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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第三章 異端狩り
54/129

水橋の回想1

 暗い闇の中で、漂っている。

 なぜここにいるのか。

 理由は不明。事情は謎。

 原因を探る意味などない。

 人は理由を求めるが、理由など知らずとも、世界は回っていく。


「……なぜ……」


 それでも、理由を求めずにはいられない。

 水橋は口を開いて問いかける。

 だが、答えは返って来ない。

 何度呟いても、結奈は応えてくれない。

 なら、自分で導き出すしかないだろう。

 その答えを。




 中学に入学して三か月ばかり経ったが、水橋と結奈の関係性は特に変わりはなかった。

 だが、水橋の性格は徐々に変わっている。結奈に惹かれ、性格が内向的から外向的に変化していった。

 同級生と多少会話が出来るようにもなったし、結奈のおかげでクラスの誤解も解け始めている。

 昔は怖がっていた無能者どうきゅうせい達も、水橋をあまり怖がらなくなった。

 結奈が同級生に説明したからだ。異能者なんて怖くないよ、と。

 その時、私も異能者だったみたい、と結奈はカミングアウトもした。

 それを聞いた時、水橋はなんてことを、と思った。

 ハブられてしまう。怖がられてしまうじゃないか、と。

 だが、実際には違った。

 元々明るく人当たりも良かった結奈が異能者だったことで、無能者達の理解はスムーズになったのだ。

 結奈が異能者だって? でもアイツは怖く何てないぞ。

 水橋だってそうじゃないか? アイツも何もしてこない。

 俺達は、私達は、テレビに踊らされていただけじゃないのか?

 マスメディアは、よく異能者は悪といった風な事を大きな声で言う。

 気づくと、無能者達の印象は操作されていた。

 テレビや新聞などのマスメディア。それを管理する政府に。

 それをおかしいと糾弾する声は気づくと黙らされていた。

 言わなくなったのか、言えなくなったのか、水橋は知らない。

 どうでもいい。

 水橋は学校生活を謳歌出来ていたから。

 ずっと隅っこにいると思っていた学校を堂々と歩けるようになった。

 まだ、冷たい視線は感じる。

 でも、それがどうでも良くなるぐらいに楽しかった。

 そんな日常に変化が訪れたのは、いつもの放課後。

 普段通り、結奈の放課後探検に付き合った時だ……。




「今日はこっちー!」

「……そっちは昨日も行っただろう」


 呆れつつも結局後ろをついて行く。

 鼻歌混じりに、生い茂った森を目指す結奈が、嘆息する水橋を見て尋ねた。


「そういや優ちゃん」

「何だ」

「最近、口調変わった?」


 ぎくり、としながら水橋は答える。


「う、うむ。自分に自信が……ないからな。自信ありげな口調にすれば少しは改善されるかと思って……。へ、変か?」


 回答を聞いて、結奈は可笑しそうに笑い始めた。

 シュン、とした水橋の肩を、結奈がバシンと叩く。


「なっ、何する」

「いいよー! 優ちゃんの悪いところが徐々に改善されてるよー!」

「……私としても、その元気すぎる所を治して欲しいんだがな……」


 しかし、人にずけずけモノを言う結奈は、あまり人の話を聞かない。

 厄介な性格ではあったが、それに水橋は救われている。

 水橋はもう一度小さくため息をついて、冒険、冒険~! とご機嫌に森の中へ入って行く結奈の後を追った。



 森の中はいつも通り、土と草木の匂いがたっぷりとした安らかな場所だった。

 

