カイギ
昨日と同じく、直樹と炎は修行をしていた。
同じことの繰り返し。修行とはそういうものだ。
だが、昨日とは違った部分がある。
炎の表情と、気持ちだ。
「っと、炎!」
「え? あっ!?」
炎が防ぐかと思っていた攻撃を炎は防げなかった。
直樹は慌てて拳を引っ込める。
故に、咄嗟に炎が放った蹴りを防ぐことは出来なかった。
うぐっ! と悲鳴を上げて、直樹は空地を転がる。
「大丈夫!?」
炎が地べたに寝転ぶ直樹に駆け寄った。
直樹は、右手を上げて無事を知らせながら訊く。
「俺はな。……でも、炎は?」
「私? 私なら全然……」
「修行のことじゃない」
直樹は炎の様子が昨日と違っていることに気付いていた。
炎が落ち込んだ時を何度か見ている。
普段から感情表現豊かな(少々豊かすぎるが)彼女が落ち込んだ時は、とてもわかりやすい。
感情の変化に鈍感な直樹でもわかるほど明確だ。
「私……私は――」
「言いたくないなら別にいいけど、何かあったら言ってくれよ。……友達だろ?」
「うん……。ありがとうね」
なぜか炎は手を貸してくれなかったので、自力で立ち上がった直樹に、傍観していた久瑠実が声を掛ける。
「時間だよ」
「そうみたいだな。行こうか」
直樹は二人を促して、集合場所へ向かった。
場所は、直樹を幾度となく気絶させた、彼にとっては忌まわしいともいえる民家だ。
「罠は切れてるんだろうなぁ……」
「大丈夫……なんじゃないかなぁ……たぶん」
先頭を歩いていた直樹は、家の敷地前で止まる。
多種多様なトラップが怖いからだ。
この昔ながらの民家――に偽装した心の隠れ家――には敵を撃退する様々なトラップが張り巡らせている。
足をいとも簡単に吹っ飛ばしてくれる地雷や、ドアノブの吸着式雷撃装置など、危険が一杯だった。
特に、ドアノブは厄介だった。
異能者と無能者を識別する賢い機能が搭載されており、掴んだ途端、直樹のような異能者はびりびりを浴びせられてしまう。
「入らないの?」
久瑠実が首を傾げつつ、先行しようとする。
それを慌てて直樹と炎が食い止めた。
「どうしたの?」
「何があるかわからないから……」
「一応心ちゃんに確認を取らないと……」
直樹と炎の必死さは、久瑠実に伝わっていない。
それもそのはず、久瑠実は安全な状態となった心の家にしか訪れてないからだ。
「さて……どうすっかな……」
直樹はふぅ、と息を吐きつつ心の家を見上げた。
どうもこうも大声を上げて心に呼び掛ければいいだけなのだが、そういうことを恥ずかしいと感じてしまう女々しいハートを直樹は持ち合わせている。
友達の家に遊びに行って、チャイムを鳴らすのが恥ずかしいから、携帯で友達を呼び出す奴。
それに、直樹はばっちり当てはまっている。
「どうもこうも呼べばいいんじゃない?」
何を躊躇しているのかわからない久瑠実が提案する。
「じゃあたの」「お願いね、直ちゃん」
じゃあ頼む、と他人任せにしようとした直樹に久瑠実が頼んできた。
なんで? お前が言うんじゃないの?
