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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第一章 異能殺し
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疑念

 直樹は痛い目を見たが、炎は体育を存分に満喫できたようだ。

 昼休みも煩わしい授業も終わりもう放課後である。直樹は同級生が帰宅し始める教室の中で考えあぐねていた。

 達也は気を利かして制服を発注してくれたらしい。驚く事にもう出来上がったという連絡が携帯に入っていた。

 とすれば、直樹としては制服を取りに行きたい。

 だが、狭間心と炎が気になる。

 もしここで直樹が離脱すれば炎は一人で尾行を始めるつもりだろう。

 また上手いように撒かれるか、最悪……。そう考えると放っておけないのである。

 実際には直樹が行っても足手まといにしかならないのかもしれないが、それでも一人にさせたくはない。

 それに約束もある。

 机の上で、直樹が考えていると、当の本人は尾行対象である心にまた話しかけていた。


「心ちゃん! いっしょに……」

「ごめんなさい。今日も用事があるの」

 

 またもやの即答だ。炎は少ししょんぼりする。

 だがめげない。用事とは何なのか訊ねた。


「用事って?」

「……」

 

 すると、心が黙った。教えるべきか悩んでいるようだ。


「制服を取りに」

「制服……あっ!」

 

 ポン! と炎が手を叩く。何かいい事を閃いた。そう炎の顔に出ている。


「直樹君! ちょっと!」

 

 炎が手招きで直樹を呼ぶ。心の視線が直樹に向けられた。

 直樹は少しどきっとする。ときめきではなく何かされるのではないかという恐怖心からだ。

 だが、何とか堪えて二人の元へ向かう。


「な、何?」

 

 少し声が上ずった。どうして炎はそう普段通りなのか。

 今目の前にいる少女は、凶悪な暗殺者であるかもしれないのに。


「直樹君も制服取りに行かなくちゃならないよね? いっしょに行こうよ!」

「え?」「……それは」

 

 直樹は間抜けな声を出し、心は少し戸惑う。

 だが、心は少し何か考えているように黙った後、その提案に同意した。


「いいわ。いっしょに行きましょう」

「……っ。あ、そ、そうだな」

 

 直樹は思わず息を呑む。あっさり承諾されるとは露ほども思わなかった。

 これが一番望ましいはずだ。それなのに腹が痛い。


「さあ、早く」

 

 心が鞄を持って教室を出ていく。

 行かなくてはならない。しかし……。


「大丈夫。私が付いてるって。行こ?」

「あ、ああ……」

 

 何とも情けないな、俺は。そう思いながら直樹は心の後を追った。


 

 

 帰り道は登校中とは正反対に、とても気まずかった。


「ねえ、心ちゃん、何か趣味とか……」

「ない」

「え、あ、うん。そうなんだ……あはは……」

 

 さっきからずっとこの調子だった。

 先程から炎が心に質問するのだが、心は即答かつ話が深まらない返事ばかりだったので、会話が続かないのだ。

 直樹は直樹で、少々怖くもあり、なかなか声を掛けられないでいた。


「……制服を新調したのって、燃えたから?」

「……え? あ、うん、そ、そうだよ」

 

 突然心に話を振られ、直樹は何とか答える。言葉が若干ぎこちない。


「うん……私が燃やしちゃって……」

 

 炎が申し訳なさそうな声で言う。心は少し考えるそぶりを見せた後、炎を励ました。


「仕方ない。謝るだけまだまし。異能で人を傷付けても、知らんぷりする人は多い」

 

 それを聞いて、炎が驚いた顔になったが、心は話を続けた。


「異能者は赤子みたいなもの。まだ力の使い方が分からない無垢な者達。きちんと悪い事をしたという自覚があるならば何も問題はない」

「それは……励ましてくれてるのかな……」

 

