ツイオク
四角形の、何もない部屋。部屋が、色鮮やかに染められている。
赤と赤の狭間に、倒れる白色。紅白の絨毯。
赤と白のコントラスト。美しいと叫ぶ声が聞こえる。
しかし、その絵を描いた画家である白は、蒼白とした表情で自分の作品を眺めていた。
「いいぞ! 今回は順調だ!」「このままいけばロールアウトも近いぞ!」
喜ぶギャラリー達。だが、真ん中の白色は喜んではない。
悲しんでもいない。怒ってもいない。楽しんでるはずもない。
ただ茫然と――自分と同じ姿をした死体を見下ろしている。
手に持つ銀色がきらりと輝く。理想郷へのアンチテーゼ。理想に対抗する為に作られた、暗黒郷。
その銃で撃ち殺した。合わせ鏡で写ったかのように、自分に向けて引き金を引いた。
死んだワタシを、ワタシが見ている。
「……暗殺完了」
その言葉を何度口にしたことだろう。自分が放った言葉を、何度耳にしたことだろう。
そして――この光景を、一体何回見たのだろうか。白い少女には正確な回数が分からない。
200回を超えたあたりで、数えるのを止めた。自分の目的について考えることも止めた。
なぜそうしなければならないのかと聞かれれば、そうせねばならないからだ、と答える。
明確な理由は知らない。知る必要のないことだ、と研究員に言われた。
だから、ワタシはワタシを殺し続ける。
それはワタシも同じだ。ワタシがワタシを殺そうとするから、ワタシは殺すのだ。
ワタシが生きる。ワタシが死ぬ。ワタシが壊れる。ワタシが砕ける。
ワタシは色んなワタシを見てきた。
笑うワタシ。怒るワタシ。悲しむワタシ。
そして、ワタシはワタシを殺した。
一面に転がるワタシ。血の海に沈むワタシ。
ワタシワタシワタシワタシ――。
自分がどのワタシなのか、ワタシには分からない。
そもそも、ワタシは存在しているのか。そこに転がるワタシが、ワタシなのではないのか。
生死不明。自己存在も不明。
しかし、生きているという実感はある。
苦しいからだ。
今手元にある拳銃で頭を撃ちぬきたいほど、苦しいのだ。
毎日毎日、ワタシはワタシを殺す。それが対抗手段。
何の? 誰に対しての?
少女の疑問に、研究員は楽しそうに答えた。
「お前のだよ」
ああ、そうか、と少女は納得した。
思考は無駄なんだ。ただ、カリキュラムに従い、授業を受け続けるしかないんだ、と。
ワタシはワタシに対抗する為に、ワタシを殺し続けた。
ワタシを銃で撃ちぬく。ワタシをナイフで切りさく。ワタシを爆弾で爆殺する。
ワタシの前に転がるワタシ。
気づくとワタシは笑っていた。ワタシが生きている喜びに、ワタシは笑っていた。
その笑みが喜びから出るのものなのか、ワタシには分からない。
原理は不明だ。
ワタシはワタシを殺して笑う。それが少女の習慣となった。
その表情を見て、研究員達は喜んだ。間違いなく最高傑作になると。
ワタシの相手をするワタシはどんどん増えて、ワタシの屍の量も増えていった。
ワタシの山の上にワタシは立っている。
そして、笑った。微笑んだ。
研究員達は喜んでいたが、不意にその顔から笑みが消えた。
なぜだろうと少女は訝しむ。
そして、頬を滴る、水滴に気付いた。
ワタシの――涙。
ワタシはワタシを殺し、笑っていたはずなのに、泣いていた。
喜んでいたのに、苦しかった。
研究員はその涙を不調と捉えた。欠陥だと見なしたのだ。
より多くのワタシと、少女は殺し合いをさせられた。
欠陥を埋めるべく、経験を積むべく、様々な方法でワタシを殺した。
そして、ワタシを殺しつくした時、研究員はワタシに名前を与えた。
「お前の暗号名は精神だ。心と精神……似て非なるもの……」
「メン……タル……」
それがワタシの名前。番号名ではなく、正式な呼び名。
「これからお前にさらなる訓練を行う。異能殺しに対抗する為の特別授業だ」
「異能殺し……?」
メンタルの疑問に研究員は答える。
「お前の元となった者。オリジナルだ。本名は狭間心。お前はこれまで通り、お前を殺すんだ」
そうか、とメンタルは呟いた。
今まで通りだ。これまでと同じことをする。
それが存在理由だから。
それがワタシの生きる理由だから。
ワタシはワタシ故に、ワタシを殺すのだ――。
そこまで考えたメンタルは違う、と言葉を漏らした。
