ちょっとしたトラブル
ぐるぐる巻きの包帯に包まれた両腕を見つめながら、直樹はため息を吐いた。
包帯の中身はとてもグロテスクだ。指はいくつか欠け、皮が削ぎ落されている。
腕で心を守ったことを全く後悔はしていないが、自分の腕を改めて見た時吐きそうになった。
(ラファル……どうしてあんなことを)
と頭の中で自問するが、答えはもう出ている。
理由などない。そうしなければならないのだ。
そう、ラファルは創られた。小さい頃に誘拐され、何色にも染まらない時期に洗脳された。
思いのほか常識を持ち、哲学的思想を持つものの、身体を縛る鎖を外すことは出来ない。
彼女の力だけでは。
しかし、だとすれば答えは単純だ。難しく考えることはない。
(俺と、仲間の力でどうにかすりゃいいんだろ)
と拳を握りしめようとして、右手から強烈な痛みが奔る。
うぐぅわーと叫んで、直樹は悶絶した。
炎の異能を貰ってからの悪いくせ。それは見事に激痛を与えている。
借りモノで調子に乗るなよという罰なのかもしれなかった。
いや、ただの自業自得なのだが。
「大丈夫?」
「メンタルか……?」
情けない悲鳴を上げていると、メンタルが病室に入ってきた。
新しい白いパーカーを着て、真っ白な瞳で彼を心配そうに見てくる。
「あぁ、ちょっと傷にさわっただけだ」
「そう……なら良かった」
メンタルはベッドの隣に座った。
「……」
「どうしたんだ?」
直樹が訊くと、メンタルはありがとうと感謝を述べる。
「何がだ?」
「姉さんを助けてくれたこと」
何だそんなことか、と頭を掻こうとして、また同じ過ちを繰り返す所だった。
「そんなことじゃない」
「いや、もう仲間なんだしさ……いちいち言わなくていいんだよ」
「ありがとうは言える時に言った方がいい。いつ死ぬかわからないのだから」
戦いに生きた者、死を目の当たりにしてきた者のセリフ。
肉体年齢が17の、精神年齢が1年の少女のことば。
精神年齢は単純に生きた時間に過ぎない。メンタルは心理テストを受けていないからだ。
だが、まだ未成年が言うにはふさわしくない言葉だった。
そもそも、誰も言う必要がないのだ。そんな言葉は。
だが、いかに直樹がそう思った所で、世界はどうしようもなく厳しくて、数多の屍を要求する。
「ま、そうかもな。ありがとうって言われて喜ばない人間はいないんだから」
皮肉は別だけどね、と付け足して、人として未完成の少女に目を向けた。
「そして、馬鹿野郎」
「何で馬鹿にされた……」
感謝の後に罵倒。
上げて、下げる方式。
メンタルは言われなくてはわからない馬鹿者に説明する。
「アナタは、一歩間違えれば死ぬところだった」
「……そんなことは……あるな」
直樹は否定出来なかった。
ラファルの様子が急変しなければ、彼は間違いなく死んでいる。
頭を銃で撃ち抜かれ、脳漿をまき散らして、世界が求める屍の一つと化していた。
「姉さんはアナタが死ねば悲しむ。ワタシは姉さんの悲しむ顔は見たくない」
お前が言うのか、とは言わない。
メンタルとて自分の身を犠牲にして心を守ろうとした。
しかし、それを言うならば直樹だって身を賭して炎を守ろうとしたし、炎だってみんなを守る為に命を賭ける覚悟だ。
炎を救った達也だって、彼女と、会ったことすらない心を救おうとして死んだ。
今、ここにいるのはそういう奴らの集まりだ。
「ああ、わかってるよ」
「いや、アナタはわかってない」
直樹の言葉をすぐさまメンタルが否定する。
そのわかってないにはたくさんの意味が含まれているのに、直樹は全くわかっていない。
「だから、死なないって。俺は」
「違う、そういう意味じゃない」
「どういうぐっ!」
どういう意味だよ、と言おうとした直樹の額に冷や汗が流れ始める。
膀胱の圧迫感、すなわち尿意が急にやってきた。
「まずい……」
「どこか調子が?」
不思議そうな顔で訊くメンタルに直樹は首を横に振る。
調子は悪くない。立派な生理現象なのだから。
「ちょ、ちょっとトイレに……」
「その手で?」
「……っく」