 炎は苦笑する。自分は赤ん坊だと言われたような気がしたからだ。


「それに問題があるのは異能者だけじゃない。一般人も異能者に対する理解が足りない。彼らは異能者を敬遠し、恐れている。異能者は武器を持った恐ろしい怪物だと。でも、武器を持つこと自体は悪い事じゃない。問題になるのは武器を他人を傷つける為に使った時」

 

 先程とは打って変わり、心の口からすらすらと言葉が発せられる。

 直樹は心の話が何となくわかったが、同時に一つ疑問を感じた。

 狭間心、お前はどうなんだ、と。


「お前は」「あなたは」

 

 直樹と心の言葉が被った。直樹が質問しようとしたその時、心も直樹に質問しようとしたようだ。


「……何?」

「いや、そっちから……」

 

 心は訝しげな視線で直樹を見た後、質問をした。


「あなたは、どう思っているの? 異能者について」

 

 直樹は考える。答えによってはどんな反応が返ってくるか分からない。

 だが、自分に嘘は付けない。素直に、自分が感じた事を話す事にした。


「俺は……別に異能者は嫌いじゃないよ。でも、少し怖く感じる事はある。異能者は俺達に出来ない事を簡単にやってのける。炎だって、手から炎を出したりする。でも、たぶん、俺達はまだよく知らないだけなんだよな。炎だってまあ……制服は燃やされちゃったけど、悪気があったわけじゃないし」

「そう」


 心は少し、安堵したような表情を見せたが、すぐ元に戻った。


「で、あなたはさっき何を言おうとしたの」

 

 直樹は少し悩んだ。そして、言う事を止めた。今聞いてもしょうがない。


「いや、何でもないよ」

「……そう」

 

 再び、沈黙が一同を包む。だが、炎は心の横に並んでにこにこしていたし、心の顔も先程とは少し違うように見えた。

 直樹と心が服屋で制服を受け取った後、炎は心にどこか行かないかと誘ったが、心は用事があると言って帰宅してしまったので、直樹と炎は手近な喫茶店に入った。

 コーヒーを二つ頼んで、テーブルを挟みながら、二人で会話する。


「……嬉しそうだね」

「そう? 分かる? 少し心ちゃんとお近づきになれた気がするんだっ」

 

 そうなのか? と直樹は思ったが、炎の中ではそうなのだろう。

 口にするのは野暮と言うものだ。


「心ちゃんの考えも少し分かった気がする。異能者に対してああいう風に言ってくれる人は珍しいんだ、ホント」

 

 炎は心の言葉に苦笑したが、あくまで赤ん坊という例えに苦笑したのであって、考え自体には共感していた。


「……狭間心の暗殺パターンって決まってたりするのか?」

 

 直樹は今日の話を聞いて、心が対象を選んで暗殺しているのではないかと思い、訊ねる。


「あるよ。基本的に犯罪者だね。でも、たまに理解出来ない殺しもある。交番の警察官を殺したり、異能者じゃない一般人を殺す事もね。でもね、私はその殺しも理由があると思ってるんだ。今日話を聞いて、そう確信出来たよ」

「そういえば、何でそう思えるんだ。いや、何でそうだと思っていたんだ? 狭間心が何か理由があって人殺しをしてるって」

 

 前々から不思議だった事を直樹は訊いた。接触は今回が初めてなはずだ。


「……ん~、達也さんがそう言ってたから、かな」

「そんな理由?」

 

 直樹は拍子抜けした。直樹はまだ達也と炎の絆をよくは知らないが、それは盲目すぎる気もする。


「まあ、詳しい事はおいおいね。それに捜査情報をこんな場所で話してはいけません!」

「さっきまでふつうに話してたじゃないか……」

 

 誤魔化された気がしたが、直樹は追及を止めた。

 まだ出会って日が浅い。もしこの関係が続くならば、そのうち聞ける事もあるだろう。


「とりあえず、今日は進展あったから、甘い物でも食べちゃうよ! すみません、チョコパフェ一つ!」

 