疑問を感じつつ、直樹は久瑠実に訊いた。
「どうしてだ?」
「だって……無視されちゃうんだもん……いつも……」
久瑠実がしょんぼりした様子で言う。
そういえば、と直樹は思い出した。
確か、久瑠実はウエイトレスに声を掛けても無視されたり、回転ずしでオーダーしたのに無視されたり、あまつさえ自動ドアが開かなくて思いっきり激突したことさえなかったか。
「あー……」
「だからお願い、直ちゃん」
ぼりぼりと頭を掻いて誤魔化す直樹。
携帯を取り出して、さも連絡を取る振りをしたり、つま先立ちをして、家の中を覗くしぐさをする。
シャイだから叫びたくないのだ。
炎の異能を使った時、アホみたいに叫ぶくせに、素の状態の彼は面倒臭かった。
「うーん……電話にも出ないなぁ……」
炎が携帯を持ちつつ、困った顔をする。
いよいよ叫ばなければならなくなったのだが、それでも直樹はちらちらーっと炎を見る。
「なぁ炎。叫んで……」
「あ、水橋さん? はい、もう着きました。ええ……はい、はい」
叫んでくれよという言葉は、水橋と通話を始めた炎に届かなかった。
仕方ない、仕方ないんだと念入りに自分に言い聞かせた後、直樹は心に呼び掛ける。
「こころーっ! 開けてくれ!」
すると、凄まじい勢いでドアが開いた。
黒い服装の心が、ドアを全開にし、出迎えてくる。
「……入って」
「……ああ、助かる」
まるでずっと玄関で待機していたかのようなタイミングの良さに呆気に取られつつ、直樹達は家の中へ入った。
家の中にはスウェット姿の彩香と、白いパーカーを着こむメンタルがいた。
色々と書き込まれているホワイトボードがある和室に三人は通された。
ボードには、アスプという物についての説明や気名田矢那の顔写真。
自分達の戦力分析などたくさんの情報が書き込まれていた。
「やほー」
「こんにちは」
挨拶してくる彩香とメンタル。
直樹達はそれに応えつつ腰を落ち着かせる。
「しっかし何してたの? 心なんてずっと前から玄関に待機してたのに」
「ずっと? 何で?」
彩香の言葉に直樹が反応する。
彩香はそりゃあねぇ、と前置きして、
「大事な……むぐ」
「トラップがあるから、気を付けないとダメだから」
お茶を持ってきた心が彩香の口を塞ぐ。
にしてもこの二人はよく口を塞ぎ合ってるなぁ。
などと他人事に感じながら、直樹は心に礼を言った。
「ありがとうな。待つの大変だったろ」
「べ……別に……」
心はそう言いつつそっぽを向いた。
なぜか彩香の首を絞めつつ。
「姉さん。彩香が窒息する」
「……、ごめん、彩香」
メンタルに言われて手の力を緩めた心は、あまり反省していない様子で謝った。
「……全く……面倒臭いたらありゃしない……」
ごほごほ咳き込みながら心を睨む彩香。
心は、素知らぬ顔でお茶を三人に差し出した。
お茶を受け取った直樹は一口啜った後、メンタルに顔を向けた。
「馴染んだみたいだな。心とも」
「アナタに言われなくとも姉さんとは上手くやっている」
つんけんな物言いで言われ、直樹は苦笑した。
少し前まで心を殺す事に執着していた暗殺者は、もうれっきとした心の妹だ。
「そう言うアナタは? 姉さんと上手くやれてるの?」
メンタルは心に聞こえないよう小声で直樹に囁いた。
直樹もメンタルに合わせ小声で訊き返す。
「どういうことだ?」
「……何でそんな言葉が出てくるの。鈍い男」
直樹の聞き方が悪かったのか、メンタルは彼を突き放した。
直樹はうーんと考え込んだが、メンタルがなぜ不機嫌になったのかわからない。
まだこの心と瓜二つの暗殺者に対し、理解が足りないようだ。
密着していた二人を怪訝な顔で見つめた心は、コホン! と咳払いし、
「水橋が来た。作戦会議を始める」
と言い放った。
「やあ、すまないね。少し遅れてしまったよ」
水橋は仕事着であるスーツ姿だった。
ボイスレコーダーをテーブルに置き、さて始めようと言った。
「……了解。まず、気名田矢那について説明しようと思う。矢那は雷の異能を持ち、雷撃を用いた格闘戦と、射撃戦を同時に行うことが出来る万能型。雷の盾を張ることができ、遠距離、近距離問わず、威力の低い攻撃ならば問答無用で防ぐことが出来る」
