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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第七章 暗殺少女の理想郷
120/129

本当ノ始マリ

「世界が動き出した」

「そのようね。……君は本当にそこにいていいのかな?」


 呟いた少女に、別の少女が訊ねる。

 黒髪の二人の少女。

 一人は髪を後ろで束ねる快活そうな女の子。

 もう一人は、黒ずくめの服装で椅子に座る冷たい印象を感じさせる少女。

 黒ずくめの少女はソコではとても良く目立つ。

 白い世界の中で、周囲に紛れられず浮いていた。


「そうしなければならない。そうしなければ、世界が壊れる」

「……私が居れば大丈夫だと思うけどなー」


 椅子に座る少女をちらりと見やり、少女は嘯く。

 だがしかし、黒ずくめの少女は反応を示さない。

 はぁ、と少女はため息を吐いて、


「二人しかいないんだからちゃんと会話してほしいんだけどな」

「……どこに行くの?」

「散歩。私の将来の夢は冒険家だったし、別におかしいことじゃないよね」

「……そうね、好きにすればいい」


 一歩一歩、歩き出す。ある想いを秘めながら。

 世界の狭間、白き場所。その主に背を向けて。



 

 騒々しい目覚ましを叩き落としてから何分すぎただろうか。

 だが、そんな男の抵抗も虚しく、声は響いてくる。

 一階から、二階から、とうとう自分の部屋の前から。


「こらー! 起きろー!」

「まだ眠いんだ……寝かしてくれよ」


 目を開けるのも億劫で、ベッドにすっぽり入ったまま“直樹”が応える。

 直樹のベッドの傍で、彼を起こそうと四苦八苦しているのは“成美”。だが妹の健闘も虚しく、兄は一向に起きる気配がない。


「遅刻しちゃうぞ! せっかくお迎えが来てるのに……」

「お迎え……何の話だよ……」


 時刻は七時を回っている。本来ならばもう起きて朝食を取っていなければならない時間なのだが、直樹は一向に目覚めようとしない。

 成美がどうしようかと考えあぐねていると、ドタドタと誰かが二階に上がってきた。


「ちょっといい? 成美ちゃん。こういう時の起こし方は」

「あーくそ。今日遅刻して行くからさ……」


 誰かが入ってきた気がしたが、とても眠くて気にはしてられなかった。

 何でもいいから寝かせてくれというのが直樹の本音だった。


「とりゃあ!」

「うぐっ!?」


 腹に誰かがダイブしてきた。これには目を開けざるを得ない。


「へへ……起きた?」

「あ……くそ……ほむらか」


 目前に広がるのは太陽のような赤さ。赤髪で、赤い瞳の、制服姿の少女が直樹の上に乗っている。

 直樹に強烈な痛みを与えたのは、他ならぬ“炎”だった。



 制服に着替え、パンを無理矢理口へと押し込んだ後、直樹は行ってきますと家を後にした。


「何でお前が起こしに来た?」


 直樹と炎、成美。三人で通学路を歩きながら仲良く登校する。

 五年前に転校してきてから、炎とは家族ぐるみの付き合いなのでそこまでおかしい話ではないのだが、それでも寝起きにボディアタックを喰らうというならば一刻も早く理由を問い正さなければならない。