「昨日と変わらないじゃないか」


 前を歩く結奈に、水橋が声を掛ける。

 何もない。昨日と同じ、のどかな森だ。

 だが、結奈は怪訝な顔をして、森が騒がしいと言い出した。


「臭う、臭うよ。冒険の香り……ヒーローの香りがする」


 一体どんな香りだ、という突っ込みは口にしない。

 結奈はこういう訳のわからないことを突然言い出す。

 散々振り回されて、水橋も慣れたものだった。


「……どこからだ」


 こうなった結奈は、その場所を確認するまで止まらない。

 そうやって“臭う”場所に向かい、そこにある何かを発見するのだ。

 大抵、何もないという発見ではあるが、たまに、ごくまれに的中する。

 倒れている人がいたり、怪我している人がいたり。


「こっち!」


 言って、結奈が駆け出した。

 水橋は念のために水鉄砲を取り出す。

 中学に入学して、記念として結奈がくれた宝物だ。


「結奈! 早いぞ!」

「優ちゃんが遅いんだよ!」


 運動神経がいい結奈と違って、水橋は足が遅い。

 しかも、木の根や草が邪魔をする森の中である。

 全速力で追いかけたせいで、木の根っこに躓いてしまった。


「痛い……うぅ……」


 思わず泣きそうになる。

 だが、何とか堪えた。

 そういう泣き虫な自分とはもうおさらばしたはずだ。

 水橋は痛む足をさすりつつ、結奈の足跡を辿る。

 すると、声が聞こえてきた。

 結奈の声ではない。声変わりして間もない、男と男が言い合う声だ。


「……ざりなんだよっ!!」

「落ち着こう! きっとわかってくれる」


 喧嘩でもしてるのだろうか。一人の男子がもう一人の男子に怒鳴り散らしている。

 怒鳴られている方は何とか気を静めようとしているのだが、怒鳴っている方は聞く耳を持たない。


「わかる? んなわけあるか! 結局分かり合えないんだよ! 俺と奴らは」

「そんなことない。じゃあ、僕はどうなんだい?」

「お前……お前は……キチガイだ」

「そんなことないさ。今にきっと……」


 水橋が近づくにつれて、どんどん声が大きくなった。

 疑問なのは、結奈だ。彼女はどこに行ってしまったのだろうか。

 彼女の性格上、首を突っ込まないわけがない。

 水橋が疑問を感じつつ、その声を辿って行くと、突然、変化が生じた。

 怒鳴っていた男子が、さらに怒りを爆発させる。


「いや、お前もだ!」

「おい!?」

「お前もどうせ……俺が苦しむのを見て愉しんでいるだけなんだろう! 何が異能者と無能者はわかり合える、だ!! ふざけるな! 奴らがどんな目で俺を見てるのか知っているのか!? もう耐えられない。奴ら全員吹っ飛ばしてやる!」

「ダメだ、それはダメだ」

「まずはお前だ。お前がわかり合えるなんて言わなきゃ、俺がこんなに苦しむこともなかった。お前がいなけりゃ、俺は希望を持たずに済んだ!」

「よ、よせ――」


 まずい、と水橋は思った。

 話を聞く限り、怒っている方は異能者に違いない。

 そして、異能者が暴れるというのは水橋にとって好ましいことではなかった。

 彼が暴れれば、周囲が水橋を見つめる目も元に戻ってしまう。

 せっかく、徐々にわかり合えてきたというのに。

 水橋は水鉄砲を構えつつ、言い合う現場にゆっくりと姿を現した。

 だが、二人は興奮し、彼女に気付く様子はない。

 後は慣れ親しんだ異能を使い、引き金を引いて気絶させるぐらいの水圧を放つだけ。

 だが、水橋の手は震えていた。

 怖い、怖いよ。

 水橋の心は恐怖で震えあがっている。

 人を傷付ける目的で撃つことは一度もない。

 慣れているはずの異能で、不慣れなことを行おうとしていた。

 こういう時に支えとなってくれる相棒は、今どこにいるのか。


(結奈……どこ……来て……早く)


