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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第一章 異能殺し
3/129

始動

「嘘だろ……?」

 

 驚きのあまり直樹は絶句する。

 教室はシンと静まりかえっていた。

 赤い少女で盛り上がった空気は、黒い少女に呑まれている。


「えっと……こころちゃんでいいのかな? 他に何かないの?」

「ありません。早く授業にしましょう」

「あ……うん。そうですね! じゃ、席に—―」

 

 担任が生徒に、しかも転校生に促されて授業を始める。心の突き刺すような視線にはそうせざるを得ない迫力があった。

 炎は直樹の隣の席で、心は直樹の列の一番前だった。

 担任の担当教科である数学が始まる前に炎がひそひそ声で直樹に話しかける。


「すごいねー。まさか同じ日に転校してくるなんて。運命感じちゃうな!」

「運命も何も……アイツは……」

 

 直樹が心の後ろ姿を凝視する。間違いない。間違えようがなかった。


「ん? 知り合いなの?」

「……あれが、俺が見た……ぶつかった奴だよ」

 

 炎の目が点になった。そして、しばらく放心すると鞄の中からきったねえ絵を取り出し、心を見る。

 絵を見る。心を見る。直樹を見る。


「え、ええええええぇぇ!!」

 

 炎の声が教室に響く。

 何事かと教室中の視線が集まる。炎は何でもないでーす、と照れ隠しした後、直樹との密談に戻った。


「嘘……ホントだ、間違いない……似顔絵とも似てるし……」

「その似顔絵で分かるのか?」

 

 だが、今の炎には直樹の突っ込みに返答する余裕はない。バッ、と携帯を取り出すと画面をタッチしてメールアプリを開く。


「うう、押しづらい……機種変更するんじゃなかった……」

 

 タイプミスを何度も繰り返しやっと本文を作成する。よっし、と意気込んで送信しようとした所、


「じゃあ、炎さん! この問題解いてみて!」

 

 と、担任に指された。


「え、えっとお……何アレ」

「……授業聞いてなかったのか?」

 

 黒板には数学の授業らしくいくつか数式が描かれている。だが、炎はそれを見てもちんぷんかんぷんだった。


「……す、数字がいっぱい……」

「頑張れ。教科書を見れば分かる。たぶん」

 

 直樹にも自信はない。数学は得意ではなかった。

 パラパラと炎は教科書をめくる。焦るあまり、教科書が上下逆さまであることに気付いてない。


「もしかして分からない?」

「えっとお……すみません!」

 

 炎は観念して頭を下げる。炎の辞書には数学という言葉は載っていない。

 どうやって転入出来たか直樹は疑問に思い、炎を見上げる。

 緊張と恥ずかしさ、そして難解な問題(と、炎は思っている)に直面した彼女は頭から煙が出ていた。

 比喩ではない。本当に煙が出ている。


「お前! 火! 火が出てる!」

「え? ってうわあ! 消火消火!」

 

 炎のせいで、一時限目は自習となった。




「散々な目にあったよ……」

「そりゃこっちのセリフだ」

 

 慌てた担任は炎の頭にバケツで水を掛けた。

 炎の隣だった直樹への水害は必然だったともいえる。

 二人は代わりの着替えを取りに保健室へと来ていた。


「にしても驚いたな。炎ちゃん、異能者だったんだ」

 

 そう言ったのは久瑠実だ。炎のサポートの為に学級委員長であり、直樹の幼馴染でもある。


「本当は秘密にしたかったんだけど、私隠すの苦手なんだ」

 

 あはは、と炎が苦笑する。


「異能者への風当たりは強いから、か」

 

 直樹は教室の半数の目が変わったことに気付いていた。

 普段取り留めないことを話すクラスの連中が、炎を恐れを交えた視線で見つめていた。

 異能者関連にはトラブルが尽きない。その為に恐怖を抱くのは当然だ。


「炎ちゃん……」

 

 久瑠実が炎を心配する。久瑠実は炎が異能者だと気づいても全く気にする様子はなかった。

 それが彼女のいい所であり、密かに男子生徒の人気を獲得する理由でもある。

 実際にはその容姿も含まれていたが。


「大丈夫! 私の炎はそんな風なんかに吹き消されたりしないよ!」

 

