主ノ赴クママ
「告白したみたいだけど」
相も変わらずじっと座ったままの黒い少女に少女が告げる。
何かしら反応があると期待したのだが、黒の少女はピクリとも動じない。表情を窺おうとしても、目深に被っている帽子が邪魔をしてどんな表情なのか見当もつかなかった。
「いいの? それで」
「……もちろん。それが最適解。それが世界のため。そして、友のためでもある」
「強がっちゃって」
「それはお互い様」
今度は少女が反論出来ず口を閉ざした。
だが、わかったことがある。お互い様と言ったということはやはり想うところがあるのだ。
心のどこかで、ココから出たいと思っている。どこでもありどこでもないこの白き場所から。
(あなたがまだ未練を感じているならチャンスはある。余計なお節介をさせてもらうよ)
少女はまた冒険に出る。自分のために。
己の信念のために。
「おめでとー!!」
部屋の中に響く、パンパンと鳴るクラッカー音。間違いなく祝福を受けているのは音と声、そしてみんなの表情で瞭然だった。
しかし、わからないことがある。なぜ……。
「なんでみんな知ってたんだ……?」
呆けた顔で直樹が皆に尋ねた。横には炎が顔を真っ赤にして俯いている。
直樹の問いに、皆は顔を見合わせた後、フッと失笑したような顔になり、
「いや……逆にねぇ」
「何でわからないのか不思議でしょうがなかった」
矢那とメンタルが呆れたような表情で言う。
「私は炎ちゃんに相談を受けてたし。たぶん直ちゃんの両親も知ってたはず……というより直ちゃんと炎ちゃんの知り合いならたぶんほとんどの人が知ってるんじゃないかな」
「……二人は羨ましいです。二人で商店街に行けばおじさんやおばさん方にサービスを受けられるのですから。私は一つしかもらえないのに」
久瑠実が解説し、ノエルが羨ましがる。この部屋にいる全員ではなく、家族や近所の人間にまで知られていたとは何たる迂闊、と直樹は何とも言えない気持ちになった。
そして親友に対する憤りも。ここにはいない直樹の幼馴染ももちろん炎の気持ちを知っていた。
「何で俺の知らないところでそんなことに……」
「逆に言えば君しか知らなかった、ということになるな。透視やら念思やら、色々持っているというのに」
「いや……流石に悪用は出来ませんし」
「その心がけやよし。悪用した瞬間その目を抉るからね」
直樹が水橋に言い訳すると、人の椅子でリラックス中の彩香がエゲツないことを平然と言い放つ。
次に口を開いたのはソファーで暗い目をしている小羽田だ。まるで親の仇かというぐらい凄みを利かせて直樹を睨み付けている。
「ああまた美少女が男の毒牙に……! 赦しません許しません絶対に!」
「あなたさっきクラッカー鳴らしておめでとって言ってなかった……?」
「まぁでも気持ちはわかるわ。もしフランが嫁に行くってなったらあたしもあんなふうになる自信があるもの」
フランの突っ込みにノーシャがにっこり笑いながら反応する。
フランがえ、と親友に引き気味になってる間にカチャ、とドアが開いた。
成美が入ってきたのだ。ここは直樹の家なので、直樹の妹である彼女が入ってきても何もおかしくはない。
とはいえ、この部屋に十二人は手狭すぎる。
「成美ちゃん」
「炎ちゃん……いや、あえて義姉と呼ばせてもらいます。お菓子を持ってきただけだからすぐ戻るよ」
「いやまだ付き合っただけだよ?」
と赤くなりながら言う炎だが満更でもない様子だった。
直樹としてはかなり恥ずかしいので、立ち上がって成美からお菓子をふんだくると早急に妹へ退室を願う。
「ほらさっさと戻れ」
「言われなくても。……兄」
「なんだっと」
成美はいきなり直樹の袖を掴んで彼を引き寄せる。なんだと訝しむ直樹の耳元で小さく警告を囁いた。
「謎は謎のまま、眠らせた方がいいこともあるよ」
「え?」
「何でもない。じゃあみなさんごゆっくり~~」
そんなことをのたまいながら、成美は一階へと降りて行く。首を傾げながらお菓子が置いてあるトレイを部屋の真ん中にあるテーブルに置いた。
「ああそうだ。私もパンケーキ焼いてきたよ」
と久瑠実もテーブルにケーキを並べた。十五個。家族の分をいれたとしてもひとつ多い。
「ひとつ多くないか? それ」
「え? あ、ホントだ……何でだろ」
作った当人である久瑠実が不思議そうに眉根を寄せる。どうやら、多めに作ったとかそういうことではなさそうだ。
まぁ別にいいだろ、と直樹が言いかけたその時。
ベットの上に誰かが座っているのが見えた。
「っ!?」
頭を刺すような痛みが駆け巡り、思わず直樹は頭に手を置く。急に苦悶の声を上げた直樹を久瑠実が心配そうに見つめた。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
「…………」
久瑠実の心配に応えていた直樹は、炎がショックを受けたような顔で見上げていたことに気づけなかった。
余ったパンケーキはノエルがおいしく食して事なきを得、直樹と炎の思い出話に花を咲かせている内に六時を回り、皆は帰宅することとなった。