 炎はうきうきした様子でオーダーした。

 直樹は炎の横顔を見ながら、微笑んだ。



 

 拠点を新しく移し終えた。今日から対象を検索する。

 心はノートパソコンでファイルを開いた。

 新しい拠点はこじんまりとした民家だった。ここならば万が一敵の襲撃を受けても様々なトラップで対処できる。

 廊下には監視カメラ、異能者にのみ反応する賢い機能を搭載した地雷、レーザートラップ、古典的な落とし穴など様々な仕掛けが施してある。そして、ドアには異能者が掴んだ瞬間手が吸着して離れなくなる厄介な罠を仕掛けていた。これは掴んだ後さらに電撃が流れるようにしてある。

 ホテルが文字通り潰されたのは心にとって予想外だった。監視カメラには自分は映らないし、彼女は監視ネットワークにダミーデータを送っている。

 彼女が暗殺を実行している時、全く別の場所で彼女によく似た人物が映っているはずなのだ。

 ただし、この手は何度も使用しているし、銃弾や死んだ相手を隠す事は出来ない。捕捉される時期だった、と心は自分を納得させた。

 でも――心は考える。異能省は本当に直樹を送り込んだ? それとも炎か? よもや警察という事はないはず。

 警察は腐敗してしばらく経つ。異能者に対してまともに捜査する方が少ない。疑わしきは殺せ。そのような横暴的思考に警察は支配されている。

 もちろん警察官すべてが腐ったわけではないだろうが、組織が腐ると、その末端さえ腐ってしまう。腐った部分は早急に取り除かなければ全体が腐る。これは生き物にも通じる自然法則の一つだ。


(異能省……中立派? 異能派? 無能派ではないはず)

 

 異能省は大雑把に三つに分かれている。異能者こそ至高とする異能派、異能者という異端ではなく元々存在する我々こそ支配者だという無能派、どちらも人であり平等にするべきだという中立派の三勢力だ。

 この三つは日本だけではなく世界規模で見てもこのような分かれ方をしている。だが、残念な事に一番まともそうな中立派が一番少ない。規模が最も大きいのは数が多い無能者側だが、戦闘力という点では異能者側と拮抗していた。


(無能派には、私の行動は有益なはず。少なくとも今どうこうしようとは思われてはない。とすると異能派? この前来た念力使いが絡んでいたとすれば合点がいく。しかし、あの二人は……?)

 

 炎はあの郷田とかいう念力使いに殺されそうになっていた。心がユートピアによる狙撃を実行しなければ炎は無残に引きちぎられていただろう。

 とすれば、炎は中立派なのか。やはり、異能省に選ばれたエージェント。


「……では神崎直樹は?」

 

 思わず口から出てしまう。心は、炎が殺されそうになった時、直樹を見ていた。

 だが、直樹は異能者ではないだろう。ただ走って突撃していただけだからだ。

 炎がエージェントだと悟られないように配置された偽装要員か? だとすれば人選ミスの一言だった。

 というよりも、炎についても選択を誤っている。いきなり教室でボヤ騒ぎを起こせば目立つことは必至だ。

 心は、炎とテニスをして、そして帰り道に少し会話して、彼女がエージェントだとは思えなかった。

 だからこそ、本日二回目の思考に耽っているのだが、考えれば考えるほど分からなくなってくる。


(むしろ、これが狙い? 油断させて私の隙を狙っている……?)

