出立ノ時
「余計なことを」
いくら結奈に好き勝手させていたとはいえ、何をしてもいいという訳ではない。
流石に今のは目に余る。不干渉要因に彼女は接触してしまった。
「あなたは敵じゃない。だけどしていいことと悪いことがある……っ」
白い世界の中心にある、大きな玉座。そこから立ち上がろうとした黒い少女は目を見開き自分の胸を押さえた。
有り得ない。有り得てはならない。よもや――。
彼が来て、自分をここから連れ出してくれればと思ってしまうなど。
「く、ダメ! 来ちゃダメ――。来るな来るな来るな来るな」
想いを叫ぶ。だがココからではムコウには届かない。
「天塚結奈……」
「そう。ちなみにあなた達の年上ではあるけど、敬語使っても使わなくても構わないから。私はとうに年齢などという概念を越えた先にいるし。私は歳上であって、歳下でもある」
「よくわからないや」
炎がパンクしそうになった思考を放棄する。直樹も同じく深く考えることはやめた。
知ったからと言ってどうにかなる話ではないのだろう。それよりも先程の言葉の意味を知りたかった。
「暗殺少女を救う戦いってどういう意味なんだ? 暗殺少女が何となくそこにいる子だってことはわかるんだが」
直樹は木の下で座り込んでいる少女に目を移す。少女はボーッとした様子で木を見上げていた。
「そこまで来たなら名前を思い出して欲しいかな。知識として残っているはずだし。異能だって宿っているし」
「そこもイマイチ。異能が宿ってるってどういうことだ? 俺の中には炎、水、雷、風、透視、念思、透明化、変化、精神干渉しかないぞ」
直樹が自身の異能に説明すると、そう? と結奈は近くの枝を拾い上げて、ヒュン、と風の切る音とともに直樹の右手を傷付けた。
「いてっ! なにすん」
「傷口をよーく見てて」
言われた通り直樹が手に目を落とすとゆっくりとだが傷口が塞がり始めた。え? と瞠目する直樹と炎に結奈が解説する。
「今の世界では大きな怪我を負ったことがなかったようね。転んだとかそのくらいで傷の治りが速いなとかそんな程度に思っていたんでしょう。でもあなたの異能はもう一つ、再生……というより創生が混ざっているわ」
「創生……?」
「そう創生。創造ともいえる。異能の基本は想像して創造すること。つまり彼女の異能は文字通り世界最強のものとなっている。まぁ後は気付けるかどうかだったんだけど、彼女は気付くのが遅すぎた。全て崩壊した後に自身の異能の本質に気付いたの」
結奈は少女に近づいて、そっと頬に手を伸ばし愛おしそうに撫でた。
「で、彼女はこの世界を自分の理想であった理想郷へと昇華させて、狭間に引きこもってしまった。まぁ理屈はわかる。下手にコチラに来て万が一が起きたら大変だからね。少しでも気を抜いたら世界が壊れてしまうかもしれないのだし」
「全然わかんない……」
炎が困ったように直樹を見つめる。しかし、見つめられても直樹だって理解が及ばない。
言葉として認識することは出来る。だが、今結奈が言ったことが真実なら世界は創り変えられたということになる。
いくら異能とはいえそのようなことが可能なのだろうか。そこまで考えて、あまり疑問に思っていない自分に直樹は気が付いた。
「考えるな、感じろか。……頭じゃさっぱり理解出来ないが、心の方は有り得るって思ってる」
現実の事象として起こるのならば、頭で仕組みの詳細を知らずともそういうものだと納得出来る。
宇宙とは何か太陽とは何だこの世界とはいったい何なのだ。そんなことを気にするのは科学者ぐらいで、大抵の人間の興味関心は今日の夕飯やら目の前の仕事やらだ。
それに結奈が言っていたように、重要なのは世界について理解することではなく少女について思い出すこと。
直樹はわからない部分は話半分に聞き続けることにした。
「続けてくれ」
