帰宅シテ
光に包まれ出た場所は、入った時と同じく森の中だった。
入る前と何ら変わらない市民公園。だが、直樹は確かな変化を感じていた。
違和感を感じる者はほんの少数かも知れないが、確実に世界は変わっている。
直樹は誰もいない森を見渡した後、改変の証人に声を掛けた。
自然と笑みを浮かべながら。
「おかえり、心」
「ただいま、直樹」
直樹の隣に立つ心も、笑っている。これ以上にないとびきりの笑顔で。
その幸せそうな表情に吸い込まれそうになりつつも、直樹は何とか自制し心に提案した。
まだ終わっていないからだ。
「家に帰るまでが家出だよな。世界に戻ってきただけじゃダメだ。炎のとこに帰ろう」
「そうね……うん」
心は直樹に頷くと、率先して先に進み始めた。握られていた手が離れる。
その手に直樹は目を落とした後、心の後を追いかけた。
(決めなければダメ……だよな。くそ、こんな想いをする日が自分に訪れるとは――)
はたから見れば羨ましいのかもしれないが、当事者になると笑えない。
笑いごとでは済まされない。
決断をしなければならない。
だが、もし仮に……第三の選択肢が存在するのなら、自分は迷わず飛びついてしまいそうな気がする。
そんな風に揺れる自分に喝を入れながら直樹が森の外に出ると、心が丁度誰かに走って行くところだった。
三人家族。父親と母親、幼い男の子がそこに立っている。その内の一人に直樹は見覚えがあった。
狭間信。つまり、そこにいるのは心の家族だ。
「お父さん! お母さん! 勇気!」
幼い子どものように、無邪気に抱擁を交わす心。
死に別れた家族が再会し、元の平穏に戻った瞬間だった。
そこに理想郷は必要ない。銃器の類も、刀剣類も、爆発物も。
暗殺者としての技能も、もはや不要なものだ。
必要なのは愛と、人を信じる心。そして、優しさだ。
涙を流しながら喜ぶ彼女はとても嬉しそうで。とても綺麗で。
直樹はまた惹き込まれそうになってしまうのだった。
「……頑張った甲斐があった」
「そうね、兄」
「成美?」
頭の中ではなく耳に直接聞こえてくる声。
不思議がった直樹が振り返ると、後ろに成美が立っていた。
救われて、裏切った男の家族。自分が壊してしまったモノが蘇ったのを確認し、成美は安堵する。
だがどこか、その顔には寂しさが見え隠れしていた。少し羨ましそうに心達を見つめる成美を直樹は抱き寄せる。
「っ!? 何!?」
「お前には俺達がいるだろ。それに、ちゃんと元の親を探さなきゃな」
「……何よ、突然。シスコンにでもなった?」
「妹を案じることがシスターコンプレックスだっていうなら、俺は間違いなくシスコンかもな」
冗談を飛ばしながら直樹が不敵に笑うと、成美はそっぽを向きながら気持ち悪いと悪態をついた。
だが、その顔からは寂しさは吹き飛んでいる。成美が憂うべき事柄は、自分の本当の親だけとなった。
否、それだけではない。成美にはまだ心配すべきことが残っている。
「兄、炎ちゃんはどうするの?」
「……どうも、こうもなぁ」
曖昧に答える直樹。情けないことにまだ答えは定まっていない。
ふらふらと行き来しているのだ。心と炎の狭間を直樹は揺れ動いている。
そんな優柔不断な兄に、さっきへの仕返しとばかりに成美は囁いた。
「もし炎ちゃんを選ばなかったら、ブチ切れてラスボス化するかも」
「え? いやそれはないだろう。……ないよな?」
もしかするともしかするかもしれないと直樹は青くなってしまう。恋愛が絡むとひとは化け物にすら成り果てるのだ。
炎の性格上大丈夫、と自信持って言いたいところだが、彼女はキレると怖い。
一度だけブチ切れた炎を見たことがあったが、その時は冗談抜きに直樹は死を覚悟した。
きりきりと胃が痛み始めた直樹に、成美はクスリと笑いながら追い打ちをかける。
「心だってどうなるかわからないでしょ? 選ばなかったら」
「そ、それは……いやぁ、あんな笑顔の奴が」
と言いながらも、直樹は心が世界ノ狭間で言った言葉を思い出していた。
――次妙なことを考えたら世界の理をその身に刻むから。
もちろん、心とて世界への影響を鑑み、不必要な干渉を行いはしないだろう。
だが直樹個人のみ対象であればどうだ?
