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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第六章 壊れる世界
103/129

進路変更

 準備が整った直樹達が出発して早三時間は経つ。最新式の兵員輸送用航空機の中で、彼らは揺られていた。本来ならば数十人が座れる無骨な座席をほとんど取っ払い、直樹、炎、水橋、矢那が座り心地の良さを優先して造られた高級椅子にゆったりと座っている。

 あらかじめ、部隊は二つに分けられていた。日本に接近し、無事直樹達が着陸した後、水橋、矢那、そして先行機に乗っているノエルが敵部隊の迎撃に当たり、直樹達とメンタルチームが心を捜索するという算段だ。


「後どのくらいですか?」

「立火市まで一時間ちょっとと言ったところか。この高速機をなめるなよ」


 直樹の問いに自慢げに答える水橋。と言われても太平洋の真ん中から日本まで四時間でつくことがすごいのかどうかは地理に詳しくない直樹にはさっぱりわからない。

 情報統制のせいで海外旅行はおろか飛行機にだって乗るのはこれが初めてだ。


「無知って怖いわよねー」


 水橋の横でピコピコゲーム機をいじっていた矢那が言う。そんなことを言われても、知らないものは知らないのだからどうしようもない。

 はぁ、と直樹が答えると、隣で寝ていた炎が目を覚ました。

 ふわぁと大きな欠伸をして、無防備な姿を直樹に見られていたことに気付くと、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。


「お、起こしてくれても良かったのに」

「そんな……気持ち良さそうに寝てたからさ」


 緊張感に欠ける、などとは思わない。戦士にとって休息は必要だ。戦う前だからこそ、寝ていた方が良いのだ。

 なのに、直樹は眠れずにいる。眼が冴えて寝れないのだ。

 別に眠くはないので、それで問題はないのだが……。


「直樹君は寝なくていいの?」

「……眠くないし、変な夢見そうだからさ」

「夢……。私も夢を見たよ」

「ホントか?」


 直樹の問いに頷いた炎は、一瞬考え込むようなしぐさをして話し始めた。


「えっとね、全部無事に終わって、立火市も復興して、みんなで学校に通うんだよ。なぜかフランちゃんとノーシャちゃんもね」

「まさか私も含まれてはないだろうな」


 携帯に目を落としていた水橋が気になって訊く。炎はもちろんと答え、


「ちゃんと水橋さんもいましたよ」

「いや……私はどちらかというと大学生……」

「どーせ中退してるんだからいいんじゃないの?」


 他人事のように言う矢那に対しても、矢那さんもですよと炎は言った。


「え? 嫌よ。私は家でゲーム三昧するんだから」

「そう言わずに行きましょうよ。楽しいですよ」

「お喋りはね。授業なんてタルイものがあるから嫌だわ」

「それは確かに。でも、俺はもう大丈夫ですよ」


 黙って聞いていた直樹も得意げに会話に入る。そう、彼はもう授業など怖くない。なぜならば。


「彩香の透視と小羽田の念思、成美の精神干渉を使えば授業なんていてっ!」


 堂々とズルしますよ宣言をした直樹は炎に軽く叩かれた。


「そんなズルダメだよ! 異能の悪用は禁止だよ!」

「なら彩香と小羽田にも言ってくれよ……」


 苦笑する直樹に、炎もぎこちない笑みを向ける。欲望に忠実な歪んだ性癖を持つ二人の異能の使用方法は悪用とも言えなくはない。


「あっ、あの二人はいいの! 直樹君はダメだよ!」


 んな横暴な、という直樹だが、別に怒ってはいない。

 こんな状況でも普段通り接してくれる炎に、心から感謝していた。

 対して炎はというと、ハハハと笑った後、一瞬だけ暗い表情となった。

 今言った夢は空想のもの。本当に彼女が見た夢は、死にかける直樹を庇って自分が死ぬというもの。

 それが正夢にならぬよう炎は祈りながら、直樹との談笑を続けた。


 

