どたばたな日常
――よっと! ほりゃ!!
探し人を求めて森の中に入ると、声が聞こえた。
間違いなく探していた人物の声だ。
その声に導かれながら、木々の中を通り抜ける。
――全く、何をしてるんだ、君は。
呆れ混じりの友の声。
いつも通り、彼女は呆れていた。
――え? 遠距離攻撃の練習。背中を預けたとは言ったけど、やっぱり自分でも出来なくちゃダメかなぁ、と。
――それでなぜ投げナイフなんだ?
友が探し人に訊く。
その瞬間、男も二人の元へ辿り着いた。
「え? そりゃあ、カッコいいからさ!」
ナイフを手で構え、ドヤ顔を浮かべる結奈。
後ろで縛ってある黒髪が揺れた。
結奈を見て、男は……沖合健斗は笑った。
いつも通りの、個性豊かで魅力的な女性だと。
「結奈……」
喧しいサイレンの音を聞き、健斗は回想を中断した。
寄り掛かっていた木から立ち上がり、立てかけてあったアサルトライフルを持つ。
「動かないで!」
後ろから、声が掛かった。
振り向くと、拳銃を構える刑事らしい女性と目が合う。
「武器を捨てて、じっとして!」
「――わかりました」
健斗は素直に応じた。
武器を捨てるという命令には。
「そのまま大人しく――」
「は出来ません」
瞬間、健斗は女性へと距離を詰め、か細い手で握られている拳銃を掴んだ。
そのままねじって拳銃をもぎ取る。
基本的な武装解除術だ。
「っ!?」
拳銃を奪った健斗は、蹴りを女性の腹部へ見舞い、よろめいた瞬間に足を払った。
地面に倒れる女性。
その頭にピタリと銃口を向ける。
「く……!」
「……残念、でしたね」
冷淡に告げる健斗。
畏怖の色を見せ始める女性の瞳を覗き込む。
女性の瞳は、後悔と恐怖の念が宿っていた。
(――いや、この目は――)
この女性が恐怖しているのは自分の死に対してではない。
健斗は直観した。
自分が死ぬことよりも、大切な他者に会えなくなることが恐ろしい。
瞳が雄弁に語っている。
「……いいでしょう。無能者を殺すのは本意ではありませんし」
健斗は拳銃を投げ捨て、アサルトライフルを手に持った。
そして、次々とやってくるパトカーに向けて連射し、混乱した所を逃走する。
「待て……く……!」
呼び止める浅木の声に、健斗が反応することはなかった。
はっきり言ってもう見飽きた病院内を、直樹は炎と心、彩香と歩いていた。
正直、ここまで来ることになるとは思わなかった。
誰かが病気をしているならまだしも、みんな病一つない健康体である。
直樹が病院を訪れる時は、誰かが怪我をした時だった。
「――この病院、繁盛してそうだな……」
不謹慎だと知りながらも、口から言葉が漏れる。
病院経営に関する知識を直樹は持たないので、推測でしかないのだが。
「……病院なんて繁盛しないほうが良い」
横に立つ心が呟く。
隣の炎も同意した。
「そうだよ。病院と警察、自衛隊、保険屋さん、葬儀屋さんなんかは儲からない方がいいんだよ」
「いや、葬儀屋さんは仕方ないだろ……」
突っ込みつつも、二人が言わんとすることはわかる。
直樹は頷いて、
「まぁ、怪我なし病気なし、犯罪なしの方がいいよな」
「ま、流石にそれは無理だから。理想主義者さん達に言っておくけど」
彩香が三人に言う。
彩香は油断ならない、という目つきで三人を見ていた。
