コウサ
真っ赤に、燃えている。
煌々とした炎。人によっては暖かみを感じるかもしれない。
しかし、その炎を直に見ていた少女は違った。
火が燃え移っているもの。自分を抱きかかえて、苦しみに喘ぐその人物は――。
「お父さん!」
父親を呼びながら、目を覚ました。
真っ赤だった夢とは違い、部屋は真っ白だ。
一瞬戸惑ったものの、すぐ病室だと気付いた。
水橋が病院に連れてきたのだろう。
「……」
目覚めた心は、メンタルに狙撃された肩の具合を確かめる。
両肩を回して、とんとん叩いて……傷が完治した事を知った。
治ったのならば、ここで寝ている理由はない。
心がベッドから降りて、病室から抜け出そうとしたその時。
う……く……とうなされる声が耳に届く。
心は逡巡したのち、カーテンで遮られている反対側のベッドに近づいた。
「……っ」
カーテンを開け寝ている人物を確認すると、心は苦虫を噛み潰したような顔になる。
苦しそうな表情で眠っているのは炎だ。
水橋は心と炎を同じ病室に寝かせていた。
「炎……」
心は炎の横に立ち、寝顔を覗き込む。
悪夢でも見ているのか、炎は汗でぐっしょり濡れていた。
心は置いてあったタオルを手に取り、炎の汗を拭う。
しばらく黙ってその顔を見つめた後、眠っている炎に尋ねるように口を開いた。
「私は……どうすればいい? どうすれば、あなたに罪を償うことが出来る?」
だが、返答はない。
炎に語りかけるようで、自問でもあった。
心は自分自身に問いかける。
何をすればいいのか。どうすればいいのか。
しかし、出てくる答えは一つだけ。
死を持って償うというもの。それしか、心は知らない。
心は、大勢の人間を殺してきた。
それが今の世界を正す方法だと信じて。自分が手を汚すたびに理想郷に近づいていると信じて。
だが、その結果がこれである。自分が殺した者の中に、その行為は無駄だと言ってきた者がいた。
こんなことを続けても破滅するだけだと。何も変わりはしないと。
その言葉は真実だったのかもしれない。
異能者や無能者は未だに争い続けている。無実の人間がたくさん殺されている。
しかし、今を生きる国民達は、そんな事が行われている事を知らないだろう。
彼らは警察を法の元に犯罪者を取り締まる組織だと信じているし、今この国の重大な問題は少子高齢化社会だと思っている。
異能者のことも迷惑な奴らぐらいにしか思っていないだろう。
しかし、彼らの不満はピークに達しつつある。
ただ特殊な異能を持っているだけで迫害されるという理不尽に耐えかねている。
そもそも異能パニックを収束させるはずの異能省が分裂し、政府が黙認した時点で、既に取り返しがつかない状態だったのかもしれない。
そんな緊張状態の中で、自分は炎に対し、何が出来るのか。
(……誰かを殺された時、人は、誰かを殺した相手を殺したくなる)
自分もそうだったはずだ。
父親の落とした金色の銃を拾い上げ、赤髪の男に向けて撃ったではないか。
復讐心はあった。
小さな指で何の躊躇いもなく、引き金を引いた。
だが、それが嬉しかったかどうか。
(嬉しくは……なかった……私は――)
本当は誰も殺したくなかった。
今まで否定していたが、もはや嘘をつく理由もない。
こんな物を捨てて、みんなと平和に暮らせれば。
みんなが笑って、誰も泣かない、そんな理想郷があれば。
だが、そんなものはない。
だから、それを創ろうとしてきた。
(私は死ぬべきではない……? いや、これは主観に基づくもの。炎が何を望むか、知る為には直接彼女に聞くしかない)
例え、炎が死を願ったとしても、自分は恨まない。
心はそう思って、炎が目覚める時を待った。
路地裏に入り、目を凝らす。
だが、やはり見つからない。そもそも、探しているものは目に入っても分からないかもしれない。
直樹は久瑠実を探す為、街の中を走り回っていた。
「久瑠実! どこだ!?」
悪目立ちしても気にせずに、直樹は幼馴染を呼び続ける。
もし、二人でかくれんぼしているだけだったならば、ここまで必死にはならない。
しかし、今回のかくれんぼにはイレギュラーが混ざっている。
「くそ、やっぱり使い物にならねえ!」
直樹は携帯を乱暴にポケットへと押し込んだ。
心達の援護は望めない。せめて久瑠実に警告はしようとしたのだが、メンタルによるハッキングで直樹の携帯はフリーズさせられていた。
いや、これはある意味良かったのかもしれない。直樹が久瑠実に送ったメールが探知されれば、久瑠実の居場所がばれる可能性がある。
(……いや、メールなんか送らなくても探知されちゃうんじゃ? やばい!)