「今は聞くことが最優先。いい心がけよ。さて、まず最初に言っておくと、世界は三度改変されてる。一度目は異能者こそが世界の覇権を握るべきと考えていた欲深い男。二度目は自分を救ってくれた人間を無自覚のままに守ろうと願った少女によって。三度目が……」
「そこの子……なんだよね」
炎が少女を見ながら言った。結奈はそうよと頷いてこちらに向き直り、
「炎ちゃんの親友だね」
「私の……親友」
炎はおもむろに少女へ近づき、腰を落として手を伸ばす。
だが、触れない。
「友達……なの? だから私はあなたを見ていると悲しくなるの?」
「炎に謝らなければ」
「え?」
唐突に少女が口を開いた。
葉っぱを、枝を、見上げながら。その先にある太陽に語りかけるように。
「私は炎の兄を殺した。その贖罪をしなければならない……」
「え、え?」
「どういうことだ?」
戸惑う炎の代わりに、直樹が結奈に尋ねる。結奈はそうね……と顎に手を当て考えるしぐさをした後に事実を告げた。
「前の世界で、彼女は炎ちゃんの兄を殺したわ。不可抗力だったんだけどね」
「殺した……? 草壁さんを?」
直樹は一度しか会ったことはないが、炎と同じように明るくいい人だった。そんな人間が死んだ……殺された。この少女によって。
にわかには信じられない。それは炎も同じだったようで嘘ですよね? と彼女は声を上げた。
「私は極力嘘をつかない主義。あなたと同じでね。それに言ったでしょ? 不可抗力だって。あなたのお兄さんは二度目の改変をした少女に操られていた。抵抗しようとしたみたいだけど、少女の拘束力は凄まじい。草壁一成は彼女の家族を操られるままに殺し、彼女も燃やそうとした。で、死ねないと彼女は君のお兄さんを撃ち殺した……」
「……嘘。だって兄さんは――」
と炎は携帯を取り出して草壁一成のアドレスを確認しようと画面を見下ろす。
そして、悲鳴を上げ腰をついた。
なぜならそこには……炎が大好きな兄の死体が写っていたからだ。
「炎!」
「う、嘘……嫌……お兄ちゃん……!!」
「落ち着け! 幻覚だ! 幻だぞ!」
「フラッシュバックね。前世でメンタルちゃんに見せられた兄の遺体画像を思い出した……」
結奈が冷静に分析する。何を平然と! と文句を言おうとした直樹だが、悲しそうな結奈の表情の前に押し黙った。
「ごめんなさい。私はあなたにだいぶひどいことをしてる。……聞きたくなかったら帰っていいよ」
「……大丈夫、です。聞かない方が辛いですから」
炎は何とか平静さを取り戻し気丈にも立ち上がる。いや、平気なはずはない。事実、彼女の足は小さく震えていた。
「真実は素晴らしく魅力的だけど、とても辛いもの。目を逸らさずに見続けようとする姿勢は称賛に値する」
「本音を言うと、何で炎が親友になれたか不思議なんだが。自分の兄を殺した相手と――」
「それを言うならあなたの方が人間の神秘。あなたは前世で敵として襲ってきた相手をことごとく仲間とした。例外もあったけど。あなたに宿ってる異能の内、六人は敵のものだった」
「アイツらも敵だったってことか……」
動じない自分の心を奇妙さに直樹は眉を顰める。やはり、驚かないのだ。意外にも思わない。
全て事実だと知っている。
疑問を口にはしたが、実際彼らと敵対したとしても、何とかして和解しようともがこうとする気がした。
きっと、炎も同じだろう。彼女には兄が殺されたという事実を受けてなお、相手を受け入れる度量がある。
だから逃げないのだ。足が震えようとも。
彼女が大事な存在であるとわかっているから。
「……」
間近で見れば何かわかるかもしれないと、直樹は少女に接近してみる。すると、少女と目が合った。もちろん偶然であり、少女はすぐに別の方向へ視線を移す。
「おい」
直樹は呼びかけてみた。だが、少女は何も言わず黙したままだ。
「何か答えてくれ。お前は誰で、俺のなんなんだ」
何度口に出したかわからぬ問いを繰り返す。無意味かつ一方的な問答を始めた直樹を再び結奈が諭した。