直樹と炎はともかく、心は本気でそう思いかねない。
彩香は心の事をとても心配していた。
現実を知り、幸せを知り、それでも背を向けかねない少女。
それが狭間心である。最近はマシになったが、いつまた理想に突き動かされるかわからない。
「……わかってるわ」
「本当に? 心」
「本当よ」
心と彩香が言い合う。
口調こそ不満げだったが、心配されたこと自体に文句はないようだ。
ただくどかったから苛立っているだけで。
「本当の本当に?」
「本当!」
「やっぱ信用出来ねー。嫉妬心でライフルをのぉ!?」
突然、彩香が悲鳴を上げる。
直樹と炎が驚いて見ると、心の拳が、彩香のみぞおちにクリーンヒットしていた。
(余計なこと言ったんだな)(余計なこと言っちゃったんだね)
直樹と炎は関わらないことに決め、追い付いてきた心と共に、待て……待って、と手を伸ばす彩香を放置して目的の病室へ向かった。
「どうも……っとわっ!?」
引き戸を開けた瞬間、白いパーカー軍団に囲まれる。
メンタル達が病室にいる為、とても狭苦しい。
「……姉さん……と恋人?」「まだ未満」「でも友達以上だよね」「何とも言えない」「炎もいる」「姉さんの恋敵」「暗殺しちゃう?」「ダメ、姉さんと友達以上」「……うるさいから一斉に喋んな」
「姉さん、それに直樹と、炎も」
メンタル達が話終わった後、ベッドの上からメンタルが声を掛けてきた。
傷は浅いようだが、念のためにベッドに寝かせられたらしい。
「傷は大丈夫?」
「ワタシは問題ない。……ただ――」
「ま、私よね」
メンタルの隣に寝ている矢那が、プラプラと手を振った。
「矢那さん……」
「おっと、炎。私のせいで――とかはナシ。……ま、自分の油断が原因だしね」
自嘲気味に笑う矢那に炎がそんなことないです! と叫ぶ。
「誰? 病院内で叫んだ人は……って、女の子がいっぱい!!」
ドアから、一人、見慣れぬ少女が入ってきた。
それを見て心が小羽田、と呟き、矢那がげっという顔になる。
「あなたは……きゃ!?」
「あなたいい! いいですよ!」
「え? えっとどういう……?」
「カワイイってことです! きゃあ! ホント素晴らしい! ここは奇跡です! まさに理想郷――!」
小羽田は炎の手を握り、嬉しそうにぶんぶん振った。
あまりの興奮ぶりに炎が困っていたので、見かねた直樹が口を開く。
「おい、誰だか知らないけど、炎が……って、おい?」
言われて初めて直樹に気付いた小羽田が石像のように硬直する。
何が起きた?
そう疑問視する直樹に、突然の拳が見舞われた。
「なぁ!?」
「有り得ない――理想郷が崩れ去りました。なぜですか? なぜ男がここにいるのでしょう……? 存在価値ゼロのゴミ虫が」
「……そ、それは言い過ぎ……」
「言い過ぎ? そんなことはありません。っていうか敬語すら使いたくねー。男など、女の子を作る為の機械に過ぎません」
そんなエロ漫画みたいなこと言うんじゃねえ!
と直樹は突っ込みたかったが、腹が痛くて答えられない。
ふと、頭の中で、ならお前を犯して女を産ましてやるよなどという性犯罪者的なセリフが浮かんだ。
無論、直樹はそんなこと思っても、する気もないし言う気もない。
だが、小羽田から、人って人をそんな風に見ることが出来るんだ……と感心してしまうレベルの冷たい視線が向けられる。
……なぜ?
