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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第一章 異能殺し
18/129

終幕

「……本当に……勝った」

 

 折れた左腕を抑えつつ立ち上がった心は茫然と呟いた。

 負けるとは思っていなかったとはいえ、改めて目の当たりにすると、驚きを禁じ得ない。

 直樹は転がる気名田の前に立っている。気名田は顔面を強打され、戦闘継続は不可能。床の上で、呻く事しか出来ていない。

 心は二人にゆっくりと歩み寄った。気づいた直樹が、大丈夫なのか? と心配してくる。

 それはこっちのセリフ、と思った心が問う。


「あなたはどうなの?」

「俺は大丈夫だよ」

 

 どう見たって苦しそうなのに、直樹は即答した。


「お前らのような……子供に……」

 

 気名田が悔しそうに言う。心は気名田に目を落とした。


「……あなたには、死んでもらう」

「っと、おい! 殺すのはダメだ」

 

 拳銃を引き抜いた心の腕を直樹が掴んだ。


「離して」

「ダメだって。殺したって、解決しないよ」

 

 心は仕方なく拳銃を下ろす。直樹は気名田の顔の前でしゃがんだ。


「なぁ。あんたはさ、何で戦ったんだ?」

「……ふん。知れたことだ。無能者に味方する奴は……敵だ……!」

 

 気名田は倒れながらも強い意志を感じさせる言葉を直樹に放つ。

 そうか、と直樹は頷いて、


「でもさ、無能者って数は相当多いぜ? 俺……はもう異能者にカウントされるのかな。それでも異能者の数は31%だ」

 

 なぜ直樹一人で世界の異能者の割合が1%増加するのか。呆れた心は突っ込んだ。


「……1%は増えすぎ」

「そうだったけか……。とにかく、七割は敵ってことだろ? そいつらを全部殺すのか? めちゃくちゃ大変だと思うぞ」

「大変かどうかは……関係ない。奴らは……敵だ……」

「だからそれが分かんねえんだよな。アンタの年じゃあ、異能者になったのって途中からだろ? 元は無能者だったはずだ。それがどうして」

 

 直樹の呟きに、気名田は憤怒の表情を浮かべた。何か、怒りを思い起こすのようなことを想像したように見える。

 気名田は昔話をしてやろう、と上体を起こし、語り始めた。


「そうだ。お前の言う通り……私は元無能者だ。異能パニックが起きて数年後、自分の異能に気付いた。あの時は……奇妙な感覚だったな。自分が何か特別な存在になれたという感覚。あの時の私は若かった。その力のせいで、悲劇が起ころうとは思いもしなかった」

「……何が、あったの」

 

 心は先が何となく察しがついていたものの、促す。

 気名田は自嘲気味に笑いを漏らした後、話を続けた。


「無能者が如何に能無しなのか……見誤った。私の妻は無能者で……異能者と無能者の間の亀裂を嘆いていた。故に、私はその亀裂を何とかしようとしたのだ。だが……妻は殺されてしまった。無能者連中にな!」

 

 そんなことが……、と直樹は驚いているが、心はそれほど驚嘆はしなかった。

 そういう人間は腐るほどいる。生まれついての悪人など、心は滅多に見たことがない。いや、それを知っていて、敵を暗殺した自分こそ、生まれついての悪人なのかもしれないが。


「だから殺す。奴らは害虫なのだ! お前達も……すぐに分かる!」

「……それはどうだろうな。心はともかく、俺はバカだからな。どんな理不尽を受けても、恨めないと思うぞ」

 

 なに……? と気名田は直樹に訝しげな視線を送る。


「バカだからさ、世界がどうのとか、異能者や無能者がどうのとか、全然分かんねえ。何で争ってんのかとかもな。それに、異能者にも無能者にも良い奴がいることを知っている。中にはさ、どうしようもない奴もいるかもしれないけど……。でもさ、害虫だなんて思えないよ、俺には。お互いにお互いを知らないだけなんだよ」

 

 お前……、と気名田は有り得ないものを見たと言わんばかりの表情で、直樹も見上げる。


「もしやと思うが、私を見逃すとは言わないよな?」

「……あんたには罪を償ってもらう。あんたは達也さんを殺したからな。あの人は炎の……大切な人だった。俺もあの人は好きだったんだよ。でも、達也さんが死んでしまった以上、警察があんたを殺しちまうかもしれねえ。俺はそんなこと望んでないんだよ。きちんと償って欲しいんだ」