「だって、そうしないと寝坊してたでしょ? 直樹君のお母さんにも成美ちゃんにも許可貰ってます」

「うんうん。やっぱ炎ちゃんのアタックが一番効果覿面だし」


 ねー、などと二人でにこにこ笑い合う炎と成美。

 いつの間にかそのような悪魔の契約を家族が結んでいたとは微塵も知らなかった直樹は戦慄した。


「おい……マジかよ。じゃあ」

「直樹君が寝坊しそうな時、つまり毎日起こしに来ます」

「いやおい……お前だって朝辛いだろ? だからさ」

「大丈夫だって! 平気だよ! 私は朝に強い女だからね!」


 訳の分からないことをドヤ顔で炎が言い放つ。締まらないことに、次の瞬間には大きな欠伸をしていた。


「炎ちゃん……」

「っ! 今の無し! ノーカンだからね!」

「そもそもカウントしてないし……おっ?」


 後ろから車が通ってきて、直樹は振り返った。道行く通行人も皆、注目している。

 住宅街の真ん中に、黒塗りのリムジンが現れたからだ。


「あー、王女様」

「ダメだよ、成美ちゃん。その呼び方嫌いなんだから」


 などと二人が言っていると、リムジンが直樹達の横に停車しスモークガラスが開いた。

 中から金髪の少女が顔を出してくる。


「フラン、おはよう」

「おはよう、ナオキ。ホムラとナルミも」


 おはよう、おはようございますと“フラン”へ挨拶する炎と成美。


「あたしもいるわよ」


 と、フランの横から言ってくる“ノーシャ”。留学に来ているフランの護衛兼世話役として彼女も来日していた。

 と言っても、実質は寂しがり屋のぼっち王女の慰め役としての意味合いが大きいようだが。


「ナオキ達が歩くなら私も歩こうかな」

「ダメよ、フラン。お邪魔しちゃ」


 直樹としては別に構わなかったのだが、なぜかノーシャの諫めを受けてフランがハッとした。


「ご、ごめん、ホムラ。姿が見えたから、つい……」

「え? べ、別に大丈夫だよ!」

「行きましょう。出してください」


 などと直樹には意味不明なやりとりをして、リムジンは発車してしまう。

 最初こそなんでだ? と首を傾げて見送った直樹だったが、すぐに失敗に気付いて声を荒げた。


「しまった! 乗せて貰えばよかったのばっ!」


 のばなどという特徴的な語尾でキャラ付けをしているわけでは断じてない。後ろから成美に蹴り飛ばされて奇声を上げたのだ。


「何すんだ!」

「バカで鈍感で寝坊助な兄にお仕置き。じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、成美ちゃん」


 痛がる直樹の隣で中学校へと向かう成美にばいばーいと手を振る炎。姉憮然としたその態度はいいとして、自分を気遣う一言も欲しいものだ。

 そんなことを考えた直樹だったが、炎は代わりに眩しい笑顔を見せた後、直樹の手を握った。


「行こ? 直樹君。遅刻しちゃうよ?」

「あ、ああ……」


 昔はしぐさ一つで動揺することなんてなかったのに――。

 直樹は自分の心に困惑しながら、炎に手を引かれて校門へと走って行った。

 そんな二人の微笑ましいような、焼けてしまうような後ろ姿を見守っていた少女がいる。

 少女は苦笑しながら独り言を呟いた。


「あーあ、全く気付いてない。見事、最適化されてるわね」


 それも当然か。ある意味これが世界の正しい姿なのだから。

 少女は理性で納得しながらも、感情が不満げだった。

 だって……それでは。


「ヒーロー足りえない。この世界を享受することは悪いことじゃないけれど、あなただけは別。神崎直樹……あなたは――」


 ――大も小も救うヒーローなのだから。

 自分が余計なことをしていると理解しながら、少女は動く。

 自分の中にある、理想に従って。




「走んなくても普通に間に合ったな……」

「早くつくのは別に悪いことじゃないでしょ?」


 フフ、と優しく笑いかけてくる炎。

 また吸い込まれそうになって、思わず顔を反らす。

 誤魔化すように下駄箱に靴を放り込み、下履きに履き替えて教室へと向かう。

 二人とも同じクラスなので通路はいっしょだ。


「やることないだろ」

「お話すればいいよ」

「何を」

「何かを」


 どうでもいいことを話しながら教室の扉へ近づいた直樹は、うおっ! と素っ頓狂な悲鳴を上げることとなる。


「うわっ! びっくりしたよ、直ちゃん」

「何だ久瑠実か……気を付けろよ」


 突然扉が開き、たくさんの本を持っていた“久瑠実”が現れたのだ。

 彼女は生来の気質から影が薄いので、油断するとワープしたかのようにいきなり現れる。