 だが、水橋の願い虚しく、結奈は姿を現さない。

 撃つしかない、でも、撃ちたくない。

 水橋は揉みあう二人の背中に声を掛けた。


「止めて!」

「何!?」「君は!?」


 制服を着た男子達が、水橋の方を向く。

 歳は似たくらいだった。

 二人の視線に、水橋は縮こまる。

 多くの視線に慣れてきたが、怒りの視線には未だ慣れない。


「け、喧嘩は止めて」

「これが喧嘩だと思うのか!」

「危ない!」


 え、と水橋は呆ける。

 怒りの形相を浮かべる男が、異能を発動させた。

 石の塊が、水橋の目前に迫る。

 避けることも防ぐことも敵わなかった。


「……ひぅ!!」


 反射的に目を瞑る。

 だが、痛みはない。

 その事がなおさら怖かった。

 痛みすら感じない場所に、自分は行ってしまったのだろうか。

 しかし、すぐ現実に引き戻された。

 いったーい! という結奈の悲鳴で。


「うっそ何で!? 何で石が消えたのに痛いのよ!」


 水橋が目を開けると、目の前には右手をさする相棒ゆいなの姿が。

 目じりに涙を溜め、情けない声でその名を呼んだ。


「ゆ、結奈ぁ……」

「あ、優ちゃん、大丈夫!?」


 座り込んだ水橋を、心配そうに見下ろす結奈。

 その後ろで、何が起きたかわからない、といった顔をしていた男子が叫んだ。


「お、お前今何をしやがった!?」

「ふっふーん、それはねーってぇ! あだぁ!!」


 結奈が胸を張って説明しようとした所に再び石が飛来する。

 どうやら男子は、訊いたはいいものの、直接見た方が速いという考えに至ったようだ。

 しかし、それでも理解が及ばなかったらしい。


「くそ、訳がわからない……」

「だから今説明してあげようとしたんでしょ!」


 涙目になりながら結奈が叫ぶ。

 しばらく痛い、痛い……と言っていたが、痛みが治まってきたようで、再び説明を始めた。


「これが私の異能、なんだよ!」


 ドヤ顔で言う結奈。対して男達は呆け顔で返した。

 まだわかっていない、と思った結奈は細かく解説をする。


「だから、異能を無効化する異能なんだって。どんな異能も私に触れれば消える。あらゆる異能者の天敵だから……“異能殺し”と言った所かしら!」


 温めていた異名を、結奈はこの機会に公開することにした。


「……殺すの?」

「あ、そうか。殺しはしないから、これは却下ね」


 水橋の指摘に、結奈はすぐに異名を引き下げる。

 結奈は誰も殺さない。なぜなら、ヒーローだから。

 だが、そんなどうでもいいやりとりに、怒り狂った男子が、怒鳴る。


「何言ってやがる! そんな異能があるわけないだろ!」

「じゃあ、あなたの投げた石はどこにいったのよ。ほらほら、答えてみてよ」


 結奈は男子を挑発する。

 それはどこか、男子の怒りを誘発させ、発散させる狙いがあるように水橋は思えた。

 結奈は喧嘩を止める時、わざと相手を怒らせるのだ。鬱憤が溜まったままでは、一時的に冷静になってもすぐ怒りが湧き上がってしまう。

 だから、全て発散させて、その後に和解させる。


「それは……異能を吸収したとか」