 

 ただ、今の俺にはあんたをどうすることも出来ないけど、と直樹は付け加える。


「あんたは強かった。正直、勝てたのが信じられないくらいに。それだけ強かったのは、誰かを想ってたからだ。強い想いが、あんたを現実で強くした。だから、俺はあんたに賭ける。あんたなら罪を償ってくれると信じたい」

 

 気名田はしばしの間、呆れて声も出なかったが、何とか口を開いた。


「信じる? 今までの話がお前の同情を誘う為の作り話かもしれないのに? 何をバカな……」

「言ったろ? 俺はバカだ。でも、もしあんたがまた同じようなことをしたその時には……俺がまた、ぶん殴ってやる」

 

 行くぞ、心、と直樹は心の右腕を掴んで引っ張っていく。しかし、達也の遺体の傍で、直樹が運ぼうと心の腕を離した隙に、心は気名田の元へと舞い戻った。

 そして、カチャ、とユートピアを気名田の頭部へと向ける。


「ふん。お前はあのバカとは違い……賢いな。さっさと殺せ」

 気名田は目を瞑り、ユートピアから放たれる弾丸に、脳みそをぐちゃぐちゃとかき回される瞬間を待った。

 

 カチッ、と引き金を引く音がした。気名田は驚く。驚ける自分に、驚愕する。

「なっ……?」

「弾切れ。予備マガジンも全て、あなたの電撃に破壊された。仕込んでいたピストルも使用不能。ナイフは、手が痛んで、まともに使えない」

「……バカか? 私は……敵だぞ?」

「バカになったかもしれない。私も、自分とは違う想いに賭けてみたい」

 

 心? と叫ぶ声が聞こえて、心は踵を返す。部屋には、絶句した気名田が一人残された。

 

 

 しばらく放心してきたが、笑いが込み上げてきたため、堪え切れずに笑い出す。


「はっ……ははははははは! あれほどのバカが……存在するのか! ははははは!」

 

 これほど本気で笑ったのは何年振りだろうか。長い時の中を、戦いと復讐に生きてきたが、あんなことを言う奴に出会ったのは初めてだった。


「ふぅ……さて」

 

 気名田はゆっくりと立ち上がる。するべきことは決まっていた。力はある程度回復している。

 バチバチッ! と雷を身に纏わせ、闘志を燃やす。敵と戦う、覚悟を決める。

 唐突に部屋のドアが開き、大勢の足音と共に黒ヘルメットの部隊がなだれ込んできた。

 アサルトライフルで武装した部隊は、全員が気名田に狙いを定めている。

 一人、隊長らしき男が無線を取り出し、報告した。


「ターゲットを一名確認。しかし、もう一人の捕縛対象……異能殺しは発見出来ず。……了解、ターゲットを殺害後、異能殺しの確保に向かいます」

「ふんっ! それは無理だぞ。お前達は全員死ぬからな。確かに私は弱っているが、お前達と相討ちぐらい、造作もない」

 

 撃てっ! という号令の元、部隊は一斉に攻撃を開始する。気名田は雄叫びを上げて、銃弾を受けながらも突撃した。

 その顔は、自殺する男の顔ではなく、新しい可能性に賭けてみようという、どこか達観した顔立ちだった。



 

 突然連絡が途絶えたことに憤った男は、無線を地面へと思いっきり投げつける。アスファルトに叩きつけられて、無線機が欠けた。

 それを足で踏みつけて、粉々にしながら、男は毒づく。メガネが月明かりに反射した。


「くそ……くそ! 何の為にわざわざ教師の真似事なんかしてると思っている! どいつもこいつも役立たずだ!」

 

 菅原は誰もいない通路で一人、憤慨する。

 異能殺しと中立派エージェントを殺せる一石二鳥のチャンスは草壁炎に妨害され、気名田と炎を殺し、心を確保する為に送ったスナイパーは倒され、今また、一つの部隊が壊滅した。

