沈む太陽
草壁炎が神崎直樹を意識し始めたのは、ほんの数か月前だった。
初めて会った時の第一印象は、少しどんくさい、哀れで可哀想な男の子。たまたま犯罪現場にいたせいで、世界の裏の顔を知る羽目になった運の悪い少年。
その少年はすぐに同級生となり、友達となった。彼は異能者というカテゴリを特に何も思わない稀有な人間であり、炎に対して何かする訳でもなく、むしろ心配してくれるようなお人好し。
端的に言えば、いい人。それが炎が直樹に最初に抱いた評価だった。
その評価が変わったのは、それからすぐ後。
恩人である新垣達也が、炎自身のことについて告白している時。
炎は、かつて暴走し、学校を放火してしまったことがある。
そんなことを聞けば、普通の人間ならば引くか、疎遠になるか、嫌われるか。どれも似たり寄ったりの、防衛本能に従った当然の反応を行うはずだ。
しかし、神崎直樹は普通ではなく、異常……特別だった。
炎の過去を知りながら、今まで通り彼女と接した。
炎はいつの間にか、自分でも無意識の内に、直樹の評価を改めていた。
すごい人であると。
自分が無力でも、他人のためにどうにかしようとする立派な人間であると。
そして……自分にとって最も大切で――大好きな人だと。
だから……炎は。
だから――私は――。
その輝きは、まるで地球を照らす太陽のよう――。
「間に合っ……た!」
人のぬくもり、その暖かさを確かに片手に感じながら、炎は安堵の声を上げた。
いや、安心するのはまだ早い。危機はまだ現在進行形であり、こうして直樹を抱きかかえながら移動している合間にも、攻撃があって然るべき状況だ。
だというのに、自然と笑みが漏れる。守れて、助けられてよかったと、草壁炎は微笑を浮かべる。
「炎……」
腕の中で、茫然と直樹が名前を呟いた。
どうしたのかと、炎が全速力で移動しながら直樹へと目を移す。
生きているのに、なぜかとても痛々しそうな顔だった。
「どうしたの? 直樹君」
「……ッ……右腕」
言いながら、直樹は右腕を指した。自分のではなく、炎の右腕を。
血を迸らせ、姿かたちの無くなった腕跡を。
「うん……ないね」
しかし炎は微笑んだまま、特に気にした様子もなく、何事もなかったように平静のまま応えた。
実際、炎にとって小事でしかない。自分の右腕がなくなったという出来事は。
それよりももっと大事なモノを助けられたのだ。好きな人の命を。
腕の喪失感よりも、直樹を助けられたという安心感に満たされていた。
「大丈夫だよ、直樹君。これくらいへっちゃらだから。……まずあの人を止めないと」
戦意を秘めた瞳で、炎は後ろへと視線を移す。
そこには、まだキングが浮かんでいた。ポカンと、呆けるような顔で固まっている。
偶然にも、直樹と似たような表情だ。意味合いこそ違うが。
「何言って……! 治療が先」
「……もう、誰もいないよ。治療してくれる仲間は」
炎は笑いながら直樹に事実を告げる。
いるのは敵と、探し人。見つけなければいけない人と、見つかってはいけない人間の二択。
敵に捕捉されている今、炎と直樹に出来るのは敵を倒すか説得するかして無力化することだけ。
だが、残念なことに説得は無駄なように炎には思えた。
直樹は怒りを隠せていないし、キングもキングで聞く耳を持たないという有様だ。
どうにかして、倒すしかなかった。今まで通りに。今までと違うのは、みんな殺されてしまったことだ。
自分と直樹で、何とかするしかない。心も向かっているのだろうが、援護は期待出来なかった。
そもそも、第一前提として期待してはいけない。心は理想郷への鍵なのだ。彼女抜きで勝たなければ。
「……でも!」
「大丈夫だって。直樹君に言われたくないよ。自分だって腕取れても戦ったりしてたでしょ?」
まだ心配してくる直樹に対し、炎は諭すように言う。
しかし、直樹の不安も当然ではある。直樹は腕が斬れようが再生するが、炎の腕は二度と戻らないのだから。
炎は全く直樹に取り合わず、少し離れたところに着地して、キングの方へと目を向けた。
まだ動かない。有り得ないモノを見せつけられて動揺してしまっているかのように。
作戦を立てるならば今がチャンスである。とはいえ、相手は複雑な作戦が通用するような相手ではなかった。
どれだけ策を練り上げようが、一切の攻撃を無効化する。彩香が死ぬ間際に送信した情報では、直樹ならば奴に攻撃を与えられるという。
使える作戦は限られていた。いや、これを作戦と言っていいものかすら定かではないが。
「私が囮になって注意を引くから、直樹君があの人を倒して」
「な、何を……」
「これしか方法ないよ。もしかすると頭のいい人が考えたら、もっと効率的で、優秀なやり方を思いつくかもしれないけど……私、バカだからさ。こんなのしか思いつかないんだよ」
あはは、と油断することなく炎は直樹に照れたような笑顔を見せる。
反対に、直樹は笑顔ひとつ見せず、暗い顔をしていた。
何で直樹君が暗くなるの――?