 

 エージェントや工作員というのは、独特の匂いを持つ。自然と群衆に紛れ込み、目標を成すが、同業者には分かる。匂いが、痕跡が残るのだ。奴らは綺麗に痕跡を掃除する。だが、綺麗すぎて、すぐに分かる。プロか素人か一目瞭然だ。

 心が暗殺者としてエージェントと交戦する時は、情報の読みあいになる。

 見えない敵が何者か? 男か女か、異能者か無能者か。如何に相手に悟られずにその背後に接近できるかの情報戦。

 だが、炎と直樹にはそれがない。心も自然と油断してしまうのだ。

 それに、演技だったとしても——異能者に対して悪感情がないのは心にとって好印象だった。


「今は考えるのを止めよう」

 

 心は切り替えて、画面を覗き込んだ。


 

 

 心と炎が転校してきて、もう二週間が経った。

 直樹としては意外だったが、その間何も起きなかった。

 相変わらず炎は心に声を掛け、心が素っ気ない態度で応じるというやりとりを何十回と見ている。

 だが、少しずつ、炎と心は打ち融け合っているようにも見えた。少し気になるのは、心が炎と会話している時、様子を窺うようにこちらを見ていることだ。

 何を考えているのだろう。直樹は見られるたびにドキッとする。やはり、まだ怖いのだ。


「心ちゃんと炎ちゃん、仲良くなったんだね」

 

 久瑠実に声を掛けられて、直樹の声が裏返る。


「ぁあ。そうみたいだ」

 

 良さそうに見えるだけな気もしたが、直樹は何も言わなかった。


「? 変な直ちゃん」

 

 久瑠実は不思議がったが、そのまま話を続ける。


「クラスにも馴染めたみたいだし、良かったね」

「そうだな。意外と何とかなるもんだ」

 

 全員という訳にはいかなかったが、クラスの半数以上は炎と普通に接していた。

 心は人々が異能者の事をよく知らないだけと言っていたが、炎の能力に驚いていた連中も、炎と数日過ごす内に彼女の外向的な性格と皆の役に立ちたいという誠意に惹かれ、打ち解けていた。

 心についてはよく分からないものの、仲良い友が出来たかはともかく、級友と会話はしているようだ。


「……そういや直ちゃんに訊いておきたい事があるんだけど」

「何?」

 

 心と炎、二人を見守りながら直樹は訊いた。


「直ちゃんと炎ちゃんって付き合ってるの?」

「ああ、そんな事か。それは……はぁ!?」

 

 直樹の声が教室中に響き渡る。予想外の質問だった。

 何事かとクラス中の視線が直樹に向けられる。


「……最近よく一緒に帰ってるし。寄り道しようって誘っても断られるし。もしかしたら、もしかして、なんて……」

 

 久瑠実はペンを回して、どこかそわそわしながら言う。


「いや、それは……」

「ち、違う! そんなことは太陽が爆発してもないよっ!」

 

 炎にも聞こえていたらしい。直樹より数倍大きい声で炎が叫んだ。


「……太陽は爆発した事があるような……」

 

 心がぼそりと呟く。正確には太陽フレアで、太陽の表面で起こる爆発の事だ。発生すると電磁障害やら色々起きるとされている。


「とにかく、いっしょに帰ってるのは別に付き合ってるからじゃあ……」

「いいえ。二人は付き合っている」


 直樹が慌てて説明する。が、突然きりっとした表情で、心が言った。


「え?」「心ちゃん!?」

 

 直樹は驚愕の眼差しを心に向けた。炎も目を丸くして心を見つめている。

 その言葉にクラス中がざわめいた。


「何だとっ!?」

 

 ガタッ! と悪友である智雄が立ち上がった。


「お前は座ってろ!」

 

 直樹は強引に智雄を座らせる。静寂が教室を支配すると、心は淡々と語り始めた。


「私は一度、二人と共に帰った事がある。その時のことを話そうと思う。二人は私と帰っていながら、手を握って歩いていた」

「手なんか繋いでないよ!?」

 

 炎が突っ込んだ。赤い髪に負けじと頬が赤い。


「……。そう、途中から二人は抱き合っていた。周りの目を気にせずイチャラブと。私はその時悟った。二人が私を誘ったのは、これを見せつける為だと。私は胸やけを起こしそうになりながらも必死に耐えて、二人の様子を見続けた」