 自分の作戦は完璧だったのに、駒が無能のせいで、台無しだ。

 菅原は、冷静さを欠き、一心腐乱に無線機を踏み続ける。八つ当たりが終わった後に良いアイデアが思い浮かんだ。


「そうだ……草壁炎がいる病院を爆撃してしまえばいい。いや……むしろ、この街ごと吹き飛ばしてしまうか……」

 

 敵の勢力を一網打尽に出来るのだ。上層部は素直にゴーサインを出すだろう。

 ツキが回ってきたと携帯を操作する気名田は後ろから近付く者に微塵も気づいていなかった。

 ねぇ、と声を掛けられて、初めて気付く。そして、狼狽した。


「き……貴様……狭間心!? い、いや……貴様……まさか!!」

 

 ダァン! という轟音がして、割れたメガネが血の海の中に沈んだ。


「アサシネーション、コンプリート」

 

 フードを被るその素顔は、月に照らされてよく見えなかった。



 

 達也の遺体を運ぶ直樹に気付いた中立派の黒スーツ達が、直樹から遺体を受け取った。丁重に車の中に横たわらせて、君は大丈夫かい? と直樹に尋ねたが、俺は大丈夫です、と直樹は車を先に行かせる。


「……強がってる」

「そんなことないって……っ!」

 

 心の指摘を裏付けるように、直樹はよろめいた。心が、右手で直樹の身体を支える。


「あ、ありがとう」

「……それはこちらが言うことば。助けてくれて……ありがとう」

 

 心は直樹に感謝を述べたが、どこか気恥ずかしくなって、直樹から顔を背ける。本気のありがとうを言ったのはいつ以来だろうか。


「それは……俺じゃなくて、炎に言うんだな。俺はあいつの力を借りただけだから……」

 

 直樹の口調がだんだんと普段通りに戻ってくる。コピー能力など心は見たことがないので確信は持てないが、異能を発動しなければ徐々に普段の直樹に戻るのではないかと考察した。


「だから……病院に行って……く! うお……!」

「な……おき?」

 

 直樹は腹を抑えて、崩れ落ちる。そのまま地面に転がってしまう。


「直樹……直樹!! しっかりして!! 直樹……!! やだよ……こんな……」

 

 心が必死に叫ぶ。しかし、直樹は気を失ってしまった。



 


 身体はまだ痛んだが、それより痛かったのは、心の方だった。

 黒い棺の中に横たわっていたのは、間違いなく自分に手を差し伸べてくれた男だ。何度も何度も確認した。

 そして、目を離すたびに、間違いなんじゃないかと棺の中を覗いて、どうしようもない現実だと知る。


「達也さん……達也さん……!」

 

 君は笑っていた方がいいと言ってくれた男。もし、葬式をすることがあったなら、笑って見送ろうとしていたのに、気持ちとは裏腹に大量の涙が零れ落ちる。


「私……何も……してないのに……何の……恩返しも……何も……!!」

 

 ――君は泣くより笑っていた方が似合う。せっかく、そんな可愛い顔をしてるんだから――。

 

 炎が泣いていた時、達也はこう言ってくれた。どこかふざけたようでいて、それでみんなの事を考えてくれた人。私を案じて、とても大切に思ってくれた人。

 炎はみんなの役に立つならと、達也に協力したが、達也への恩返しという意味合いも強かった。危険な存在である自分を、人の為に使ってくれる。

 その為なら利用されても構わなかったのに、達也は炎を一人の少女として扱った。危険な目に炎が遭えば、どうにかして助けようとしてくれた。

 今回、勝ち目のない戦いに挑んだのもきっと自分のせいだ。達也が死んだのは自分が失敗したせいだ。

 自分自身への情けなさと達也が死んだ悲しさで、涙は止まることなく溢れた。

 その時、扉が開き、数名の黒服が部屋の中に入ってくる。達也の遺体が安置されている場所は中立派が手配した葬儀場だ。ごく少人数で行われる密葬の為、この場にいるのは警備を担当する中立派のエージェントたちと、水橋、浅木だけだった。

 扉の奥から、一人の男が現れる。炎達はその男が何者か気付いた。

 新垣警視総監。達也の父親で、数々の汚職を働き、達也に脅されていた汚職警官。


「とうとう死んだか。この出来損ないめ」

 