 炎は自分の胸をドン! と叩いた。


「そういえば、直ちゃんと炎ちゃんは知り合いなの?」

 

 久瑠実の純粋な疑問に直樹と炎はギクッとする。

 とりあえず言い訳をしようとするが、上手く出てこない。


「えっと何ていうか……」

「こ、校門前で知り合ったというか……」

「校門前? でも直ちゃん、炎ちゃんの能力の事知ってたみたいだけど」

 

 久瑠実は急にギクシャクした二人に首を傾げる。


「ま、まあとにかく、詳しい事は後で……」

「あ、そうだね。私、先生に呼ばれてるんだ。服はそこの竿に干してあるからね」

「ありがとう、久瑠実ちゃん!」

 

 炎は久瑠実に手を振って、感極まった表情を見せた。


「久瑠実ちゃんいい子だよお。私泣きそうかも」

「確かにアイツは良い奴だけど、やることあるだろ? あの警官に報告したのか?」

「あーっと忘れてた! 送信送信っと」

 

 炎がメールを転送する。

 直樹は安心感に包まれた。これで全てが解決する。

 あの暗殺者は捕まり、もしかしたら狙われているんじゃないかという恐怖から解放される。


「でも報告してもあんまり意味ないんだよね。現行犯じゃないと」

「えっ?」

 

 直樹が驚く。炎の言ったことがよく分からなかった。


「五年前にあったクイーン事件知ってるでしょ? あれのせいで現行犯じゃないと捕まえられないんだよ」

 

 クイーン事件。日本の総理大臣が女性らしき異能者に操られたのは五年程前だ。

 後々分かった事だが、各国の代表全てが同時に操られていた事も分かっている。

 これからは異能者の時代、と操った主は言っていた。

 それからは、加害者が何者かに操られたといった事件も多発した。しかし、操られていたという証拠もないし、逆に操られていないという証拠もない。

 最近は収まったが、あの事件後しばらく世界は混乱していた。


「じゃあ、狭間心を逮捕することは?」

「今は無理だね。ほら、メールにも」

 

 炎が携帯の画面を示す。メールに書かれた指令は、狭間心を尾行せよとの内容だった。

「私が何とかしないと。心ちゃんが危ない目に遭う前に」

「……危ない目?」

 

 直樹は炎の口から出た不穏な言葉に眉を顰めた。


「警察は昔に比べて攻撃的になっているからね。知ってる? 今交番のおまわりさんってアサルトライフルを携行してるんだよ。異能者を射殺出来るように」

「……そうなのか?」

 

 直樹は懐疑的にその話を聞く。自衛の為に持っているとは直樹も耳にはしていたが……。


「今、異能者の存在によって、世界には様々な疑念や思惑が渦巻いているんだよね。本当は、このメールも信頼出来ないんだ。精神に介入する異能者が達也さんを操っているかもしれない。ううん、もしかしたら、私も……君も――」

「……そんなバカな」

 

 直樹が恐怖する。一度あの暗殺者から解放されたと安堵した直後に、こんな話を聞かされたのだ。

 そんな彼の肩をバシンッ! と炎は叩いた。


「なんてね! そんなこと考えてもしょうがないから、私は私のまま出来る事をするだけだよ」

「じゃあこんな怖い話聞かせないでくれよ。昨日の今日なんだから」

「ごめんごめん。じゃあ、服乾かしちゃうよっ!」

 

 炎が窓を開けて、ベランダに干してある服に手を翳す。


「加減してくれよ?」

 

 心配した面持ちでその行為を直樹が見守る。はっきり言ってあまり信用できないからだ。


「大丈夫! 私は炎のスペシャリスト。このくらい……ってああっ!」

 

 直樹の制服が盛大に燃えた。


「あれ? 直ちゃん、制服は?」

「それだよ」

 

 直樹ががっくりした様子で燃えカスとなった制服を指した。

 何があったか察した久瑠実はしょうがないよと言い、炎を元気付ける。


「俺を励ましてはくれないのか……」

「直ちゃんはくよくよしないの。男の子なんだから」

 

 栗色髪の久瑠実にそう言われ、直樹は仕方なく口を閉じた。


「ごめん! 弁償するから」

「頼むぜ。家族になんて言えばいいんだ……」

 