創造者狭間心の全力を味わうかもしれないと直樹の背中を冷や汗が伝う。
普段怒る奴よりも、たまにキレる奴の方が恐いのだ。これならばまだ短気でいてくれた方が良い。
なぜ自分の周りは強い女ばかりなのだろうと直樹は青くなりながら思いつつ、大きなため息をついた。
「でも、しょうがないだろう。今更」
「ええ、しょうがないわね、今更。全てはあなたが選んだ道」
「ああ。俺がそうしたくて、そうした。誰の意志でもない。俺の意志で」
後は決断を下すだけ。
今までの戦いの中で一番規模が小さい戦いだ。
直樹の心の中でのみ行われる小さな戦。
だが、生半可なものではなかった。今までで一番の強敵と対峙していると言っても過言ではない。
(一番の難敵は他ならぬ自分自身……か)
だがしょうがないよな、と直樹はもう一度息を吐いて心に呼び掛けた。
「心! そろそろ行こう!」
「ええ!」
弾けんばかりの笑顔で答える心につられ、直樹も笑みも漏らす。
この場にいる全員が笑っていた。
世界の創生、理想郷の構築。それが本当に正しいことなのか直樹は確証を持たない。
だが、確信していた。間違いなくこれでいい。これが自分達が選び取った理想郷だと胸を張って言える。
もし、それを否定する人間が現われたなら、その者は直樹の敵である。
そんな相手が現れたなら全力を持って戦おう。
そして、全力でわかり合おう。
直樹は覚悟と決意を胸に秘め、心達と共に家へと歩き出した。
我が家にやっと帰ってきたというのに、直樹は玄関で硬直していた。
なぜかというと、炎に会って何と言おうと悩んでしまったためだ。
どう控えめに見てもやはり直樹は恋人とデートの最中に別の女の元へとはせ参じたクソ野郎であり、謝罪をする必要がある。
だが、直樹を送り出した炎の意志を無碍にするわけでにも行かない。ただ謝っても一層悲しくなるような気がしていた。
参った……と直樹が腕を組みながら唸っていると彼の身体を唐突に心が押す。
「退いて。私が代わりに言う」
直樹を押しのけて心がドアを開ける。そして、大声で叫んだ。
「ただいま!」
すると、どたどたと誰かが廊下を駆ける音が響いた。
そして、すぐに人影が玄関へと現れる。
「心……ちゃん!」
現れたのは他ならぬ炎だった。直樹が散々悩んでいた相手。
彼女は信じられないと言った表情で一瞬呆けたが、すぐに状況を理解し、
「心ちゃん!!」
ともう一度心の名を呼んで、彼女へと思いっきり抱き着いた。
「うっ!? 炎!?」
「……ひどいよ! 一人だけ勝手に家出して、記憶まで消してるなんて!」
「そ、それは……ごめん」
直樹と後ろに立つ成美の前で、心と炎は再会を果たした。
最初こそ敵対していた間柄。だが、二人は紛れもない親友である。
そんな二人が再び出会ったのだ。感動の再会以外の何物でもなかった。
「杞憂だったな」
「当然でしょ。炎ちゃんだって心に会いたかったんだから」
成美の言ってることはもっともだ。自身の不要な気遣いのせいで心と炎の再開が遅れたことを申し訳なくすら感じる。
直樹は勢い余って玄関に倒れ込んでしまった心と炎を見下ろし、苦笑した。
「話すならちゃんと話せ。そんなとこでしゃべるなよ」
「……そう、ね」
「うん、そうだね」
あははと泣き笑いをしながら、炎が起き上がり、心の手を取る。
炎の手を力強く握り立ち上がった心は改めて口を開いた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
何気ない挨拶。だが、世界の狭間でずっと焦がれていた心にとっても、忘れていた親友の存在を感知し再会を心にとっても、それはかけがいのない会話だった。
時間という概念が曖昧な場所で心はどれくらい時を過ごしてきたのか直樹にはわからない。
ずっと苦しみ焦がれてきた。その切望が今果たされ、心の顔は喜びに満ち溢れている。
炎もまた同じように弾けんばかりの笑顔を見せていた。
二人の笑顔を見比べて直樹は想う。
助けられてよかった、と。
(今まで色々なことがあった。ひどいこともいいことも。でも、全部ひっくるめて良かったと思える。終わりよければ全て良し……だな)