メンタルが直樹の両腕を指した。
彼の手はまだまだ直るには時間が掛かる。
その手で用を足すことなど到底不可能だった。
そういう手の使えない患者に対し、病院が行う処置は……。
「これを使わないと」
「いや、ナースコール押してくれないかな?」
ダラダラと汗を掻きながら、メンタルが手に取った空き瓶を見つめる。
こういう時に智雄がいれば、と切に願う。
だが、直樹の悪友は今頃飯だテレビだギャルゲーだぁ! と生活を満喫しているに違いない。
そもそも、別に尿瓶を使わなくてもいい。ズボンを下げてくれるだけでトイレでも用は足せる。
しかし、常識を欠如したメンタルにはわからないようだった。
直樹のベッドの上に乗りあげ、大事な部分に瓶を突っ込もうとしてくる。
「いやいや! よせ!」
「……興奮、してる?」
「何でそんなことを訊く!?」
直樹の混乱は凄まじい。
腕をぶった切られた時よりも狼狽している。
まだ生まれて一年程度とはいえ、見た目同級生な少女の前で放尿など、へたれな直樹のキャパシティを超える事態だ。
「興奮してくれると出にくいって、本で」
「どういう本読んでんだ!?」
「裸の女の人が――」
「解説しなくていい!」
何でメンタルがそんな本を読んでいるのか直樹は知る由もない。
街中での性能テストで、メンタルが街に繰り出した時、集団に紛れる作業の一環で本屋に入り、たまたま手に取った本がR18な感じだった。
気付くとそれが愛読書である。性的に未発達なメンタルはそれで興奮することがないが、直樹は違う。
あまりにもアレなシチュエーションの為、どんどん直樹の男としての部分が盛り上がってきた。
「……確か処置は」
「だぁーやめろ! ホントに!」
直樹の状態に気付いたメンタルがもぞもぞと、ベッドの中で手を動かす。
直樹は本気で焦り出した。
ダメだ、これ以上は……!
焦った彼の耳に、引き戸が開かれる音が聞こえた。
「直樹……今、起きた。さっきはその……」
と、謝りながら入ってきた暗殺者と目が合う。
「…………」
「…………」
「ん? 姉さん?」
妹は平然とした声音で訊ねた。
が、姉は語る言葉を持たない様子だ。
能面のような顔で絶句し、直樹と妹を見比べている。
「……誤解していらっしゃるようで」
「……ううん、そんなことないよ?」
心の口調が変わった。
心はいつも淡々と話すのだが、まるで炎のような口調で直樹に話しかけてくる。
これまた直樹の知る由もないが、暗殺対象に接近するとき、彼女はこういう風に愛想を振りまくことがある。
相手を油断させて、隙を見せた瞬間にナイフで一突き、だ。
「直樹、別に私は何も思っていないよ?」
「……ならその手に握っているピストルは何なんだ……」
右袖から小さなピストルを取り出していた。
袖の中に仕込むのにちょうどいい小型のピストルで、装弾数は六発。
武器を持っていないと油断した相手の不意を突くには十分な弾数だ。
「これ? 私のお父さんがおじさんと開発した銃器の一つでね。理想郷は派手だから、それをカバーする為に……」
「違う、そんなこと聞いていない」
「姉さん、元にした拳銃の説明を聞きたいんだと思う」
直樹にのしかかっていたメンタルが身を起こし、姉に告げた。
「元々はPSSっていう小型拳銃だったんだけど、対異能弾を使えるように、そして、威力を改良する上で本来あった消音性能が――」
「いや違う! その銃をどう使うつもりだって聞いてるんだ!」
直樹が緊張と尿意に襲われながらも叫ぶ。
心はにっこりと微笑んで、
「こうするの」
と言って引き金を引いた。
飛び出た弾丸が、見事頭部に命中。
直樹の意識は一瞬で暗闇の中に堕ちた。
「……姉さん、ごめん」
「……」
病室に転がっているゴム弾を回収する心に、メンタルが謝る。
心はきちんと片づけて、左手で持っていた花を花瓶に飾った。
直樹とは違い、心の左手はもう再生している。
「別に」
心はそう言って、右袖の中にピストルを仕込んだ。
怒ってはいない。もやもやはするが。
(……メンタルは、何をしていた?)