全員にじゃあねと別れの挨拶をし、残ったのは直樹と炎の二人だけ。
今日は炎は家で夕食を食べる日なので飯はどうなのかとリビングへ行くと、脳内に直接声が響いてきた。
――兄と義姉へ。私達は外食をしながら買い物をするので、二人は仲良く置いてある料理を食べてください。成美より。
「くそ……そんなこと聞いてないぞ」
「うん。私も……」
何やら妙な気を使ったらしい家族に向けてはぁとため息を吐くと直樹は椅子に座った。
炎も反対側に座る。まだそんなに時間が経っていないようで熱くも冷めてもいない丁度いい温度の料理を咀嚼し始めた。
無言。黙々と料理を口に運ぶ。
仲が悪いというわけではない。ただ何を話せばいいのかよくわからないのだ。
普段通り会話をすればいいのか。それとも恋人らしい話をすればいいのか。
しかし残念極まりないことに、直樹は彼女いない歴イコール年齢である。恋人らしい話、というのがどんなものか皆目見当がつかなかった。
(ふだん活発な炎がこれだと調子狂うな)
炎は炎で気まずいのか、何か話そうと口を開こうとするのも、そのまま空いた口に料理を放り込む。
お互いそんな状況が終始続き、結局何か話すこともないまま食事が終わってしまった。
目が合い、逸らす。なぜこのような状況になってしまったのだろうと直樹は考えたが、いまいちわからない。
とにかく何か話そう。そう思い、直樹は炎に声を掛けてみた。
「なぁ」「ねぇ」
どうやら炎も同じことを思っていたらしい。
言葉が重なり、詰まる。う、と始まる前に会話が終わってしまいそうになり、直樹は慌てて、
「炎からどうぞ」「いや、直樹君から」
「レディファーストってことで」
映画などでよく聞くセリフ。とにかくそれを口走って会話が中断されることを回避する。
幸いなことに炎はそうだねと首肯してくれ、一幕おいて話し始めた。
「直樹君、さ。……デートしない?」
「…………え?」
話し続けなければいけないのに、直樹が止めてしまう。
直樹を硬直させるに足る単語が炎から放たれた。
「デートだよ、デート。付き合ってるんだからおかしくないでしょ?」
「それは、そうだけど」
晴れて恋人になったのだからおかしくはない。だが、草壁炎という人間の言動としては違和感がある。
炎ならもっと時間をかけて段階を踏む、という気がしたのだ。しかしそれは直樹の気のせいだったらしい。
もしくは浮き足立っているのかもしれない。密かに焦がれていた想い人と念願叶って恋人同士になれたのだから。
だとすればその想いを無碍にするわけにも、と直樹は了承することにした。
炎とはよく遊ぶ。今さらだろ、と自分を納得させて。
「いいよ。うん、行こう。どこか行きたい場所ある?」
彼女の希望に沿ろうという直樹の質問に対し、炎が答えた場所は意外なところだった。
「立火市。街を回ろうよ」
そう言って。
炎はにっこりと微笑んだ。
「確かめるためにはこれしか……誰かに聞く? 誰に? お医者さん? 精神干渉を持つ異能者? いやそれじゃ無理だよ。荒療治だけど方法はこれしか、ない」
ぶつぶつと呟きながら歩く赤い髪の少女。
暗闇の中に赤い火が灯っている。炎が右手から炎を放出し灯り代わりに使っているのだ。
「あなたは誰なの。敵? 味方? どちらでもない? 答えてほしい。言ってほしい。あなたは私の何――?」
独り言を漏らしながら、足を進める炎。その姿はどこか儚げだ。
切実な瞳で、うつらうつらと歩いて行く姿は病的にも見える。
その後ろ姿を見て、誰からも見られることはない少女は悲しそうに謝った。
「ごめんなさい。でもきっと、これはあなたの望みでもあると思う」
「応えて。お願い。何であなたを見ると心が疼くの……」
炎は歩く。誰にも届かない声を上げながら。
左手で、左胸を押さえながら。
デートというのは交際関係にある男と女が二人でお出かけすることである。
それくらい、直樹にもわかる。わかるのだが、具体的にどうすればいいのか見当もつかない。
デート前日、直樹は服装選びにかなり手間取った。何かオシャレな格好をしなければ、と思うのだが直樹のファッションセンスは絶望的。
うーんと唸りながら洋服ダンスの前で考え込んでいると、直樹の苦悩を異能で察知したのか、成美が適当に服を見繕ってくれた。
曰く、変に着飾るな。センスのいい格好など炎は直樹に求めていない、というのがコーディネーター成美の見解のようで最終的に無難な服装に纏まり、直樹は安心して布団に入ることが出来た。
(人生初デートか……緊張するな)
いかに馴染みの炎とはいえ――やはり彼女になる前と後では違うものだ。
ただ立火市を散歩するだけという何気ないものなのに、ドキドキが止まらない。
こりゃ眠れないか? と直樹はひとり苦笑する。まるで遠足に行く前の幼稚園児のようだ。
(参ったな。流石に明日は寝坊するわけにもいかないし)
と直樹が寝返りを打つと、
――……でもね、もうみんな、いないの。みんな……燃えちゃったの。
また頭に声が響いてきた。否、それだけではない。
「うっ!?」
見知らぬ誰かが自分に抱き着いていた。黒い服装の怪しい少女だ。
(またお前か!!)