前世をなかったことには出来る。思い出を忘却し記憶の棚の中に封印し、そこから目を反らせばいい。
だが直樹はそれを拒否した。その引き出しには大切な宝物が詰まっているから。そう信じて引き出しを開けた。
結果として心を元の居場所へ帰すことが出来た。もうそれだけで今までの全てを水に流せる。
人生でこれ以上の喜びはないだろう。今の直樹にはそう断言することも可能だった。
「早く入っておいで! みんな待ってるから!」
「みんな……って……」
心が期待と不安がない交ぜになった視線を炎に向ける。
直樹も気にはなっていた。どうもリビングの方が騒がしい。明らかに家族以外の人間が十人ほど集っている。
「いこ! ほら、直樹君と成美ちゃんも!」
「……っと、炎!」
強引に心の手を引く炎。っとと、とよろめいた心は体勢を立て直し今度は直樹に手を伸ばしてきた。
三人手を繋いでリビングへ入るという奇行に興じる理由は直樹にはない。
だが、逆に言えばしない理由もなかった。
「ほら、お前も」
「……意味わかんない」
心の手を握った直樹は、後ろの成美の手を掴んだ。
訳わからんといった顔をしていた成美だが、まんざらでもなかったようで四人で仲良く手を繋いでリビングへと入室する。
炎がドアがぶっ壊れるんじゃないかと直樹が不安になるほどの勢いでドアを開けると、
「おかえり~~!」
唐突に複数名に出迎えられた。
「……みんな!」
心が驚いた眼差しを皆に向ける。
意外なのは直樹も同じだった。心の存在を知覚しているのは直樹と炎、成美ぐらいでみんなはまだ思い出していないと思っていたからだ。
「ま、見ず知らずの人間ならともかく、いっしょに戦った人間ならそう簡単に忘れないわよ。それに、人を舐めちゃダメ。人の想いの力は異能よりも勝るから」
成美の補足を聞き、直樹はそりゃそうだよなと呟いた。
狭間家だって心をすんなり受け入れてたのだ。他のみんなだってすぐに思い出すに決まっている。
「姉さん、お帰り」
「ええ、メンタル。ただいま」
直樹はひとり納得していると、メンタルと心が抱擁を交わしていた。クローンとオリジナルによる姉妹という特殊な関係性だが、彼女もしっかりと自身の姉について想起していたようだ。
「ごめんなさい。勝手に……」
「それはお互い様。ワタシだってそう。だから今日は謝るのではなく喜んで。再び会えた喜びを噛み締めて」
「うん……ありがとう」
本来だったならば長話に興じたいはずだが、メンタルは短いやりとりで良しとした。
みんなだって話したいだろうという気遣いと、世界が創り変えられ正式な姉妹となった余裕の表れだった。
次に声を上げたのは水橋だ。
「うむ。よく帰ってきた」
「ほぼ忘れてたくせにえらそうねー」
横から入る矢那の無粋な突っ込みを聞き流しつつ、水橋は直樹と心を労った。
「忘れていたことをすまないと思っている」
「私がそうなるようにプログラムを組んだだけ。だから、あなたは気にしなくていい」
「そう言ってくれると助かる」
と言って引き下がる水橋に直樹は声を掛ける。結奈のことを伝えるためだ。
「あの……水橋さん」
「皆まで言うな。わかってる。アイツのことだろう?」
思い出を懐かしむような顔を水橋は浮かべた。その顔を間近で見て、もう語ることはない、と直樹は下がる。
覚えている。水橋も。天塚結奈のことを。
いや、水橋だからこそ覚えていられるのだ。かつての自分の親友について。
「じゃあ、なぜか家にメンタルと同タイプのクローンが十人くらいいるのもあなたの仕業かしら」
「ええ、その方がいいと思ったから」
「……ふん。ま、悪くはないけど」
素っ気ない口調とは裏腹に小さく笑みをこぼしながら矢那はソファーに座った。
彼女がソファーに座ったと同時に、隣でくつろいでいたフランとテーブルを挟んで対面側に座っていたノーシャが立ち上がる。
二人は心に歩み寄って矢那と同じように疑問をぶつけた。
「じゃ、なぜか私と」
「あたしが日本に来たのにも理由が?」
問いに対し心は首肯し説明を始める。
「そう。あなた達も仲間だったし、アミカブルの方だと窮屈そうに思えたから」
「へぇ……。確かに国ではお父様がうるさかったから助かったわ」
と喜んだフランはそういえばと何かを思い出し、心に小さな声で耳打ちした。