顔を赤らめる直樹の毛布の中に右手を突っ込んで、もぞもぞと腕を動かしていた。
暗殺を行う為、性知識を少なからず持っている心の達した結論は……。
「ホントに、ごめん。姉さんもやりたかったよね……」
「っ!? そんなことない! そんな汚らしいことを――」
「汚らしい? 確かに美しくはないけど、必要な生理現象で――」
確かに性的欲求は必要不可欠な生理現象だ。人が存続し、子孫に繋げていくためには。
そんな自然法則とは別な人工法則で生まれ出たメンタルからそのような文言を聞かされるとは。
だが、その事を指摘することも許容することも出来ず、心はただただ慌てるだけだった。
彼女自身に性的経験は皆無だったが、知識として頭の中にインプットされている。
暗殺目標が淫行に耽っているのはままあったし、むしろあえてそういう状況を狙ったこともあった。
異能を用いて性犯罪を行う異能者は、その異能を行使する瞬間に最も油断する。
だが、暗殺者モードとしての彼女ならばともかく、通常モードの心では、そんなものを見せられても赤面するか困惑するかの二択でしかない。
いや、三択だ。たまたま非殺傷用のゴム弾に換装していたとはいえ、拳銃の引き金を引いたのだから。
(ちょっと……やり過ぎたかな)
実際にはちょっとどころではないのだが、 心は自省する。
しかし、心の気持ちもわからないことはない。
自分の好きな相手が自分そっくりの少女と淫行に耽る瞬間を目撃して、何の感慨も浮かばない女などいまい。
「……とにかく、尿意は致し方ない。両手が使えないのだから」
「尿意……尿意?」
心はそこで、自分が盛大な勘違いをしていたことに気付いた。
尿意。まぁ女性らしい控えめな言い方をすれば、お花を摘みに行きたかったということだ。
つまり、直樹はただトイレに行きたかった。
それを、メンタルが尿瓶で手伝おうとしていただけ。
(……ってことは、私は……っ!!)
自分は何をしていたのか。
穴があったら入りたい。むしろC4で爆破して穴を作って逃げ込みたい。
心は真っ赤になってメンタルを見た。
「姉さん……?」
「……っ……ぁ……」
口をパクパクさせる心だが、言葉が出てこない。
何て言えばいいのだろう。自分は勘違いしてました。
妹が、好きな人とやましいことしてると思っていました、と懇切丁寧に打ち明けるべきか?
いや、それは無理だ。恥ずかしい。
そもそも直樹にも申し訳ないことしてしまった。
「……ぅぅ……」
心は小さく唸るばかりで、言葉を発せなかった。
何か心地よい感覚がして、直樹は目を覚ました。
今まで溜まっていたものが解放されたような、不思議な気持ち。
「あ、起きた?」
「……炎か」
隣の椅子に、炎がいた。
右腕には包帯が巻かれているが、直樹ほどひどくはない。
「起こしちゃったかな?」
「いや、丁度目が覚めたんだよ」
何で俺寝ていたんだっけ、と思案するが、答えは出てこない。
どうも寝る前の記憶が混濁しているようだ。
「ッ!?」
「直樹君?」
なぜか悪寒がして、ぶるりと震えた直樹に、炎が首を傾げる。
なんでもないよ、と直樹は言い、炎に向き合った。
「……ありがとうね」
脈絡ない謝辞。
直樹はまたかと苦笑した。
しかし、親しい仲にも礼儀あり。
逆の立場だったら自分もありがとうと言ったに違いない。
直樹は素直に受け入れることにした。
「どういたしまして。でも、これは炎のおかげでもあるんだぞ」
「私の?」
言われて、炎はまた首を傾げた。
直樹はそんな彼女に説明する。
「お前がいなかったら、俺は異能者でも何でもなかった。いや、異能者ではあったけど、何の力もないままだったんだ。でも、炎の異能のおかげで俺は強くなれた。これはみんなにも言えるけど……」
一言、余計だった。
もし最後の一言がなければ、炎はあたふたとしていたに違いない。
でも、余計な言葉が付け足されたので、炎は赤面して俯いている。
……客観的に見れば、どちらもあまり変わらなかった。
「ぅ、直樹君……」
「炎……? まぁ、とにかくだ。ありがとう、炎」
「……っぅ!!」
好きな相手に、感謝されること。
それはきっと、素敵なことだろう。
心と同じくらい恋愛に疎く、恋愛下手で、ロマンチストな彼女は、とても慌てだした。
あまりにも真っ赤な顔だったので、いつ発火し出すか直樹が真っ青になってしまうほどに。
「おい、落ち着け! 熱でもあんのか!?」
「っぅぅ! そうだ、汗、汗拭こうね直樹君!」
「何で!? 何でそうなるの!?」
疑問の声を無視し、炎は直樹の毛布を引っぺがす。
そして、固まった。……たっぷりと濡れたシーツを目の当たりにして。
「どうし……ハッそうか!」
自身の下半身を見て、直樹は全てを思い出した。
メンタルの予想外過ぎる行動。それを見た心の暴走。
そして、結局用を足せないまま気絶という名の睡眠を行った自分に。