 かろうじて激突を回避して、あまりの荷物の多さに手伝おうか? と直樹は幼馴染を案じた。


「あー……それなら、あ!」


 手伝ってもらいたそうに直樹に目を移した久瑠実は、途中で炎の存在に気づき驚いたような声を上げる。

 何だ? と訝しむ直樹に、やっぱいいよ! と大声で幼馴染は申し出を断った。


「先生に頼まれたのは委員長の私だからね! 直ちゃんはお話ししてればいいんじゃないかな……炎ちゃんと」


 最後の部分は小声で呟かれ、直樹にはよく聞き取れなかった。


「あ? 何だって」

「いいから! じゃあまたね!」


 ドタドタと慌ただしく駆けていく久瑠実。

 大丈夫かなと心配そうにその後姿を見送った後、直樹は教室に入った。

 久瑠実の背中に炎が小さくごめんねと謝っていたことに関して、直樹は一切関知していない。

 鈍い男直樹が自分の机に向かう、と通り様クラスメイトが挨拶してきた。


「やほー直樹、炎。今日も二人で仲良く登校?」

「おはよう、彩香ちゃん」


 眠そうな顔で独特の挨拶をしてきたのは“彩香”。特殊性癖を持ち合わせる自堕落な少女。その隣に座る同級生は直樹には一切視線を向けず炎だけに朝の挨拶を放ってくる。


「おはようございます、炎さん。今日も可愛らしいですね! あ、男は私のことスルーして構いません。私もスルーしますので」

「くそ……相変わらずだな、小羽田」


 直樹に軽蔑した眼差しを向けるのは“小羽田”だ。しっしっ、と男嫌いで女好きの彼女は直樹を手であしらい、そんなことないよーと照れる炎と会話している。

 小羽田の近くにいると、朝っぱらから気分を害しかねない。直樹は、そそくさと自分の席に座り、鞄を机脇に引っ掻けて、ゆったりしようとした。


「おはよう、直樹」

「ああ……メンタル、おはよう」


 一眠りしようとした直樹を意図せずして妨害したのは“メンタル”。白く透き通ったような肌に、光輝く白髪はくはつ

 普段着が白パーカーの変わった少女だ。今は学校なので制服だが、常にフードを被っているような印象がある。

 色々、謎めいた少女だ。日本人らしいのだが、日本人らしからぬ髪と目の色。


「……突然、奇怪なモノを見るような視線はやめてくれる?」

「あ、いや、悪気がある訳じゃないんだ」

「わかってる。……一つ忠告しておくけど、炎の前でワタシを見つめるのは止めた方がいい」

「何でだ?」


 訊くのも妙だが、訊かざるを得ない。

 なぜ、という直樹の問いに対しメンタルはほのおが燃え上がるから、と答えた。


ほのお?」

「そう、炎。ほむらからほのおが湧き起こる。心の中の、ある部分のね」

「イマイチわからん」

「当然、アナタはバカでマヌケでアホなのだから」

「……」


 なぜ自分は朝から盛大に面と向かって悪口を言われているのだろう。

 はぁ、と適当に返し、直樹は再び二度寝しようとした。


「スゥー。スゥー」

「……」

「スゥー、スッ」

「…………くそ」


 だが、室内に響き渡る心地よさそうな寝息が、まだ直樹の安眠を邪魔してくれる。

 何事と顔を上げた直樹だが、彼には原因が誰であるかはわかっていた。


「ノエル……寝息は立てないで寝てくれ」


 目を向けた先で爆睡しているのは“ノエル”。緑髪の外国人で、ヨーロッパ方面からの留学生だ。

 フランやノーシャとはまた違う国の異邦人。

 食欲と眠欲に忠誠を誓っているくせに全く太らない特異体質の持ち主、と女子生徒に羨望の眼差しを向けられている不思議な少女。

 いびきではないことが救いだが、妙に通る安らかな吐息をずっと出されるのであれば、直樹の快眠がいつまでたっても約束されない。

 しょうがなし、と直樹は鞄の中からお菓子を取り出し、彼女のもう一つの欲求を目覚めさせることにした。


「ノエル。起きろ」

「……私は今寝ているのです。人が生きる上で大部分を占める時の過ごし方をしているのです。それを邪魔すると言うのですか」


 ビュウ! と冷たい風が窓から吹き抜ける。

 ビク、と背中を震わせた直樹だったが、めげずにおやつをちらつかせる。


「い、いやーお菓子あげようと思ってな。いやだったら別にいいんだけど」

「――嫌など私は一言も言っていません」


 と、寝起きとは思えないほどの素早い動きで直樹のチョコバーをノエルはひったくった。


「おいしい。おいしいです。携帯食という手軽さと栄養食としてのバランスを維持しながら、長期保存にも優れている。これが僅か数百円で買えるのですから、日本という国はどれだけ素晴らしいのでしょう」