「ね……じゃあ、お父様が直樹と婚約がどうとか言っていたのは」
「知らない。感知してない。あなたとお父様の錯覚」
「え? でも……」
「そういうこと。気のせいだからあなたは大丈夫。それに突然婚約とか言われても困るでしょ」
「ええ……まぁ」
何度も勘違いと念を押されたフランはしぶしぶ納得した。
実際に彼女は恋愛をすっ飛ばしていきなり婚約がどうとか言い出した父親に困り果てていたし、直樹は炎がずっと想いを寄せていたので勘違いでも別に構わなかったのだが。
(直樹は良い奴だけど、まぁそれだけだしね)
と、冷めた風にフランが思っているとノーシャが横から、
「あたしは少し残念。直樹なら絶対にフランを守ってくれるのに」
「……聞こえてた?」
「あたしは以外と耳がいいの。さ、紅茶でも飲みましょう」
二人は台所へと紅茶を準備しに行き、私も手伝いますと成美もその後ろを追いかけていく。
直樹が何話してたんだと首を傾げていると、心は矢継ぎ早に別の仲間から声を掛けられていた。
「しかし、興味深いですね。世界を想うままに創り変えられるとは」
そんな風に興味津々で口を開いたのはノエルだ。不思議そうに心全体を見回しながら彼女は続けた。
「見た目に変化はナシ、と。一見しただけではそれほどの異能を秘めてるとは思えませんね」
「ええ。創生はとても曖昧なものだから」
「なるほど。故にあなたも気づけなかったという訳ですか」
「その点に関しては悪いと思っている。私がもっと早く気付ければあなた達全員死なずに済んだ」
心が申し訳なさそうに言う。すると、ノエルは一歩ぐいっと心へと詰め寄って、
「その異能、野望のために使って見ても構いませんか?」
「野望?」
心が警戒心を強め、鋭い視線をノエルに送る。ノエルもノエルで何か含みのある視線を返していた。
フフ、と怪しげな笑い声を上げたノエルはポケットからある物品を取り出す。
携帯だ。画面に表示されている画像を見て心は拍子抜けしたように緊張を解いた。
「世界名産リスト……」
「はい。――食事を摂ることは素晴らしいこと。しかし、ひとりの人間が世界中のうまいものを食べきるのは物理的に難しい。しかし、ココロの異能があれば――」
「出来ないことはないだろうけど、もう少し考えさせて。予期せぬ不具合が起きるかもしれないし」
「それはもちろん。夢を見れるだけでも幸せです。夢を見ないよりは見た方がはるかに素晴らしいのですから」
ノエルはパァッと顔を輝かせ、意味深な言葉を残して台所の方へと歩んでいく。ノエルが冷蔵庫に近づくこと=我が家の食卓が全滅することと同義なのだが、今日だけは大目に見てやろうと直樹は止めなかった。
どうせ出払っている両親が何か買い物してくるはずだし、まずかったら成美が止めるだろう。
「じゃあ……私の夢も叶えてく」
「却下。残念だけど、あなたの夢が叶うことは金輪際ありえない」
「そんな! まだ内容も口にしてないのにひどいです!」
ノエルに便乗する形で己の欲望を吐き出そうとした小羽田を心はあしらう。
ノエルの夢が食欲ならば、小羽田の願いは性欲だ。世界に対する影響はもとより、心は女としてそのような邪悪な願いを聞き届ける訳にはいかなかった。
「あなたの言わんとしていることはわかっている。どうせ女同士で子どもが創れるようにしてとかそんなところでしょう?」
「う……それは」
「図星だったのかよ」
心の推測が的中して、返答に詰まる小羽田に対し直樹が呆れ果てた。性別と言う概念をぶち壊そうと画策するほど自身の欲に忠実な人間も珍しい。
などと直樹が苦笑していると心と小羽田、そして脇に立っている炎が一斉にリビングのソファーの端へと視線を集中させた。
不思議がったのだ。こういう時に文句を言う人間が何も言わなかったことに対して。
だが、小羽田への突っ込み役は耳にイヤホンをして聞こえないふりをしていた。ふり、というのもイヤホンは端子が何の機器にも刺さっておらず、何の曲も聞いていないのが丸わかりだったからだ。
どうにも本人は気づいてないようだったが。
「彩香ちゃん、どうしちゃったんだろ」
「今は放っておいた方がいいんじゃないか?」