「あっはっは! そんな異能があるわけないじゃん! なになに、コピー能力とかでも言う? そんな奴が現れたらあってみたいわね!」


 水橋は心の中で、君が言うな、と突っ込んだ。

 複写異能が存在していたとして、結奈を見た後では驚けない。


「……ムカつく」

「あらそう、ムカつけ! 思う存分ムカつけばいいのよ! ――異能者と無能者がわかり合えないとか言っちゃうおバカさんは、一度頭を冷やしたほうが良いわね!」

「何だと!」


 男子は顔を真っ赤にして、結奈に向かって石を飛ばした。

 結奈が余裕を持って投石を防ぐ。

 それを見ながら、水橋は大丈夫かと不安になった。

 石自体は消えている。

 だが、当たった時の衝撃を消せてはいないように見えた。

 本来のダメージが通る前に石が消えるので、ダメージ自体はかなり減少している。

 しかし、異能法則は無効出来ても物理法則を完全には無効化出来ていないようだ。

 現に、結奈は強がっているが、痛そうに顔をしかめている。


「ほっ、ほらどんどん来なさい!」

「くそぉが!」

「って、それはまずい!」


 結奈が焦る。

 それもそのはず、男子は右手に石を纏わせると、物理学者が真っ青になるような怪力で、側に生えていた木を草を抜くかのように軽々と引き抜いた。

 それを、投げやりの要領で結奈に投げつけるつもりらしい。


「死ね!」

「っうわあ!」


 結奈が悲鳴を上げた。

 相棒の叫び声を聞いて、水橋が水鉄砲を今度こそ撃つ。

 手は震えない。人を傷付けるのは怖いが、人を助けるのは怖くないから。

 子供が遊ぶはずの水鉄砲が、拳銃が目じゃないくらいの水を放つ。

 投げ飛ばされた木は、真っ二つに切断されて、結奈の両脇に落ちる。


「くっ……!」

「じゃ、こっちの番ね。男の子なんだから、女の子に殴られても文句言わないでよっ!」


 狼狽する男子に、結奈の拳が炸裂した。



 先程の争いで、怒っていた男子の怒りが静まったらしい。

 話の流れから察するに、無能者に傷付けられたから暴れていたようだ。


「す、すまなかった」

「いいのよ。私も煽っちゃったし」


 気にしてない、という風に手を振る結奈。

 こう見るとカッコよく見えるが、どうせ映画か何かに影響されたに違いない。

 そんなことを思いながら水橋が座っている男子に目を移すと、男子はゆっくりと立ち上がった。


「ありがとう、助かったよ。僕一人だけじゃ武を止められなかった」

「僕……」


 珍しいな、と水橋は思った。

 多くの男子は、僕から俺、に変化する。

 僕という一人称を使う人間は希少だ。だからどうこう言うつもりはないが。

 一人称など、自分が気に入ったものを使えばいいし、かくいう自分も話し方を独特のものに変更しようとしている。


「君達の名前は?」

「私は天塚結奈。こっちは相棒の優ちゃん」


 結奈が自己紹介をする。

 水橋も自己紹介しようとして、どういう口調で話せばいいものか迷った。

 あの実験的な話し方でいいものか。男ならばともかく、女の私があんな風に喋っておかしくはないか。

 いや、気にするな!