矢那は、心の銃撃、炎の爆発などを耐えることが出来る。
圧倒的な攻撃力を持ち、防御力も絶大だ。
「……まぁ、一定以上の威力ならダメージを与えることが可能だろう。問題は、そこまでの威力を持った異能者が今の我々にはいないことだ」
水橋が言い放った言葉に一同が沈黙する。
心やメンタルの異能はあくまで自分に作用するものだ。攻撃に転用する方法を二人は知らない。
炎に関しては、暴走すれば、矢那と遜色ない――いや、それ以上の――戦闘力を発揮できる。
しかし、その状態で敗北したのだ。勝てる見込みは薄かった。
直樹に関しては論外だ。全てが中途半端なこの男は、戦闘力も中途半端である。
「まぁ、希望はないこともない。私の異能なら、矢那に対抗することが――」
「待って。補足することがある。メンタル、お願い」
心は水橋の言葉を遮り、妹を呼んだ。
メンタルはホワイトボードの前に立ち、矢那が装備する兵器について解説を始める。
「矢那はおそらくアスプというパワードスーツを装備してくるはず。対異能部隊が開発していた殺戮兵器で、電気系統のマシンガンやライフル、ミサイルランチャー、ナイフ、レールガンで武装している」
「ふぅむ……。噂には聞いていたが――」
水橋が熟考する。
知ってて当然、と言わんばかりにメンタルが詳しく言及しなかったので、直樹達にはちんぷんかんぷんだ。
見かねた彩香が付け加えた。
「ま、矢那自身をバッテリーとしたロボットみたいなもん。アニメとかで女の子が着込むスーツを想像すればいいのよ」
「なるほど」「そっか、わかりやすいね」
直樹と炎はすぐ理解出来た。
なぜだが直樹の中に、これでいいのかという疑問の念が生まれ出たが、口には出さなかった。
「それを着込んでいる間、矢那はパワードスーツに電気を送る為、戦闘に雷を使う事が出来ない。……代わりに、異能者を殺戮する為に、オーバーキルを前提として作られた武器の数々を撃ってくるけど」
「やばそうだな。喰らったら?」
「木端微塵」
直樹の問いにメンタルが即答する。
怪我とか死ぬとかを通り越しての答えだった。
常人より丈夫な異能者を殺す為に作られた兵器である。死体が残るような威力で妥協し、異能者を逃がしてしまうよりは、バラバラに惨殺してしまった方がいいという結論に、無能派の研究部は達していた。
「……格闘戦も問題ないの?」
「そのはず。でも、電磁ナイフがあるからおすすめ出来ない。……ワタシ達が考えた作戦としては、ワタシと姉さんが遠方からの狙撃。直樹と炎には前で囮をしてもらう」
「囮……か」
直樹が言葉を漏らす。
つまり自分はかなり危険な立ち位置にいると言う事だ。
しかし、昔は腹痛で悩まされていたが、今は心の異能のおかげで、すぐに痛みが引いていく。
直樹は快諾した。
「いいぞ。逃げ回ればいいんだろ?」
「しかし、それでは危険――」
「大丈夫ですよ。加速力になら自信が。な、炎……炎?」
いつもなら、うん! と元気よく返事をするはずの炎は何かに悩んでいるようだった。
そのことを疑問視した心が口を開く。
「どうかしたの、炎」
「……うん。少し相談があるんだ……」
炎は意を決した様子で、事情を説明し始めた。
「そうだったのか……」
直樹が、炎を見つめながら呟く。
他のメンバーも、各々の複雑な表情を見せていた。
「気持ちはわからなくもないよ。大切な人を、死ぬかもしれないのに行かせるのってとても辛いことだもの」
思い当たる節がある顔で、彩香が言う。
彩香はきっと、心が戦いに赴くたび、辛い気持ちに駆られているのだろう。
慣れはする。だが、辛いものは辛いのだ。
「それに彼女は新垣達也をみすみす死なせている……」
ある意味共犯ともいえる水橋の表情は、苦々しげだった。
水橋も、みすみす行かせてしまったのだ。新垣達也を。
死ぬとわかっていながら、説得出来なかった。
いや、それは言い訳にしかならない。暴力を行使してでも、止めるべきだったのだ。