気になった炎が彩香へと声を掛けようとしたところを直樹が制す。恐らくは何かしら思うところがあるのだろうという配慮からだった。
それは心も小羽田も同じだったようで、気にした様子ではあったが特に何かを言うということはなかった。
彩香以外の全員と一通り会話を交わし、一度椅子に座ろうと直樹達が動こうとしたところで、
「直ちゃん……」
「ああ、うん。忘れてはいないぞ。ホント」
久瑠実が悲しそうな顔で、寂しそうな声を上げる。
透明化。世界最強のステルス異能は、世界の創造者にまでも通じているようだ。
戦闘時ならばともかく日常生活の中ではすっかり風景に紛れ込んでしまう少女。それが久瑠実だった。
「私も忘れてない」「もちろん私もだよ! 久瑠実ちゃん!」
嘘に慣れている心はともかく炎に関しては目が明後日の方向へと向いていて、嘘だということはバレバレだった。
もういいよ慣れてるから、とどこか達観した様子で久瑠実は言い、
「とりあえず、おかえり。心ちゃん、直ちゃん」
「ただいま。ありがとう久瑠実」「ああ、ただいま」
心と直樹はあたりさわりない返事をする。すると、意外にも久瑠実が核心的な疑問を投げてきて直樹達は面喰らった。
「いきなりこんなこと聞くのあれなんだけど、世界ってどれくらい変わってるの?」
「……結構変わってるわ。まず、第三次世界大戦が起きていないこと。それから……」
今世における世界の創造時の変更点。
一、死人の復活。異能が発生してから三十年の間に起きた理不尽な戦闘及び暴力で死んでしまった人間を蘇らせる。
そこには事故死や病死等は含まれない。異能に関連した人間のみが対象となる。
二、社会システムの変更。端的に言えば、異能を受容する社会形態となった。
異能者、というだけで弾圧されることはなくなり、無能派異能派中立派などという派閥は消え去った。
三、一部人間構成を改変。常識的に考えればおかしいと感じてしまうような人間が一つ屋根の下に暮らすということを許可。
そのため、矢那の家にはかつてのメンタルズが住んでいるし、狭間家にはメンタルが養子として引き取られ、成美が神崎家の人間となっている。
「ざっといえばこんなところかしら」
「へぇ……意外と多いんだね」
他人事のように久瑠実が呟く。実際にはこの世界に生きる以上他人事のはずはないのだが、やはりどうしても実際の出来事として実感するには難し過ぎる事柄だった。
「それだけじゃないでしょ」
急に指摘の声が響いて、心が眉を顰める。
声のした方を皆が向くとそこには聞こえないふりをしていた彩香がソファーから立ち上がり、こちらへと向かってくるところだった。
「彩香……」
「もう一つ。狭間心に関しての記憶を消去した。……おかげで私は今日の今日まであなたのことを忘れていたわよ」
実際にはそれだけではない。彩香は仲間の中で一番最後まで心のことを思い出せなかった。
そのことを恥ずかしく情けなく思っていた彩香が不満を口走る。
「勝手に救って、勝手に家出して、勝手に忘れさせて……。あなたの身勝手にはもううんざり」
「彩香ちゃんそれはあんまりじゃ」
久瑠実が心を庇おうとしたが直樹が止めた。今は二人で話すのがベストだと思ったからだ。
直樹が下がったと同様に炎も一歩引く。
心と彩香、かつての相棒同士が想いをこめて話し始めた。
「……それを言うなら、あなただって勝手についてきたし、勝手にサポートして勝手に家に住み込んだわね」
「ふん! それは」
「言わなくてもわかってる。私を相棒だと認めていてくれたから」
怒っているようでいて、相手のことを当人よりも大事に思っている。そんな優しい怒り。
口調こそ冷たかったが、ことばの端々から思いやりがにじみ出ていた。
「そりゃそうよ! あなたは命の恩人で、当時不可能だと思われていた無能者と異能者のわかり合いなんかを志してて危なっかしくて眩しくて、どうしても手伝わなきゃいられなくて……っ!?」
突然彩香が驚いた。心にいきなり抱擁されたからだ。
怒りと悲しみが混ざり合う複雑な表情だった彩香の顔は一気に涙でくしゃくしゃに変化する。
堪えていたモノが一気に込み上げて、彩香は心の中で咽び泣く。
その背中を優しくなでながら、心は宥めるように言って聞かせた。