メンタルはただ走り回ることしか出来ない直樹とは違い、情報システムを味方につけている。
携帯の位置情報による探知や監視カメラなど、街中に張り巡らされている監視ネットワークがメンタルの武器だ。
立火市全体が、メンタルの武器であると言っても過言ではない。
久瑠実の異能が監視ネットワークを無効化してくれることを祈りながら、直樹は走る。
当ては……ないこともない。
メンタルが直樹の知らない情報で久瑠実を捜索しているように、メンタルが知りえず、直樹しか知らない情報がある。
直樹は久瑠実と幼馴染だ。
昔良くここら辺で遊んでいたし、何となく久瑠実が隠れそうな場所に心当たりがある。
まぁ先程からその場所が空回りしっぱなしなのだが。
でも――直樹は勝機があると信じる。
まだ久瑠実はメンタルに見つかっていないはず。見つかれば、メンタルは何かしらのアクションを起こす。
まだやれる。ならば、探そう。
負けてないのに諦めはしない。幼馴染パワーは伊達じゃないぞ。
直樹は走る。久瑠実を見つける為、メンタルを止める為。
「待ってろ、久瑠実!!」
そこは、とても暗かった。
小さな檻の中だ。自分は危険だから、そこに入れられたのだろう。
最初は、みんなが傍にいた。だけど、みんなは自分から離れていく。
思い出がほとんどない両親。自分を大切にしてくれたお兄ちゃん。自分に生きる目標をくれた、優しい人。
もうみんないない。
みんな、こことは違う場所へ行ってしまった。
彼らが去ったのと入れ替わりに、檻の隣に来てくれた人たちがいる。
浅木さん、直樹君、久瑠実ちゃん、彩香ちゃん、水橋さん、そして……心ちゃん。
みんな、励ましてくれた。話しかけてくれた。
なのに、自分は……心ちゃんを――。
――仕方ないよね。心ちゃんは、お兄ちゃんを殺したんだもん。
内なる声が聞こえてくる。
一度聞いてしまうと、その声はとても甘美なものに聞こえた。
甘くて優しくて――全てを委ねてしまいたくなることば。
(そうだよね……仕方ないよね……)
と思うのだが、そう思うたびに、胸が痛くなる。
なぜか? その答えは明白だ。
それが分かっていながら、それを否定してしまう。
そして、そんな自分に嫌気がさす。
苦しみのループが続いていた。
だが、それは罰なのだろう。
心を裏切った自分への罰。
いやそれは主観に基づくものだろう。夢の中で、思考する。
他人を傷つけた罰を自分で決めてしまうのはダメだ。
しかし、心が自分に対し何を求めるのか、自分には分からない。
ならば直接、心と話をするしかない。
そう思った瞬間、炎は檻から解き放たれる。
そして、自分を見下ろす少女が目に入った。
炎と心は、黙って見つめ合う。
お互い、どう言葉を交わせばいいか分かっていない。
同時に、何か話さなければいけないとも思っている。
故に、言葉が被るのは致し方なかったのかもしれない。
「心ちゃん」「炎」
互いが互いの名を呼んだ。
気まずかった二人が、さらに話辛くなる。
沈黙が病室を包んでいたが、炎は意を決して、口を開いた。
「私はどうすればいいのかな?」「私は何をすればいい?」
またもや被る二人の言葉。
二人は驚いて、赤と黒の瞳が交差する。
その驚愕は言葉の発声タイミングが被ったからではなく、内容が被ったから出たものだ。
「「……どうして?」」
今度は言葉が全く同じだった。
二人はなぜ相手がそんな事を言ったのか理解出来ない。
自分が悪いのに、なぜ悪くない相手がそんなことを言うのかと。
性格が対照的な二人は、その実とても良く似ていた。
心のクローンであるメンタルのような姿形の疑似ではなく。
相手への思いやりと、目標とする理想が。
「私は心ちゃんに何も求めてないよ。悪いのは……私だから」
「それを言うなら私も。私が全ての元凶。私が――」
炎のお兄さんを殺したから。
心の言葉に炎は押し黙ったが、すぐに首を横に振った。
「まだ……よく分からないもん。何で……そうなったか。それに……もしかしたら兄さんが……」
心ちゃんの家族を殺したんでしょ?