 帰宅して母親にどう言い訳するか考える。流石に炎に燃やされたなどとは言うつもりはない。悪意があってしたことではないのだから。


「とにかく、直ちゃんは体操服で出るしかないね」

「そうだな。じゃあ行こう」

 

 予想外のトラブルがあった為、三時限目に間に合わせるように三人は教室へ向かった。

 教室に入った瞬間、湧きだっていた教室が冷えのを感じる。

 視線は炎――転校してきた異能者へと集まっていた。

 許容する者、拒絶する者。

 直樹の横目に炎の顔が入る。

 その顔はとても寂しそうだった。


「あー参ったぜ。俺の服全然乾かなくて、体操服だ」

 

 静かな教室に直樹の声が響く。

 その意図を理解した直樹の友人が反応した。


「ふざけんなよ。野郎の体操服なんざ需要ねえんだよ。そこは炎ちゃんだろ!」

「え? 私?」

「そうだ! 保健室にある予備の服はな、ブルマなんだぞ!」

 

 その声を皮切りに皆が話を交わす。男はブルマがどうとかで、女は男子サイテーだとか言って炎を囲んだ。


「炎さん、神崎に変な事されなかった?」

「え? 別にされてないけど……」

 

 実はあいつね……ごにょごにょ、と女子が炎へと耳打ちする。

 何を言ってるのかすごい興味があったが、とりあえず直樹は席に着いた。

 拒絶をした連中は何人かで固まってひそひそと話している。

 確かに異能者は怖い。連日事件は起こるし、最近にも生放送のバラエティ番組で、ラトー叶野という男が破裂するというショッキングな事件が起きたばかりだ。

 だが、別に異能者が全員犯罪者というわけではない。そんなハブらなくてもいいんじゃないかな、と直樹が考えていると、最前列の心に目が留まった。


(狭間心……俺にはお前の方が怖いよ)

 

 直接彼女が手を掛けた所を見たわけではない。全て伝聞だ。

 もしかしたら間違いかもしれない。

 それでも恐ろしい――ここまで考えて、あまり人の事は言えないなと嘆息した。


「おい、授業始めるぞー」

 

 歴史の担当教員が入ってきた。

 直樹が教科書を取り出していると、隣に座った炎が一言、


「ありがとう」

 

 とはにかんだ。

 その照れが混じった謝辞に、直樹の心から恐れは吹き飛んだ。





「数学さえなければ完璧なんだけどなぁ」

「それは文系のほとんどが思っていることだよ」

 

 直樹は炎の愚痴に返答しながら鞄に荷物をしまう。

 授業は全て終わり、放課後だった。

 夕日の光が射しこむ教室には何人かが帰り支度を、もう何人かは遊びの算段を立てている。


「……心ちゃんに声を掛けよう」

「え? おい!」

 

 直樹の制止虚しく、炎は今まさに帰ろうとしている心へ声を掛けた。


「心ちゃん!」

「草壁炎……何?」

「いっしょに帰らない? 同じ転校生同士、仲良くしようよ!」

 

 炎は心に手を差し出す。だが、心はその手を取らなかった。


「ごめんなさい。私は用事があるの。色々と手続きがね」

「……そっか、そうだよね。気にしないで」

 

 心は素早く教室を去って行く。


「ダメだ。振られちゃったよ……」

 

 炎が悲しそうにため息をつく。だが、直樹にはそんなことより。


「尾行しなくていいのか?」

「え? あ、しまったぁ!」

 

 炎はオーバーリアクションで叫んだ後、慌てて心を追いかけて行く。


(なんか心配だなぁ……ついてくべきか?)

 

 直樹が悩んでいると久瑠実が肩を叩いた。


「直ちゃん……制服、どうするの?」

「あ……ちくしょう! 待て!」

 

 直樹もダッシュで炎を追いかけていった。



 

 

 速やかに一時拠点であるホテルへと移った心は、ノートパソコンを開いた。

 マウスを操作して目的のファイルをクリック。

 画面にリストが表示される。その中からある人物をピックアップ。

 だが、その前に別の人物をクリックした。

 赤髪の少女の画像が映し出される。


(草壁炎……私と同い年。ほのおの異能者……)

 

 午前中に起きた珍事を思い出す。確かに草壁炎の頭部から煙が出ていた。


(コントロールは未熟……暴走の恐れあり?)

