喪われる理想郷
「嫌な予感がする。射手を回せ。奴を叩き落すんだ」
『了解。銃撃と遠距離異能を交えた複合射撃で相手を始末します』
指揮官と部下が通信で命令のやり取りを行う。指揮官の指示通り、無能者である部下がライフルを担ぎ出した。
ストレスを感じないように設計された詰所から数人の軍人が姿を現す。装備は様々で、素手だったりライフルを持っていたり、ナイフを持っていたりする。
異能者と無能者。二つの人間による複合軍。それがアミカブル軍だった。
お互いのいい部分で悪い部分を補佐する最強の軍隊。常識的に考えて殺し合うより協力し合った方が戦力は増強される。
この軍隊が、アミカブルが唯一の理想郷足らしめる守護神だった。
そんなガーディアンの軍勢が、銃口を上空に浮かぶ悪魔のような男へ向ける。
一見、ただの少年。だが、異能者という区分がある以上、子どもだから、では済まされない。
善良なる市民を守るためには、流血沙汰も仕方ない。少年を狙う無数の狙撃者は、対象を射程に見据えると一気にトリガーを引いた。
対異能弾の銀と、炎や雷撃、はたまた空気砲といった複数種の異能が入り乱れる。
さらに、飛来した戦闘ヘリによる爆撃が、住宅街上空で炸裂した。敵の侵入を察知した時点で、頻繁にテロなどの危険に曝されるアミカブル国民の避難は完了している。
「全弾命中。敵の排除を……っぁ」
最初に悲鳴を上げたのは、ヘリのパイロットだった。
残骸が墜落する……という心配は無用だ。黒い何かによって、ヘリは跡形もなく消し飛んでいた。
途切れる断末魔が、次々に無線から発生する。悲鳴を言い終える前に、兵士達が続々と絶命していた。
「く……やはりこいつが予見されていた……だとすれば我々の戦りょ」
市街警備を任されていた指揮官のセリフが途切れる。
防衛拠点の一つが、まるで最初から何もなかったかのように跡形もなくなっていた。
「フラン達は早く避難して。あたしが出るから」
決意を秘めたような強い瞳でフラン達に告げたノーシャは、当然の如く反発を受け、その腕を掴まれることとなった。
「待って! 相手が何なのかわからない状態で出ても」
「……アイツの正体はその子に大方聞いたから」
ノーシャはベッドに寝ているナンバー356に目をやる。黒髪の重力使いは、苦しげな表情でノーシャを見上げていた。
そして、ノーシャが求めていたとは違う答えを口にする。
「戦力不足。……あなたでは勝てない」
「あたし一人ならね。この国にはずっと中立を守ってきた最強の軍隊がいるし」
「でも……その維持にはシャドウって男が主に関わっていたはずですが」
強がるノーシャに、やりとりを傍観していた小羽田が冷静に言う。
そうよ! とフランが声を上げたが、ノーシャは二人の言葉を突っぱねた。
「いくらなんでもたったひとりがどうこうって訳もないわ。ある意味で事実なのは間違いないけど、この国が中立でいられたのはシャドウの力だけじゃない」
シャドウが中立派において重要な人物であったことは間違いない。だが、シャドウが全てという訳でもない。
この国の軍隊……無能者と異能者のいいとこ取り部隊ならば、例え核攻撃から生き延びる化け物でも倒せるとノーシャは信じていた。
いや……信じ込もうとしていたという表現の方が正しいかもしれない。
「もうわかったでしょ」
今度こそ部屋から出ようとしたノーシャは、立ちはだかる親友にまたも足止めされた。先程と同様に払おうとしたノーシャだが、泣きそうになっているフランは彼女にとって最大の障壁に成り得る。
困り果てるノーシャに、後ろから久瑠実が問いかけた。今まで見せたことのない、真剣な眼差しで。
「ノーシャちゃんは死ぬ気なの?」
「…………」
ノーシャは返答に詰まってしまう。その問いは、図星に近かった。
彼女自身としては、死ぬ気など毛頭ない。しかし、同時にフラン達を守るためには死んでも致し方ない、とも思っていた。
矛盾した気持ち。仲間を守りたいという切なる願い。
他者を想えば想うほど、その心は相反する。
「ノーシャ……」
「それは……」
答えあぐねた彼女が、今一度フランを見る。その瞳には、同じような意志が垣間見えた。
単純に考えて、ノーシャが死ぬ気でフランを守りたいならば、フランだってノーシャを全力で守りたいに決まっている。
そして、それは困るのだ。ノーシャにとって。もし自分が死ぬことでフランを生かすどころか殺すことになってしまったら本末転倒にも程がある。
ならどうすればいいのかは、既にノーシャは理解していた。