「抱き合ってなんかねえよ!」

 

 直樹は普段の恐れはどこへやら、心に思いっきり突っ込む。だが、心は口を動かし続ける。


「そして、いい感じになった二人は、私と別れてどこかへと去って行く。悪いと思いながらも私は後をつける事にした。二人は喫茶店に入り、仲良さそうに話をしていた。私がこっそり様子を窺うと、赤くなった炎が、いつもの場所に行かない? と直樹を誘った。その後は……二人仲良くホテルに行き……これ以上はとても言えない」

 

 心がそっと目を伏せる。教室内がとても喧しくなった。久瑠実は蒼白とした様子で椅子に座り、直樹を見上げる。


「直ちゃん……そういう事をする人だったの……?」

「いや待て、俺がそんな事するはずないじゃないか。なぁ、ほむ……炎?」

 

 直樹が同意を求めたが、炎は火のように顔を赤く染めてあわあわしていた。


「いやだから! 俺は」

「ちなみに証拠ならある」

 

 携帯をいじっていた心が何か操作して画像を画面に表示させる。そこには微笑む直樹とおいしそうにパフェを頬張る炎が写っていた。


「やべっそれは……」

「ううっ!」

 

 炎が素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 確かに二人で喫茶店に行ったのは事実である。色々と捏造されていはいるが。

 嘘の中に真実を混ぜる。それは相手を騙す時、とても有効な方法だ。


「いや、それは……」

「直ちゃん……信じられないっ!」

 

 久瑠実は叫んで廊下を走って行く。廊下は走っちゃダメだよといつも注意している彼女らしからぬ行動だ。


「直樹……信じられない!」

「テメエは勝手にどこでも行ってろ!」

 

 悪友が久瑠実をトレースしたが、直樹は知らんぷりだ。

 今はそれどころではない。画像に対して弁明をしなければという思いで、直樹の中は一杯だった。


「待て、確かに俺は二人で喫茶店に入った。それは認めるよ。そこでコーヒーを飲んで、炎はパフェを食べていた。でもその後はどこにも行ってないし、そもそも、心は用事があるって言って誘いを断ったんだ。本当だぞ!」

 

 何で俺は今こんなことを弁明しているのだろう、と直樹は疑問を感じながら訴える。

 皆がうーん、と唸った。ひそひそ声の中に、あのへたれが手を出すと思う? っていうのがあったのが直樹には引っ掛かったが、この際へたれでいいとさえ思って成り行きを見守る。


「……じゃあ、あなた達は普段何をしているの? 二人で仲良く。恋人ではないとしたら、何を?」

 

 心が鋭い視線で渦中の二人を見つめる。その刺すような視線に直樹ははっとした。

 心は端からこれを訊くつもりで、嘘を捏造したのではないか? 直接訊ねるのは不自然だからこのように場を盛り上げて……。

 直樹の背中に冷たい汗が流れた。いや、それならば普通に訊けよとか思わなくもなかったが、直樹はどう答えればいいか考えあぐねていたし、炎は炎で先程から混乱している。今にも煙が吹き出しそうな……。待て、少し焦げ臭い気が……。


「ちょっ、ちょっと待て!」

「何? 言い逃れを……」

 

 心が背筋が凍るような目で直樹を睨む。だが、直樹は心ではなく炎の頭頂部に目を向けていた。


「心! 水だ!」

「何を……っ!」

 

 炎の頭から火が噴いた。



 

 自室の床に無造作に鞄を置き、パソコンの前に座る。黒い髪がふわりと揺れた。

 今日も収穫は得られなかった、と心はため息を吐く。

 草壁炎は精神攻撃にあまり強い方ではないようだ、と分析する。心は炎と会話するたびに彼女の魅力と欠点を発見している。

 良い点としては、元気がよくハツラツとしている。よほど一人が好きか、誰かと話す事が嫌いというものでない限り、彼女と会話出来ない者はいないだろう。男女平等に会話に応じ、とてもよく笑い、積極的に話す。特に知りたくもない炎の個人情報を心は一方的に聞かれていた。かと思えば、強引にこちらの情報を聞き出す事もしないし、相手に話したいという意思を確認する否や、ちゃんと相手の言葉を促す。