「そこまで喜んでくれるならあげた甲斐があったよ」


 あまりにも過大な評価に苦笑しながら、直樹は再度席に着いた。

 今度こそ眠ることが出来ると思った矢先、いつの間にか隣席についていた炎が話しかけてくる。


「ねぇ、直樹君」

「悪いが後にしてくれ。眠いんだよ。誰かさんのボディプレスを朝喰らったからな」


 炎は別に太っている訳ではないので、実際には大したダメージはない。

 しかし、やはり寝ていた時に直撃すれば驚愕も相まって悲鳴を上げたくなるくらいには痛かった。

 そのダメージの前に、女の子らしい感触を感じる暇もない。冗談抜きの最悪の目覚めであったから、嫌味の一つも言いたくなると言うもの。

 恐らくはほとんどの男子から反感を買ってしまうことを考えながら直樹が睡眠を続行しようとするとバシッ、と誰かが三度直樹の睡眠妨害をしてきた。


「いてえ!」

「よう、直樹。炎ちゃんを困らせてんじゃねえ」


 親友、もとい悪友、そして幼馴染の“智雄”が直樹の後頭部を思いっきり叩いてくる。

 ふざけんな、と文句を言おうと直樹が顔を上げた瞬間、炎と目が合った。


「直樹、君……」

「炎……? 一体どうしたんだ?」


 今朝とは様子が違う恥ずかしいような、勇気を振り絞っているかのような複雑な表情を浮かべている。

 若干顔を赤らめて、何かに迷っているように見える。

 一体どうしたのか? と疑問が頭を巡る直樹に対し炎は、


「今日、放課後空いてる?」

「……ああ、特に用事はない……けど」


 直樹が空いていると告げると、炎はぱぁ、と顔を輝かせて嬉しそうに微笑した。


「うん……! 良かった!」


 何がうん、なのか。何が良かった、のか。

 直樹にはわからない。だが、無邪気に喜んでいる彼女を見ていると。


(何だかこっちも嬉しくなるな。何が起きるかさっぱりわからんけど)


 と、直樹も何だか嬉しくなってしまう。

 無意味に笑みを浮かべた直樹が直後、ガラリと前方の引き戸が開かれる。

 担任が入ってきたのだ。担任は席が一つだけ空いていることに満足し、朝のホームルームを始めた。


(あそこはいつまで経っても空のままなんだな)


 結局眠ることが出来なかった直樹は、何気なく空席を見やる。

 直樹の列の一番前。このクラスに入ってからこの方、ずっと空いている謎の席。

 後ろの席、というならばまだわかる。余りだとかそんな理由だと、自分を納得させることが可能だからだ。

 だが、一番前……目の悪い人間や集中力の低い人間を据え置く絶好のポイントがずっと空席なのは理解し難い。

 それはみんなも同じなのだが、誰もそのことを指摘しようとしない。否、指摘しても、そういう決まりとあしらわれてしまう。

 そうやって取り合わない教師もよくわからないらしく、帝聖高校の七不思議として怪談となっていた。


(曰く、おぼろげに人の姿が見えるとか……ッ!?)


 人の影。

 うっすらと、だが確かに捉えられた。

 黒髪の少女。瞳の奥底に信念と理想を感じさせる冷たく、そして気高い少女が空席のはずの席に座っていた。

 誰だ? 直樹は問う。少女ではなく、自分に。

 見覚えがある……気がした。

 それだけではなく、とても大事なことを忘れている気が……。


「お前は一体」

「せんせー、神崎君が中二病発症しましたー」


 智雄の声で、直樹は我に返った。

 気付くと、声に出して呟いていた。……何を?


(今、俺は何か見ていた……ような。気のせいか?)


