たったひとりの暗殺
すっかり日が暮れ、心の追跡が困難になった直樹達は、壊れていた家屋の中に身を潜めていた。暗いリビングの中には、僅かなろうそくの灯だけ。敵の探知に引っかからないようにするためだ。
そんな状態の中で、直樹は床に寝そべっていた。炎とエリーは別々のソファーに横になっている。
「直樹君」
「どうした、炎」
急に小声で呼びかけられ、直樹が起き上がる。てっきり寝たものと思っていた炎はまだ起きていた。
「矢那さん……大丈夫かな……メンタルズがあんなことになって……」
ろうそくに照らされる炎の瞳は、とても悲しみに愁いている。
「……考えてもしょうがないよ。大丈夫だって祈ろう」
返す言葉を迷って、直樹は気休めを述べた。動いてる時は考える暇がなかったが、こう寝そべっていると、色々なことを考えてしまう。
もう何度考えたかわからない、これからどうなるのかという先のこと。それは誰にもわからないし、思案してどうこうなる問題でもない。
だというのに、頭は想い通りになってくれない。こうして会話している方が、まだ落ち着いていられる。
考えを巡らせなくて済む。答えの出ない問いに。
「……わかってるんだけどね。……どうも眼が冴えちゃって」
直樹と同じように眠れない炎があははと苦笑する。本来なら休まなければならないのだが、目が冴えてしまうのだから仕方ない。
直樹と炎は会話を続けることにした。
「……心はどこにいると思う?」
「うーん……日本、かな」
「アバウト過ぎる……」
曲がりなりにも異能犯罪対策部として心を追っていた警察の協力者である炎に意見を求めた直樹が間違いだったらしい。
再び小さな笑い声を漏らす炎は釈明を始めた。
「そういうのは全部、達也さん任せだったからね……」
「……まぁ、炎は考えごと苦手だしな。期待するのが間違いか」
いつものように直樹が返すと、炎はいつものように失礼だよ! と怒り出した。
「それを言うなら直樹君だってそうでしょ!」
「まぁ……そうだな。いや、それでも俺は最近炎より頭がいいんじゃないかって思ってきてるんだ」
「そんなことないよ! 数学出来ないくせに」
「……それは炎も同じだろ。それに、俺は数学だって炎よりも点数高いし」
確かに、直樹は炎よりもテストの点数は高い。どのみちどちらも赤点なので、完全にどんぐりの背比べ状態なのだが……。
「うっ……。で、でも私、体育は得意だよ!」
「俺も別に体育は苦手じゃないからな。色々あって体力もついたし」
ふふん、と薄明りにドヤ顔を照らさせる直樹に対し、負けず嫌いの炎は髪の色と同じくらい顔を真っ赤にさせた。
「じゃあ帰ったら競争だよ! 絶対私の方が速いし!」
「おう、受けて立つとも。俺も足には自信がある。というより全てにおいて負ける気がしないぜ」
今の直樹は何に対しても敗北してはならない。なぜなら、彼は“すごい”からだ。
そう言ってくれたのは、他ならぬ炎だった。何も出来ないと打ちひしがれていた直樹を奮い立たせたのも、戦う力を与えてくれたのも彼女だ。
だから、直樹は負けない。恐らく戦うことになる王などと嘯く仇敵に対しても。そして、まるで子どものような意地の張り合いに対しても。
「むむむ! 私の闘志に火をつけて、後悔しても知らないよ!」
「火が燃えて危険なら、その火元を絶ってしまえばいい。今の俺に敵など――」
「おいてめえらいつまでいちゃいちゃしてんだよぶっ殺すぞ」
突然の殺人予告に、直樹と炎は押し黙った。声のした方を見つめると、横でくっちゃべられて寝るに寝れず怒りに満ちたエリーの顔が浮かび上がる。
手に愛銃であるリボルバーが握られているのが見て取れた。本気で怒っているらしい。
「こっちはマジでねみーんだよ。戦慣れしてなくて寝付けないようだし、本来なら捕虜扱いの私を自由にしてくれてる恩もあるし……って私が気を利かせてることをいいことにべらべらくっしゃべりやがって。温厚な私も流石にキレるぞつーかもうキレてるぞ」