 

 心はパソコンを見つめながら熟考する。彼女が知る異能者の性質を考え出す。

 問題はない、と判断して本当に確認すべき人物へ変更した。

 坊主で目つきの悪い男性。二十代後半と言ったところか。


(郷田敦。念力使い。罪状、殺人。器物損壊、その他にもいくつかの事件と関わった疑いあり)

 

 ディスプレイを眺めながら、着替えを始める。

 制服を脱ぎ捨て、彼女の下着ではなく妙な機械が現れた。

 彼女の程よい大きさの胸を覆うその機械の上に黒い服を着込む。

 スカートを脱いで、白いパンツの上に黒いズボンを履く。黒い手袋をつける。

 最後に、黒いキャップを被った。

 そして、部屋のテーブルに置いてあった仕事道具に手を伸ばす。

 黄金の拳銃を持つ。これが心のメインアームだった。

 本来マシンピストルはサイドアームとして使われる事が多いが、理想郷ユートピアの威力は十分主武装として問題がない。

 それにこの銃には思い入れがある。

 心はパソコンの電源を落とし、携帯端末を見ながらドアへと近づいた。

 そのままドアノブに手を掛ける……前に止まる。


「……これは」

 

 端末をしまい、ユートピアを取り出す。

 心はその変化を冷静に見守った。

 ドアが変形し始めた。すぐさま、アルミが潰れたかのような音が聞こえる。

 ドアがクシャクシャになった。

 心はベランダへ向けて走り出す。彼女の後を追いかけるように壁が床が天井があり得ない歪み方を始める。

 彼女が借りた部屋はシングルルームで、縦長の部屋だった。

 一般的なビジネスホテル。その簡素な一室がどんどん潰れていく。

 トイレが壊れた。窓の横に設置してある、ベッドが軋む。

 間に合わない――そう直感した心は、呪文のように言葉を紡ぐ。


「デバイス起動――」

 

 その直後、ホテルの一室が潰れた。



 

 不自然に傾いたホテル。その入り口の前から一台の車が発車した。


「やった……! 暗殺者を暗殺してやったぞ……!」

 

 これで自分の安全は確保された。そう確信し、運転席の男が歓喜する。

 フロントガラスから見えるその男は心がチェックしていた郷田敦本人であった。

 自身に迫る危険を恐れて、先手を打ったのである。

 後は不審に思われる前に立ち去れば良い。もし仮に警察に補足されても素知らぬ顔をすればいいだけである。


「これで障害は排除した。後は無能の警察共さえ……っ!?」

 

 嬉々として独り言を言っていた郷田は、車上に何か乗る音を聞いた。



 足の骨にひびが入ったかもしれない。だが、問題はない。

 今気にするべきは自分の体調ではなくターゲットの事だ。

 心は感情を見せない瞳で、暗殺対象を見下ろした。

 今心は車の上にいる。運転手は郷田敦。念力使いで、重犯罪者だ。


「……嘘だ……この化け物め!」

 

 悲鳴に近い叫びが車内から聞こえてくる。車が左右に激しく揺れた。

 郷田が心を振り落とそうとしているのだろう。

 車線をはみ出す事も構わず、郷田は車のハンドルを切り続ける。

 対向車がぶつかりそうになり急ブレーキが鳴り響く。

 迷惑などというレベルではない。大事故に繋がっても不思議ではない危険運転だ。

 さらに先を見ると橋が見えた。橋に暴走車が侵入すれば大惨事になりかねない。

 心は黄金色の銃を取り出すと、運転席がある場所へと向けた。

 消音器のせいで、控えめな銃声が轟く。

 屋根と運転席が穴だらけになった車はコントロールを失い、そのまま橋の下へと落ちていった。


「暗殺完了」

 

 心は車が川の中に沈んだことを確認すると、野次馬が集まる前に走り始めた。




 一方、体操服姿の直樹と、制服姿の炎は途方に暮れながら道を歩いていた。

 どちらも疲れた様子である。それもそのはず、炎は心を、直樹は炎を追いかけてずっと走り回っていた。


「どうしよう……」

「ホントだよ」

 