「違う違うチガウチガウちがうちがう――。ワタシが殺すのは、ワタシじゃない。私だ!! ニセモノではなくホンモノを殺す!」
今度は違う。
ワタシではなく、私。
クローンではなく、オリジナル。
ワタシを妹とするならば、標的は姉。
ワタシがこんな目にあった全ての元凶。
メンタルの目標はアップデートされた。
「ワタシを苦しませた……狭間心! 存分に苦しませて……殺してやる!!」
ワタシは私を殺す。そして――全てのワタシに報いる。
ワタシが殺してきたワタシに――アナタ達は無駄ではなかったよ、と証明する。
それがワタシの存在だ――。それがワタシなのだ――。
「……っあ!?」
メンタルは、嫌な思い出を夢に見て、跳び起きた。
身体中から、嫌な汗が流れ落ちている。
「ここは……?」
メンタルは真っ白な部屋を見回して、またあそこに戻ってしまったのかと焦ったが、色違いの自分と目が合い、勘違いだったことに気付いた。
「起きた?」
「……っ!」
オリジナルに対し攻撃をしようとしたが、身体の傷が完治していなかった為、まともな行動をとる事が出来ない。
メンタルが憎むべきホンモノは、ベッドの隣の椅子に座り、メンタルに目を向けている。
「……」「……」
心は静かに、メンタルは殺気立って、瞳を交える。
憎しみと憐みが、水と油のようにぶつかり合う。
「なぜ……ワタシを生かしている!?」
「必要があったから」
淡々と答える自分。メンタルはやはりこの色違いは、どうあってもジブンではないと思った。
姿かたちは似ていても――思想が違う。主義も違う。
「質問しても?」
心がメンタルに訊ねる。
しかし、メンタルは無言で心を見続けるだけだ。
その沈黙を肯定と受け取った心が口を開く。
「炎の兄は、なぜ私の家族を殺した?」
「……」
メンタルは答えない。
答える義務はない。自分に義務があるとすれば、目の前にいる心を殺す事だ。
「……わかった。じゃあ、あなたの話を聞かせて」
必要なのはわかり合いだと感じた心が質問を改めた。
この問いにも、答える義務はない。
なのに、メンタルの口は自然と動いた。
聞いて欲しかったのかもしれない。
糾弾の意味もあった。
ワタシがこうなったのは全てオマエのせいだと。
「ワタシは一年前……いや、正確には十一か月と、十三日前に、製造された」
メンタルは計画の詳細を話し始めた。
計画は、異能殺しに対応する為の兵器を生み出すことだ。
たったひとりの少女相手に、過剰過ぎた反応だったが、それほど上層部は切羽詰まっていた。
いや、もしかしたらメンタルの預かり知らぬ陰謀があったのかもしれない。それとも、単純なテストケースとして、興味があったのかもしれない。
クローンでは、異能者の完全なコピーが出来ないことは闇に足を踏み入れた者なら既知の事実だった。
だから、研究者達は、メンタルに経験を積ませた。
大量のクローンを製造、殺し合いをさせ、異能殺しに引けを取らない戦士を生み出そうとしたのだ。
メンタルと身長も体重も、顔も変わらない少女と、メンタルは戦わせられた。
しかし、ひとりひとり、ほんの僅か、誤差の範囲だが、微妙に違っていた。
性格だ。喜怒哀楽。
全てを悲観した自分……闘志に溢れている自分……奇妙な感覚。
自分とスペック上は同じなのに、全く同じ経験しかしていないはずなのに、違っていた。
そんな自分であり、他人でもあるニセモノ達から生き残る為、メンタルは技量を高めた。
何より、生き延びたいという生存本能が、そうさせていた。
そういう点ではホンモノと類似していたのかもしれない。
心が、最初に人を殺した時、復讐心もなくはなかったが、生き延びたいという一心で、引き金を引いたのだ。
結果として、メンタルは生き延びた。
一日に試合を何十回とやらされたこともある。
メンタルに劣化ながら宿っていた再生能力と、生きたいという強い意志が、自分達よりも勝っていた。
そして、メンタルの中に義務が生じた。
生き延びた自分が、彼女達の死が無駄ではなかったと証明する責務が。
そのはずなのに。
「……ワタシは……アナタに負けた……誰よりも……アナタを殺さなければならなかったワタシが」
メンタルの瞳から、一筋の涙が流れる。
その涙に、心が戸惑いをみせた。
自分を殺せなかったと泣き出した少女に、どう声を掛ければいいのかわからないのだ。