 一瞬何かが見えたような気がしたが、恐らくは気のせいだろう。疲れているのだ。

 疲労のせいだと直樹は自分を納得させ、立ち上がってすみませんと担任に謝った。


「次からは注意してください。む」


 ホームルームを中断させられ、不機嫌になっていた担任の眉間にしわがよる。

 当然だ。今まさに注意していた生徒の携帯が高らかに鳴り響いたのだから。


「うわっ。マナーモードにしていたはず……。あ」

「これは仕方ないよ、直樹君」


 画面を見て、遠隔操作された訳でないことを知る。

 同じく携帯が鳴った炎も立ち上がり、先生にすみませんと頭を軽く下げた。


「仕事ですから、行きます」

「はぁ。仕方ないでしょう。あなた達も大変ですね」


 他人事のようにいう教師。実際、ここから先は学校の教師と言えども立ち入れない領域だ。

 炎と共に、直樹が出て行く。そのことを咎める者は誰一人としていない。

 いたら、常識知らず。もしくは、


「二人だけで大丈夫なのですか?」

「大丈夫、ノエルちゃん。今日の当番は私達だよ」


 同じ立場の存在であるかのいずれかだ。

 同僚のノエル、彩香、メンタルが見つめてくる中、直樹と炎は教室を後にする。


「朝っぱらからついてない……」

「仕方ないでしょ。あ、達也さん?」


 二人に緊急通信を送った“達也”の声がスピーカーから聞こえてきた。

 彼はすまない、と前置きした後状況の子細を報告する。


『立火市から少し離れた繁華街で異能反応が検知された。授業があるのに申し訳ないが、二人に現地調査を頼みたい』

「申し訳ないなんてそんな。仕事ですから」


 国内の異能問題を一括する異能省。その中の部署の一つ、異能安全保障局のエージェントである直樹と炎には、近隣で発生した異能問題に対処する役目がある。

 異能問題を対処するのは異能者のみ。無能者は活動するエージェントのサポートに徹するのが通例だ。

 エージェントになる条件には高校生以上であることと、必要最低限の学力を有すること。

 そして、一部の特例を除きAランク相当の異能を持ち合わせることが挙げられる。


『まぁ確かに炎にはチャンスなのかもしれないな。……好きな人と二人』

「わーっ! それ以上言ったら燃やしますよ!」

「……お前が問題起こしてどうするんだよ」


 二人して説明を聞く必要もない、と位置情報を確認していた直樹は突然炎が叫んだ不穏な言葉に肩を竦ませた。

 これから問題に対処するのに、対応する側が問題を起こしていたら世話がない。


「良かった……聞いてなかったんだ」

「そりゃわざわざ二人で同じこと聞く意味ないだろ。その分じゃまたからかわれたんだな」


 直樹は達也のからかい癖を思い出す。あの人は初めてエージェントとして着任した時、祝砲だ、とか何とか言って拳銃をぶっ放したのだ。

 空砲だったから良かったものの、以降あの人とは極力関わらないようにしている。

 根はいい人なんだけど、と嘆息混じりに呟いた直樹はルート検索を終え、炎と共に昇降口から外へと出た。


「じゃあ、ひとっとびするか」

「そうだね、行こう直樹君!」


 直樹は炎の異能を発動させ、炎は自分の異能を発動させる。

 直樹の持つ異能は複写異能。その力で炎の異能をコピーさせてもらったのだ。

 複写方法は、肉体的接触……つまり握手。手と手を繋ぎ、その上で信頼が必要となる。

 都合よくホイホイ異能をコピれればそれに越したことがないのだが、直樹は現状に満足していた。

 そこまで多くの異能は必要ない。今でも十分多いくらいなのだ。

 貪欲に力だけを求めていても強くなることなど不可能だ。今ある能力で何が成せるか思案し勝利への方策を導き出すこと。それが強者への道である。


(っていうか別に強くなんてならなくてもいいけどな)