 新垣は棺に近づいて、炎を強引に退かした。一命を取り留めたとはいえ、無理をしてこの場に駆け付けた炎は床に倒れてしまう。


「炎ちゃん!」

 

 浅木が炎の元に駆け寄った。新垣は二人を一瞥しただけで、棺の中の達也を覗き込む。

 そして、邪悪な笑みを見せた。


「ははっ! これで私は自由だ。よくも今まで脅してくれたな……達也!」

 

 あろうことか、新垣は達也の棺を蹴飛ばした。

 中立派の警護達が反応し、それに呼応するように黒服達も動く。この黒服は、警視総監を守る為のSPだった。


「赤の他人を助けようとして、死んだ? お前らしい、哀れな最期じゃないか。私の指示に従わず、それだけでは飽き足らず、私を脅した結果がこれだ! 実に滑稽だ……達也。しかし……残念でならんよ。お前を殺せなかったことがな!」

 

 新垣は達也の棺を何度か蹴飛ばしたが、それだけでは今までの鬱憤を晴らしきれなかったようだ。懐から拳銃を取り出し、達也の顔に向けようとする。

 ドクン、と、炎は自身の心音を聞いた。あの声がどこかから、また聞こえてくる。


 ――燃やせ……燃やしちゃえ……全て灰に……。


 だが、誰かが誰かを引っぱたく音がして、炎は我に返った。見上げると、横にいたはずの浅木が立ち上がり、新垣の頬を叩いている。

 よろめいた新垣を守るようにして、SP達が群がった。新垣は彼らを手で退けると、浅木を睨み付ける。


「お前……今、何をしたか分かっているのか?」

「ええ。礼儀知らずで下品な男をぶん殴ったわ」

 

 新垣の睨みに浅木は怯むどころか、殺気すら感じさせる瞳で、新垣を睨み返した。


「お前は……思い出したぞ。達也のお気に入りだった女か。達也が死んで悲しいか? 悔しいか? 私は悲しいよ。あいつをこの手で殺せなかったことが悔しくて敵わない。そうだろう、草壁炎。汚らしい……放火魔が」

 

 新垣は怒りの矛先を炎に向けた。しかし、炎は必死で、新垣を見上げる余裕がない。

 新垣を燃やしたいという衝動と戦っていた。再び聞こえ出したことばは、炎に甘く優しく囁きかけてくる。


(ダメ……ダメッ!)

 

 ――どうして? その人は達也さんを侮辱したんだよ?


(それでも……ダメッ!)

 

 炎は自分を抑える。抑え込もうとする。

 しかし、新垣は炎が怯えているとでも思ったのだろうか。愚かにも、炎に話しかけ続ける。


「お前のせいで、一つの学校が全焼した。死傷者が出なかったものの……それで無罪放免だとでも思ったか? 違う! あいつが私を脅したのだ。お前は……達也の恐喝で生き残っただけだ! アイツがいない今、私はお前を逮捕出来る! 怖いか? お前を守っていたクズはもういない!」

 

 炎は……クズ……? と言葉をこぼす。

 達也さんがクズ? 私を助けてくれた、救ってくれた人が? 今の社会に消される人々を助けようと努力していた人が?

 許容出来なかった。赦せなかった。今の言葉は。

 炎の中で猛烈に怒りが膨れ上がる。

 新垣はようやく自分の失態に気付いた。部屋の中の温度が急激に上昇している。


「く……忌々しい……異能者め……!」

 

 新垣が後ずさる。SP達は拳銃を抜いた。

 しかし、拳銃が炎に向けられる前に、炎が拳を新垣に叩きつける前に、傍観していた水橋が両者の間に立ち塞がる。


「落ち着け、炎君。こんなことで君が暴れても恐らく新垣達也は喜ばないだろう」

「で……でも……」

「自分をしっかり持て。君の知る彼を思い出すんだ。すぐに分かるだろう……?」

 

 達也は、必要とあれば自分の手を躊躇なく汚す男だった。だが、それでも絶対に譲らなかったことがある。

 炎にだけは絶対に人殺しをさせなかった。炎には綺麗なままでいて欲しかったからだ。

 綺麗事だったのかもしれない。現に達也は死んでしまった。しかし、彼が自分の選択を後悔していたかは一目瞭然だった。


「……分かりました」

 