そう訊こうとして、留まる。
当たり前だからだ。
炎がすごいと評する直樹は、他者の痛みを自分のモノとして共感出来る人間だ。
いや、それだけではない。友達の……仲間の腕が千切れ、片腕となってしまった姿を見て何も感じないとすれば、心がマヒしているか、非情な人間かのいずれかだ。加えて、自身の過失であったのならなおさら衝撃を受けるに決まっていた。
「……炎、お願いだからさがっ」
「下がらない。そんな風に出来る状況じゃないよ。全力を出さないと」
直樹の諫めを受け流す。
戦う意志を込めた目で、直樹の瞳を覗き込む。
「大丈夫、何とかなるから……私は問題ないから。後は直樹君だけだよ」
後は直樹だけ。直樹が拳を握り、戦意を取り戻し、キングと対峙するだけ。
そうなれば、後は自分に出来ることを精一杯行うのみ。炎の拳と蹴りで、どこまで通用するかはわからないが、足手まといにだけは絶対になるつもりはない。
もし……もし、初手で全くの無意味であると悟ったならば、自分はこの場から退場すればいいだけだ。
そう、退場である。撤退でも、退却でもない。
恐らくは正夢の通りに。悪夢と同じになる。
(でも……不思議。全然、恐くないんだよね)
むしろ昂ってるくらい――。
炎は、片腕を喪失し、自身より遥かに強い敵と対峙していてなお、微塵も恐怖を感じていなかった。
端から、負けることを想定していない。正確には直樹がキングに負けると思っていない。
だから、怯える必要はない。震え、縮こまる理由も存在しない。
みんな、そうやって託して、死んでいったのだ。
炎も同じだ。笑って託せる。例え死ぬとしても、笑顔で死んでいける。
願わくば死にたくはない。これは“もし”。仮定のことだ。悪い方向のことを考えるのは普通である。
最も……炎のポジティブな性格を鑑みると、全く普通ではなかったが。
「……ッ」
直樹が苦渋の顔を浮かべ、頭を振る。
踏ん切りがついたのか、しっかりと大地を踏みしめ、キングを仰ぎ見る。
「だいじょう……ぶだね。戦おう」
案じの声は共闘の申し出へと変化した。
炎は直樹の瞳に確固たる戦意を感じ取った。
まだ焦燥の念が見受けられるが……もう大丈夫だ。
揺らぐことはない。挫けることもない。
炎が恋焦がれた、すごい男の顔だ。
「急いで決着を付けよう。さっさと心を見つけて、理想郷へ辿りつく」
「うん。そうだね。早く心ちゃんと合流しないと」
直樹と炎は一瞬見つめ合い、二人同時にキングを見上げた。
足に力を込める。異能を発動させる。
まるで太陽のような……赤く、熱く、それでいて――。
心優しい、炎の異能を。
戦場を月明かりが優しく照らしている。
それに負けずと燃え上がる、烈火の弾丸。弾数は二発。真っ直ぐ、全速力で、一直線にキングに向かって燃え盛る。
「一匹が二匹に増えたって結果は変わらねえ」
キングが手を翳し、夜闇より黒い弾丸を火の玉に向かって放つ。
直樹と炎は、息を合わせて二手に分かれた。キングの弾丸が地上に墜ち、地面を抉る。
轟音鳴り響く静かな月夜に輝く二つの炎が、回り込み、挟み撃ちの要領で急上昇。見る者を驚嘆させるほどの火力を持つ火炎弾を、キングと同じように撃ち放つ。
(倒れて欲しいけど……!)