 水橋は首を振って気を取り直した。

 そして、自己紹介をする。


「わ、私は水橋優……だ。よろしく」

「うん。よろしく」


 男子は手を差し出してきた。

 水橋は恐る恐るその手を握る。

 父親以外の異性とまともに握手したのは、これが初めてだった。


「って、あなたの名前は?」

「あ、ごめん。すっかり忘れていたよ。僕の名前は」


 沖合健斗って言うんだ。

 それが、健斗と水橋、結奈の出会いだった。

 そして、その出会いがきっかけで、様々な変化が生じていく。

 そう、全てはあの想いのせいだった……。



 その想いに水橋が気づいたのは、中学三年生の時。

 受験も終わり、安心感に包まれていた時だった。


「で、話って?」

「う、うむ……」


 冷たい風が吹く休日に、水橋は喫茶店に結奈を呼び出した。

 学校で話すのは憚られる話題だったし、今日は健斗も用事があって来れないようだ。

 つまり、今日がチャンスである。今日を逃せば、取り返しがつかなくなる。

 そんな思いで、水橋は結奈に電話した。


「…………ぅ」


 だが、口が開かない。

 自分の口はかくも重いものだったか。

 なかなか言葉を発せないことに水橋が戸惑っていると、結奈がジュースを飲みながら訊いた。


「何? 恋でもした?」

「っくぅあ!」


 口から漏れた奇声を聞いて、こんな言葉を発せるのか、と感心してしまう。

 水橋はこぼしそうになったジュースをなんとか死守し、結奈に向き直った。

 彼女の視線の先には、ポカンと呆ける結奈が。


「……マジで?」


 結奈は、適当に言った言葉が的中してしまったことに驚きを隠せていない。

 しばし呆然としていた結奈は、好奇心に駆られた猫のような顔をした。


「え? 誰、だれだれ?」

「っぅ……」


 好奇心猫を殺す、という言葉が頭をよぎる。

 相談する為に呼んだのだ。言わんわけにもいくまい。

 水橋は決心して、その名を口に出した。


「け……健斗だ」

「え、えええぇええ!!」


 結奈の叫び声で、店内が静まりかえる。


「しっ、静かにしろ!」

「あ、えっと、すみません」


 あはは、と照れ隠ししながら謝る結奈。

 店内が元の喧騒に包まれた後、結奈は小声で水橋に囁いた。


「え? いつ? いつから」

「……よくわからん。ずっと彼を見てもやもやしてて……。それが恋心だと気付いたのは、一年前だ……」

「へぇー、一年前……。一年前!?」


 結奈は再び大声を出して、店内の注目を集めた。

 ご、ごめんなさいと言った後、水橋に小さな声で言う。


「一年もずっと片思いだったの?」

「う、うるさいな! どうせ私は恋の一つもしたことがない女だよ!」


 拗ねたように言った水橋に、ごめんと結奈が謝る。

 水橋と結奈、健斗はあの件の後、友人となった。

 武という異能者がどうやって学校に馴染めばいいか相談に乗ったりしたし、いっしょに結奈の冒険に付き合ったりもした。

 気づくと、結奈にとっては親友に、水橋にとっては憧れの人に変化していた。

 人格的な憧れではなく、恋心的な憧れに。


「で、どうやって、告白すればいいかわからない、と」

「う、うむ……」


 その気持ちを言葉に乗せて、告白しようとした。

 何度も、何回も。

 だが、そのたびに脳裏をよぎるのは振られる自分だったし、そのせいで関係が終了する光景だった。

 別に振られてもいいのだ。何より恐ろしいのは、それがきっかけで友人ですらなくなることだった。

 水橋にとって健斗は、好きな人でもあり親友でもあるのだ。


「よし! なら恋愛マスターである私に任せて! 大船に乗った気分でいてよ!」

「……っ!! 本当か!!」


 嬉々とした表情を浮かべた水橋。

 その顔を見て申し訳なさそうな顔になった結奈が謝った。


「ご、ごめん……私も恋愛したことないんだ」


 大船どころか、船ですらない。

 木の板の端に掴まったようなものだった。

 水橋は思わず落胆した。

 結奈に相談した時点で藁にもすがるような想いだったのだが、本当に藁だったとは。


(はは……そうだな、当たり前だな。結奈が恋愛したことあるわけないじゃないか。ほぼ毎日私といっしょにいたのだし)