慌てて引き剥がそうとして、部屋には自分しかいないことに気付く。
くそ、と直樹は毒づいて水でも飲もうとリビングへと階段を降りて行った。
すると十二時を過ぎているというのに灯りがついていた。誰だ? と訝しみながら直樹がドアを開けると、
「兄? なにしてるの?」
「眠れないんだよ」
言いながら、コップを掴んで蛇口から水を注ぐ。一口仰いだ後、直樹はお前は何してるんだと成美に訊ねた。
「別に何も。強いて言えば……」
ソファーに座ってテレビを見ていた成美は立ち上がり、直樹の正面に立って指をさす。
「明日デートだっていうのに妙なことを考えている兄の目を覚ますことぐらいかな」
「成美……気づいて……いや、お前に隠し事は無理か」
精神干渉系の異能者に、嘘や秘め事は難しい。どれだけ隠そうとも心の中を盗み視られてしまうからだ。
ただ今時精神干渉で悪事を働く人間はほとんどいない。対抗策は練られているし、もしそのような動きがあれば対異能部隊によって迅速な制圧が行われる。
異能者と無能者の連合部隊を舐めてはいけない。例え強大な異能者が相手でも彼らだって強力な異能者、無能者を揃えている。そんな連中に争いを挑むなど馬鹿者以外の何者でもない。
「そういうこと。もし相手から精神的異常の気がある可能性が危惧された場合、精神干渉系は独自判断で対象の心理状態を確認する権限がある。異能法に則った適切な処置で、私は兄の心を盗み見た」
「別に怒らないよ。心配してくれたんだろ」
「そ。心配してる。兄……というより炎ちゃんを」
「炎を……何で?」
なぜ成美が炎を心配するのかわからない直樹が怪訝な顔になる。
これだから兄は、と成美は嘆息しながら続けた。
「デートしてる最中によろめいたり苦悶の声を上げたりしたら炎ちゃんは不安で胸が張り裂けそうになるに決まってるでしょ」
「そりゃ確かに。でも大丈夫だよ、たぶん」
とどこか他人事のように返す直樹。すると、成美は直樹を凄まじい眼力で睨みつけてきた。
うっ、と妹に怖じる兄。それほどの迫力で成美は直樹を問い詰める。
「ホントに? ホントに大丈夫なの?」
「え? まぁたぶん……」
「たぶん? このクソ兄。これは炎ちゃんのためだけじゃない。兄と……」
「兄、と? 他に誰かいるのか?」
複数形だったため直樹が不思議がる。成美ははっとした様子で言い直した。
「兄と私のためよ。兄がきちんと炎ちゃんとお付き合いすれば将来本当に義姉になる可能性があるのだし」
「そいつは飛躍しすぎだろ。まだそこまでわからないよ」
直樹は返しながら水をもう一杯飲んだ。
「でも、わかった。炎が不安に感じることないよう楽しめるように頑張るよ」
「もちろん兄も楽しむのよ? 妙な義務感とかで付き合ってるなんて思わせないように」
「大丈夫だよ。じゃあおやすみ」
直樹は妹にそう告げると自室へと上がって行った。
ひとり、リビングに残された成美は兄が出て行ったドアを見つめて感慨深く呟く。
「私は昔、あなたと炎にひどいことした。ううん、ひどいの一言ではすまされない。例え世界がリセットされようとも私の罪は消えない。だから、私はあなたの意向に従う……。だけど、それが正しいかどうかは私にはわからない。それを判断するのは――」
成美はずっと扉を見つめていた。まるでそこに答えが隠されているかのように。
――これでいい。これでいいの。
誰も私を探すな。誰も私を見つけるな。
違和感に気付いても見てみぬ振りをしろ。気に留める必要はない。
余計なことは考えるな。今ある世界をありのまま享受しろ。
平和を受け入れろ。善意に甘えろ。それは悪ではない。
ただ生きて、死ぬ。自由を謳歌し、安定を手にせよ。
ここは理想郷。誰も異能の有無で争わず、無駄な争いが起こることのない理想の世界。
ただ、生きればいい。あなた達の思うままに。
それでいい。それが一番。誰も、悲しまないから。