風の騎士
目の前が覆い尽くされて、反対側が見えない。
直樹の前には、大量のモノが置かれていた。
その為に、テーブルの反対にいる、緑髪の少女が見えないのだ。
「では……いただきます!」
積み上げられた食事を通して、聞こえる少女の声。
次に発せられる咀嚼音。
まるでギャグアニメか、大食い選手権を観させられている気分になる。
「おいしい……おいしいです……!」
「そ、そうか、良かったな……」
若干引きながら、直樹は答えた。
本当は色々と聞き出さなければならないのだが、食事と言う名の何かを観させられて、言葉が出ない。
「こ、コレ! おいしいですね!」
「おお……そうか……」
と相槌を打った直樹だが、何を食べているか見えない。
勢いよく啜る音が聞こえてきた為、麺類であることは確かだろう。
外国人は麺を啜るのが苦手ということを聞いたことがあった気がするが、この少女には関係ないらしい。
もしくは予習してきたのかもしれなかった。
何せ、彼女のオーダーは、日本食や日本食っぽい奴、独自の発展を遂げて日本食と変わらないものと化したものまで多種多様だったから。
直樹は、商店街のみなさんから、大量の食品を買わされる羽目になった。
もちろん、学校を休んだことはバレバレである。
次の日……というよりも今日から、神崎さん家の直樹君が、緑髪の外国人と学校をさぼってデートしてたなどという噂が流れそうで恐ろしい。
そんな直樹の気持ちも知らず、名のわからぬ少女は嬉々として食事を取り続けている。
凄まじいスピードで食べる為、だんだんと彼女の緑色が見えてきた。
「あなたも何か食べないのですか?」
「あー、いや、まだお腹空いてないし……」
少女の問いに対し直樹が答えると、少女はテーブルに箸を叩きつけた。
「それはいけません! 食事は、時間通り、規則正しく取るべきです!」
「え? いや……」
急に言い出した少女に、直樹は困惑する。
眠っていた時も、起きた時もそうだが、直樹はこの少女にたじたじだった。
先程から随分振り回されている気がする。
だが、そんな気がしても、女子には強く出れないのが神崎直樹という男だ。
ついでに言うと、男子にも強くは出れないのだが。
「食事は大切です! いざという時、食事を摂っていなければ、きっと後悔することでしょう……」
一理あるな、と直樹は頷いた。
腹が減ってはなんとやら、ということわざもあることだし、俺も食事を摂るとするか。
そう思って立ち上がろうとした直樹だったが、少女の次の言葉で拍子抜けした。
「ああ、あの時、このたこ焼きを食べておけば良かった、と」
「いや、そうは思わないぞ……」
確かに、たこ焼きが大好きな人間だったら思いそうではあるが……。
と苦笑した直樹は、あまりにもおいしそうに食べていた為、言い出せなかったことを口にした。
「そういや、ここの名産はたこ焼きじゃないぞ」
「知ってますがそれが何か?」
やはり、下調べはしていたらしい。
伊達に大食いをしているわけではないようだ。
「いや……ならいいよ」
ちょっと買い物してくる、と言って、直樹は席を離れた。
「大切ですよ、食事は。唯一の楽しみですので……人生の」
最後の言葉を、直樹は聞き漏らした。
スコープのレティクル越しに捉えたその少女は、食事を摂っていた。
目にも留まらぬ速さで食事を摂る彼女を、困惑した眼で見続ける。
だが、意志は固い。
いくら食事を摂っていようとも、しなければならないことがある。
「……」
無言で、ライフルを動かした。
もうひとりの目標は、席を外している。
店の店主にだいぶいじられている様子だ。
最近はまともになってきたが、あまりはっきり物を言えない彼は、しばらく話し続けることだろう。
つまり、今が好機だ。事を成すには。
「……っ」
もう一度、緑髪の少女にスコープを向けると、大方食事は終わっていた。
急がなければ。
焦りつつ、引き金に指をかける。
「…………」
ふと、自分は何をやっているだろう、とスナイパーは思った。
だが、気づいたらこうしていたのだ。
心の言葉に従った結果だ。
もしかすると、この事を後悔するかもしれない。
だが、彼女はやらないで後悔するより、やって後悔する派だ。
だから、引き金を引く。
スナイパーは指を動か――。
「……まさか、マジでやるの?」
さずに、相棒の声で間抜けな声を上げた。
「あ、彩香!? どうしてここに!?」
「いや、私も飯食べようと思って外に出たのよ。で、相棒がどうしてるかなとちょっと探してみたわけ。そしたらなぜかデパートの屋上にいたから、昇ってきたの。そしたら……」
「……っ! 私は、彼女が危険人物かもしれないから見張っていただけで」
ライフルを構えていた心は、必死に言い訳を彩香に述べる。
だが、彩香に嘘は通用しない。良すぎる目で、全てを見通す。
「麻酔ぶち込んで、少女を引き剥がそうと。しかも、前以て計画してたわけでもないのにこの行動力。……嫉妬心でここまでやるってあなた流石異能殺しね」