「他力本願はダメ。自分で思い出さないと他人事になっちゃう。……そんな状態で彼女は説得出来ない」
「説得? 助け出す戦いって……」
「戦いとは武器を突きつけあうものだけじゃないってこと。……炎ちゃんは何か思い出したかな?」
「…………」
炎はじっと目を瞑り、精神統一を行うように集中している。その集中力は凄まじく、肩に蝶が止まってもびくともしないほどだ。
五分ほど黙考していただろうか。うん、と炎は相槌をうって目を開けた。
「後少しで思い出せそうな気がする……けど」
「なら何で途中で止めたんだ?」
「何かが引っかかってわからない……」
炎はすごいもやもやした様子で首を振る。彼女自身もどかしいのだろう。
何かヒントを得られればと直樹は期待したのだが、やはり自分で記憶に探りいれるしかないようだ。
直樹は食い入るように、少女の全体を眺め見た。
黒ずくめの服装。よく見ると袖に不自然なふくらみがある。何か仕込んでいるようだ。
「暗殺少女、か……。暗殺者ってことだよな。しかもきっとなりたくてなったんじゃない……」
「いい線いってるよ。頑張れ」
結奈の声援を受けながら直樹は脳をフル回転させ、記憶の引き出しを出し入れする。これじゃない。これでもない。何かもっとインパクトのあるものが欲しい。
(くそ……何か特徴的なものでもないか?)
と、直樹がすがる思いで少女に目を向けたその時。
カチャ、と。
少女が黄金色の拳銃を取り出した。
「金色……黄金……理想の色――」
少女はただ、異能者と無能者が異能の有無によって争わない世界を求めていた。
何ら難しいことではない。仲良くしろと言ってるわけでも、友達になれと命じていたわけでもなかった。
ただ、傍にいる。それだけで憎悪をぶつけ合わないで欲しい。
気にすることなく、自分の生活を続けて欲しい。ただそこにいたから、それだけで傷付けたりしないで欲しい。
だが、個人では簡単なことでも集団になると難易度は跳ね上がる。
集団の中でどちらでもいいと思っている人間が大多数を占めていたとしよう。
その中に数人、違いを邪とする者達が紛れ込んでいるとする。
彼らの声は大きい。違いを気にせぬ者達は何も言わないが、違いを気にする者達の声は集団全体に響き渡る。
彼らは甘く囁くのだ。あることないこと、嘘の中に真実を織り交ぜながら言葉巧みに人々を誘導していく。
気付くと、集団は違いを否認する者達で溢れかえっていた。悪は伝染する。ひとたび触れれば、徐々に徐々に、人を侵していく。
同時に、善も感染するのだ。感染力は悪ほど強力ではないが、一度定着すれば強固なものとなって宿主から離解しえない。
「それが俺であり、炎か。俺は創られた英雄」
「自分のことを英雄なんて思っちゃう痛い兄だとは思わなかったわ」
「成美ちゃん……?」
声がして直樹が後ろを振り向くと、炎が呼んだ通り成美が立っていた。
直樹が念じて呼び寄せた訳ではない。恐らく自分の意志でここに来たのだろう。
贖罪のために。
「クイーン。久しぶりね」
「天塚結奈……私が罪を贖うべきひと。でも、私は一番迷惑をかけた人間の遺志を尊重するから、あなたは後回し」
「私は償いなんて求めてないよ。でも、後ろめたい気持ちがあるなら遠慮してほしいな」
既知ならではのやり取りを行い、成美と結奈が睨みあう。結奈は、成美の操作した対異能部隊によって銃殺されたのだ。
加害者と被害者が対峙している。だが、どちらとも譲るつもりはない。双方とも同じ人間のためにこの場へ訪れた。
今更、躊躇う理由など存在しない。
「兄は炎ちゃんとデートしてるはず。なのに、なぜ、その子といっしょにいるの?」
「まだデートしてるよ。たまたまここがデートコースだっただけで」
「どの口が言う……! 兄! 炎ちゃんの気持ちも考えて! とんでもないクズ行為をしてること、自覚してる? あなたは恋人とデートの最中に別の女に手を出そうとしてるのよ!?」