願を込めて放たれた炎の小さな太陽は、空を赤く染め上げながら、もう一つの太陽と接触した。
丁度、キングが二つの太陽に挟まれた形だ。常人……いや、異能者であっても無事では済まない一撃。
だが、その最大の攻撃を無力化出来る男がキングなのだ。
ボシュッと太陽が消え、月が自己主張を始めた。
夜の主役は俺だ。太陽ではない。そして、戦場の支配者はキングであり、炎でも直樹でもなかった。
「……予想通りだけど!」
だったら、と炎がキングに接近する。
使うのは右腕。喪失した腕を、炎で形成する。
通常の拳による打撃はリスクが高すぎる。そのための処置であると同時に、近接格闘における炎最大の打撃でもある。
今まで一度も使ったことのない紅蓮の拳を、炎は加速しながら叩きつけた。
「――はッ!!」
「……雑魚め」
「……ッ」
先程の威勢はどこへ行ってしまったのか。
炎は苦虫を噛み潰したかの表情でソレを見つめていた。
自分の異能で形成された紅蓮の腕が、キングの素手に掴まれている様を。
(有り得……なくはないよね。だからみんな負けたんだ。キングの強さは攻撃力じゃない。その鉄壁の防御力)
強大な異能を持つだけならば十分対処出来る。攻撃は防ぐか、躱すか、相殺するか。三択で裁くことが可能だからだ。
だが、防御だけは……どうしようもない。いくら想いを込めたって、最大の火力を喰らわせたって、攻撃がなかったことにされてしまえば、相手にダメージを与えようがない。
「まさにズル……だよね」
はは、と炎は乾いた笑いをこぼす。
炎が語りかけた相手、キングは何も言わない。文句も不満も、反論も。
代わりに行動を起こした。
シューと音を立てながら消える炎の腕を掴んで、地表へと炎を投げ飛ばす。
「う……わっ!?」
「……死ねよ」
すっかり覇気を喪った王は、つまらないものを見るような視線で炎へと手のひらを向けた。
充填。モノの一瞬で炎を殺すに足る破壊力が右手に収束する。
後は放つだけ。放てば炎は死に、キングがもはやなぜ求めていたのかあいまいになっているモノが見れる。
「させない!」
だが、そう簡単に行くはずもない。近くには神崎直樹がいるのだから。
割って入った直樹がキングを蹴飛ばした。凄まじい威力で、圧倒的加速で。
「ぐっ……お前……」
空中で体勢を立て直したキングが直樹を睨む。怒りを秘める形相で。
しかし、直樹は怖じることはない。それよりも困惑が勝っていた。
なぜ自分はキングに攻撃出来たのか。その疑問に包まれている。
(なぜだ? ……いや、今はどうでもいい。早くキングを倒して炎を治療しないと)
「……お前、今の蹴りはとても痛かったぞ」
「俺の心の痛みに比べればマシだろ。……よくもみんなをやりやがったな」
ここに来て初めて、直樹は会話らしい会話をキングと交わした。キングもまた、直樹と初めてまともな言葉を交わした。
両者は戦っている最中だと言うのに、停止する。お互いに、一言申さねば気が済まなかった。
下方から、そんな二人を炎が見つめている。彼女もまた、動かなければならないのに止まっていた。
「……おかしいな、やっぱ」
「それは同意するぜ。全体的におかしすぎる。人も世界も異能も……お前もな」
「違う。そうじゃない、お前がおかしいって言ってるんだよ」
キングの言葉の意図が理解出来ず、直樹は怪訝な顔となる。
対して、キングは真顔で指摘した。そういう部分がおかしいと。
無自覚に、異端者となっていると。
「何で折れない? 何で絶望しない? 仲間がいるから、というならわかる。人は群れることで強くなったと錯覚する弱い生き物だ。だが、お前の仲間は大方殺した。いるのは、下にいる赤い奴と、日本のどこかにいる異能殺しだけだ。友人も家族も同志も全て殺したというのに、お前はまだ自分を保っていられる。壊れず、自分の信念に従って俺の前で戦う意志を見せている。なぜだ? 訳がわからねえ」
「何を言うのかと思ったけど……そんなことか」
「そんなことだと」
「そうだ。だからこそ、なんだよ。お前が俺の仲間を殺したから、みんなを殺しやがったから、ますます俺が折れてられなくなったんだ。俺が絶望して立ち止まってしまったら、みんなの想いが無駄になる。……何度も折れかけてるし、正直今だって逃げ出したいけど、お前は倒さなくちゃならない。何としてでも」
「……勝てると、思っているのか? この俺に」
仇敵が投げかけてきた問いに、直樹は強く頷き返した。
「もちろんだ」
「そうか。もう気が済んだ。じゃあお前を絶望させてやる」
言って。
キングは即座に姿を消した。
「ッ!?」
息を呑んだのは直樹ではない。
下で二人を見上げていた炎だった。
目前に、一瞬で、キングが移動してきたからだ。
「見るからに、お前、直樹に惚れてるだろ。お前が死ねば、あの男だって絶望するはずだ」
「……直樹君は折れたりしないよ!」
再び、炎で形成された右腕を叩きこむ。
触れた瞬間、右手を爆発させた。至近距離からの爆拳。喰らわせた刹那、炎は後方に跳んで距離を取る。
(これまた予定通り……私が囮となって、キングを誘い込む。そしてまた、さっきと同じく直樹君が不意打ちで攻撃する。……理由はわからないけど、直樹君の蹴りは確かに当たった。この勝負、勝てる!!)