「……悪い冗談だわ。あたしが死んだら、誰がフランを守るの。勝てなくても、やられるつもりはない。あなた達が避難するまでの足止めよ」
「ホントに? フラン」
フランの念には念をいれた問いかけに、ノーシャはにこっと微笑んだ。
「あたしがフランに嘘をついたことあったっけ?」
「割とあった気がする……。でも、私はノーシャのこと信じてる」
親友と抱擁を交わした後、ノーシャは三度目の正直で出撃する。その背中をフランがしばらく見つめていたが、すぐに退避しましょうと移動し始めた。
「あの様子じゃ、プランEを使うことになると思われる」
「プランEってなんのこと?」
久瑠実の問いにフランが答える。
「至極単純。エスケープってこと。重い?」
「全然! とても軽いです!」
とても嬉しそうな顔をして、小羽田がフランに返事をした。彼女の背中には、まだちゃんと動くことが出来ない356が背負われている。
その後ろを、パソコンを持った彩香が追従していた。先程からずっと黙っていた彼女は、黙々とある想いを込めながらキーボードを叩き続けている。
(……早く……解析しないと……)
それは何としても次の走者にバトンを託そうとするランナーの顔でもあり、それでいて死を覚悟した戦士の顔つきだった。
『敵はひとりだけだ。集中砲火を再度行う。遠距離攻撃が出来る者は敵対象に向けて指示を待て』
「……最大火力をぶち込んでみましょうか」
王宮を出たノーシャは、翼で空を飛ぶこともせず、足でなるべく高い場所を目指していた。
出来るだけ、王宮からは離れたい。とすると、平時には買い物客でにぎわうデパートが現状の最適解に思えた。
(下手にいっぱい集まっても無意味だしね……味方の攻撃を邪魔したら意味ないし)
目的地を見やったノーシャは、翼を生やし低空飛行を行う。なるべく目立ちたくはない。
特に妨害も受けずデパートの屋上に辿りついたノーシャは、他数人の兵士達と共に兵装を構えた。
右腕部はライフル銃へと変化。威力はありったけ。威力が高すぎて、わざわざ使う必要のないレベルの代物。
左腕部はガトリングタイプへと可変。一発一発が着弾と同時に爆発する炸裂仕様。
両肩に生えたキャノンは、徹甲弾。戦車だろうが戦闘機だろうが一撃の破壊力に設定。
両脚部にはコンパクトミサイル群。一度着弾すればそのまま灰塵に帰す攻撃力だ。
腹部にはレーザー砲。左腰にはレールガンを装備し、右腰にはスモークディスチャージャーが搭載された。
これだけでもう十分過ぎるほど過剰火力なのだが、そこにノーシャは刃物を付け加える。
背中に生えていた翼の、羽の一本一本が射出され、無数のウイング・ブレードが展開する。
これが、ノーシャが今出せる最高の火力。身体を想い通りに変化させることが出来る彼女には、人間火薬庫の異名こそふさわしい。
(合図を……さっさと終わらせたい……)
ノーシャの脳裏にはフランがちらついていた。彼女が心配で心配でたまらない。現状の危険度でいえば自分の方が危険だというのに、不安がぬぐえない。
さっさとこの鬱々とした気持ちから抜け出したい。そう願った彼女の耳に、号令が聞こえてきた。
「……全弾発射!!」
気合を込めて、持てるだけの火力を発揮する。
一国の軍隊すら壊滅出来るのではないかと思わせるほどの火力が、上空の敵に向かって飛来する。
自分の耳が聞こえなくなってしまうかと思えるほど、凄まじい轟音が鳴り響く。文字通りの総力戦。圧倒的な破壊を持ってして、自国に対する外敵を始末する……。
それは戦闘ですらなく、一方的な虐殺に近かった。相手は一切の反撃を見せず、ノーシャのライフル、ガトリング、キャノン、コンパクトミサイル、レーザー、レールガン、トドメのウイングブレードが、キングの身体を粉々に撃ち砕く。
「やった……わよね」
勝利を確信出来なかったノーシャは弱きだった。近くに立つ狙撃銃を持つ兵士と炎の異能者は歓声に沸いていたが、ノーシャは素直に喜べない。
人を殺してしまったから、などという罪悪感からではない。爆煙に包まれた空の中には、本当に奴がおらず、キングを確殺出来たという確証が欲しかった。
ノーシャの望みに応えるように煙を吹き飛ばす風が吹く。あらゆる砲撃によって張られた灰色のカーテンが、開かれる。
そして、無傷の敵が姿を現す。
「……ッ! スモーク!!」
声により認識力を高め、使わなければいいと思っていたスモークディスチャージャーを使用する。
放たれた煙弾が、敵方面に向かって炸裂。煙よ晴れよと思っていた先刻とは打って変わり、自身の意思で目くらましの煙幕を張る。
(……こうなったら接近戦を挑むべきか……!)