「ま、待って! 違うの!」
「何が違うの? 私、心はもっとちゃんとした人だと思ってたなー。誰が好きだとかは別にいいのよ? まぁ変態っぽいけど、大変なのは心だけだし。何気、あの男は心を救ってくれたから、まぁ相手として不足はない」
少し上から目線で、彩香は続けた。
「でもね、こういうことしちゃうんだー。恋に惑わされたからってさ。もうホント、これが恋愛脳ってヤツ?」
「……っ!」
珍しく、心は彩香に反論出来なかった。
その事に気を良くした彩香は、どんどん言葉が止まらなくなる。
「そもそもさー。人が仲間を作ろうと提案したのに、何回も断ってさ。それで、私を受け入れてくれる人などいないとか言ってた人がこれですよ。恋など考えられないー青春など私に訪れはしないー。ギャグかっての。」
「う……!」
「もし、この世界が理想郷となったなら、恋の一つもしてもいい、だっけ? アレ聞いた時、ちょっとかっこいいかもとか思ったのよ? でも実際は……ハッハー」
「……っ! 彩香……っ……いい加減に……」
我慢の限界となった心が、彩香に言おうとすると、彼女のバックアップ担当は、穏やかな微笑を作った。
「でも……それでいいのよ。理想を成そうが成すまいが、あなたは自分の幸せを考えていいの」
「……彩香……」
心の口から、文句が出ることはない。
代わりに、感謝の言葉が発せられた。
「――ありがとう」
「何、突然」
驚いた彩香に、心が微笑する。
「普段、言えないから。こういう時にしか」
「……ふふっ、そうか」
とその言葉を噛み締めるように目を瞑った彩香は、口を開き、
「でも、ライフルで邪魔者を狙撃すんのはねーわ」
と全てをぶち壊した。
「……彩香……」
不機嫌な瞳で睨む心に、彩香は焦り出す。
「あ、あれっ? 私おかしなこと言ってないよね……?」
その言葉は事実である。
彩香はおかしなことは言っていない。
ただ言うタイミングがおかしかっただけだ。
「……」
無言で振り上げられる拳。
後方担当である彩香に、前方担当である心の暗殺拳を避ける術はない。
「いや……ちょっ……ね、ねえ、メンタルとは会えたの? それに炎は? ねぇ……ねっのぐあっ!!」
心は色んな気持ちをその手に乗せて、相棒を殴った。
「い……痛いよ……」
「加減はしたでしょ」
と言い放った心だが、少し悪かったかもしれない、と思っていた。
冷静に考えてみると、やはり自分の行動はおかしい。
(……胸のあたりがこう……むかむかして……)
直樹の行動は特段おかしな点はなかった。
単純に、見知らぬ少女に食事を与え、情報を聞き出そうとしただけである。
それなのに。
「とにかく、直樹の傍に女がいるのが嫌だった、と。ちょっとそれは無理があるんじゃなーい?」
心の想いを視た彩香が言う。
心も、その言葉に納得していた。理性では。
だが、もう一つの本能は、それでは納得できないらしい。
正直な所、炎と直樹がいっしょにいる時も、安心出来ない。
「……わかってる。でも、胸がざわつく……」
彩香は複雑な表情の心を見て、その背中をぽん、と叩いた。
「ま、そういう時は、誰かに相談すりゃいいのよ」
「……誰に?」
と心は彩香に尋ねると、彩香は考え込んだ。
「そりゃあ……あれよ」
「あれ?」
「えっと……あの……」
彩香は言葉に詰まった。
そもそも、彼女達の周りに恋愛経験のある者はいない。
次点で浅木だが、彼女も想い人に先立たれている。
彩香自身も恋愛経験はないし、炎は論外だ。
久瑠実もダメで、矢那も恋愛している感じには見えない。
メンタルは、そもそも人間としての経験不足である。
とすると、最後に残るのは、心が相談しに行ったという小羽田だが、彩香は賛成出来ない。
なぜなら。
「百合娘とか敵だし」
「突然何?」
腕を組んで、放たれた彩香の言葉に、心は訝しむ。
数日前に、男といっしょになるくらいなら女の方がマシとか考えていたとは思えない発言である。
「いや、こっちの話。まぁ、学べばいいのよ、何事も」
「……そうね」
なぜこんなにも私の相棒は自信に溢れているのだろう。
と、心は疑問に思いながらも頷いた。
胸に溜まっていた悪いモノが、どこかへ消えた気がする。
心は少しすっきりとした表情で、スコープを覗いた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
同じ方向を、良すぎる視力で見る彩香に、心は告げる。
「あの子がいない」
「直樹は?」
相棒に言われ、スコープをずらす。
直樹はやっと店主と会話が終わったようだ。
散々いじられて、疲れ果てた顔で席に戻る。
そして、少女がいないことに気付き慌てだした。
「……少女を探してるみたい」
「何やってんのよアイツは。……私も探すわ。心はメンタルと炎を。きっと近くにいるはずよ」
「わかった」
心は右目でスコープを覗きつつ、左目でスマホを見つめた。
慣れた手つきで電話を掛ける。