 二人揃ってため息をつく。炎は尾行対象を見失い、直樹は制服をどうにかする事が出来なかった。

 もちろん予備があるが、炎が何か言われる前に制服をどうにかしたかったのだが、もう無理そうだ。

 すっかり日が暮れている。


「心ちゃん……どこにいるんだろ」

「知らないよ。どうせ家に帰ったんだろ。準備があるって言ってたし……」

「でも、何か嫌な予感がするんだよ」

 

 炎が暗い顔で言うと、まるで予言だとでも言わんばかりに轟音がした。


「今の音は……!?」

「直樹君はここで待ってて!」

 

 炎が駆け出す。中野橋の方だ。


「待てって言われても……くそっ!」

 

 直樹は毒づくと、炎の後を追いかける。

 中野橋につくと、大勢の野次馬と、壊れたガードレールが目に入った。


「待っててって言わなかった?」

 

 炎が少し怒った様子で直樹を咎める。


「大人しく待ってられるか。これは一体……?」

 

 炎は橋の下を覘くのを止めて、直樹に近づいてきた。


「交通事故……にしては不自然なんだよね。目撃証言だと……」

 

 炎が直樹に説明をする。が、中断させられた。

 水の音がして、後ろを振り返ると壊れた車が宙に浮いている。

 そのまま野次馬の方へと飛んでいった。


「危ない!」

「炎! うおっ!?」

 

 炎は突然、跳び上がる。

 跳ぶ瞬間、足の裏から火が噴きだした。

 ロケットジャンプの要領で飛来する車に近づくと、火を纏わせた腕でぶん殴る。

 バゴンッ!! という音がして、車は再び川の中へ沈められた。


「ふう、一安心……ああっ!」

 

 炎は自分に何が起きたか理解出来なかった。

 ただ猛烈に身の危険を感じる。このままではまずいと本能が訴える。


「な……何が起きてんだ……」

 

 直樹は炎とは違い、何が彼女の身に起きているか客観的に見て取れた。

 だが、理解出来ない。現実として起きているはずなのに、脳が理解しようとしない。

 炎は何か見えない手で握りつぶされているような状態になっていた。

 橋の上に男が着地する。水と血を滴り落としながら手を伸ばしていた。


「お前も……異能者か! あの女の仲間か!」

「あの女……?」

 

 直樹は男の言葉が引っかかった。だが、その思考は炎の悲鳴で中断させられる。


「炎!」

「死ねない……死にたくねえ! 殺される前に……殺す!」

 

 炎は火で抗おうとするが、背後から不可視の腕で拘束されては文字通り手も足も出ない。

 彼女が出来るのは苦痛に呻き悲鳴を上げる事だけだった。


「炎……くそ! 誰か……」

 

 直樹は辺りを見回す。野次馬の中には大人もたくさんいた。

 だが、誰一人動かない。助けてもらったのに、助けようとはしない。

 異様なものを見るような目でただ傍観している。


「くそ……くそ!」

 

 今炎を助けられるのは自分しかいない。そう直感出来たのに、身体が動かない。

 足が震えていた。目の前の光景に恐怖している。

 今思えば、炎は出会ったばかりで赤の他人である。助ける道理はないのかもしれない。

 でも――それでは、あんまりではないか。

 彼女は今、無関係な人間を助けて、危機に陥ったのだ。

 少し、恩返しくらいあってもいいだろう。


「う……うおああああ!」

 

 怖さを誤魔化す為に叫びながら突進する。

 相手を倒す算段は何一つない。がむしゃらな突撃である。


「……な、にしてるの……! にげ……て!!」

「制服弁償してもらってねんだよぉ!」

 

 そのままタックルする。否、タックルしようとした。

 男に当たる直前で、何かが光輝いた。


「……う……ご……」

 

 男が何かに撃ち抜かれて、地面に斃れた。


「きゃ……」

「炎!」

 

 炎も同時に地面に倒れた。直樹は慌てて彼女に駆け寄る。


「大丈夫……ありがと」

 

 炎が礼を言う。直樹は何もしてないよ、と言って銃弾が飛んできた橋の先へと目を移す。

 男が死んだことで辺りがパニックになっている。怒号と悲鳴が飛び交う。

 直樹は昨日を思い出す。今の音は、達也が消音器と言って狼狽えた音だ。


「狭間心なのか……一体……?」

 

 直樹の独り言に、炎が不思議そうに首を傾げた。


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