 そんなことを思いながら、直樹は跳ぶ。足の裏から火を吹きだし、都合よく靴は燃えないように調整して連続跳躍を行う。

 直樹に強くなる理由はない。人々と平和を守れるのならそれでいいのだ。

 特に、命。命は大事だ。命が喪われるのは避けねばならない。

 まるで実体験のように、直樹は命の重みを実感していた。


「もうすぐだね!」

「ああ! そんな離れてないしな」


 風の音に負けないよう大声で話す。

 直樹がぴょんぴょん屋根の上を跳ぶ横で、炎は悠々と飛行していた。

 炎はオリジナル故に、異能に秘められし能力を最大限まで引き出すことが出来るが、直樹は所詮コピーだ。

 ホンモノを超えることは出来ない。それでも十分強力ではあるのだが。


「着地っと!」

「よっと。……さて、どこだ、と」


 直樹は彩香の透視異能を使って周囲をスキャンする。

 特殊性癖を持ち合わせる彼女とは一悶着あったのだが、炎のおかげで何とか異能を複写させてもらえた。

 油断すると人の臓物まで視ることになってしまう。注意深くピントを合わせ、直樹は異能使用の痕跡を発見した。

 三階建ての飲食店の裏側が、異能によって焼け焦げている。


「いたずら……にしては妙だな」

「見つけたの? 直樹君」


 直樹がそそくさと建物の裏を見に行く後ろを、炎がとことことついて行く。

 直樹が指さした先にアル焦げ跡を見て、ああ、あれ、と炎は目を細めた。


「うーん。火とかそっちの方かなぁ。ドロドロだし」

「お前じゃないよな?」


 念のため、直樹は訊ねる。時折、炎は異能の扱いが不安定になることがあるからだ。


「そんなことないよ! 第一どうやってやるの。ずっと直樹君といっしょだったのに」

「そういやそうだよな。達也さんと連絡を取ってくれ。俺は怪しい人がいないか探す」


 直樹はまた、周囲に目を光らせ事件の犯人がいないか捜索する。

 と言っても、やらないよりマシ程度でしかない。器物損壊をした犯人がぬけぬけと現場に残っているとは考えられないからだ。

 サポートチームである鑑識が派遣されるか、念思の異能を持つ小羽田が来るかのどちらか。

 それまで、直樹と炎が出来ることは聞き込みぐらいしかない。


(まぁ、俺でも調査出来るんだけど――)


 どうも、成功率が芳しくない。

 直樹の中には小羽田の異能も存在する。彼女と同じように使うことができ、彩香の透視と合わせて対象を追跡トラッキングすることも可能だ。

 だが、気付くと無関係な人間を追いかけていた、などということが何度かあり、自分から率先して行わないように彼はしていた。


(前は上手く――?)


 はた、と直樹は止まる。見回して目を見開かせる。

 今、自分は何を思った? 何を思おうとした?

 透視と念思の組み合わせによる追跡は一度たりとも成功したことがないというのに。


「…………」

「直樹君! 不審者の目撃情報があったって達也さんが……直樹君?」


 驚きの眼のまま固まっている直樹を、炎が訝しむ。

 何でもない、と答えた直樹は炎の言う目撃現場に向けて足を歩ませた。


(くそ、今朝の幻覚といいさっきといい、一体何なんだ?)