「少なくとも、今の炎君に説得は難しいだろうな」
「ですよ……ね。あはは……はは」
乾いた笑い声。炎はどうすればいいかわからなかった。
浅木は自分を想って言ってくれていることは炎にもわかっている。
そして、浅木の言い分が正しいことも。
だが、自分が降りたら、直樹達はどうなるのか。
確かに勝ち目が薄い戦いかもしれない。
でも、勝率は0パーセントではないのだ。
もし自分がいたら勝てたかもしれない、ということになったら。
決戦の翌日、教室に空の机が並んでいたら。
そう思うと炎は怖いのだ。
自分が傷つくよりも、誰かが傷つき、死んだ方が怖いし、嫌だ。
だけど、浅木さんも裏切りたくない。
そんなある種強欲な――しかし、人間らしい想いに、炎は囚われている。
「じゃ、どうにかするしかないよな」
「え?」
当然のように発した直樹を、炎は驚いた眼差しで見つめた。
「答えは単純だろ? 炎、お前が強くなっちまえばいい。欲を言えば俺もな。というか、元々力はあるんだし、それをコントロールしちまえばいいんだ」
「で、でも……」
直樹の言い分は一理ある。
炎は途方もない力を秘めている。
たったひとりで、街を壊滅させてあまりある力。
いや、もしかすると――。
「ダメだよ……どうなるかわからない。矢那と戦う前に、私がみんなをダメにしちゃうよ……」
炎にしては珍しく、弱気だった。
こんな炎を見るのは、心と仲違いした時、達也が死んだ時ぐらいだ。
「そう言うな。らしくないぞ。やれば出来るのが草壁炎だろ?」
弱気になった炎の代わりに、直樹は強気となる。
色々、いっぱい貰っている。こういう時に釣りを返しておかないと、後々支払が大変になっちまう。
そんな想いで、直樹は炎を励まし続けた。
「お前なら出来る。俺はそう信じてるよ」
「直樹君……」
直樹の励ましを受けて、炎はある程度自信を取り戻したようだ。
うん、うん! と拳をにぎにぎして、不満げに口を尖らせた。
「でもやれば出来るってのは、何もしない人に言う言葉じゃないかな?」
「……そ、そうかな?」
「そうだよ! ……でも、ありがとう。やるだけやってみた方がいいよね」
炎はやる気になった。
弱気になったのが嘘みたいにやる気に満ち溢れている。
励ましの効果、というよりも、励ました本人の影響が大きいかもしれない。
「それじゃあさっそく」
「待って、炎。まだ話の途中」
出て行こうとした炎を心が呼び止める。
心は再び炎を座らせると、ボードに張ってある写真を棒で指した。
DPウイルスと書かれている。
「気名田矢那が、六日後に撃とうとしているのは、異能者と無能者を識別する頭の良い機能が搭載されたウイルス。これは、そのウイルスに感染した者が異能者か無能者か判断し……無能者だと判断した時、感染者は例外なく……死ぬ」
「……ワクチンも開発されていない。一度、野に放たれれば、人を媒介として凄まじい勢いで感染していく」
DPウイルス。無能派が開発していた時は、DiePsychic。
しかし、今はDistinguishPsychic。
異能者を抹殺する為のウイルスは、無能者を抹殺するウイルスに様変わりした。
新DPウイルスは旧DPウイルスの異能者に作用するという項目を変更するだけで良かった。
作業自体は単純なのだが、それが上手く作用するかどうか、臨床実験の途中だったものを、矢那は持ち出したのだ。
そもそも、このウイルスは異能派が無能派に対し、交渉を持ちかけるだけだと、メンタルは聞いていた。
故に、回収に協力した……というのは嘘になる。
当時のメンタルは、オリジナルへの復讐心でいっぱいいっぱいだった。
姉を始末したいという想いに駆られ、目の前の事柄など目に入っていなかったのだ。
心は、妹が悔恨の念に襲われているのを目視して、気遣うように説明した。
「最悪、DPウイルスが搭載されているレールガンだけ破壊出来れば、後は逃げるだけでいい」
「そうだな。そう考えれば希望も見えるはずだ。……いざという時は助っ人に頼ればいい」
「助っ人?」
直樹の後ろから、水橋へ質問が飛んだ。
水橋は得意げな顔でみんなを見渡す。