 話していて嫌な感じはしなかった。が。

 炎のリアクションは大げさの一言だ。昨日楽しい事があった、という話を聞くと、羨ましいな! と大きな声で叫ぶ。昨日悲しい事があった、と言うと話の内容によっては泣き出す。嫌な事があったというと憤って、その勢いのまま机をばぁんと叩いたりする。嬉しい事があったと言うと、手をパチパチ叩いて祝福したりする。

 会話中に興奮するとオーバーアクションになってしまうという事は、人にはよくあることだが、炎の場合は度が過ぎた。興奮する定値が低いのかもしれない。もしくは、感受性が高いか。


「……または、過去に何かがあって、その反動でそうなったか」

 

 過去に何か——とてつもない出来事が起きて、性格が変わってしまったりする事も人にはよくある事だった。

 暗かった人間が何かを紛らわせるように明るくなる。明るかった人間が何かから逃げるように暗くなる。


「……」

 

 片方については、心は思い当たる人物をとてもよく知っていた。

 では——何が起きたのか? と心はパソコンのマウスに触れる。

 しかし、彼女が草壁炎について検索する事はなかった。

 コール音が響き渡ったからである。

 心は電話に応じた。テレビ電話だ。心のパソコンにはカメラとマイクが標準装備されているので、ボイスセットは必要ない。


「やほー。おひさー、心」

 

 気の抜けた声がスピーカーから出力される。画面には心と同じくらいの黒髪の少女が写っていた。

 長く伸ばされた髪はボサボサ、目にはクマが出来ており、不健康そうだ。


「何? 彩香」

 

 心は不快そうな顔で訊ねた。そのような顔になってしまうには理由がある。

 スピーカーから出力される音声に彩香以外の、男の喘ぎ声が混ざっていたからだ。


「むー。久しぶりだっていうのにその顔は」

「不満なら、そのCDを止めて」

 

 お? つけっぱなしだった、と彩香はごそごそと動いた。心を不快にさせていた声が止まる。


「これくらい普段のBGMだからね。生活音の一つと化してたからすっかり忘れていたよ」

 

 彩香は男が好きな少女だった。それくらい当然だろうと思うだろうが、彼女が好きなのは男と男との濃い絡みだ。

 彩香は俗に言う腐女子だった。


「心も聞いてる? 私が送ってあげたCD。あれを毎日聞いて、ちゃんと精進してるかね?」

「そんな暇はないし、そんな趣味もない。それに、この前襲撃を受けた時、ホテルの一室と共に潰れたわ」

 

 何でぇ! とスピーカーから大声が通る。幸か不幸か心のパソコンに付けられたスピーカーは高品質の物だったので、はっきりと彼女の耳に聞こえた。


「何という事。あれは心の為に入念に厳選した一品だというのに。また厳選作業を行い、より想像力を引き立てられるよう私が丁寧に場面を書き下ろさなければ……」

「……その話はいい。本題に入って」

 

 心は若干いらいらしていた。彩香に比べれば炎の方が話しやすい。彩香も悪い人間ではないが、趣味を強引に押しつけてくる事は受け入れ難かった。


「そうだった。本題、本題ね。私の能力で色々とスキャンして見た所、ガチムチっぽい男が心を襲いに行くっぽい。有馬強。雇われの異能者ね。何で狙いが心なんだろう。男を狙いに行けばそれなりに——」

 

 映える、と彩香が言った瞬間、心は電話を切った。

 すぐにコール音が響く。十回ほどコールを無視した後、心は再び応じた。


「ちょっとひどすぎんよー。幼い頃からの付き合いでしょ?」

「あなたと出会ってから一年程しか経っていない」

 