しばらく逡巡し、口を開いた心がニセモノに問いかける。
「なぜ、私を殺さねばならないの?」
メンタルはホンモノを訝しんだ。
理由は説明したからだ。自分自身の証明の為に、アナタを殺すと。
そして、心が訊ねているのはそのような事ではないことに気付いた。
もっと本質的なものだ。
「それは……ワタシの姉妹達の存在証明を――」
メンタルはそれがわかっていながら、もう一度答える。
「私を殺しても……きっとあなたはまた利用される。銃を握らされて、人殺しをさせられる」
心の言葉に、メンタルは反論出来なかった。
「……それは」
「私を殺して、一時の充足感を得て、そしてまた絶望するはめになる」
心は達観した目をしながら語る。
相手も目的も違うが、心も似たような経験をしてきた。
それはファイルで断片的に情報を探っていたメンタルもわかっている。
理想を志す為、悪さをする者を殺した。
だが、次から次へと湧いてくる悪人達。
無実な人間を巻き込んで、世界を手にせんと争う者。
自分が殺した人間より、自分が守れなかった人間の方が多い。
それが狭間心だった。
「それでも――その生き方しか、ワタシは知らない」
メンタルは全てを諦めたような口調で呟く。
心を非難するはずが、ただの会話となっていた。
姉妹の仲睦まじい会話でもなく。親友同士、親睦を深めあう話でもなく。
暗殺者と暗殺者、同業者同士の本音の漏らし合い。
「それは私も同じだった」
過去形の表現。
まるで、今は違う生き方を知っているような語り口。
そして、その言葉は事実だった。
「自分が誰かを殺すたび、世界が一歩平和に近づくような、そんな幻想に囚われていた。でも、現実は違う。あなたの言う通り、私が誰かを止めても、その倍、誰かが死ぬ。私のちいさな手には、この銃は重すぎた」
心は理想郷と名付けられた拳銃を取り出す。
銃を見下ろしながら、メンタルに語り続けた。
「私は意固地になっていた。その方法しか知らなかったから。ガンのように何度でも復活しても、その分、切除すればいいと思っていた。いつか――永遠に続く時の果てに、理想郷が創られると信じて」
メンタルは心の話に引き込まれている。
二人の関係性は徐々に変化していた。
姉が妹に自分の経験談を語っているかのような、そんな風にも見える。
「けど、結局、私は殺されそうになった。理想を成す事も出来ないまま、絶望の淵に沈む。私は恐ろしかった。自分の死よりも、理想を志せなくなることが。……我ながら異常ね」
皮肉気な笑みを浮かべる心。だが、自分でおかしいと思っても、それが自分だ。
自分一人の力だけでは変わることは出来ない。少なくとも、心は。
「そんなどうしようもない私を、あの人が救ってくれた」
あの人という表現だったが、メンタルにはそれが誰かわかった。
神崎直樹という男。
「あの人はまともに戦ったこともないのに、私を庇った。あなたの言った通り、汚らしい、人殺しである私を。不慣れな異能を用いて、助けてくれた」
救ってくれたのは、直樹だけじゃない。と心はもう一人の少女について語る。
「草壁炎。私が取り返しのつかないことをしてしまった相手。私を救ってくれた時は、そのことを知らなかったけど、知った今でも、炎は私を悪くないと言ってくれた。あなたは何もしていないと。……悪いのは自分と言い出した時は困ったけど」
微笑を浮かべながら救済者について話す心。
メンタルはその二人について利用価値のある道具程度にしか思っていなかった。
うわべだけのお友達ごっこをしていると。
だが、実際には違ったようだ。
真実を知り壊れたと思った絆はあっさり元に戻った。
彼らを繋ぐ絆は、間違いなくホンモノだ。
「二人に教えてもらったことはたくさんある。いっぱい、手に収まりきらないほどの幸せを二人から貰った。だから、今度は私があなたを救う番。オリジナルもクローンも、ホンモノもニセモノも関係ない。狭間心が、メンタルを救う。異能殺しとしてではなく、暗殺者としてでもなく……あなたを想う、ひとりの姉として」
「……姉……」
復唱したメンタルは、心を驚きの眼差しで見つめた。
確かに自分は心を姉と呼んだ。それは単に皮肉を込めた物言いであり、本気で姉だと思って言った言葉ではない。
そして、それは心も同じはずだった。