「それは……」
直樹は否定出来なかった。成美の言う通り、自分は最低最悪なことをしている。炎は直樹とのデートをあれだけ楽しみにしてくれていた。本心では直樹が暗殺少女を認知出来るか確かめるつもりだったとはいえ、あの笑顔やセリフが嘘偽りだったとは思えない。
ずっと自分に焦がれていた人の想いを踏みにじって、自分は暗殺少女が何者か思い出そうとしている。
果たしてそれが本当に正しいことなのか――。妹の諫言で直樹の心はひどく揺さぶられた。感情の荒波に呑まれようとしている。
だが、その揺れを止めたのは、他ならぬ炎の手だった。
「直樹君は集中して。彼女が誰か思い出して」
炎は直樹の肩を叩いて成美へと歩み出す。
「成美ちゃん。直樹君を責めないで。これは私が望んだことなの。直樹君のせいじゃないんだよ」
「炎……ちゃん……?」
目に見えてわかりやすく成美が動揺する。結奈に出た威勢はどこへやら、炎の前に意気消沈していた。
炎の兄の死の原因を作ったのは成美だ。だからこそ過去を清算するために、直樹との恋愛をサポートした。暗殺少女に報いれて、炎にも罪滅ぼしが出来る。そのために、積極的に動いた。
だというのに、これはどうか。炎は誰でもない自分自身の信念で成美の前に立ち塞がっている。
「ダメだよ炎ちゃん。炎は……直樹と幸せにならなきゃ。それが世界の決まりなの。暗殺少女の理想郷なの」
「……私はさ、直樹君のこと、大好きだよ。世界中で一番だって胸を張れる。でもさ、世界に全員いないんじゃ、宣言出来ないよ。みんながこの世界にいて初めて、私は世界で一番直樹君が好きな人間になれるんだよ」
「一番だよ……炎ちゃんは……こんなにも兄のことを想ってる。なのに何で……」
震える声で尋ねる成美に、炎はそれはね、と微笑して、
「そこにいる子も大好きなんだって、私の心が訴えるの。とってもとっても大事な人だから、何としても助け出しなさいって。彼女がいて初めて、私にとっての理想郷が完成する。草壁炎の理想郷がね」
「ほむ……ら。でもそれはきっと――っ」
「大丈夫。私は大丈夫だよ。だから変に気に病む必要はないんだよ。もう世界は変わったの。過去の罪は全て消えたの。だからさ、もう無理しなくていいんだよ、成美ちゃん。私のこと、義姉って呼んでくれたよね。なら、胸に飛び込んでおいで。私はあなたのことをとっくに赦してる。兄さんもね」
炎は成美を抱きしめて、その背中を撫でた。泣きじゃくる妹をあやす姉のように、優しく優しく。
成美も堪え切れず小さな声で泣き始めた。成美の中に存在していたクイーンとしての罪悪感がひとつひとつ暖かな炎に照らされて融けていく。
「で、思い出せた?」
その様子を見守りながら、結奈が直樹に尋ねる。
今更聞かれるまでもないこと。直樹は暗殺少女に向けて、その名を言い放つ。
「ああ……。お前の名は……心だ」
暗殺少女改め心の残像が、小さな笑みを浮かべた。
「……じゃあ、行く?」
結奈がそう問いかけてきたのは、成美が落ち着きを取り戻し、炎が心について全てを思い出した後だった。
「行くってどこへ?」
心にゆかりのある場所ということは察せるが、具体的にどこかはわからない。訊ね返してみた直樹の耳に返ってきた答えは彼の予想を遥かに超えていた。
「世界ノ狭間。理想ト現実ノ間。どこでもあってどこでもない場所。誰も知らず、そしてみんなが知り得る場所」
「えらく抽象的な表現だな。頭がぐちゃぐちゃになりそうだ」
「兄のスカスカ頭じゃ理解不能でしょうね。それと……」
成美が炎に目を向けると、兄と同じように姉もプスプスと頭頂部から煙を立てている。二人の兄姉に嘆息しながら、成美は説明を付け加えた。
「要は何でもありの場所ってこと。自分の想い通りに色々世界をいじくり回すところ」
「……それって心が神になったみたいじゃないか」