きっとトイレに行くことが出来なかった直樹の代わりに、膀胱が気を使ったに違いない。
このままじゃ俺破裂しちゃうぜ。それじゃやばいな、出しちまえ。
そんな感じに。
目覚める前の、開放感に包まれた、幸福のひと時。
きっとあれはこの大洪水を行っていた最中だったのだろう。
「…………直樹君、ごめんね」
あまり謝ることのない炎が、本気の瞳で謝ってくる。
「待て……そんな目で見るんじゃない」
「仕方ないよね。色々、あったんだもんね。両手使えないしね……」
「違う……誤解なんだ!」
誤解もへったくれもない状態で、直樹が叫ぶ。
炎の目は変化していた。
先程の、色恋にときめく恋する少女の瞳ではなく。
同情と憐みと……ちょっと引いた感じな瞳で、直樹からゆっくりと遠ざかる。
流石に引かざるを得ないだろう。そのような病気ならばともかく、直樹は腕こそ怪我してるものの、健常者なのだから。
というよりも、好きな相手のおもらしシーンなど、恋人や結婚してからならばともかく、まだ何にも発展していない状態で見たいものではない。
炎が変態かそれに近いものだったならば嬉々として悦んだかもしれないが、彼女はうぶで、健全なおつきあいがしたいと思っているロマンチストなのだ。
「……ごめんね、直樹君。誰にも言わないから!!」
そう言って、炎は病室から出て行った。ダン! と勢いよく閉められた引き戸が唸る。
「待てー! 炎ぁ! 誤解なんだー!!」
直樹の悲鳴に近い叫び声に、炎は応えてくれなかった。
ずっと昔に、こんなバカな質問をしたことがある。
――目の前で、死にかけている人がいたら、君はどうするんだい?
それを聞いた彼女は、溢れんばかりの笑顔で、こう答えた。
――もちろん、助けるに決まってるじゃん!
即答と共に机から身を乗り出した彼女。ポニーテールの黒髪が揺れる。
じゃあ、と質問を変えた。
――その人の前に銃を持った人がいたら?
うーんと唸った彼女は、しばらく考え込んだ。
――後ろからこっそり近づいて……いやダメか。軍人みたいな訓練受けてたら厳しいよねぇ。
――そうだね。格闘戦に長けた人が、困ってる人に銃を突きつけてるとしよう。
君の位置はばれていて、下手に近づけば、君は殺されてしまう。隠密行動は不可能。
対して、君は何の武器も持っていない。あるのはただ素手のみ。それでも、君は助けるのかい?
――そりゃあ、もちろん。
またもや即座の回答に、質問者は苦笑して、彼女に尋ねる。
――その行動のせいで、屍が二つに増えるかもしれないのに?
すると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
――大丈夫だよ! 私には最高のパートナーがいるからね!
ね! 優ちゃん!
と言って結奈は隣に座ってぼーっとしている水橋に抱き着いた。
――なっ何をするんだ!
――何ぼーっとしてるの。私の背中を預かってるのは優ちゃんなんだから!
――ぼーっとなんかしていない! えーい、あまりくっつくと後ろから撃ち抜くぞ!
つれないなーと笑う結奈。
水橋がいないとき、君はどうするんだい?
言葉が喉まで出かかったが、楽しそうに友とじゃれつく結奈に、健斗は訊けなかった。
「……っ」
気づくと、解体された爆薬を手に持っていた。
ロベルトに渡されたリモコンと、病院一つを軽々と吹っ飛ばせる量の爆薬を見下ろして、健斗は動揺する。
結奈について、考えていた。そのはずだった。
彼女は異能者に殺された。
同類に、殺されたのだ。
だから、自分は異能者が憎い。
それはかつての友人だった水橋も変わりない。
そのはずなのに、なぜ?
なぜ、今自分は彼女を殺すはずだった爆弾を解体してしまったのだろう。
「結奈。僕がしてることは間違っているかい」
独り言を呟くが、答えは返って来ない。
死者との交信は科学が進んだ今も出来ない。
人を殺す方法は山のように考えられ開発されていくのに、人を生き返らせる方法は未発達だった。
しかし、それも仕方ない。それは科学ではなく魔術の領分だ。
そして、魔術などこの世には存在しない。
近しいモノとして異能がある。だが、人はその異能さえも何とか自分の常識に当てはめようと必死だった。
知らないモノ、わからないモノは怖いから、何とかして知ろうとする。知った気になる。
自分の常識に当てはめて、物事を考えようとする。
それが本当に正しいかは周りが決めてくれる。
人がいっぱいいる方が正しい。人が少ない方が間違い。
そんな考えで、無能者に比べて少ない異能者を弾圧した。
(でも……それをどうにかしようとした彼女を、異能者は殺した)
僕は赦せない、と健斗は漏らす。
結奈を殺した異能者を、それを守る異能者達を、僕は赦せない。
そして、そんな奴らを救おうとしている水橋も。
日本国民にさえ、健斗は怒りを感じずにはいられない。
なぜ、こんな中途半端な状態で存在している?