という直樹の疑問に、小羽田が答えた。
「私には念思がありますから……頭の中を覗き見ることが出来るんです。へぇ、そうですか。私に欲情の眼差しを向けましたか」
「いや……そんなことな」
「直樹……」「直樹君……」
突如発生する無数の殺気――。
直樹は戦慄した。その場にいた暗殺者軍団と、炎の異能を持つ少女が、汚らしいものを見るような目で見ている。
「おっと……はは……みんなどうした?」
いつも通りじゃやばいと思った直樹は、ちょっと趣向を変えておどけてみた。
「へいガール達、そんな目をしてちゃモテないぜ」
「いやそれ面白いと思ってんの?」
特に関心がなかった矢那が、本に目を落としつつ呟いた。
助けてくれる気はないらしい。矢那が一言いえば、メンタル達は引いてくれそうなものだが。
「殺す?」「海に沈める?」「いや、むしろ空に?」「じゃあ間をとって宇宙に」「どこが間なの?」「まぁ気にしない気にしない」「とにもかくにも暗殺」「小羽田はワタシ達のパートナー的存在。故に」「……みんなで仲良く分担だからな」
いつもキレるキレっぽいメンタルも、不気味に顔を歪ませている。
冷や汗を掻く直樹は、後ろから掛けられた声に、少し飛び上がった。
「直ちゃん……そういう事言うんだ」
「っうあ!? 久瑠実……いつから!?」
「最初からいたよ」
存在感の薄い幼馴染に、いつのまにか背後を取られている。
しかも、リンゴの皮を剥いた時に使ったであろう包丁が、その手に握られていた。
「直ちゃん……いつの間にか変態さんになっちゃったんだね」
「止せ! な、なぁ、久瑠実。前、智雄が言ってたよな? 男はみんな変態だって。だから、変な事思っちゃう時があるんだよ。たまに、たまにな?」
男は皆、生まれついての変態だ。だから、この場にいる全員が赦してくれ――るはずもない。
「直樹……」「直樹君……」
心と炎が、膝をついている直樹の前に立った。
どちらも仲良く、拳を握っている。
まるでシンクロしたかのような動きで、拳が振り上げられた。
「言い残すことは?」「何かあるかな?」
「……思うんだが、最近、理不尽に殴られることが多いんだ。それは俺のせいなのか? いいや違うだろう。では周りか? 環境か? いやそれも違う。きっと……神さまぁ!!」
直樹は運命に翻弄され、神様のいたずらに振り回され、理不尽と言う名の悲劇を享受した。
「だぁー、マジ痛かった……。何して……え? 何してんの?」
みぞおちをすりすりとさすりながら彩香がドアを開けると、直樹が床をのたうち回っていた。
涙目になって、神様赦さないぞとか言っている。大丈夫かコイツ。
しばし呆然としていた彩香だったが、あぁーっ!! という叫ぶ声で我に返った。
「あなたは!」
「何よ……ってぇお前は!」
指を指して来た少女に、彩香は無礼を承知で指し返す。
それは、致し方のないことだった。
「ここであったが」「百年……はちょっと長すぎるから、十年ぐらいにしとこ。十年目!」
息ぴったり? で放たれた文言。
お互いがお互いを知らず、だが、その存在は知っていた。
狭間心の記憶から。
キッ、と睨みあう両者。
互いが譲れぬモノを持っていた。
永遠に分かり合えぬモノ。分かち合う事の出来ないモノ。
それは――。
「この百合野郎!」「腐女子に言われたくないです!」
互いの性癖――。
「って、何してんのアンタら」
大声を出されて気が散ったのか、矢那が本を閉じた。
「何ってそれは」「譲れない戦い――まさに宿命の戦」
「ここでやる必要はあるの?」
もう静かな病室は取り戻せないのかと嘆くメンタルが呟く。
「暴力は止めないと。病室だよ?」
さっき思いっきり直樹を殴った久瑠実が仲裁に乗り出す。
「空気娘は黙っとけや!」「後でお持ち帰りしますから静かにしてください!」
「ひ、ひどい……」
久瑠実が落ち着く隅っこに座る。
炎が、いじけ始めた久瑠実の代わりにまぁまぁ、と宥めた。
「二人とも、喧嘩は良くないよ。落ち着いて、話し合って……」
殴り合いより話し合いがモットーの炎が言う。
先程の直樹フルボッコ事件の加害者なのは言うまでもない。
しかし。
「熱血娘もだまれぃ!」「いっしょにホテル行きますから座ってて下さい!」
「うぅ……彩香ちゃんが話聞いてくれないよ……」