煙によって、視界はゼロと言っていい。裸眼では間違いなく、ノーシャもキングも敵を目視することは叶わない。
だが、ノーシャは自分の身体をカスタマイズ出来る。見えないのなら、見えるようにしてしまえばいい。
ノーシャの目を覆うように、ゴーグルが生成された。
暗視装置を装着したノーシャが、自身の両手両足を剣に変え、音もなくキングに忍び寄る。
羽音が聞こえてしまわないか、敵にばれてしまうのではないか、と心臓がバクバクと音を立てていた。心音が相手に聞こえているのでは、と案じてしまうほどに。
しかし、ノーシャの心配は杞憂だった。そんなことを考える必要はなかった。
なぜなら、背後を取るまで後少しというところで煙が吹き飛ばされてしまったからだ。
「な――ッ」
否、吹き飛ばされたという表現は間違いだ。掻き消された、という表し方が正しい。
最初から何もなかったかのように澄んだ空の中で、ノーシャは姿を晒す羽目になった。
「なぁ、お前神崎直樹ってヤツ知ってるか?」
「……ッ!!」
右腕と左足による狭斬。首を狙った一撃。相手に対する配慮など微塵も考えない。
このまま一気に決着を。相手の首と胴を切り離し、惨死体を創り上げる。
そうした願いを込めて放った斬撃は、バキリという嫌な音と共に破壊された。
「ぐ……ぁ!」
変化させた剣が壊れただけではない。右腕と左足が千切れて取れた。壮絶な痛みがノーシャを襲う。
だが、悠長に痛がってはいられない。歯を食いしばり羽を射出して攻撃を行いながら、方策を思案する。
(情報通り……と言えばその通り。どうする? これで勝ち目はなくなった。下がるか? いや、まだフラン達が逃げ切れたとは思えない!)
本来なら痛みでかき乱されるはずの思考も、大切な親友のためならむしろ今まで以上に稼働する。
なんとしても時間を稼がねばならない。そして、約束した通り帰らなければ。
そのためには攻撃をつ……づけ……ない……と。
「……ぁ……」
「おいおい、ちょっと離れた場所に浮かんだくらいじゃ俺からは逃げられないぜ?」
がはっ、と血を吐き出す。反射的に下がった視線が、自分の身体に突き刺さる腕を確認する。
キングはものの一瞬で、ノーシャの元へと移動した。気がついたら、腕が急所を捉えていた。
「てれ……ぽーと……?」
「あんな不自由極まりないモノと一緒にするなよ。で、質問の答えは?」
「し……つもん……あなたの……ねらいは……」
死にかけるノーシャの問いに対し、キングは嬉しそうに答える。
「全員の死。……まぁ、順番はあるが。……ああいう人のために動くようなサイコパスの、大事な仲間が殺されて発狂する様を見てみたいんだよ」
耐え切れなくなって、また吐血した。視界が明瞭ではなくなってくる。
ああ……それは困る。せっかく植えた公園の花を見ることが出来なくなってしまう。
やっと……植えることが出来たのに。綺麗な花が咲く予定だったのに。
「さいこ……ぱすは……なた」
「なに?」
キングの問いかけに、ノーシャはどこから出せたのかわからないほどはっきりと、大声で言い放った。
「お前がサイコパスだ――ッ!!」
粒子化し、キングの背後を取ったノーシャは最期の力を振り絞り、散り際の斬撃を見舞う……。
大型潜水艦が数隻停泊している避難用ドックは、巨大ではあるが、簡易的な造りである。広いだけで何もない港を思わせる。
地下に造られたこの施設が簡略的なのには理由がある。ここを使うということは、この国を放棄することを決めたということであるため、一部の自衛兵器の他には役に立つモノは存在しない。
殺風景な港の中で、ひとり心配そうな表情をする少女がいた。家族も友人も避難し終えた。それなのに、大事な親友だけ姿がない。
「ノーシャ」
「……フランちゃん。早く乗らないと」
最後に一人だけ残っていた彼女を連れ出すべく、久瑠実が戻ってきた。