 ここまで来ると笑えてくる――藁だけに――。

 などとくだらないことを考えていた水橋を、元気出して、と結奈が励ました。


「君が言うな。誰のせいだと――」

「細かいことは気にしちゃダメ! 悪いくせ、出てるよ!」


 もはや突っ込む気力も失せて、水橋は黙りこくる。

 結奈が、すっごい甘くしたコーヒー一つ! とオーダーした後、身を乗り出してきた。


「とにかく、急がないと! もうすぐ卒業だよ!」

「あ、ああ……。そうなんだ。卒業してしまうんだ……」


 健斗と水橋達は学校が違う。

 故に、彼がどこに進学するのかは知らない。

 単に聞き出せばいいのだが、水橋は怖くて訊けなかった。

 どこか遠い場所だったらどうしよう。

 そんな想いに駆られていた。

 むしろ訊かないと取り返しがつかなくなるのだが、恋とは理不尽で不可解で矛盾するものである。


「じゃあ、練習しましょ!」

「何っ!?」


 今度は水橋が大声を上げる番だった。

 あ、すみません、と謝罪して、結奈と向き合う。


「どういうことだ」

「そのままだよ。告白の練習。告白が出来なければ振られることも出来ないでしょ」


 結奈の一言が地味に水橋の胸を抉る。


「振られること前提なのか……」

「あ、いやものの例えで……。とにかく、言う練習をしないと」

「む、むぅ。確かにそうなのだが……ハードルが高くて、恋文こいぶみを準備してみたんだ」


 言って水橋は鞄から封筒を取り出した。

 結奈はその手紙をひったくり、その内容に目を通す。


「ど、どうだ? 三日ほど考えてみたんだが……」

「ふっふはっ!! あっはっはっは! はは……ごほごほっ!!」


 結奈は笑い過ぎて咳き込み始めた。


「なっ何これ!? 『私にとって君は、光り輝く太陽のようだ』とか『世界が滅んでも、私は君の恋人でいよう』とか!! 何で? どうしてこんなこと書けるの!?」


 水橋は顔を真っ赤にして手紙をひったくる。


「う、うるさい! これでも真面目に考えたんだぞ! もういい、帰る!」

「うわ、ちょ、ちょっと! 帰るのはナシ!」


 結奈が水橋を制し、水橋はしぶしぶ席に戻った。


「まぁ、これはアレね。却下ね」

「くそ……君に何がわかると言うんだ」

「とりあえずこれがダメってことはわかる。ねぇ、優ちゃん」

「……何だ」


 真面目な顔をした結奈に、水橋は目を向ける。

 またこの顔か、と水橋は思った。

 結奈が人を救う時、導く時、彼女はいつもこんな顔をする。


「告白したこともない私が言うのもあれだけどさ、想いを素直に言葉にしてみたら?」

「……それが出来たら苦労はしない」


 結奈の指摘はもっともだが、それが出来たら水橋は今頃振られて泣いているか付き合ってるかの二択だ。

 ふてくされ始めた水橋に、結奈が語りかける。


「私はね、今まで色んな人を見てきたの。でも、その人達は学校っていう小さな区切りの中の人達で、日本には、世界には色んな人がたくさんいる。で、そんな人たちを繋げるものは、“ことば”なの。人はことばで繋がる。だから、わからないことばを話す人達の為に、人はことばを学ぶの。そして、そのことばを発する源は想い。だからね、優ちゃん。繋がる為には、ことばを発して、告白するしかないよ」


 何のことはない、当たり前のことば。

 だが、そんな当たり前が必要なことがある。

 水橋は背中を押された気がした。

 そうだとも。どんなに逃げたくとも、怖がろうとも、好きだというならば告白するしかないのだ。

 そうでなければ、悲劇の恋愛ドラマよろしくずっと後悔するはめになる。


「そうか……そうだな。告白、するか」


 もし振られても、それは水橋に魅力がなかったか、健斗の好みではなかっただけのこと。

 そもそも水橋が惹かれた彼はそんなことで友をやめたりするような男ではない。

 大丈夫だ。言ってみるだけ言ってみろ。


「よし! 私は、卒業式、告白するぞ!」

「え、卒業式にするの? 確かにロマンチックではあるけど……」


 色々大変じゃないかな、という結奈の呟きは水橋には聞こえてなかった。



 季節はあっという間に移り変わり、だんだんと暖かくなってきた頃。

 水橋は緊張の面持ちで、校門に立っていた。

 自分の卒業式は既に終わっている。

 この後どうするーと和気藹々としていたクラスを抜け出した水橋を、クラスメイトは怪訝な顔で見つめたが、水橋に気にする余裕はなかった。

 緊張するかと思われた卒業式よりもずっと、緊張している。


「よし……行くぞ」


 ひとり、水橋は独り言を行くと、戦いに赴く戦士の顔で、校門をくぐった。

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