温厚……? と二人揃って首を傾げていると、エリーはバッ! と起き上がって、
「寝れねーんなら二階で二人でヤッてこい! 身も心もホカホカになってぐっすり寝れるだろマジファックだな! とにかくここでこれ以上喋るんじゃねぇ私はもう寝るいい夢を!」
とめちゃくちゃなことをひとしきり言った後、ばたりと倒れ込んだと思いきやいびきを掻きながら寝てしまう。
呆ける直樹と炎は顔を見合わせた後、寝ようか、と再び横になった。
「……にしても変な奴だな。突然怒り出して……」
「しーっ。あんま大きな声出しちゃダメだよ」
エリーの様子を窺いながら、炎が口元に手を当てる。
そうは言うが、直樹には気遣う必要がなさそうに感じた。どう見たってエリーは爆睡している。一度眠ったらなかなか起きないタイプに思えた。
ただ、これ以上起きているのはまずいのも事実だ。後は余計なことを考えないよう、いい夢が見れることを祈って眠りにつくことが賢明である。
「……そろそろ寝ないと明日が辛そうだ。もう寝よう」
「うん。そだね」
おやすみ、と言葉を交わした二人は眠りについた。幸いなことに、悪夢が襲っている気配はない。
だが、現実という悪夢が、今も二人と仲間達を追いつめていることは明白だった。
「……だから、放っておいてって言ってるでしょ」
「……その怪我でまだ意固地になるのか! 傷を治療しなきゃダメなことくらい小学生でもわかるぞ」
「ああ、そう。私は小学生以下だったみたいね」
「矢那……っ!」
取りつく島もない矢那の言いぐさに、水橋が歯ぎしりを鳴らす。
直樹と炎の予感は的中していた。驚くほどわかりやすく、矢那は荒れている。
今もこうして治療しようと手を伸ばす水橋の手を払い、ひとり外へと歩き始めた。
「洞窟の外に出たら敵の探知に」
「敵が来るって言うなら願ったり叶ったり。私は今、戦いたいの。無性にね。寝る時間も惜しいくらいに人殺しがしたいのよ……」
「……おい!」
水橋の制止を無視し、夜明けまで潜伏している洞窟から出て行く矢那。追いかけようとした水橋を今度はノエルが止めてきた。
何だ! と言い叫ぶ水橋をノエルが諫める。
「今はそっとしてあげましょう。……怒るな、と言うのが無茶なのです。大事な人達が殺されたのですから」
「言われなくてもわかっている。私だって結奈が殺された時は荒れたし、めちゃくちゃもやった。矢那自身、死に別れた経験は一度や二度じゃないはずだ」
「恐らくは。三度目でしょう。彼女は両親と死別しています」
矢那は既に二度、大事な人間を喪っている。彼女の両親だ。
母親は幼い頃に死に、父親も直樹に感化され無能派にその身を投げ出した。
だが、人の死は慣れるものではない。感覚がマヒし慣れた気になることはあれど、何度も重ねて大切な人間が死ねば、いつか心は耐えられなくなってしまう。
人の心は人が思っている以上に脆い。そして、耐久性も人によって違うのだから誰々が大丈夫だからお前も大丈夫なはずだという理屈は通用しない。
厄介でいて、未知であり、論理が通じないモノ。それが人の心という不透明な存在だ。
「……私は怒るなとも、泣くなとも言っていない。ただ死に急ぐなと伝えたいだけだ。メンタルズはそんなことを望んでいない」
死者の想いを断言した水橋に、ノエルは何も言わなかった。
人は想像でしか死者の気持ちを判断出来ない。メンタルズが矢那に対し死なないでと想うと考えるのは想像だが、反対に案じていないというのもまた想像上の産物でしかない。
どちらも想像なら、いい方を取るべきだ。間違っているかどうかは死ねばわかる。
生きている限り、人は生きようとしなければならない。それが水橋の持論だった。