当初こそ渋ったフランだが、逃げないとノーシャちゃんも逃げられないよと久瑠実が言うと素直に従った。
開いたハッチから、フランが久瑠実と乗り込もうとして、
「おい、死ぬ前にちょっと話聞いてくれよ」
という背後から掛けられた声で固まった。
「ッ!?」「嘘……!!」
瞬時に背後へと振り返り、それが幻覚で無いことを知る。
ノーシャが足止めしていたはずの敵が、目の前にいた。ということはつまり……。
「……ノーシャは?」
震える声で、フランは敵に訊ねる。敵は笑いながら、可笑しそうに答えてくれた。
「ああ、俺のことをサイコパスだとか抜かしやがった紫髪の女だろ? 天使みたいな羽の生えた。そいつならぶっ殺したぞ」
「え」
「すげえ間抜けな死にざまだったな。油断して一瞬だ。ま、雑魚にしてはなかなか根性を見せたが、所詮雑魚は雑魚だしな。王に勝てるはずがねぇ」
フランにとっての絶望を、キングはまるで友達に話しかけるような気さくさで、取るに足らない出来事のように告げる。
力が抜け、座り込んでしまうフランに、中腰になってキングは質問した。
「なぁ、王女サマ。お前なら神崎直樹について何か知ってるよな? マジで教えてくれよ。アイツのせいなんだぜ? お前のお友達が死んだのは」
「ナオキのせい……ノーシャが死んだのは……」
「そうそう。全部アイツが悪いんだ。アイツがむかつくからな」
直樹の名が出て、ようやく当たりに辿りついたと喜ぶキングはフランの顔つきが変わったことに気付かない。
故に、突然立ち上がった彼女を、やっと答えてくれるのかと誤解する。
「…………るな」
「え、何だって?」
「ふざけるなッ!!」
パシッ! という音が地下ドックに響く。
フランがキングを引っぱたいていた。まるで言うことを聞かない子どもを叩く母親のように。
いや、その認識は誤っている。母親が子どもを叩く時は虐待などの一部の例外を除き、大概がその子を思い遣ってのことだ。
だが、フランはキングを想ってなどいない。その想いは死んでしまったノーシャと、アミカブル国民達、自分を支えてくれる仲間、父親、そして、遠く離れた日本にいる恩人の直樹に向けられている。
「お、お前……」
「……こんなことをして、ただで済むと思うな。……あなたが今、敵に回そうと……いや、敵に回したのはこの世最強の男だ。他人のためなら、自分が傷ついても厭わない。人のために自分の身を投げ出せる。愚かで、バカで、素晴らしい。そんな男。……あなたが誰を殺そうが、直樹は折れないし、絶対にあなたに勝つ!」
涙こそこぼしているが、その気迫は異能者であるノーシャをあっさり斃したキングでさえも圧倒されるほどだった。
無能者であるフランが、異能者で、強大な戦闘力を持つキングを絶句させている。
だがその沈黙は長くは続かなかった。
「……そうかよ。ありがとな……よくわかったよ」
キングが動き出した。破壊をまき散らすため、フランに近づく。
「ふ、フランちゃん! 逃げないと!」
「ここは私が! 後はあなたに任せま」
「もう邪魔だ。消えやがれ」
シュバッ! というよくわからない音がした。
「フランちゃん!!」
最後まで抵抗する意志を見せたフランがあっさりと掻き消された。
死体すら残らず、死んでしまった。衝撃的な仲間の死を前に、しかし久瑠実は腰を抜かすことなく異能を発動させる。
そして、フランに応えた。涙を拭いながら。
「後は任せて……フランちゃん!」
「ちっ、透明になれんのかよ。面倒だな……」
潜水艦の上部から、久瑠実の姿が消える。フランの時とは違い、自発的な消失だ。
そのまま内部へと入って行った久瑠実を追いかけようとしたキングだが、横に並ぶ他の潜水艦からの銃撃に立ち止まった。
「おいおい雑魚が邪魔すんなよ」
口々に、フラン様! やよくもやってくれたな、と叫ぶ兵士達は、キングに対して臆するどころか勇猛に攻撃を加えている。
その事実が、キングを苛立たせた。彼はそのような手合いが嫌いなのだ。