冷や汗を掻きながら、炎は勝機を見出して笑みを作る。
後は上手くいくことを祈るだけ。煙で姿が見えないが、すぐにでも敵はテレポートと遜色ない移動方式で詰めてくるはず。
何とかして躱し、直樹に攻撃のタイミングを与えなければ。
と、突然炎の耳に、叫び声が聞こえた。上から……炎の大好きな直樹からだ。
上を見上げると、方策を固めた炎に向かって、
「炎……!!」
必死の形相で、これまで見たことないような焦った顔で、
「後ろだ……避けろ!!」
直樹が手を伸ばし、降下してくるのが見えた。
「えっ……ぅ……?」
次に何が起こったのか、炎には理解出来なかった。
よくわからないなりに状況を観察する。
とりあえず……腕が出ている。
どこから? 自分の左胸から。
だが、前には誰もいない。不思議に思った炎がよく目を凝らすした瞬間、煙が晴れ、中にいるはずのキングがいないことに気付いた。
「ぁ……れ……?」
ということはつまり、キングはどこか別の場所にいるということだ。
いくら考えごとが苦手な炎とはいえ、敵がどこにいるかはすぐわかった。
後ろ。自分の後方。
炎が逃げた先に、キングは瞬間移動していた。
炎は失念していた。キングの脅威は攻撃力と防御力だけではない。
テレポーターが一日に一度しか行えない空間転移を何度も行うことが出来る移動力。
第三の能力を炎は見落としていた。
「ぐ……ぁ」
口の中から血が溢れてくる。
息が苦しくなる。慌てて息を吸い込むが、心臓がまともに機能していない。
視界が急速に狭まり始め、段々と暗くなる。ただでさえ暗いのに、見辛いことこの上なかった。
待って……困っちゃうよ……それじゃあ……直樹君の顔見えないよ……。
彼が今、近づいて来てくれているのに。
手を伸ばしてきてくれているのに。
自分はどんどん世界から遠ざかって行く。
「なぉき……くん……」
耳すらよく聞こえなくなってきた。とりあえず、まだかろうじて見える瞳で、口の動きを観察し、彼が何を言っているのか把握する。
ほむら。そう叫んでいるように見えた。残念なことに、どれだけ耳を凝らしても彼の声は聞こえない。
ひゅーひゅーと体内から伝わる呼吸音で、自分が死にかけているのがわかる。
いや、たぶんもう死んでいてもおかしくないのだろう。常人より丈夫な異能者としての性質と、彼女の気力が、まだ炎を生かしている。
まだ、死ねないのだ。まだ伝えていないことがある。それを口にするまで……私は死んではいけない。
「ぐ……ぅ……は……ぁ」
炎は歩き出した。
ゆっくりと。朦朧とした意識の中、はっきりとした確かな挙動で。
「ふん。手伝ってやるよ」
キングが炎の左胸から手を抜き、彼女の身体を掴んで直樹へと放り投げた。
血をまき散らしながら、炎の身体が宙を浮く。
直樹は空中で、その死にかけた身体をキャッチした。急速に温もりが失われていく炎を抱きかかえ、地上に降り立った。
「炎……! しっかりしろ!」
「ごめ……な……きく……よく……きこえな……」
ごふっ、とまた血を吐き出す。
炎は大量に吐血した。直樹の服や身体を真っ赤に染め上げるほどに。
引っ張られている感覚の中、申し訳ないな、と思う。思えば、炎は出会って二日目に直樹の制服を台無しにしてしまったのだ。
「また……ごしちゃった……ね」
はは、と笑う。少なくとも、炎は笑っていたつもりだった。
泣いている直樹の代わりに、少しでも笑顔でいようと、全力で微笑んでいた。
「なお、きくんは……すごいひとだよ」
「ッ。知ってる。お前がそう言ってくれたから俺は……戦えた」
もし、炎がいなければ。
もし、炎があの時、直樹の手を握っていなければ、直樹は自身の異能に気付くことはなかった。
成美の策略だという点を踏まえても、ある意味、救済者という呪いを直樹に掛けたのは炎だったともいえる。
しかし、例えそうであっても直樹は炎を恨まない。
全ては自分で選んだことだ。前以てお膳立てされていたとしても、そうすると選択したのは間違いなく直樹自身だ。
だから、直樹は炎を責めない。糾弾しない。
抱くとしたら感謝と、彼女を守れなかった自責の念。深い悲しみだけだ。