 ストン、と力なく炎が座り込む。水橋は落ち着いた炎を優しい顔で見つめた後、新垣に殺気を放つ。


「私は異能省中立派のエージェントだ。何が言いたいかと言うとだな、我々はあんたをこれからも利用するということだ」

「なに……?」

 

 新垣に問いかける。多数の拳銃を向けられながらも堂々とした立ち振る舞いで言葉を続けた。


「幸運なことに――新垣達也はあんたの汚職の資料を残してくれた。警察組織はどちらかと言うと無能派に近しい組織だ。無能派の戦力が増強するのを黙って見過ごすわけにはいかない。あんたが汚い人間で助かった。良心の呵責を覚えることなくあんたを脅せる」

 

 新垣は拳を握りしめ怒鳴った。


「お前!」

「うるさいぞ、ゴミめ。いや、これでは本当のゴミに失礼か?」

 

 SP達の目が鋭くなる。しかし、彼らに発砲は叶わなかった。

 水橋の同僚達が、囲むように彼らに銃を向けたからだ。

 そして、水橋も自身の獲物である水鉄砲を引き抜く。


「あんたぐらいの年だと、女性に脅されるのは屈辱かな? だとすれば、存分に辛酸をなめ続けるがいい。さあ、行け。葬儀の邪魔だ」

 

 新垣とSP達は無言で、しかし怒りに顔を赤く染めて立ち去った。


「やれやれだ。思わず引き金を引いてしまうとこだったよ。皆もよく耐えたな」

 

 水橋が同僚に賛辞を送る。皆も同じだったようで、よく耐えられた、と安堵していた。

 おっと、忘れていた、と漏らした水橋はスーツのポケットからボイスレコーダーを取り出し、炎へと投げる。

 炎は突然投げられた録音機をかろうじでキャッチした。


「まぁ、遺言のようなもの、かな」

「遺言……達也さんの!?」

 

 炎は慌てて再生ボタンを押す。達也の声が出力され始めた。


『これはもしもと言う時の為に録音する言わば遺言のようなものだ。これを俺以外が聞いているということは俺はもう死んでいることだろう。しかし……くそ、妙な感じだな』

 

 自分が死んだと仮定して言葉を残す。慣れない作業に達也は戸惑っていた。


『とにかく、大事なことだけ残す。まず、俺の後始末をしてくれたであろう浅木に』

 

 浅木は自分に言葉が遺されているとは思ってもみなかったので、動揺しつつも言葉に耳を傾けた。


『君は……いつも俺の後ろをついてきていたな。正直戸惑った。悩みもした。誤解がないように言っておくが、君が嫌いだったからじゃない……。むしろ、その逆だ。片田舎の警察署で頑張っていた頃から、君が気になっていた。だがね、あの事件以来……俺は困難な道を選んだ。その道に君を巻き込みたくなかったんだ』

 

 ずっと涙を堪えていた浅木の頬を涙が伝う。浅木が達也を好きだったように達也も浅木が好きだった。

 炎は、二人をずっと見てきている。炎には痛いほど気持ちが分かった。


『正直……すまなかったと思っている。俺が君をきっぱりと拒絶していれば、君は何年も無駄にせずに済んだ。でも……こうも思っている。今までありがとう。君のおかげで諦めずに済んだことが何度もある』

「くっ……全く……全部バレバレでしたよ……達也さん……」

 

 浅木はもう堪える必要がないと察し、思いっきり泣き叫ぶ。炎も泣きたくなったが、今度は……炎へ、という音声を聞いて、集中した。


『炎にも……謝りたい。俺は君を利用していた。異能殺しを追いかける為に、君の異能を利用していたんだ。最低な人間だ。警官としても、大人としても、男としても』

「そんなこと……ないですよ……」

 