「これ以外、全部ぶっ壊しちまってもいいよな」
一切の慈悲を見せず、次々と潜水艦を壊していくキング。後には残骸すら残らない。
国民のほとんどを虐殺し終えたキングが鬼ごっこを開始するために潜水艦の中へと入って行った。
「彩香ちゃん。フランちゃんが……死んだ」
『……そう』
驚愕な事実のはずだったのに、彩香は平然としていた。そのことに対し何か言おうとした久瑠実だったが、突然割り込んできた通信に遮られる。
声の主は、小羽田だった。
『どうします? 奴は乗り込んで来てますよ』
『どうもこうもないわ。もう誰も……助からない。都合の良いヒーローは……一回くらいしか現れてくれない』
全てを諦めたような彩香の物言いに、久瑠実が一喝する。
「そんなこと言わないでよ! ならフランちゃんの意志は……!」
『わかってるよ。だから……お願いしていい?』
通路を駆けていた久瑠実が思わず立ち止まった。
「何を――?」
『ひどいこと。お願いしていい? 今、私はキングについて纏めたデータを直樹達に送っているの。でも、電波状況が悪いのかまだ時間が掛かる。だから、足止めしてほしいの。……こんなことを頼むなんて最低だってのはわかってる。でも……』
『無意味な自虐は面白くもなんともないですよ』
『こ……小羽田……』
涙声の彩香が驚くように小羽田の名を呼ぶ。
対し、小羽田は努めて明るい声で言い返した。今さらだ、と言わんばかりに。
『私達は仲間なんでしょう? なのにくだらないことで遠慮しないでください。死ぬときはみんないっしょです。それに、案外いいところかもしれませんしね、天国』
『そんな……強がり言って』
『きっと女の子がたくさんいるんです。その中で私は私のしたいことを行います。ひゃはー興奮してきた。きっと素晴らしい場所です。久瑠実さんもそうは思いませんか?』
「え? えっと――」
久瑠実は返答に困り、悩んだ。だがすぐに、正直に、自分の気持ちを伝えることにした。
何も思い悩むことはない。彼女達は友達で、仲間なのだ。その性癖は未だに理解出来ないが。
「正直、微妙かな。直ちゃんいないだろうし……」
『あーそういえば久瑠実さんは直樹が好きでしたね。まぁ、寂しくても私が慰めてあげますよ』
「え、遠慮しとこうかな」
と答え、ひとしきり笑った後、久瑠実は覚悟を決めた。
もう怖がってなどいない。みんないっしょだから。これは死ではない。好きな人を生かすための戦いだ。
「じゃあ、私はどうすればいいのかな」
恐怖など欠片も見せず、久瑠実は彩香に作戦を問う。その瞳には確固たる意志が宿っていた。
「なる。とにかく時間を稼げ。彩香らしい、とてもバカバカしい作戦ですね」
『バカにしてんの。仕方ないでしょ。私達全員まともに戦えないんだし』
談笑を交えながら、装備を整える。
小羽田は、拳銃とグレネードを各種ポーチに入れ、臨戦態勢となった。
艦内からは警告と銃声が轟いている。今、敵は上層の通路にいるらしい。
対して、彩香がいるのは下層。出来るだけ遠くへ逃げているようだが、下に行けば行くほど通信状況が悪くなる。
「いや、別に変わんないんでしたっけ。私はあまりパソコンに詳しくないのでわかりませんが」
それを言うならこれも――と、拳銃を見やる。
勝ち目がない戦いに、効果がない武器を持って赴く。これが如何にバカバカしいことなのか、大人だけではなく子どももわかり切っていることだろう。
それでも、行く。どうせ死ぬなら、やることは全部やっておきたい。
「ああ、どうせならメンタルさんと一夜を共にしたかった」
そんなことをぼやきながら、中層にいた小羽田が、キングと彩香への道を塞ぐように立ち回る。
丁度通路を通ろうとした時、それは現れた。頬を赤くはらして、間の抜けた顔を晒しながら、怒り心頭であることを隠そうともせず堂々と歩いてくる。
思わず、クスリと笑ってしまった。その笑みが、キングを余計に怒らせる。