今度は心が言葉に詰まる番だった。
二人の言葉は事実だ。
メンタルの資料と心の記憶から、炎の兄が心の家族を殺し、心が仇を取ったことは変えようのない真実。
しかし、その理由は分からない。
なぜ、炎の兄が心の家族を殺したのか? 少なくとも、炎の知る兄は、そんな事をする人間ではなかった。
異能者と無能者、双方が笑って暮らせる世界を――。そんな事を笑いながら言う、優しい人間だったのだ。
そして、心の家族も似たようなものだ。
心は父親の兄である狭間京介は、自分達は異能者と無能者が戦わないで済む為に、戦っていると言っていた。
もっとも、心の叔父は弟であった心の父親とは違い、単純に世界が滅んでしまうからその可能性を潰す方策を取っていただけらしかったが。
自分の知る家族について共有した心と炎は、ますます深まった謎に頭を抱えた。
「……どっちが悪いの……?」
心は疑問を口にし、炎が答える。
「きっと――どっちも悪くないよ」
それは希望的観測だった。
炎の兄が暴走して心の家族を殺した可能性もあったし、心の家族が炎の兄を脅すか何かして、自衛の為に殺された可能性もあった。
しかし、それが分かっていてなお、心はその言葉に同意する。
可能性は無限大だ。そういう可能性もあればそうじゃない可能性も存在する。
残酷な真実を知ることになるかもしれない。
だが、現実から目を背けて、理想だけ見ていても先に進めない。
心が頷くと、炎はぎこちなく手を差しだした。
仲直りの握手。改めての共闘の誓い。志を同じくする同志の証。
心もゆっくりとその手を握ろうとした瞬間、彩香が病室に飛び込んできた。
「心!! 大変!」
せっかく仲直りしようとした所を邪魔されて流石の心も不機嫌になったが、彩香の様子を見てただ事ではないことを見て取る。
彩香はぜはーと息を荒くしつつ、心と炎に危機を知らせた。
「直樹と久瑠実がやばい! たまたま監視カメラをチェックしてたら……。電話しても通じないし」
「……っ! メンタル!!」
心はすぐにそれがメンタルの仕業だと気付く。
メンタルが心を知るように、心もメンタルを知っている。
心は颯爽と振り返り、駆けだした。
「待って、心ちゃん! 私も……ぐぅっ!!」
炎も後を追いかけようとしたが、炎は重傷を負っていた。
心とは違い、炎には治癒能力がない。
人並みよりは回復速度が速かったが、それでも心には及ばない。
「あなたは寝てないと!」
「でも……っ。みんなが大変な時に、私は何の役にも立てないの!?」
炎が悲痛に叫ぶ。
彩香は炎を落ち着かせつつ、ノートパソコンを取り出した。
中立派が借り切ったこの病室内ならば、医療設備を邪魔することなくネットを使用出来る。
「大丈夫。今の心なら……」
そう言い切る彩香だったが、表情は不安で一杯だった。
悠長に病院内を走っている余裕はない。
そう判断した心は三階の廊下から、窓を覗いた。
すると、下に一台バイクが走っている。
申し訳ないが、状況が状況だ。後で弁償することにしよう。
心は左肘で窓ガラスを割り、ゆっくりと走行している黒いバイクの目の前へ着地した。
「うえ!?」
「ごめんなさい。あなたのバイクを貸してもらう」
は? は? と混乱している運転手を他所に、心はバイクに跨り転送された座標へと向かい始める。
バイク盗られた!? という男に悲鳴が走り去る心に聞こえた。
「久瑠実! くそ、マンホールとかに隠れてないだろうな……?」
そう言いながらマンホールを覗き込む直樹。だが、やはり久瑠実は発見出来ない。
どうすりゃいい、と立ち止まった直樹は、記憶を辿る。
(……そういや久瑠実はさっき……あの場所か!?)
久瑠実との疑似デート中の言葉を思い出した直樹。
直樹と久瑠実が二人仲良く迷子になって途方に暮れた場所。
もはやそこしかないだろう。直樹はそう信じて、走り出した。
(思い出せ思い出せ。自分の情けない記憶が勝利の鍵だぞ!)