故に、直樹は涙を流す。感謝と謝罪を込めて。
「頼む、死なないでくれ……。お前に死なれたら、俺はどうすればいい?」
「だいじょーぶ……なおきくっ……ん……ぜんぶわかってる……こころちゃ……んっ……たすける……こと……。は……は……きっと……きづいて、いないでしょ……? こころちゃん……が……なおきくんのこと……すきだってこと……」
もうすぐ死ぬというのに、炎の口から出たのは親友の恋心についてだった。
だって……そうしなければフェアじゃないから。自分だけでは不平等だから。
もう死んでいておかしくないというのに、驚くほど雄弁に口を動かし続けることが出来た。
「炎……喋るな!」
「……なおきくんは……こころちゃんを……まもってあげて……やくそくを……まもって……」
「炎!! くそっ! ……何かないか……使える異能は!」
だが、どう足掻いても不可能。直樹の中にある異能では、炎を治療することは無理だった。
異能とは想いの力。しかし、想いだけではどうしようもないこともある。
「……は……ぁ……つらい……ね。とても……いたいんだ……しぬ……って……」
「――ッ」
「さいごに……さ……ゆうき……ふりしぼって……こくはくしても……いいよね……」
「――」
直樹はもう何も言えなかった。ただ無言で、友が、自分をすごいと言ってくれた人が死んでいく様を看取る。
すごいはずなのに、とても無力で。
みんなを守るはずだったのに、誰一人守れなくて。
「わたしね……なおきくんのこと――すき、だよ」
そう告白して。愛の言葉を囁いて。
にっこりと、吸い込まれそうな笑顔のまま、直樹の腕の中で。
炎の中にあった……強く、優しい太陽のような炎が、消え失せた。
「やっとか。やっと絶望しやがったか」
その様子をずっと眺めていたキングが嗤いながら呟いた。
本来、戦場で感動的な死別など不可能だ。涙を流し、嘆いている合間に、弔っている人間は死者の仲間入りを果たす。
直樹がそうならなかったのはキングが見逃したからだ。
わざわざ手を下す必要もない。直樹の心はへし折れ、後は絶望に染まるのみである。
特に、死に間際の告白。あれは堪えたはずだ。見たところ、神崎直樹は女の恋心に全く気付いていなかったらしい。
自分を愛していた女の返り血を浴びて、その最期を見送る。自分の無力感に打ちひしがれながら、どうしようもない世界を呪う。
放っておいても無害だ。奴はもう死者の後を追うか、世界を形取る生者を殺すか、絶望と共に死ぬまで固まったままか。そのどれかであり、後はクイーンが固執していた異能殺しを殺すのみである。
そして、最終的に世界を壊す。人を、あらゆる生命を殺し、砕き、破壊しつくす。
俺という存在が生まれた時点で滅びは決まっていた。この世の采配は全て王に託された。
異能という不可思議な能力を人が手に入れた時点で、世界の破壊は運命だったのだ。
「さて。じゃあな、抜け殻。お前はそこで愛した女の死体とよろしくやってろ」
キングは満足した表情を浮かべ、踵を返した。
喪っていた自身が、勢いよく取り戻されていく。
そうだ。これが世界の在り方だ。どれだけ理想を述べようが、結局は現実に押しつぶされる。
希望よりも、絶望の方が強いのだ。白は黒には敵わない。
どれだけきらきら輝いても、黄金だって黒に侵食される。
「ハハ……ハハハ……さぁ、殺そう、壊そう。全てを。この欺瞞に満ちたせかっ」
キングの言葉が、途中で途切れる。
星々と月が煌めく夜空を仰ぎ眺めて、自分の身に何が起きたか悟った。
「……なに? バカな、有り得ない!」
驚愕を顔に張り付けたまま、キングは立ち上がる。
視線の先には……足を踏み込ませ、殴ったポーズで立ち止まっている直樹がいた。
態勢を整え、両手の拳を握る。ファインティングポーズ。戦う覚悟を感じさせる構え。
無言で、直樹は戦闘態勢を取る。もはや言葉は必要なかった。
今、必要なのは、戦う覚悟と強い意志。そしてみんなの絆と想い。
「…………行くぞ」
ぐ、と地面を踏み鳴らし、直樹は右拳を振り上げてキングへと突撃した。