 一端泣き止んで、話に集中するつもりが、堪えきれそうにない。でも、泣いたら、きっと聞き逃してしまう。

 炎は、涙を手で拭いながら、達也の言葉を聞き続ける。


『こんな俺だが……それでも誇らしいことがある。それは、炎、君自身だ。君を救えたことが俺の人生で一番の偉業だと思っている。君が生きて、笑ってくれる。それだけで俺は幸せだ。……俺がどんな死に方をするのかは分からないが、どうせロクな死に方をしないだろう。もしかすると、優しい炎のことだ、自分を責めているかもしれないが……その必要はない。俺はどんな死に方をしても君のせいにするつもりはない。むしろ、君の為に死ねるなら本望だ。ハハッ、こんなことを浅木に聞かれたら何を言われるか分からないな』

 

 もう涙は手でどうにか出来る量ではなかった。炎は、悲しさと達也を喪った喪失感に押しつぶされそうになっている。


『しかし……そうだな。もし君が負い目を僅かでも感じているなら……俺の遺体は君が燃やしてほしい。そして、俺の事は頭の隅っこにでも置いておけ。これからは自分の意志で、自分のやりたいことをしてほしい。それが……俺の最期の望みだ』

「片隅になんて……嫌ですよ……。でも、分かりました」

 

 泣いてる場合じゃない。まだ心は痛いし、身体も痛むけど、達也さんの最期のお願いだ。自分がやらなくちゃ。

 

 炎は立ち上がり、浅木と水橋が棺の蓋を開けた。弾丸で傷だらけの身体だが、傷一つなかった顔に炎はそっと触れる。

 炎が二人を見ると、浅木と水橋は頷いて、炎を促した。炎は、しばらく達也の顔を見つめた後、自身の異能を発動する――。


『長くなったな。これで最後になるが……炎、今までありがとう』

 

 達也の遺体が、ほむらほのおに包まれた。



 怒りが収まらなかったようで、クソ! と新垣は車を蹴飛ばした。達也が死んで清々しいはずだった気分は、怒りで真っ赤に染まっている。

 今度はあの小娘が私を脅す? 警視総監である私を? 赦せない。

 新垣は車に乗っていた部下に声を掛けた。


「おい! あいつらを……殺せ! 草壁炎もだ! おい! 聞いているのか? ……おい?」

 

 無反応な部下を訝しんだ新垣はドアを開ける。すると、部下が倒れ込んできた。

 頭を撃ち抜かれて、死んでいる。


「なに……?」

 

 と驚きを隠せない新垣はさらなる驚愕を味あわされることとなった。

 消音器を付けた銃声が、SP達を一人、また一人と撃ち殺していく。


「お下がりを……うわっ!」

 

 最後の一人が絶命した。困惑する新垣の元に、一人の男が近づいた。

 全身を黒の特殊スーツで覆うその男は、黒い影のようにも見える。


「……水橋優。彼女の命令に従え」

 

 男は新垣にそう命じた。だが、黙って従う新垣ではない。

 男に向かって掴みかかろうとして、地面に転がった。


「なに……!?」

「命令に従えなければ彼らのようになる。これは警告だ。俺の声を忘れるな」

 

 男は消音器付きの拳銃を新垣の頭に一瞬向けた後、右太ももを撃ち抜いた。


「うぐあああああ!!」

 

 と、新垣が悶えている間に、男は姿を消した。




「ハッ! ここは……?」

 

 と状況を確認しようとするが、あまりの激痛に前のめりになってしまう。痛む腹を抑えながら見回すと、病室であることが分かった。

 直樹は病院のベッドで寝かされている。ガラッとドアを開けて、誰かが入ってきた。

 心だった。


「……なぁ、心……俺はどうなったんだ……?」

 

 椅子に座った心はそっと目を反らし、言いにくそうに口を開く。


「……あなたは、もう助からない」

「え……? 嘘だろ……っ!!」

 

 再び痛み出した腹を抑えつつ、直樹は恐怖する。

 助からない? 俺が? やはり、無茶をし過ぎたというのか。


「本当。医者もお手上げだと言っていた」

「そ……そんな……。マジか、マジなのかよ」

 

 色々やりたいこともあったというのに。まだ女の子と付き合ったことさえなかったというのに。

 打ちひしがれる直樹。そんな彼に心が声をかける。


「でも……まだ希望はある」

「本当か!?」

 

 直樹はぱっと明るい声を出し、再びうずくまる。何とか顔を心に向けて、その希望とは何か訊いた。


「どうすれば……俺は助かる?」

「……手を伸ばして」

 