「そうよ。まぁ、神って表現が適切かどうかは微妙なところだけど。彼女は創造主であり創造神であり創造者でもある。物語を創るクリエイターや世界を構築するプログラマーってとこね。呼び方は自由自在。決まっているものじゃないから、好きに呼ぶがいいわ」
呼称自由と聞いて、直樹はすぐに心の呼び名を改める。これほど今の心にふさわしい呼び方はないと自負していた。
「家出少女、だな」
「だね。心ちゃん今まで何回家出したんだろう」
炎と共に心の家出回数を数え始める。流石の結奈も声が出なくなったのか、ポカンと二人のやり取りを眺めていた。
頭を抱えて成美がため息を吐く。
「仮にも世界の主になんて呼び方を」
「俺にとってはただの家出人だよ。全部自分で抱え込んじゃう面倒くさいタイプだ」
「直樹君に言われたくないと思うけどなぁ」
炎に図星を指されて直樹が口どもる。今までの戦い方を鑑みれば、そうでないとは声高らかに反論出来なかった。
自傷行為に等しい突撃。バカの一つ覚えの特攻が直樹の得意技だったようだ。異能を持ちながら、原始的な拳による格闘で相手を打ち倒す。
記憶を取り戻したら取り戻したで、過去の自分に対する文句が山ほど積み重なる。
「さて気を取り直して。じゃあ、行きます?」
放心していた結奈が我に返り、直樹に再度提案する。
質疑不要だ。もちろん、と直樹は力強く首肯した。
「そう。じゃあ今ゲートを」
「待って、私も行くよ」
炎が進み出て立候補する。だが結奈は残念そうに首を横へ振った。
瞳が案に告げている。君には無理なんだよ、と。
「コチラからムコウに行けるのは直樹君、狭間心だけ。私はあらゆる異能を無効化する異能を持っているから例外ってだけで、本来なら心ちゃんと直樹君しか渡れないの」
「そんな……私だって心ちゃんを救いたいのに」
悔しそうな表情を浮かべた炎の肩に直樹は手を置いた。先程とは逆の立場。俺に任せろという意。
「俺がちゃんと連れ戻す。炎は俺の帰り道を照らす灯になっててくれ」
「直樹……君」
炎の瞳が揺らぐ。実のところ、帰還出来る保証は何一つない。それでも、直樹に不安は微塵もなかった。
何とかなる。というより何とかする。何とかできる。なぜなら俺は――。
「俺はすごい人、だろ?」
「っ!」
「うおっ!?」
直樹が素っ頓狂な悲鳴を上げる。炎が突然抱きしめてきたためだ。
炎の異能とは無関係な、彼女のぬくもりを肌で感じる。緊張と不安がない交ぜになって直樹の中に伝わってくる。
とても温かく、柔らかい。手放したくない。そんな我儘を想ってしまうほどの。
だが直樹は、優しくそのぬくもりを押しのける。このままでいたら出発出来なくなってしまう。
だから、離れるのだ。旅立つために。ここに何としても帰ってくるために。
「次は心といっしょだ。炎、成美……」
直樹は二人に別れを告げ結奈に目配せをした。
と、結奈が右手を正面に翳し、空間に穴が開く。それは白く、眩く、神々しい扉だった。
「行ってきます」
「――ぁ……直樹君!」
炎が耐えられなくなって呼び止める。
だが、直樹は申し訳なさそうな顔を炎に向けた後、そのまま扉の中へと進んで行った。
「直樹君――ホントは――行って欲しくない……!! ずっと……私の傍に――!!」
炎の悲痛な叫びはゲートの消失によって、直樹に聞こえることはなかった。
いや、直樹は理解していたのかもしれない。傍らで炎を寂しそうな表情で見守る成美にも。
「う……くっ。最低だね私。直樹君を独占しようとして……」
「炎ちゃんは最低なんかじゃない。最高の人間だよ。自分よりも他人を優先出来る、立派な人間」
「……っ……なおき……くん……うっ……うぅ」
炎は咽び泣いた。好きな人に告白した、思い出の木の下で。
慟哭する炎を心の残滓がとても悲しそうに見つめていた。
――ダメだダメだダメだそんなことは許可してないくるな来るな来るなどうなってもしらない私は全力であなたを阻止する何としてもどんな手を使っても絶対にあなたを。