妹と友に、協力を仰ぐために。
「え? いなくなった?」
『そう。どこにいるか知らない?』
炎が掛かってきた電話を取ると、心が困った様子で話してきた。
人を探すのが得意なはずの彼女からのSOSである。
よし来た! 任せて! と気合を入れるのがいつもの炎なのだが……。
(言えない……道に迷ったなんて……)
炎は、どこかの裏路地で、途方に暮れていた。
炎は、非常事態を除いて、なるべく炎による跳躍を行わないようにしている。
悪目立ちするし、結構疲れるからだ。
その為、徒歩で直樹を追いかけた結果がこれである。
一か月ちょっと立火市にいるが、まだ完全に道を把握しているわけではない。
警察や中立派に協力している以上、マップを頭に叩き込まなければならないのだが、道は自分で切り開くもの、ということを信条としている炎に、地図など必要ない。
(……って、地図を覚えない為の言い訳なんだけどね……)
ちゃんと覚えればよかった、と後悔しつつ、気落ちした声音で、応答する。
「ちょっとわからないなぁ。私も探してみるよ」
『そう、助かるわ。……ところで、あなたは今どこにいるの?』
「えっ!?」
『……何で驚くの?』
訝しんだ心の声が、スピーカーから出力される。
素直に言っても良かったのだが、この年になって迷子は恥ずかしい。
それに、心の手間をかけたくもなかった。
だが、嘘もつきたくないので、炎は真実を真実で上書きする。
「たっ立火市にいるよ!」
『……いや、その中のどこに』
「立火市は立火市だよっ!」
有無を言わせぬ言い方に、全てを悟ったらしい心は、ため息を吐いた。
『道に迷ったんでしょう?』
「そっそんなことないよ!」
そうだとも。道に迷ったんじゃない。
迷子になったのだ。
炎は何とかして嘘を付くまいとする。
『……じゃあ、今からあなたを探すから……』
「だから迷ってない……! 待って」
『待てって……。別に何とも思わないから――』
「静かに!」
炎は、心に小さく言った。
不満そうに心が言葉を止める。
(今……何かが……)
炎は、携帯から耳を離し、音を聞き漏らすまいと集中した。
そして、鳴り響く。
古来より、様々な合図を人々に知らせてきた、鐘の音が。
「――あなたは、異能者ですね」
声がして、炎は後ろを振り返った。
「……誰、ですか?」
携帯から、炎? と言う声がしたが、騎士の目前にして応じることは無理だと判断した炎は、通話終了をタッチする。
炎の前にいたのは、物語に出てくるような騎士だった。
白銀の鎧に白銀の兜。そして、白銀のサーベル。
もし、これが平時ならばかっこいいなどと言う感想が漏れたはずだ。
しかし、炎は緊張の面持ちで騎士を見る。
全て殺気のせいだ。殺気が無ければ、炎もコスプレだと思ったかもしれない。
兜の内側からは、何も見えなかった。
完全に身体が白銀に覆われている。
性別も年齢も不明。心か彩香、メンタル辺りなら見抜くかもしれなかった。
しかし、炎は人を見た目で判断出来ないし、するつもりもない。
炎は、もう一度訊ねた。
「あなたは、誰?」
騎士は会話のキャッチボールをする気はないようだ。
サーベルを引き抜き、炎に切っ先を向ける。
「――鐘の音に従い、この世に巣食う悪魔を……排除します」
「……うわっ!?」
突如として吹き荒れる風。
炎の近くにあったゴミ箱や、店のタライ、家屋の瓦が吹き飛ばされる。
「……な、何を!? どうして!?」
「――――、」
騎士は答えない。
風の如き速さで、炎に接近する。
「怪我しても知らないですよ!」
やむを得ないと判断した炎が応戦する。
言い方こそ余裕だが、炎は焦っていた。
(風の勢いが強くて、まともに跳べない!?)
炎の強みである移動力が、風のせいで封じ込められている。
炎の異能を最大限に発揮すれば、抗うことも出来た。
だが、ここは異能を発揮していい場所ではない。
その為、炎はステップで斬撃を避けるしかなかった。
ヒュンヒュンとサーベルが風を切る。
「……やっ!」
斬り返しの合間に、炎は蹴りをねじ込んだ。
だが、重そうな甲冑を着ているとは思えない動きで、騎士が炎蹴を避ける。
すぐさま、鋭い突きが炎に襲いかかった。
「……うっ!」
炎は寸前の所で躱す。
だが、その突きは一挙一挙突くごとに素早さを増していった。
サーベルはその軽さから、振りや突きが素早い。
いや――それだけではない。
騎士の身からあふれ出る風が、剣技のスピードを上げている。
「――!!」
「……っ!?」
突然、踏み込んできた騎士の斬撃が、炎の首を掠った。
上半身を後ろに倒し、かろうじで回避した炎は、後方へ跳んだ。
一瞬だけ、異能の出力を上げる。
そして、騎士が左手に構えたフリントロックの銃口を目撃した。
「……しまっ!!」
炎から漏れ出る驚愕の声。
だが、真っ直ぐ後方へ跳んでしまった炎に、躱す術はない。
「終わりです」
騎士が引き金に指をかける。
風が吹き抜ける裏路地で、轟音が唸りを上げた。