 訳が分からないままに、手を伸ばす直樹。心が直樹の右手を、右手で掴み、握手した。


「念じてみて。治れって」

 

 言われた通り念じた直樹は、ゆっくりと、だが確実に痛みが引いていくことを実感する。


「痛みが引いていく……!」

「これが私の異能。再生能力。これであなたは完治するはず」

「そ、そうか! ありがとう心!!」

 

 全力で感謝されて、心は思わず微笑する。心が何か言おうとしたその瞬間、突然、ドアが開き、彼女っは直樹から強引に手を離した。


「全く、胃潰瘍で倒れるって……。アンタどんだけストレスに弱い……ん?」

 

 果物の詰め合わせ(自分で食べる用)を持ってきた彩香は、なぜか自分から身体を背けている心を不審がる。


「心? どうしたの?」

「……別に、何でもない」

 

 と言うものの、心はそっぽを向いたままである。どうも引っ掛かる彩香は、悪いと思いながらも、心を透視能力でスキャンしてみた。

 そして、フルーツが病室内に豪快に散らばる。


「う、嘘!? 心! こんな奴にほ……惚れ……」

「!? 何を言ってるの彩香!」

 

 心は暗殺者としての技能を最大限に発揮し、彩香に跳びかかると彼女を拘束してその口を塞ぐ。


「もごぉ……むぐお……」

「……な、直樹。彩香は少しおかしいみたい。きっと、普段引きこもりなのに、長時間外に出てたせいだと思う。ちょっと先生に診てもらってくる」

 

 ふぐっ! ふごご! と息を漏らす彩香を心は拘束したまま、病室を出て行った。

 一人残された直樹はよく分からないな、と首を傾げて、ベッドに横になる。

 心に気を取られていたが、もう一人の少女は大丈夫なのだろうか。


「炎は大丈夫かな……」

 

 炎の様子を確認したい気持ちが強かったが、眠気に急速に襲われてしまい、直樹はまた眠ってしまった。

 

 


 再び目を覚ますと、真っ暗だった。部屋に設置された時計を見ると、夜中の十二時を過ぎている。

 変な時間に眠ってしまった為、目を覚ましてしまったらしい。やれやれ、と直樹は嘆息すると、女のすすり泣く声がどこかから聞こえた。


(な……? まさか、幽霊だとか言うなよ……)

 

 ブルッと身を震わせる直樹。昔から怖い話は苦手だ。

 しかし――怖いのが嫌いなくせに、原因が何なのか確かめたい衝動に駆られてしまう。


(く、くそ……。大丈夫だ。俺には炎の異能があるし、心は再生能力をくれた)

 

 行ける……行けるぞ、と念入りに気合を入れ、勇気を振り絞って病室を出る。

 指先に火を……と思ったが、病院内は火気厳禁だったか、と止めた。


(何も出るなよ……出てくなよ……?)

 

 フリじゃないぞ! と心の中で言いながら、直樹はゆっくりと進んだ。夜の病院は雰囲気があり過ぎて、肝が冷える。

 女の声が聞こえる部屋に辿り着いて、直樹は既視感を感じた。というより。


「炎の部屋じゃないか……」

 

 小声で呟いた直樹は、ゆっくりと取っ手を掴み、横へ引いた。

 誰かが入ってきた為、泣き止まる炎と目が合う。


「直樹……君……?」

「炎……ごめん。でも、泣いている声が聞こえたから気になっちゃって……」

 

 そのまま近づいていいものか迷ったが、炎は何も言わなかった為、直樹は横の椅子に座った。

 そして、突然抱き着かれて、声を上げそうになる。


「ほ……炎……!」

「直樹君……達也さんが……達也さんがぁ……」

 

 取り乱した直樹だったが、炎の声を聞き、そのまま身体を預けた。

 こういう時、どうすれば良かったんだっけか、と直樹は記憶を探り、心にしたのと同じように炎の背中を擦る。


「達也さんは死んじゃったけど、きっと見守っててくれる。それに、今度は俺も戦える。心もいる。だから今、炎は思いっきり泣いていいぞ。これから……大変だからな」

 

 炎が泣き止み、寝静まるまで、直樹は彼女の背中を擦り続けた。




「炎! 大変! 直樹がいない!」

 