それだけでなく、純粋に矢那を救いたいという気持ちもある。水橋にとって矢那は、久しぶりに波長の合う相手だったからだ。
「――それは彼女が一番わかってるはずです。全部、ヤナは理解しています。今行っている行為が完全に八つ当たりであることも。自分が死んだからどうこうなる事態ではないことも。時が全てを解決してくれるわけではありませんが、時間経過にとってどうにかなる事案もあるはずです」
反論しようとした水橋だが、ノエルの言ったことは正論だった。
今は時間が必要だ。矢那に、そして彼女を案じる水橋自身に対しても。
「……そうか。そうだな」
納得した水橋は、ランプが申し訳程度に灯る洞窟内の、ひんやりとした岩に腰を落とした。
矢那に索敵に引っかかる、と言ったが実際にはそこまで危険ではない。どちらかというと矢那を洞窟内に残す言い訳だった。
だが、矢那は外に出て行ってしまった。そして、今は時間が必要だと諭された。
故に、水橋は休息を取る。また明日も戦闘に出るからだ。
今は身体を休めなければならない。だというのに、精神の方は全く休まる気がしなかった。
「くそ……どうしていい人間から死んでいく……」
彼女は新垣達也が死んだ時と同じセリフを口にする。
結奈の時も同じことを水橋は思った。自分を導いてくれた者が、ことごとく敵の非道な手に落ちていく。
異能省中立派にスカウトしてくれたシャドウも、死んでしまった。死んだ仲間のリストに、名前がどんどん追加されていく。
それを避けるため、エージェントになったのに、どうしてこうも自分は無力なのかと水橋はやり切れない想いを吐き出した。
すると、ノエルが口を開いた。励ましの言葉でも呟くのかと思えば、出てきたのはむしろ正反対の言葉だった。
「……人は死ぬもの、です。この世に生きる者……いえ、この世に存在する全てのモノは壊れる運命にあります。人も動物も、草木も、そして世界さえも……滅びを避けるというのがそもそも愚行なのです」
「それは暴論だろう。だから殺していいというわけではない」
ノエルの言ってることは確かに正しいのかもしれないが、最終的にみんな死ぬこととだから殺してしまっていいということはイコールではない。
水橋の反論に、ノエルは首を縦に振って頷いた。
「ええ。殺してしまっていいというわけではありません。それに、滅びを避けることは愚行ですが……滅びを遅らせるというのは生物としての義務です。我々はただ無意味に生きているのではない」
どうやら水橋の認識は間違っていたらしい。
これはノエルなりの励ましだった。時代遅れの、それでいて最新式の鎧に身を包む騎士の、人の身を案じることば。
ぎこちない応援を受け、水橋は冷たい土壁に背を付けた。水鉄砲を取り出し、半透明な水色を見下ろす。
正義の味方に憧れていた親友がくれた水鉄砲。子どもが無邪気に遊ぶような代物だが、水橋にとってはそれ以上の意味を持つ道具だ。
人を守り、救うという大切な――。
「今はとりあえず、どうにかなることを信じて足掻くしかないか」
「ええ。人は何度も道に迷います。迷った数だけ、知恵を得る。失敗した数だけ、チャンスが生まれる」
だが、失敗を生かすことが出来るかどうかは当人の努力と運次第だ。
いくら覚悟しようが想いを秘めようが、人は死ぬし争いは止まらない。
しかしそれでも……何も考えないよりはマシだ。
これ以上、誰も死ぬことがないように……水橋は今は亡き親友に祈った。
(結奈……みんなを守っていてくれ)
その祈りが届いたのか、白い場所から世界を見下ろしていた少女は、無垢で純粋なその想いに対し、回答を述べた。
「残念だけど、それは無理だよ」
恐ろしさすら感じてしまうほど静かに、朝は訪れた。まるで静寂が慰めであるかのように、戦の音ではなく鳥の鳴き声がレクイエムめいて奏でられている。
