

 身体は、多くの銃弾を受けてボロボロだ。

 あらゆる所に穴が空いている。


「……あぁ……」


 彼女の不敵な笑みを浮かべるはずの顔も。

 いっしょに走り回った足も。少し控えめだと悩んでいた胸も。

 そして、いつも水橋を連れ出してくれた手も。


「嘘だ……そんな……」


 雨に濡れて、血が流れ出している。

 彼女の命の源が、排水溝に吸い込まれていく。


「ありえない。おかしい。こんなことは現実じゃない」


 だが、どれほど否定しても。

 どれだけ首を振り続けても。

 そこに倒れているのは間違いなく結奈だった。


「結奈……いつもの、悪い冗談なんだろう……? ねぇ、結奈……結奈……」


 しかし、結奈は答えない。

 水橋に笑い掛ける事も、昨日のことばを赦すこともなかった。




 それから水橋は、結奈の理想を引き継ぐことにした。

 水橋が中立派という者達に出会えたことは幸運だった。

 結奈の死は、事故死という事で処理されている。

 おかしかった。結奈は素人目でもわかるほどたっぷりの銃弾を浴びて八つ裂きにされている。

 そのおかしさのおかげで、水橋はきっぱり日常とさよなら出来た。

 そして、今だ。

 あの時ひどいことを言ったつけ……。愚かにも幸福を享受しようとした報いを受けた。


「結奈……君は、怒っているのか?」


 回想を終えた水橋は、独り言を漏らした。

 またもや、答えのない疑問を投げかける。

 だが、水橋の予想は外れた。

 答えのないはずの問いに、予期せぬ答えが返ってくる。


「ううん。怒ってないよ」


 劇場に入ってきた結奈は、水橋の横に座った。


「本当か?」


 水橋は驚きもせず、訊いた。

 全て、理解している。


「うん」

「かもな。私の中の想像では」


 自嘲気味に、水橋が呟く。

 今横に座った彼女が本物でないことは、すぐにわかった。

 自分に都合のいい答えを返す幻影。

 水橋が創り上げた偽物。


「まーた、固いことを考えてるね」

「……何が固いことだ。事実だろう」


 水橋はそっぽを向いた。

 そんな親友に苦笑した結奈は、ことばを紡ぐ。


「優ちゃんが言いたいのは、そうやって赦してくれる私は想像上のもので、本当の私じゃないってことでしょ?」

「そうだ。だから、何の意味もないことだ」


 結奈は全く、と頭を掻いて水橋をこちらに振り向かせる。


「なら、あなたを怒る私も想像上でしかないじゃん」

「何を……」

「でしょ? 私、何かおかしなこと言ってる?」


 結奈の言い分は一理ある。

 今目の前に立つ結奈が、水橋の想像上でしかないのなら。

 水橋が危惧するもう一方の結奈も、想像上の存在でしかない。


「それは……しかし……」

「しかしじゃないの。どっちも、あなたの想像でしかない。私という存在は、もうこの世には存在しないから。だから、遺された人は故人を想い偲ぶしかない……」


 結奈は立ち上がり、水橋に手を伸ばした。

 躊躇した水橋は、恐る恐るその手を掴む。


「つまり考えるだけ無駄ってこと。死人に言わしてもらえればね、くよくよ悩んでないで動けー! って感じ?」

「そんなバカな」


 呆れつつも、結奈なら言いかねない。

 水橋は納得して、そのことばを受け入れる。


「でも、無駄の塊が人だから、考えちゃうのはしょうがない」

「しょうがないか」

「うん。しょうがない。だから、優ちゃんにはね、私がアドバイスしてあげる」

「どんなアドバイスだ」


 水橋は、耳を傾けた。

 目の前の結奈が本物か偽物かはどうでもいい。

 それを聞くために、ここにいるような気がしたからだ。


「自分の想いに正直に。伝えたいことばははっきりと伝えること。死んだ私と違って、優ちゃんは想いを伝えることが出来る」

「その結果がこれなんだがな」


 水橋は苦笑した。

 前に進もうと思い、刺された。

 告白すら出来ていない。


「でも伝えてはないでしょ? まさか、今更振られるのが怖いとか言わないわよね」

「……怖くないわけないだろう」


 水橋は本音を言った。

 それもそうね、と結奈は快活に笑う。


「でも、頑張ってみて。優ちゃんはまだ頑張れるから」

「ああ、わかっている」


 水橋が頷くと、なら安心ね、と結奈が微笑んだ。


「あ、そうだった。頭の固い優ちゃんにこれも伝えなきゃ。異能は、理論的な力じゃない。想いの力、だよ」

「想いの力……?」

「そう。異能を最大限に発揮する為には、常識を切り崩し、自分の中の有り得ないを打ち砕かなきゃ。理想の力を、現実に。忘れないでね。……そして、伝えて。勘違いしてる人にね」

「勘違いしてる人……?」


 一瞬健斗のことかと水橋は思ったが、どうも違う。

 誰のことだろう、と考えたが、水橋にはわからない。


「さてと……私は行かなきゃ」

「どこに……」


 結奈は劇場内をとことこ歩いた。

 思わず後ろをついて行こうとした水橋を制す。


「おっと、ダメダメ。優ちゃんはあっち」


 そう言って、結奈は反対側の出口を指した。


「なぜだ?」

「言わなくてもわかるでしょ。優ちゃんの居場所はあっちなんだよ。こっちじゃない」

「そんな……私は君といたい。ずっと遊んでいたい」


 水橋は子供のようなだだをこねる。

 すると、結奈は苦笑いをしながら、


「私も賛成だけど、出来ないよ。ダメだよ、帰らなきゃ。優ちゃんを必要としている人がいるよ」

「でも、私には君が……必要なんだ。傍にいてくれ……頼む」


 結奈は困り果てて、水橋に近づくと、その肩に手を触れた。


「大丈夫、私はずっとあなたの傍にいるから。傍らで、ずっと見守っているから。あなた達の想いが、世界に届きますようにって」

「結奈……」


 気づくと、水橋は泣いていた。

 そんな彼女を、結奈が抱きしめる。


「何で……私を呼ばなかったんだ! 背中を預けると言っただろう! ……私がいれば君を助けられたかもしれないのに……!」

「……ちょっと、思うことがあってね」


 結奈は意味深な瞳で言った。


「何……?」

「とにかく、私はずっとあなたの近くにいる。だから、あなたは大船に乗ったつもりで事を成して。私の分まで、人生を楽しんで」

「……っ……ああ、わかった。わかったよ、結奈」


 結奈は水橋から離れて、出口に向かって歩き出す。

 水橋はまた追いかけようとして、思いとどまった。

 

(大丈夫だ。結奈は私の傍に。もう何も怖くはない)


 寂しそうな顔をする水橋に向け、結奈が振り返り、忘れてた! と手を叩く。


「ヒーロー候補に伝えておいて! 今はまだ70点! もっと精進するようにってね! それと、はざ……」


 急に、世界が崩壊を始めた。

 轟音とノイズに、結奈が何を言っているか聞き取れない。


「結奈!」

「……って……かん……。と……く……は……ま……ころ……創……」

「結奈!!」


 世界が終わる。

 長い夢が終わり、現実に、舞い戻る。

 最後に、結奈の声が響いた。


 ――じゃあ、世界のことは頼んだよ。


 随分大げさだな、と苦笑しつつ、


「ああ、任せておけ」


 と水橋は答えた。


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