「……正直言って、私はあなたを良くは知らない。まだ、あなたが私のクローンで、ひどい仕打ちを受けてきたことしか。だから、これからいっしょに過ごそう。多くの時を共に歩もう。そして――本当の姉妹に、家族になろう」
「アナタは……本気で……?」
メンタルが心の瞳を覗いて、真偽を確かめる。
瞳だけではなく、嘘をついた時に反応する部位に目を移すが、その兆候はみられない。
もしこれで嘘をついているとすれば、大したものだ。
「本気。……嫌……?」
「……ワタシは――」
訊かれて、メンタルは戸惑った。
今までの事を鑑みれば、拒絶して、心が持っている拳銃を奪い、その頭を吹っ飛ばすべきだろう。
それがメンタルと死んでいった自分達への存在証明であり、メンタルの生きる理由だ。
しかし、そうしたくない自分がいた。
心の妹になりたいと思う、自分が。
矛盾した判断。理性の欠片もない思考。
だが、理性だけで判断する人間などいるのだろうか。
メンタルの瞳から、先程とは違う意味合いの雫が流れる。
「ワタシは――アナタの妹に……なりたい」
「……よろしく」
照れ臭そうに手を差しだす心。涙を流すメンタルがその手を力強く握った。
家族を殺された少女と、家族を殺し続けた少女が、一つの姉妹となった。
静かにするのがマナーの病室で、喧しい声が響き渡っている。
中立派が借り切ったその部屋は独自改造され、防音、防弾仕様に変更されており、病院内の人間に迷惑をかけていないことが救いだった。
しかし、当の病室で寝ている病人はとても不機嫌だ。
うるさすぎた。物静かな少女にとって、その騒音は。
「少し静かに……」
「これでもう一件落着だねっ!」
静かにして、というメンタルの願いは、炎の大声で掻き消されてしまった。
炎自身、まだ怪我が治ったわけではないのだが、歩けるぐらいにはなっているようで、興奮した様子で病室内を歩き回っている。
異能者は無能者よりも硬く、丈夫だ。異能の神秘も、この時ばかりは恨まずにいられない。
「まだ微妙じゃない? あの気名田の娘が……」
「もう、彩香ちゃんったら、辛気臭いよ!」
バシンッ! と炎が彩香の背中を叩く。
おふっ!! という空気を吐き出すような悲鳴が響いた。
「何すんじゃあ!」
「こら、彩香ちゃん! メンタルちゃんが寝ているんだから、静かにしないと!」
あんたが言うなぁ! という彩香の叫び。メンタルに言わせれば、どちらにも黙っていて欲しい。
心と“姉妹”になった後、仲良くなったの!? と言いながら部屋に不法侵入した炎をはじめとした集団のせいで、あの事件についての真相が話しづらくなってしまった。
聞きたがるかと思っていた姉も、まさか盗聴されているとは思ってもみなかったようで、顔を赤らめて隅で縮こまっている。
メンタルにはそこまで恥ずかしい内容を話していたとは思えなかったが、心にとっては恥ずかしかったのだろう。
妹に聞かれてもいい話と友達に聞かれていい話は違うのだ。
「しかし、上手くいったもんだな。クローンだから、思考も似るのか……?」
「そういう考えは良くないぞ直樹君。メンタル君は一個人だ。心君と比較するのは失礼だぞ」
そ、そうですか、というのは心があの人と表現していた直樹だ。
別に比較されても構わないが、やはり違っているということははっきり伝えておくべきだろう。
炎に声をかき消されてしまわないように大声で、メンタルは言った。
「ワタシは姉さんとは違う。ワタシはアナタの事が好きじゃないし、少し優しくされたからって簡単に落ちるわけでもない。ワタシは――むぐっ!?」
メンタルの口が唐突に塞がれる。
隅っこにいた心が脱兎の如く走りだし、メンタルの口を塞いだのだ。
メンタルはなぜ姉が自分の口を塞ぐのかわからないが、今の状態ではなす術もないので、黙ることにした。
「……今のってどういう……?」
「……わ、私が直樹を……好いているってこと! そ、そう! そこの拳銃よりね!!」
「え……それって喜んでいいのか……?」
銃よりも好きだと言われた直樹は微妙な表情になる。
そんな彼に、心の相棒である彩香が、やれやれと呆れながら、
「心にとって理想郷は人生。それよりも好きってことはつまっ!!」
心はメンタルの口から手を放し、今度は彩香の口を塞ぐ。