曖昧な記憶を引っ張りだし、迷子になった経路を思い起こす。
久瑠実が一人でどこかに行ってしまい、幼い直樹はがむしゃらに走り続けた。
その時と同じように、がむしゃらに走る。久瑠実の名を呼びながら。
「久瑠実! 久瑠実ぃ!!」
息が荒くなってきた直樹に、目立つ看板が目に入る。
飛び出ている金魚だ。錯視ではなく、看板から立体的に金魚が出ている。
あの看板は見たことがあるぞ、と直樹は既視感を感じた。
「こっちだ!」
直樹は独り言を言いつつ、角を右に曲がった。
次は左、次は前、次はまた左……。
迷路のような通路を、息を切らしそうになりながらも動き回った。
そして、行き止まりにぶちあたった。
しかし、そこには誰もいない。いや――聞こえる。
息遣いが、どこか嬉しそうな声が。
「久瑠実、いるんだろ?」
「流石だね、直ちゃん。やっぱり見つけに来てくれた……」
ブン、と音を立てて、久瑠実が姿を現した。
にっこり笑って、直樹の元へ近づいてくる。
「そりゃあまぁ……幼馴染だからな」
とは言うものの、炎が転校してきた時、事情が事情とはいえ久瑠実の事を放っておいたのだ。
とんだくそ野郎なのだが、久瑠実はそんな事を露ほども思っていないらしい。
直樹が見つけてくれたという喜びに包まれている。
「うん! じゃあ結婚してくれるよねっ!!」
「いや……約束が違うぞ。久瑠実の異能を借りる約束だったはずだ」
強がって出た言葉だ。結婚という単語を聞いて、直樹の心臓は一瞬跳ね上がった。
しかし、メンタルというイレギュラーがいてくれたおかげで、直樹は本来の目的を忘れずに済んでいる。
それに、もし本当の久瑠実から出た言葉ならドキドキして大変なことになってしまったかもしれないが、今の久瑠実は直樹の知る久瑠実ではない。
「そうだったね、残念。……どうすればいいの?」
「ああ、手を握って……」
そんなこと? はい。
と言って久瑠実が手を差し出したその時、直樹は久瑠実の傍に不自然な影が映ったことに気付いた。
慌てて頭上を見上げると、白い物体が、銀色の輝きを持って降下してくる。
「危ないっ!」「きゃ!?」
直樹は久瑠実を庇うように抱き着いた。
直後に右肩に刺すような痛みを感じる。
直樹が後ろに顔を向けると、メンタルが血の付着したナイフを持っていた。
「フフッ。負けちゃった。でも……勝つ」
「いや……そんなことないぞ」
直樹は振り向いて、久瑠実の盾になるよう、メンタルに立ち塞がる。
拳を握り、炎の異能を発動させた瞬間、ふらついた。
「なっ……?」
「もう容赦はしない。ここからは本気で殺しに行かせてもらう」
メンタルの言葉を何となく直樹は察した。
ナイフには毒が塗ってあったのだろう。単純な切り傷では直樹も心も回復してしまうから。
今の言葉通り、メンタルは本気になったのだろう。
「くそ……卑怯だぞ」
「暗殺者が卑怯で何が悪い?」
もっともな指摘だった。
そもそも殺し合いに卑怯も何もない。
直樹は歯噛みしつつ、何とか態勢を保っていたが、とうとう立っていられなくなった。
「く……」「直ちゃん!!」
久瑠実が直樹に駆け寄る。
メンタルはハハハと笑いながら、
「徐々に戻ってきたようね。だけど、アナタには何の力もない」
久瑠実はう……と怯えた表情を見せる。
メンタルはナイフを左手に持たせ、銀色の大型拳銃を抜いた。
暗黒郷を、久瑠実の頭に向ける。
「止めろっ!!」
「止めない。どうしようもならない状況で抗うのは愚か者のすること。現実をみなさい。アナタは地面に倒れ、何も出来ない。あの女も炎も、味方は誰も現れない。……都合のいい助けなんて絶対に来ない!」
メンタルは直樹の横を通り過ぎる。言葉を述べながら。
「人は運命に抗えない。どんなに夢を見たって、願ったって、何も変わりはしない……。今ある現実を受け入れることしか出来ない」
メンタルの言葉はホンモノだったかもしれない。
夢を見たり、願い事を述べるだけでは何も変わらない。
だから、人は――。人間って奴は――。
「努力するんだろうが! コンチクショウ!!」
動け動け動けぇ!! と自分の身体に直樹は念じた。
すると、直樹の願いが通じたのか、心の治癒能力が間に合ったのか、直樹の身体は動き出した。
狼狽するメンタルの声が聞こえる。
「な――。有り得ない。こんなことが……あってはならないっ!」
激昂したメンタルは標的を変えた。
怯える久瑠実ではなく、まだ満足に動けない直樹に。
「どうにもならない現実を受けて、死ね!!」
直樹を殺す為、殺意を明確にしたメンタルが指に力を込める。
銃声と、久瑠実の悲鳴が思い出の場所に響いた。