なぜ、明確に異能者を狩り出さない?
怒りを募らせ始めた彼の耳に着信音が鳴った。
目立たぬよう木陰に身を隠し、病院を見上げながら応じる。
『爆破しなかったようだな』
「すみません……押せませんでした」
正直に、謝罪する。
用済み、と言われても仕方がない。
そう覚悟した健斗の耳に、返ってきたのは、構わないというロベルトの声だった。
『次に機会があるだろう。それに備えて精進するがいい』
「しかし……自分は愚かな行為を」
『いいとも。私は人間の失敗には寛大だよ。特に君のように光る存在にはね。私と共に過ごす人間は誤解しやすいが』
命令に背いた異能者のこどもを何の躊躇いもなく切り捨てるロベルトを見て、失敗に寛容だと思う方が難しい。
しかし、根本的に認識が違う。
ロベルトにとって異能者は悪魔であり、人ではない。
「では、自分はどうすれば?」
『ナンバー2にクイーンの干渉があった』
その名を聞いた瞬間、健斗は携帯を落としそうになった。
『どうかしたかね?』
「……いえ。続けて下さい」
訝しげな声音をロベルトが出したが、健斗はそのまま続きを促す。
『クイーンを狩るとなるとこちらも全力であたりたい。対異能部隊の連中と共にC地点で合流してくれ』
「わかりました」
通話を終えて、片手に持っていたリモコンを怒りのまま投げつけた。
「クイーン……」
結奈が殺されて、抜け殻のように放浪していた彼をスカウトしたのは無能派の対異能部隊だった。
彼らは健斗を戦士に仕立て上げ、色々教育を施した。
銃の撃ち方、ナイフの扱い方、異能者の殺し方……。
そして、結奈を殺した張本人を。
「僕はお前が一番赦せない……ッ! 結奈を殺したお前が!」
もはや何の機能もないリモコンを健斗は踏みつぶした。
「――男なんてみんなそんなものですよね。ストーカーのように女の子に付きまとう」
八つ当たりをしていた彼の耳に、少女の声が響く。
顔を上げると、高校生ぐらいの少女が立っていた。
会ったことはないが、見覚えがある。
異能者だ。
「君はっ!」
反射的に拳銃を引き抜く。
だが、少女は愁いを帯びた瞳を向けるだけだ。
「男なんてみんなそうです。女が何を考えてるかなんて気にもしない」
「……黙れ。僕はいつでも君を殺せるんだぞ」
目の前の少女、小羽田だったか。
小羽田の異能は戦闘力が全くない事を健斗は知っている。
「そうでしょうか。私は確かに死にますけど、あなたも無事で済まないと思いますよ? あなたがどれくらい強いか私は知りませんが、あの病院には異能殺しさんやメンタルさんがいます。……自分が弱いの知ってるくせに抗うのも男の悪いくせですね」
「……、ナイフでその首を掻き斬ることも出来る」
そうだ、出来る。
だが、それを実行することが出来るかは別問題だ。
人を殺せることと、人を殺すことは違う。
「強がるのも嫌いです。男はもっと女の気持ちを知るべきですよ。……亡くなった友人さんは本当にそれで喜ぶんですかね」
「わかったような口を利くな! ……っ!?」
ナイフに手を伸ばし、投げようとして、固まった。
ビジョンが浮かび上がったからだ。
結奈が投げナイフを練習する光景。
そして、ことごとく的から外れるナイフ。
失敗に失敗を重ねた結奈に渡されたナイフを、自分は見事的に当てた。
――わぁすごい! 一発! でもね、ちょっと惜しいね。
――どこが惜しいというんだ?
理解不能、と言わんばかりの顔で言う水橋。
だって、と結奈は言葉を続けた。
――それじゃあ、人を殺しちゃうよ。
ヒュン、とナイフが宙を描く。
そのナイフは小羽田へと見事に飛来し、かすることなく外れた。
「……くっ、僕は」
健斗は苦しげな表情を見せた後、撤退した。
その後ろ姿を見つめながら、小羽田が呟く。
「怖いですね、人の死は。優しい人を鬼に変えてしまう」
ま、男なんてそんなものです。
そう独り言を言って、小羽田は中断した女の子探しを再開した。