しかし、間に合わなかった。これならばどんな鈍感野郎でも気づいてしまうだろう。
ドキドキしながら心が直樹をみると、直樹は別の誰かに呼び掛けられていて、彩香の言葉を聞いていなかった。
ホッとした心に、一年来の相棒と、今日契りを交わした妹の視線が突き刺さる。
「……こいつ面倒くせぇ……」
「……姉さん……面倒……」
異能者をビビらせる異能殺しも、恋愛という未知の領域にはたじたじだった。
そんな心を複雑な心境で見つめていた者がいる。
「……やっぱり、心ちゃんもか……」
何となく察してはいたが、実際に目の当たりにすると、素直に喜べない。
炎は胸に手を当てて、悩ましげに息を吐いた。
「むぅ……。とりあえず青春だ、としか言えんな」
完全な傍観者となっていた水橋が呟く。
別に三角関係になっても構いはしないが、それが原因で絆が壊されることがなければな、と思った。
何せ、自分は似たような――。
「……」
今度は水橋が暗い表情となった。
ただその場にいるだけで、色んな女性に迷惑をかける。迷惑千万な男である。
そんな迷惑野郎直樹は、隅っこの方で涙目になっている栗色髪と会話していた。
「さっきからずっといるのに……誰も気付いてくれない……!」
「大丈夫だ、俺は気づいてた。うん、気づいてたぞ」
言い聞かせるように二回言う直樹。
実の所、久瑠実の存在を感じ取ってはいなかった。
久瑠実が悪いのではなく、久瑠実の異能が悪い。
という言葉が直樹の脳裏に浮かんだが、それを告げる勇気はない。
まだメンタルがかけた暗示が解けていないはずだ。
変な事を言うと、久瑠実が暴走する危険があった。
「……じゃあ、いつからいたか覚えてるよね?」
「え、えっと……この部屋入った時から?」
必死に記憶を巡らせながら答える直樹。
すると、バッと両腕で顔を覆った久瑠実が泣き出した。
「ひどい! 炎ちゃんの病室からずっといっしょにいたのに……」
「っ!! い、いや、冗談だよ!」
そもそも、直樹と久瑠実はいっしょに病院に向かったので、ずっといっしょだったに決まっている。
それなのに、順序ではそうなっているはずなのに、久瑠実の存在が全く感じ取れなかったのだ。
今の言葉は単に直樹がバカだから出た言葉ではない。……多少アホだから出た言葉だ。
それほど、久瑠実の異能は強力だった。
「そ、そうだ! 久瑠実、メンタルに暗示を解いてもらえ!」
思い出したように提案する直樹。
室内にいる全員の辛辣な視線にさらされて、だいぶ胸が痛い。
直樹を糾弾の眼差しで見つめる、白い少女が口を開く。
「何か言い訳の材料にされた気がする。でも、わかった。こっちに来てほしい」
メンタルが頼むと、久瑠実は泣くのをやめて素直に従った。
そして、メンタルが瞳を覗き込む。
「……」
メンタルにみんなの視線が集中する。
メンタルは久瑠実の瞳を覗き込んだまま、一言もしゃべらない。
故に、みんなも黙って見守る。
「…………」
見守る。じっと見守り続ける。
「………………」
ふぁ、という欠伸が聞こえた。
炎がデカい欠伸をしたのだ。
傍にいた彩香が、空気を読みなさいよ肘鉄をする。
「……………………」
長い。長すぎる。
耐えかねた直樹が口を開こうとするのだが、彼は本質的にチキンだ。
そんな彼を見かねた心が、姉として妹に尋ねた。
「メンタル、まだかかるの?」
「……ごめん、姉さん。解除方法を忘れた」
えええええっ!! という声が病室内に響く。
「何だし! さんざん引っ張ってそれかし!」「え? じゃあ久瑠実ちゃんずっとこのままなの!?」「ど、どういうこと、メンタル?」「むぅ……これはまずいのか?」「嘘だろ……真面目な久瑠実にはもう会えないのかよ」
口々に不満や驚愕を述べる、彩香、炎、心、水橋、直樹。
しかし、暗示をかけられている久瑠実は、
「直ちゃんが好きでいてくれるなら、私は何だっていいよ」
と言っている。
それを横目で見ながらメンタルが、
「大丈夫。時間と共に元に戻るし、元々、変なことをしたわけでもない。あくまで立花久瑠実の本音を引き出しただけ」
それはそれで問題な気がするのだが、と思ったのは直樹、炎、心の三人だ。
水橋と彩香は特に気にした様子もなかった。
しかし、三人にとっては死活問題である。