 答えのない問いを誰に向けるでもなく投げかけながら、直樹は職務を遂行に移る。


「ここら辺だと思うけど――」


 直樹と炎の前には繁盛する表とは正反対の裏通りが広がっていた。

 元より、昼時ではないので街に繰り出す人が多くないことも静けさの要因の一つだ。

 端には今時珍しい電話ボックスまで見える。

 直樹は聞き込みを炎に放り投げて、物珍しから公務そっちのけで電話ボックスへ向かった。


 ――響き渡るサイレンサー付きの銃撃音。


「ッ!? 何だ?」


 銃声らしきモノが聞こえ、はっとして直樹は辺りを見回す。

 だが、何もない。少なくとも炎は何かに反応する様子もなく、店などを尋ねて目撃者を捜している。


「……何が」


 ――見る者を凍らせ、聞く者を立ち竦ませる紅蓮。C4による爆発。


「く――!!」


 カチャ、と制服の内側のホルスターに仕舞ってあった水鉄砲を、鬼気迫る表情で抜く。

 しかし、これまた変化はなし。幻聴が二回も連続して起きたようだ。


「疲れてるのかな……」


 水鉄砲を仕舞い、頭に手を置いた直樹はドン、という衝撃に身体をよろめかせた。

 通行人にぶつかったのだ。


「あ、すみません。ボーッとして」

「い、いやこっちこそわりぃ。急ぎだったから……あ」


 聞き覚えのある声だな、と直樹が通行人の顔を見た瞬間。

 やべえええ! と少女は叫び声をあげ脱兎の如く逃げ出した。


「お、おいお前……!」

「チクショウなんでお前らがここにいる! マジファックだ!」


 それを聞きたいのはこっちだ! と逃げ惑う少女に叫び返す。

 西部ガンマン風のハットを被る少女。その正体は間違いない。

 直樹の同級生にして、若干不登校気味の留学生“エリー”だ。


「直樹君! またエリーちゃんが……」

「みたいだな! 前にいる!」


 おばちゃんとの会話を終え戻ってきた炎に、直樹は怒鳴る。

 えっ、と一瞬驚いた表情を浮かべた炎はすぐに状況を理解し走り出す。


「エリーちゃん! 今回もエリーちゃんがやったってわかってるんだよ!」

「なななな何を言ってるのかぜぜぜぜ全然わからないぜ」

「嘘つくなよ! 俺には嘘ついてるかどうかバレバレだ!」

「くそこのチート野郎――うわぁ!!」


 エリーは道路の真ん中で盛大にこけた。愛銃であるリボルバーが転げ落ち、必死にエリーは手を伸ばした。

 が、非情にも彼女のお宝は没収される。赤く燃え盛る、悪魔のような女に。


「か、返せ! 私の銃!」

「次人に迷惑かけたら没収って言ったよね?」


 下衆めいた笑み(エリー視点)を見せる炎は、リボルバーを高く掲げてエリーの手が届かないようにした。

 返せ! 返せ! と涙目になりながらジャンプするガンマン少女、という微笑ましいはずの光景も、今の直樹には全く笑えなかった。

 彼は別の場所に立っていたからだ。同じ場所であるはずなのに、日はすっかり沈んで深夜だ。



 自分は見知らぬ誰かと会話している。しかし、その少女の表情はいつの間にか被っていた帽子で見えなかった。


「ここまでくれば安全だと思うけど……」

「そう、だね。そうだといい……ね」


(安全? 何の話だ?)


 自分の発言の意味不明さもさることながら、どうにもこの少女の姿が引っかかる。

 やはり、どこかで見たことがある。一体、誰だ? 君は一体?

 直樹の疑問も虚しく、映像は進んで行く。


「今、警察も来るだろうし……しかし、あれだな、迷惑な奴だ。異能者か……?」

「……どう、かな。何かあったら異能者だと思う決めつけは、よくない……」


 少女の意見は一理ある。今時、異能者だけで犯罪者だと決めつける人間は愚か者だ。

 異能という未知の能力が人々に発現するようになってから、既に三十年が過ぎている。

 出始めた時こそいざこざはあったが、今や先人達の努力によって異能の平和的利用方法が確立され、大きな事件もなく世界は回っている。迷惑な奴は異能者無能者問わず迷惑な奴だ。

 だが、そんなことよりも直樹は少女のことが気にかかる。


「そうかな。君、高校生だよね? どこの……あれ?」


(……あれ?)


 前に立つ自分と、直樹自身の心がシンクロする。

 気付くと少女はいなくなっていた。まるで透明化したかのように。

 どこだ? と探す二人の直樹。だが、聞こえてきたのは聞き覚えのある達也の声であり――。


「直樹君! 直樹君! しっかりして!!」

「っうあ! 炎か……」


 どうやら彼は白昼夢を見ていたらしい。

 直樹の前には不安そうな表情の炎がいる。

 大丈夫だよ、と肩を揺さぶっていた彼女の手を叩き、直樹は頭を振った。

 騒動の原因であるエリーが大丈夫かよと他人事のように言う。


「精神干渉系に心理ハッキングでもされてんじゃねーのか?」

「いや、疲労だよ。誰かさんのせいで朝から出動させられたからな」


 うっ……と言葉に詰まるエリー。い、いや私は射撃の練習をしていただけで狙いが逸れてたまたま――と言い訳を始めたエリーの背中を炎が押した。


「言い訳は署の方で伺うよ。後、店の人に謝らなきゃ」

「い、いやマジでだな私はあーっ! マジファックだー!!」


 喚き散らすエリーをはいはいと宥めながら連行する炎。

 二人を直樹が追う。だが、急に視線を感じ振り返った。


「誰だ……?」


 誰もいない路地を見やる。彩香の透視を発動させて。

 だが、誰もいない。誰かが透明化している訳でもない。


「くそ……俺は一体どうしちまった?」


 止まって逡巡していた直樹だが、何もわからない。答えを持ち合わせていない。

 思索を諦め片隅に追いやり、何もわからない苛立ちから大きく嘆息を吐いた後、急いで炎達を追いかけた。


「良かった。完全に忘却したわけじゃない」


 誰にでもなく呟かれる言葉。

 少女は道の真ん中に姿を現し、ホッと一息ついた。

 まだ希望はある。いや、希望の押し売りなのかもしれないが。


「相手は救いを望んでいない。そんな少女を君は救い出すことが出来るか?」

 

 答えは、ない。相手に言葉は届かない。

 だがきっと、想いは届くだろう。なぜなら。


「神崎直樹。君はヒーローなのだから。成れなかった私と違って」


 だが――。

 少女は悲しそうに視線を注ぐ。直樹ではない。炎に対して。

 神崎直樹に焦がれている、恋する少女。彼女に落ち度は何もない。

 それなのに。


「私はたぶん、あなたにひどいことをする。ごめんなさい」


 少女は一方的な謝罪をした後、姿を消した。

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