森の中で、移動手段である馬と共に身体を休めていたメンタルは、彩香からの報告で思わず携帯を落としそうになった。
「メンタルズが……死んだ……」
『そう。残念だけど……』
「くっ」
間違いなく自分の判断ミスである。部隊編成など行わず、素直に彼女達についていっていれば……。
(いや……認めたくないけど……)
メンタルはすぐにそれはないと自身の考えを否定した。
メンタルズは自分に負けず劣らず優秀である。要は自分が九人いるようなものなのだ。
そんな彼女達が、やられた。撤退すら出来ずに殺された。その時点で自分がいてどうにかなるレベルだったか怪しい。
「……誰にやられたの?」
『恐らくは……神崎成美……クイーンを殺したヤツ。……もしかしたらあいつは心を狙ってるかもしれない』
彩香の推測は妥当と言えた。心がいた現場に二度キングは現れたのだ。
理由は不明だが、奴が心を狙っている可能性は高い。
「あいつが姉さんを狙っている……」
それは断じて受け入れられないことだ。姉は理想郷への鍵だというのに。
直樹が捕獲したエリーという異能派のガンマンは、異能派が心に対し抹殺命令を出したと言っていた。
それに加え、無能派のネットワークをハッキングしたところ、連中でさえも心の暗殺オーダーを出していた。
そこに、キングという未知なる破壊者が加わり、全員が血眼になって心を探す……現実だとは思いたくない。
「なぜ姉さんを狙うの……」
『……わからない。でもいいことじゃないのは確か。……いつからモテモテになったのかしらね、心は。モテキならもう少し後に来てほしかったんだけど』
「……そもそも姉さんにモテキなんて必要ない。姉さんは直樹一筋だし。……本当に――必要ない」
姉はもう十分戦った。自分の家族の仇、炎の兄を殺す羽目となった元凶に辿りついた。
後は記憶を取り戻すだけでいいではないか。どうしてそんなに姉を苦しめるのか。メンタルには人々の心理が理解出来なかった。
(姉さんをもう放っておいてあげて。姉さんに安息を与えてあげて。姉さんは暗殺者じゃない。ただの平凡な少女なのだから)
だが、無垢なる願いは届かない。
馬が急に鳴き、メンタルは何気なく空を見上げた。
そして、目視する。空を移動する黒い男を。今度こそ携帯を手放してしまった。
「あれは……」
反射的に、拳銃を抜く。落ちた携帯から彩香の声が聞こえ、メンタルは拾おうとした。
しかし、寸前で躊躇する。
(勝てる見込みは薄い。ほぼゼロと言ってもいい)
ならばこそ、携帯を拾い応援を要請するか、このまま森の中に隠れ木々と一体となってやり過ごすか。その二択であるはずだった。
だが、メンタルは第三の選択肢……戦うことを選択する。
直樹達が来ても勝てるかはわからない。水橋達も同様だ。
相手は全くの謎。初見で勝てるかどうかは不明の敵。
なら自分に出来ることは、身を犠牲にして情報を得ること。それが最善であり、姉の生存確率を上げ、直樹が姉を合流出来る可能性を高める唯一の方法であるはずだ。
死ぬ気はない。だが決死の覚悟をして、メンタルは携帯を拾い上げた。
彩香に一言、用事が出来たと告げ、馬を逃す。もう必要ないだろう。
そして、暗黒郷を構え警戒しながら、各種ドローンを配置。
地雷等、罠を可能な限り仕掛けた後、手近な木に登り、背負っていたアンチサイキックライフルに手を掛けた。
スコープの中にはにやにやと新しい楽しみでも見つけたような男の顔が写り込んでいる。
その顔はすぐに驚きの表情へと変わるはずだ。願わくば、奴自身何が起きたか気付くことなく暗殺出来て欲しいが……。
「姉さんの元には行かせない……!」
自然と一体になったメンタルは木の枝に身体を寝そべらせ、息を吐き出しながら引き金を引いた。
銃声が、閑静な森の中にこだまする。必殺を約束された弾丸が、敵の眉間に一切狂うことなく突き進む。