 豪快に引かれた引き戸と共に、心の切羽詰まった声が響く。最近、安眠を妨害されることが多い気がするな、と寝ぼけながら思った。

 今、感触の良い抱き枕を使って、心地よく眠っていると言うのに。前も似たようなことがあった気がするが、気のせいだよな。


「心ー。私には毛布のボリュームがおかしいように見える」

 

 彩香の声が聞こえる。その言葉を聞き、心が息を呑んだ。


「ま、まさか……」

「そのまさかに私はビタミンエースを賭ける」

 

 愛飲するジュースの名を呟く彩香。瞬間、思いっきり毛布が引きはがされた。


「なっ……!」

「ふー。二回目じゃ新鮮味も失せるわー」

 

 眩しい朝日を浴びせられて、直樹は目を細める。

 そして、横を向いて、驚きの声を上げた。


「う、うわあ! 炎!」

 

 炎が横で寝ている。正確には、直樹に抱き着いていた。


「な、何と、直樹が抱き枕だと思っていたのは、草壁炎だったのだー」

 

 棒読みで彩香が言う。しかし、炎は目を覚ます気配すら見せず、直樹に密着してきた。


「……っ! ……っ!!」

 

 普段冷静な心が慌てだす。普段のくせで、袖に仕込んである小型ピストルを取り出し、直樹に向ける。


「わああ! 待て待て! それ拳銃だから!」

「知っ、知ってる!」

 

 心の返答はおかしかった。彩香がその様子を見て、ハァと嘆息する。


「この慌てっぷり、やはり心は……。ねーわ。何でこんな男に……」

 

 ギャーギャー騒いでいたおかげなのか、ふぇ……と炎が目を覚ました。

 炎は、寝ぼけた眼で、彩香を見て、彩香ちゃん、おはよう……と挨拶する。

「お、おはよう……」


 彩香はとりあえず返事をした。炎は次に心に目を移す。


「心ちゃんも……」

「……おはよう?」

 

 なぜか疑問系な心。そして、炎は自分がしがみついている直樹に顔を向けた。


「直樹君も……直樹君も!?」

 

 やっと覚醒した炎はわああー! と叫んで立ち上がる。


「何で……!? 何で直樹君が……!?」

「いや……何というか……その……」

 

 直樹の背中にだらだらと冷たい汗が流れた。どう説明すればいい? 夜中に忍び込みました、と言うか?

 だが、完全に不審者、最悪性犯罪者に捉えられかねず、直樹は口どもる。


「そうだ……だんだん思い出してきた……夜、直樹君が部屋に来て……!」

「まさか……夜這いをしかけに? この男とんだ変態ですなぁ」

「よ……夜這い……犯罪……暗殺……」

 

 不穏な単語が心から漏れる。


「そ、そんな! 直樹君は何もしてないよね!?」

 

 信じてるから! と炎は直樹の腕を握る。混乱していた直樹は夜あった出来事を告げた。


「ああ! 炎と抱き合っただけだぜ!」

「ふぁあ!?」

 

 炎がボン! と赤く染まる。心もなっ!? と反応し、左袖に仕込んであるナイフを取り出した。


「だああ! ナイフ向けるのはやめて!」

「そうだよー心。あんただって似たようなことをしているだしさー」

「に、似たようなこと……?」

 

 心が震える声で訊く。そうそう、と彩香は詳細に話始めた。


「心が高木に退行させられた時、そこの変態といっしょに寝たんだから」

「……っ!!」

 

 心はピストルとナイフを落とし、後ずさる。そして、懐に隠していた黄金を抜き取った。

 ジャキン! と直樹の頭へとユートピアを突きつける。


「……待て……落ち着こう……? な?」

「……責任は取ってもらう……」

「責任て。別に深い意味はないんだけどなー」

 

 彩香が楽しそうに呟く。チクショウ、楽しそうだな……俺もそっちに回りてえと直樹は思った。


「責任……う、うわあ……ああ……」

 

 ジューという音と共に香ばしい臭いが部屋の中を充満する。直樹が気づいた時にはもう手遅れだった。


「待て……炎! 病室は……火気厳禁!!」

 

 警報音と共に、スクリンプラーが作動した。


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