直樹にとって久瑠実は優しく面倒見がいい幼馴染である。こんなアグレッシブに迫ってくるヤンデレ風幼馴染ではない。
心と炎にとっては、幼馴染というアドバンテージを持った久瑠実は凶悪な恋敵である。
しかも、奥手な自分達とは違い、直球で直樹に想いを伝えている。
直樹がへたれでありチキンであり、それなりの紳士であったおかげで難を逃れてはいるが、いつ想い人がかっさらわれるかわからないのだ。
そう思うと、姉としての威厳を忘れて心が捲し立て、静かにしないとダメと自分を棚に上げて言っていた炎が必死になるのも無理はない。
「「何とかならないのっ!?」」
二人の言葉が重なる。
と言われてもメンタルにはなす術がないし、そこまで姉とその友人が必死になる理由が理解出来ない。
想いなど、直接口で言ってしまえばいいのだ。
メンタルが施設から出た時初めて読んだR18という奇妙な数字が書かれていた本にも、唐突にヒロインの告白から始まり、すぐに肉体関係にもつれ込むという描写がされていた。
「二人が直樹を好きなことはわかっている。回りくどいことはせず、直接想いを――むぐぐ!」
心と炎は見事な連携をみせてメンタルの口を閉ざした。
宿敵と書いて友と呼ぶ。今この瞬間、心と炎は恋敵となった。
恐る恐る二人で直樹を見て、直樹が久瑠実との会話にまたもや気を取られていた事を知り、安堵の息を吐く。
が、すぐさまそんな余裕はなくなった。
「直ちゃん……イイコト、しよう? 病院なら血が出ても安全だよ?」
「ちょっ……それはどういう……」
「「絶対にダメ!!」」
二人が久瑠実ではなく直樹に跳びかかる。
アサシンとエージェントに抑え込まれて、直樹は抵抗虚しく床に激突した。
「うわっ!! 何するんだ!」
「不純異性交遊は逮捕だよっ!」「性犯罪者は暗殺する!」
うわああちょっと待ってくれ! という直樹の悲鳴が病室にこだました。
みんなが騒ぎ立てている中、メンタルはひとり屋上に出た。
本来屋上は立ち入り禁止なのだが、施錠された鍵の一つや二つ、解除は余裕だった。
「……いい月ね」
メンタルは煌々と煌めく白銀を見つめながら、携帯を取り出した。
発信先は気名田矢那。かつての仲間で、もう敵となった女性だ。
『もしもし? どうしたの?』
ゲームらしき騒音がメンタルの耳に響いてくる。
だが、別に聞こえていないわけではなさそうだ。
メンタルは矢那に、裏切りを告げた。
「……ワタシは、アナタの敵になった」
『あらそう』
無関心な返答。
訝しんだメンタルが矢那に訊く。
「それだけ……?」
『ま、別に構いやしないわよ。あなた、忘れてない? 崩壊プログラムのこと』
「……っ」
メンタルは苦渋の表情を浮かべる。
崩壊プログラム。メンタルが裏切りと思われる行動を取った時、適切に分解する為のプログラムだ。
脳波や血圧、心拍など身体の心理ステータスを測定するナノマシンがメンタルの体内に埋め込まれている。
もう結末は決まっていた。
悲しくなんかない。むしろ嬉しいはずだ。
全ての苦しみから解き放たれるのだから。
しかし、メンタルの胸は痛む。
姉と、もっと過ごしたかった。本物の姉妹に近づきたかった。
姉が仲間だという彼らと、日常を経験したかった。
『ちなみに、もうカウントダウンは始まっているわ。あと……お、もう三十秒切ってるわね』
「……くっ……」
そこまで猶予がないとは知らなかった。
メンタルは左手を見つめる。
もう全てがなくなるのだ。命も肉体も――何も残らない。
いや――残る。
姉の妹としてのワタシが、姉の中に生き続ける。
そうだ。何も怖くない。
なのに――なぜ――。
手が震えるのか。こうも、悲しいのか。
苦しみに終わりを告げるはずなのに、なぜ、嬉しさではなく悲しさが湧き起こるのか。
『10、9、8……』
カウントを電話越しで伝える矢那。
メンタルは最期に姉に詫びた。そして、感謝を述べた。
「ごめんなさい。そして、ありがとう……姉さん」
カウントが終わる。世界が終わる。
『3、2、1……ゼロッ!!』
楽しそうな矢那の声。メンタルはギュッと目を瞑った。
そして――矢那のおかしそうな笑い声が、携帯から響く。
『アハハハハッ! 騙された~』
「……どういう……こと……?」
メンタルは震える声で矢那に尋ねる。
わからない。理解出来ない。なぜ自分は生きている?