「何がおかしいんだよお前」
「わかりません? あなたですよ。あなたの間抜け面が面白かったんです。男ってのはやっぱバカだなぁ」
「てめぇ!!」
間一髪。小羽田がいた場所を、黒い弾が通り抜ける。
咄嗟に伏せた彼女はホッと安堵の息を吐きつつ、銃口をキングへと向けた。
「どうしました? 威力を押さえているから、当てることが出来ない?」
「くそやろっ」
小羽田の読みは当たっていた。キングは情報が欲しいのだ。情報を得る前に、艦を壊す訳にはいかなかった。
それに、自分の手で神崎直樹の仲間を殺したという事実も欲しい。そのためには直接手を下すしかない。
小羽田が引き金を引くと同時に、キングは動き出した。
銃弾に怖じることなく迫ってくるキング。対して、気丈に引き金を引き続ける小羽田。
その銃撃は長くは続かない。弾切れだ。A9の装弾数はチャンバー内にあらかじめ装填していても16発しかない。
「くっ!」
「幕切れだクソ女!」
通路内をキングが駆け出す。咄嗟にスタングレネードに手を伸ばす小羽田だが、彼女よりもキングの方が速い。
首を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた小羽田。もう彼女に打つ手はなかった。
「お前は神崎直樹の知り合いなのか? いや、そうだよな。どう見たって軍人じゃない」
「さぁ……どうだったでしょうかね……ぐっ!!」
キングが小羽田の首を絞める。徐々に狭まっていく視界。
息苦しさの中で、小羽田は理解した。これが死なのだと。暗く冷たい場所にどんどん押し込められるような、とても痛く、とても苦しく、とても辛いモノ。
だとすれば、冗談じゃない。苦しんで死ぬなどごめんだ。それに、万が一、ということもある。
やってみる価値は、あった。
「答えろ、答えろよおい……!」
「い、や、で、す」
小羽田はグレネードのピンを抜いた。
「美紀ちゃん……」
爆発音が、友人の死を伝えてくれる。
次死ぬのはお前の番だ。そうとも言ってくれる。
「……そろそろ、敵が来ます。皆さん、本当によろしいんですか?」
久瑠実は振り向いて、志願した避難民と、残りの兵士達に尋ねた。
返事はない。する必要もない。もうとうに覚悟は出来ている。
「あいつには借りがあるからな。貸しもあるけど」
乗艦していた智雄が久瑠実の肩を叩く。さみしそうな顔をした久瑠実は、直樹の両親を捉えた。
悲しそうでいて、戦う意志を秘めている顔。ここにいる全員が直樹のために立ち上がったのだ。
いや、全員が同じ目的かは定かではない。ただでは死にたくないという者や、みんなといっしょにいたい、という理由の者もいる。
だが、全員が戦意を滾らせていた。絶望など、恐怖など知ったことではないという風に。
悪意が伝染するのならば、善意だって伝染する。戦意も、想いも。
多くの人間が様々な想いを胸に、一つの意志の元集結した場所へ、悪意の塊が侵入する。
堂々と広大な避難民収容室に入り込んだキングは、自分に多くの敵意が向けられていることを知った。
「なんだ、お前ら。何してんだ」
「んなことはどうでもいいだろ。お前、直樹について知りたいんだってな」
久瑠実の横に立っていた智雄が、口を開く。自然に、堂々と振る舞っていた。
「ああ、そうだ。で、何か知ってるのか?」
「ああ、知ってる。アイツは俺の幼馴染でな。要はバカだよ。俺と同じくらいにな。勉強はロクに出来ねえ、これといった特技もない。交友関係は普通……よりも友達少ないな。とにかく、平凡な奴だ。普通、普通。至って、普通」
「……へぇ、それで」
「でもな、人が何か困ってるとどうにかして助けようとする奴だ。バカで、それでいて……すごい良い奴だよ。お前なんかと違ってな」
「そうかよ死ね」
ハエを払うかのような動作で、智雄の右腕が吹き飛んだ。
ぐ……ぁ……と痛みに苦しむ智雄だが、その顔には笑みが張り付いたままだ。