炎も、久瑠実の横に体育座りし、いっしょにいじけ出した。
仕方ない、と心が動く。
「二人とも、いい加減に」
「心! 夢見がちな理想主義者くせに、恋愛下手なあなたに言われたくないわよ!」
「必死に頭で考えてトンチンカンな答えを導き出すのはドジっこ的な感じでとてもかわいいですが、黙っていて下さい!」
なぜか、心への反論は妙に具体的だった。
怒りと恥ずかしさにプルプルと震える心を後目に、二人は避けられない決闘を始め出す。
しかし、普段家を守護する彩香には不利な戦い。
小羽田が彩香の腹を殴ってきた。
だが、彩香は身体をくの字に曲げることもせず平然としている。
なぜなら。
「普段心に殴られてる私に、凡人のパンチなど効かぬ!」
「――そんなっ!」
狼狽する小羽田。
渾身の一撃だったのだろう。
彩香はちょっと腹をすりすりしながら、得意げに慎ましい胸を張る。
「心のパンチがどれほど痛いかあなたにはわかる? わからないでしょう! “異能殺し”狭間心の打撃を喰らったこともない者に――この私は倒せない!」
「うぅ……くそぉ!」
「……何だこれ……」
言い放たれたセリフを聞き、小羽田が悔しそうに床を叩く。
矢那が呆れた様子を隠そうともせず呟いた。
「――じゃあ、喰らってみる?」
静かな、声がした。
声音こそ静調。
しかし、その言葉には、怒りが含まれている。
「ええ、ぜひとも!」「そうね! 喰らって見るがいい――ってあれ、ちょっと待って」
小羽田と宿命の戦いに興じていた彩香は、相棒の異変に気付いた。
異変というか、日常? だって、最近しょっちゅう喰らうからもう慣れちゃってねー。
などと、一瞬現実逃避しつつ、振り上げられた二つの拳を見る。
「じゃあ、存分に喰らわせてあげる……」
「あ、あれ? これってマジで殴られるパターンですか?」
困惑する小羽田。
同じように焦り戸惑う彩香が首肯する。
「たぶん……いや、心、おかしいよ。ねぇ、心……ねっわああ!」
「きゃー痛いですっ!!」
「同性愛者が好きという点では二人とも同じくせに……」
同性愛を行うのか、見るのかの違いでしかない。
痛がる彩香と小羽田を見下ろしつつ、心が呆れた。
直樹が回復したころには、すっかり落ち着きを取り戻していた。
いじけていた久瑠実と炎も、戦いを行っていた彩香と小羽田も。
心だけは若干不機嫌だったが。
言うならば今かもしれない。
直樹は、再び読書をしていた矢那に、声を掛ける。
「あの……矢那さん。実は」
「何? 異能ならあげないわよ」
「うっ……」
全てお見通しのように、矢那は直樹を見つめた。
「私の異能は私のモノ。誰にもあげないし貸さないわ」
「いやでもそこを何とか……」
「やーよ」
直樹が頼み込むが、矢那はつーんとした態度で断る。
矢那の気持ちもわからなくなかったが、今度の敵は強力で、今までの異能だけでは勝てるかどうか微妙だ。
なので、直樹としては矢那の雷を複写したかったのだが……。
「私とあなたは仲間ではあるけど、そこまで親密でもない。そんな相手に自分の異能をコピらせるわけないでしょ」
「……確かに」
思わず、直樹は納得してしまった。
それに、同時に解決策も閃いた。
矢那の言葉通りなら、親密になれば貸してくれるということだ。
そもそも、みんなだってそうだったじゃないか。
直樹はわかりました、と引き下がった。
「今回はいいです。……また来ます」
「……ガードの固い私を落とせるならね」
不敵に笑う矢那に困ったなぁと頭を掻きながらも、直樹はドアへ向かう。
今日はみんなの無事を確かめに来た。
異能を貰えればそれに越したことはなかったが、今日の訪問目的は達している。
それに、あの少女を探さなければ。
「では、お大事に」
「じゃあねー」
矢那がテキトーに手を振って直樹を見送った。
「……直樹を甘く見ない方がいい」
直樹が出て行ってから、心が矢那に忠告する。
「そうだね。気を付けないと……」
と呟かれた炎の言葉を、矢那は復唱した。
「気を付けないと?」
「あっという間に、笑顔にさせられる」
心はそう言い残し、炎と共に病室を去って行く。
「……笑顔、ねぇ……」
皮肉気な表情を浮かべた矢那を、メンタル達が心配そうに見つめた。