驚きを隠せなかった。自分が存在していることに。
『ああ、安心して? 崩壊プログラムって言っても判断するのは計画の研究者達ってことは知ってるわよね。機械が異常を検知してボタンを押すだけのラクチンなお仕事。だから、研究員が死んでたらプログラムは発動しないのよ』
「研究員が死んだ……?」
『そうそう。メンタルについてしつこいからさ~。サクッとやっちゃった』
「アナタ……」
矢那は常軌を逸した行動をとることがままあったが、ここまでだったとは。
メンタルは茫然と呟く。そして、一応礼を述べた。
「……ありがとう?」
『感謝なら疑問系はやめてほしいわねー。ま、あなたと戦うのを愉しみにしてるわ。……今から一週間後に例のアレ、撃つから』
メンタルから助かったという安心感が消えた。
切迫とした焦燥感が胸の中で暴れ回る。
「アレは……! 脅しの為の材料にするって!」
『それは上層部の判断でしょー? あんなもん引っさげても奴らは交渉に応じないわよ』
「それは……そうかもしれないけど……!」
矢那の言うことは一理あった。
元々無能派から奪ったものだ。それを突きつけても、素直に言うことを聞くとは思えない。
だが、だからと言って、ワクチンも開発されていない不安定な物を撃ち込むなど……!
「一歩間違えればみんな――」
『別にいいんじゃない?』
矢那の返答は、メンタルの理解しがたいものだった。
メンタルは絶句し、矢那は嬉々として言葉を紡ぐ。
『みんな死ぬなら、そういう結末だったってことでしょ。もともと戦争なしに奴らを殲滅するなんて無理だったし、上層部がなかなか戦争に踏み切らないんだから、こうするしかないじゃない。それにみんなが死ぬのは悪い方向に転がったら、でしょ? アレには賢い機能がついているんだから、ちゃんと改良通りの効果を発揮してくれれば、私もあなたも、あなたの新しいお友達も、みんな死なずに済むじゃない』
それは危険だ、とメンタルは思った。
現実とはそう都合よくはいかない。
現実に絶望させられたメンタルはそのことを良く知っている。
それに、それでは――。
「無能者達は?」
『……ん? 何で私があいつらの事心配しなきゃならないわけ? 両親を殺した害虫じゃん。家の中に虫が来たら、虫よけスプレーを使うでしょ。それといっしょ。まぁ……この場合は殺虫スプレーなわけだけど』
アハハハッ! と不気味に笑う矢那。
別に矢那は復讐心からアレを使うわけではない。
単純に――それが面白いから使うに過ぎない。
ゾクリとした。
いくらメンタルとはいえ――大勢の人間を殺そうとは思わない。
利用出来るものは利用する。しかし、利用価値もないものまで殺しはしない。
しかし、矢那は違うのだ。そして、その違いが、最悪の事態を巻き起こそうとしている。
『じゃあ、一週間後。最期の時まで、幸せを満喫してね』
プツリ、と通話が終わる。
ツーツー、という不通を告げる音が、メンタルの携帯から響く。
蒼白なメンタルの青白い顔が、月光に照らされていた。