「私にとって、彩香は大切なパートナー。だから、他の人よりも濃密に厳重に鍵をかけたの。思い出させたら絶対悲しくなるって思っていたから」
「……思い……出せないのも……悲しいよ!」
「ごめん。そしてありがとう。私のことをこれだけ想ってくれて」
前衛と後衛、かつての異能殺しの悪名を馳せた二人組は再会の喜びを噛み締めつつ抱擁を終え、彩香は涙は恥ずかしそうな笑い声を漏らした。
「年甲斐もなく泣いてしまった……」
「ばっちり撮影しましたから大丈夫です」
小羽田の声で彩香がなっ、と狼狽する。直樹も炎も、抱き合っていた心と彩香も知る由もなかったが、小羽田は一部始終を携帯の動画撮影モードにバッチリと収めていた。彩香の泣き顔も泣き声も無事録画済みである。
待て、消せ! と彩香と小羽田による追いかけっこが始まりドタドタと二階へと二人は上がって行った。
「俺んちは公園じゃないんだが……」
「まぁ今日ぐらいはいいでしょ」
炎に諭され何か違くないと腑に落ちないまま直樹はとりあえず座ることにした。
今までずっと心が会話していたため座るに座れなかったのだ。
丁度彼らが腰を落としたタイミングでフラン達が紅茶を淹れてきたため、それを手に取り、直樹と心は帰還してやっと休息を取ることが出来た。
「ふぅ。王女様が淹れる紅茶を飲むって何かとんでもないことをしている気がするな」
「それを言うなら心ちゃんは神様みたいなものだよ」
炎に言われそりゃそうだ、と直樹は返す。この家にいる人間のカオス具合は相当なものだと直樹は考えている。
だが彼らは直樹に引きつけられてここに来たのだ。実行したのは心だが、この世界……暗殺少女の理想郷を勝ち取れたのは直樹のおかげと言っても過言ではない。
しかし、他者に称賛されようとも直樹は否定するだろう。謙遜でも何でもない。彼は本気でみんなのおかげだと信じていた。
「これで終わったか。全部」
直樹が紅茶を仰ぎ、深い息を吐いた。
もう何の憂いもない。心を救い元に戻した。
いや、正確にはまだ結奈のことが残っているが、直樹はどうにかして彼女も救い出すつもりである。
だが、ひとまず。
直樹の戦いは終わりを告げた。世界は人の想いのままに回っていく。
これからはそれをサポートしていく。神崎直樹という一人の人間として。
しかし、安堵する直樹に首を横に振ったのは、助けたはずの心だった。
まだ、終わっていない。戦いは終わりを告げたが、直樹には決めなければならない選択が残っている。
「戦いは終わったよ。でも」
「まだ私と炎どちらを選ぶか聞いていない」
(せめて後にして欲しかったが……)
ある種当然とも言える導きに直樹は苦笑する。
家に来る前に考えていたように、心と炎どちらかを選ばなければならないというのは自明だ。
だが、散々悩んでいるのに、答えがまとまらない。まだ直樹の心は迷っていた。
故に、直樹はこう言うしかない。
「……一日、待ってくれないか」
「へタレ」
直樹の苦渋の決断に水を差す声。
ボロボロになった彩香と小羽田が階段を降りてきていた。
彩香にへタレと言われた直樹は反論出来ない。嘆息しながら心と炎の顔色を窺う。
「……どうする?」
「私は……うん。私も一日欲しいかな。気持ちの整理もつけたいし」
炎が直樹の提案に同意し、心もじゃあそれでと頷いた。
「姉さん。今は直樹のことは後回しにして」
「ゲームでもしましょ。はい」
独断で直樹のゲーム機を持ってきていた矢那がゲームをソフトを入れ、コントローラーパッドを心に放り投げる。
何してるんです、と直樹が声を荒げたがみんなめいめいに自分のしたいことを始めてしまう。
ノエルはお菓子をバカ食いし、小羽田と彩香は趣味丸出しの本を久瑠実に押し付け合っている。
矢那は水橋、メンタル、心を誘い四人で対戦プレイが出来るFPSを始めた。メンタルズにぼろ負けし雪辱を果たしたいらしい。
フランとノーシャは成美と炎を交え、アミカブルと日本の風習を比べて談笑している。
そんな無茶苦茶な仲間達を見て直樹は苦笑いし心と炎を交互に見つめた。
「悪くない。ただ……これは物凄く悩むな」
直樹は腕を組んで困ったような、それでいてすごく楽しそうな表情を浮かべた。