「そら見ろ。お前はマジでくそ野郎だ。直樹は絶対そんなことしねぇよ……が……へへ……痛いし苦しいが……お前は絶対に負ける。だから、こんな痛み大したことねえよ」
智雄は血を吐きながらも立ち上がった。残った左腕で、よろよろと拳を振り上げる。
だが、その拳が届くことはなかった。当たる寸前で、その身体が消え失せる。
「智雄君……!」
それが皮切りだった。戦いとは呼べない虐殺が、久瑠実の目の前で繰り広げられる。
しかし、奇妙なことに、誰も恐れてはいなかった。それよりも、希望を繋げたという喜びに満ち溢れていた。
「何だよ……何なんだよお前ら! 異常だ……マゾヒストか!?」
攻撃が掠りもしないのに、キングは恐れていた。人を、人の想いの力を。
最初は銃を持っていた兵士や異能者が何名かいたが、すぐに拳による原始的な攻撃へと移り変わった。
何の武器すら持たない男達が、効きもしない拳を振り上げてキングに特攻する。
その中には、直樹の父親もいた。人に群れる死人の如く、キングに向かって群集する。
「このゾンビめ……! 気でも狂いやがったか!」
叫ぶキングの目は節穴だったと言わざるを得ない。誰もが、正気だった。
自分の信念を胸に秘め、大事なモノを守るため、大切なことを繋ぐため、捨て身の覚悟で突撃する。
しかし、現実は非情だ。どれだけ多くの人がどれだけ想いを込めようと、たったひとりの人間に蹂躙される。
いつの間にか、室内には久瑠実しかいなくなっていた。死体すら残っていない。みんな、跡形もなく消えた。
ひどく興奮した様子のキングが、久瑠実の元へと詰め寄り歩く。
口を開いて問いただした。先程と同じ問いを、先程よりも語調を強めて。
「一体……何なんだ。お前は……お前らは……神崎直樹は一体……?」
「教えて、あげるよ」
瞬間、久瑠実の姿が透明になる。
狼狽したキングが、辺りに目を凝らし久瑠実の姿を捉えようと必死になる。
攻撃が効かないはずなのに、キングは久瑠実をとても恐れていた。
「くそ……どこだ……出てこいよ! この艦ごと吹き飛ばすぞ!」
もはや当初の目的を忘れた恫喝。だが、そんなものに屈する乗組員はこの艦に乗り合わせていない。
「直ちゃんはね、私の幼馴染。言葉は悪いけど、智雄君と同じく私もバカだって思ってるの」
「くそくそくそ! 出てこい! 出てこいよぉ!!」
デタラメに黒弾を発射するキングだが、久瑠実に直撃かおろかかすり傷一つ付けられない。
息荒く叫び続けるキングに、久瑠実が一方的に回答する。待ち望んでいたはずの答えであるはずなのに、キングはただただ慄いていた。
「でもね、本当に、いい人。ちょっと心配だし、自分のことも考えて欲しいけどね」
「くそっ! うるせえ黙れ! 何なんだよ本当に! バカはお前だ! 俺が殺した女共だ! ここにいた全員だ! 神崎直樹……一体何なんだ!!」
「直ちゃんはね――」
スッ、と久瑠実はキングの後ろへと姿を現した。手にはナイフが握られている。
「直ちゃん……直樹はね……私の――好きな人だよ」
久瑠実はナイフをキングの背後に突き刺した。その刃先が、キングの身体に触れないことを承知の上で。
「送信完了……フフ……これで終わり……」
役目を終えたパソコンを膝から落とし、貨物室に隠れていた彩香は安堵の息を吐いた。
これで最後。シャドウの遺した情報と、小羽田の考察を全て入力し終えた。
後は死を待つのみである。
「ハハ……直樹、あなたに全てを託すよ……」
透視異能を持つ彩香には、全て視えていた。
自分の友達がひとり、またひとりと死んでいく姿も。
徐々に徐々に、段々と、自分を殺しに来る死神が近づいてくる姿も。
そしてまた……ドアを隔てた向こう側に、憔悴しているキングが佇んでいることも、はっきり透視していた。
ゆっくりと扉が開く。自然に勝ち誇った笑みが漏れた彩香が、勝利宣言を行う。
「あなたの負け。あなたは直樹に負けるよ」