 心が冷静に否定する。彩香とは前の高校で出会った友人……いや、仲間だった。


「そうだったかな。もっと長くいたような……。いや、違うか。もし幼馴染だったら、私は心を同志にする自信がある」

「……もう少し異能者の詳細を教えて」

 

 心は聞くべき事を訊く。彩香のペースに巻き込まれてはいつまで経っても話が終わらない。


「監視カメラ越しだったから微妙なんだけど、肉体派かな。掘るか掘られるかでは掘る」

 

 心の手が自然の動作でカーソルを通話終了へと動かす。


「ストップ! ちょっとしたジョーク! 心はサディストだよね」

「……」

 

 もはや返答しなくなった心をパソコンに搭載されたカメラ越しに見て、彩香は慌てた。


「分かった! たぶんだけど、銃は使わないタイプ。近接戦闘を主とする脳筋さんだね。心なら油断しなけりゃ楽勝よ」

 

 近接戦闘か。心は戦略を立て始める。そんな心を見て気を利かせて彩香が、心のアドレスに画像を送った。


「心のハッキング技術があれば閲覧は簡単だろうけど、私が代わりに侵入して画像取っといたよ。だから、今度こそちゃんとCDを……」

 

 心はメールを開き、有馬が写っている画像を拡大する。確かに筋肉質の日に焼けた坊主頭の男性が写っていた。


「ねぇ、心。聞いてる? 薄い本でもいいんだよ?」

 

 後は自分の持つデータベースか、異能省のサーバーにアクセスして有馬について検索すればいいだけである。

 普段ならばここで問答無用に接続を切るのだが、今日の心はいつもと違った。


「……彩香。あなたの透視能力なら、異能者と無能者の区別も簡単なのよね?」

「ん? そりゃあもう。毎日男の身体を視れてうはうは……っと、何でもない」

 

 心の機嫌が悪くならないよう、彩香は様子を伺いながら質問の訳を訊く。


「何でそんな事を? 気になる男でも出来た?」

 

 納得は出来ないが、図星だった。心はエージェントだと疑う男の名前を出す。


「神崎直樹という男。彼が異能者かどうか調べて欲しい」

 

 おおー、と彩香が驚く。


「よもやあの心から男の話が出るとは……! 同化計画は失敗だったとでも言うのか……。いや待て、これは恋愛対象ではなく我々と同じ崇高な」

「無能者として登録されているけれど、偽装かもしれない。エージェントだとすれば、何が目的か知りたい」

「でも、腹の内に何を考えているかまでは監視カメラじゃあ分からないよ。ピンボケしちゃうし」

 

 ピンボケする。彩香は透視能力で詳細を確認出来ない時にこの表現を使う。


「最低限異能者かどうか判別出来ればいい」

 

 本当ならば思考まで読み取れれば最高なのだが、家に籠りがちな彩香にそれを頼むのは酷であろう。

 最も、彩香の大好物をちらつかせれば出てきそうなものだが。

 しかし、心は自分を腐らせてまでそのような物に手を出す気はない。それに、彩香が出てくるのは危険でもある。

 彼女はその能力から通常の異能者以上に疎まれていた。人は自分の恥ずかしい部分を隠す。それは衣服であったり、心の中の防衛機制だったりする。

 だが、彩香の持つ透視能力はその全てを覗き見る事が出来るのだ。彼女の前では裸も同然である。だが、よほど親密な相手でもない限り、裸を見られて喜ぶのは一部の性的嗜好の持ち主だけだ。

 心は迫害されて自暴自棄になっていた彼女を助けた事がある。それが二人を仲間とした。今から一年程前の話だ。


「まあ、やれるだけやってみるよ。その代わり、ビーエ」

 

 心は通話を終了し、有馬という異能者について検索を始めた。



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