「うむ。シャドウだ。彼なら矢那を倒してくれるだろう。そんな気を起こさせる、圧倒的な男だ。……何でもっと早く出会わなかったんだと思ってしまうほどにな……」
嫌なことを思い出したのか、水橋は暗い顔になる。
それを見た彩香が、立ち上がった。
「とにかく、今日は伝えたいことはこれだけ。炎がパワーアップするみたいだし、作戦はまた練り直しってところね。今度は二日後に集まるとして、何か意見があるものは?」
「はい」
誰もが何も言わない中、直樹の後ろで手が挙がる。
何だろうとみんなが見つめると、栗色髪の、直樹の幼馴染が不思議そうな顔でこう言った。
「私がここに来た意味は?」
だが、誰も答えられない。沈黙が一同を包んだ。
白熱する議論の中で、久瑠実の存在をすっかり忘れていたのだ。
「ひどい、ひどいよ!」
「ごめん……」
帰りの道中、直樹は久瑠実に謝り続けた。炎は、用事で先に帰っている。
別に久瑠実は自分がいた意味がなくともそれで良かったのだ。
だが、自分の存在が忘れられていたのは許容出来なかった。
「……いくら何でも、自分が呼んだ人間を忘れる!?」
「……あー久瑠実なら……」
直樹は、また久瑠実の空気エピソードを思い起こす。
久瑠実は本当に、自分でも嘘だろと思ってしまうほど影が薄いのだ。
下手をすると、見ているのに気付かない場合もある。
まさに透明人間。唯一の救いは、それが久瑠実に宿る異能のせいであり、久瑠実自身が問題でないことだ。
(いや、久瑠実の異能だから久瑠実の問題……いやいや、別にそれはどうでもいいんだよ)
直樹が考えを巡らせてると、久瑠実がふん! と腕を組んでそっぽを向いた。
「直ちゃんがそんな態度なら異能貸してあげない!」
「いや、それは困るって!」
直樹は慌てた。結局、まだ久瑠実から異能を借りていない。
メンタルを捕まえて、ひと段落がついたと安心しきってしまったせいだ。
なに油断してんだバカヤローと過去の自分に文句の一つも垂れたいが、過去に目を向けている暇はない。
みんながやれることをやっている。
必要がないならやらなくてもいいが、今の直樹に、久瑠実の異能は必要だ。
「なぁ、ホント、頼むよ久瑠実」
「……まぁ、私の言う事を聞いてくれるなら……考えなくはないけど」
両手の人差し指をつんつんしながら、そわそわする久瑠実。
今の久瑠実はもう以前の久瑠実に戻っている。
ならば、直樹としても構う事はない。
直樹はいいぜ、と頷いた。
「ホント!?」
「ホント、ホント。まぁ、今の久瑠実なら変なことは……」
「じゃあ、デートしてほしいなぁ……」
前言撤回。直樹の背中に冷や汗が流れる。
久瑠実は暗示を受けた時と同じ誘いをしていた。
「マジか……」
「マジだよ、直ちゃん」
そわそわしながら言う久瑠実。
直樹は久瑠実の様子を注意深く観察しながら、おそるおそる訊く。
「包丁取り出さない?」
「包丁? え? もし直ちゃんが料理をしてほしいなら……」
返答は直樹の思っているものと違かったが、久瑠実の包丁の使い方は、正しいもののようだ。
「よし、よし! ……いかがわしい場所に行かない?」
「いかがわしい? それってどういう……」
これについても久瑠実は理解出来ないらしい。
直樹はふぅ、と安堵した。
デートという言い方が引っかかるが、まぁ要は二人で遊びたいということだろう。
恐らく、デートと言ったのはジョークの類のはずだ。俺の幼馴染がそんなことを言うはずがない。
直樹は、デートの申し込みを承った。
「良し、いいけど……そんなたくさんは遊べないぞ。炎と修行をしなけりゃいけないからな」
「……何で炎ちゃんが出てくるのか気になるけど……、いいよ、それで。直ちゃんとデート、楽しみにしてる!」
交差点に差しかかったところで、久瑠実はじゃあね、と家へ向かって行った。
やけに嬉しそうな幼馴染を見て、良かったと直樹は安心する。
(何の後遺症もなさそうだ。メンタルも和解出来たことだし……後は炎か)
さっさとこんなつまんねえこと終わらせるぞ。
直樹は意気込んで、帰宅した。