 その警告が聞こえたのは、フランが日本の学校に適応出来るのか、という話をしている最中だった。


『一番機から通信! 日本上空で大規模な戦闘が行われている模様!』

「なに? なぜわざわざ日本で……っ!?」


 小規模な戦闘こそ存在するかと思われたが

 突然機が揺れ、立ち上がった水橋がよろめいた。

 何事!? と驚く矢那の声に応えるように、機内スピーカーからパイロットの怒号が鳴り響く。


『護衛機がやられた!! レーダーに反応はない……恐らく異能者の攻撃!』

「……っ!? バブル張って!」

「な……?」


 急に叫んだ直樹に、水橋が戸惑う。だが、もう一度語勢を強めて言われた要請に彼女は応えた。


「早く!!」

「わかった!」


 輸送機を包むように、水橋の泡が展開する。

 航空機を守る全方向バリアとして展開された不可思議な泡は、突如飛んできた敵の攻撃を見事に防いだ。

 振動によろめきながらも、直樹が床に目を落とす。

 否、彼は床ではなくその下……そこでボードのようなものに乗っている敵を透視していた。


「チックショー! どんだけかてえ泡だよコイツは。何で私のレーザー防いじまうんだよ……マジファック」


 西部劇に出るガンマンめいた格好をした少女は、愛銃であるリボルバーを片手にぼやいた。

 閃光の射手の異名を持つ、生粋のアメリカ人であるエリーは気取ってなぜか落ちないウエスタンハットに手を置きつつ、愛馬である飛行ボードで輸送機の周囲を旋回し、弱点を探す。

 だが、見つからない。見逃してしまった目標はざまこころと同じように見つけ難い。


「こーいうのは得てして接近戦に弱いもんだが……私に近接オプションはねーしな。あ、こうすりゃいいか」


 エリーはくるくるとリボルバーを回し、一度ポーズをキめた後、リボルバーの銃口からサーベルのようにレーザーを射出した。

 エリーの行動は、そのほとんどが無意味である。西部ガンマン風の格好も、古めかしいリボルバーも。

 だが、無駄を積み重ねて獲得したのが、このような常識を打ち破る発想力だ。決して、ジャパニーズロボアニメを見て思いついただけではない。


「ま、ジャップはアニメとニンジャ、サムライだけは評価出来る……ぜっ!」


 リボルバーサーベルを用い、エリーは邪魔なバブルを切り裂いた。開いた隙間からスラスターボードを滑り込ませ、敵輸送機の後部へ移動する。

 リボルバーを射撃モードに戻し、勝利を確信した笑みを作る……。


「これで終わり……うぉぁ!?」


 ……はずだったのだが、開き始めたハッチからの攻撃に回避行動を取らざるを得なかった。

 水と雷の合わせ技。水橋と矢那の雷水である。

 汚らしい言葉で罵倒したエリーは旋回し、もう一度レーザーリボルバーを発動しようとする。

 わざわざ後部ハッチを狙うまででもない。エリーの異能である光線は例え対異能物質サイキリウムだろうが貫通すること間違いない。


「……ったく、無能派だと思ってたが……違うのか? 異能者ってことは……そうか」


 中立派か――。

 エリーは敵の正体を把握し、どう倒すのか、ではなくどう捕まえるかを思案する。今必要な情報は狭間心の所在だ。

 異能殺しを抹殺すること。それがエリーに与えられた任務である。ロシア双子も似たような命令を受けていたようだが、後れを取るつもりはない。


(獲物を殺るのは私の銃だぜ)


 現代は異能の出現によって、誰しもが予想も出来ない方向で科学力が発展した。科学とは争いのついでに発展するもの。その成長は予想出来て然るべきだったが、文字通り世界をぶち壊せるレベルにまで強力に研磨されるとは誰しも思っていなかった。

 異能殺しが使っているマシンピストル。あれも恐らくはそういう科学の産物だ。

 様々な戦況に対抗するため、拳銃というカテゴリーに目をつけ連射という機能を付与した凶悪なハンドガン。


「無粋、無粋。銃とはロマンを求めるものだぜ」


 元より、エリーは現代銃が嫌いである。

 レバーアクションも、リロードタイムの至福もない、ただ人を殺すために創られた銃器の数々。

 無論、人を殺すという点ではこのリボルバーも大差ない。しかし、古めかしいギミックがある。

 時代を感じさせるロマンが存在する。無骨な鉄の塊とは違うのだ。

 もちろん、現代にもリボルバータイプは存在する。だが、無能派の部隊の装備は専らライフルであるし、ハンドガンだってオートマチックだ。


「んなのはつまんねえし、マシンピストルなんてロマンの欠片もない。ロマンがない武器は全部私の銃と異能でぶち壊してやる」


 一方的なこだわりで、自分勝手な理屈を振りまきながら、エリーが輸送機に再度襲撃を掛ける。

 愛銃の撃鉄を下ろし、自身の異能を発動。西部劇を彷彿とさせる銃で、未来世紀を感じさせるレーザーを撃ち放つ。

 だが、何かに防がれた。拡散した閃光が、海の中へと消えて行く。


「またクソ泡か……!? いや……」


 白煙が立ち込める敵輸送機の上部に、何者かが立っていた。その男は左手を白い盾のカタチに変え、怒ったような顔つきでエリーを見上げている。


「何考えてやがる! 攻撃をやめろ!」

「突然何を……戦争だぜ?」


 交わすは言葉ではなく異能のはずだ。

 エリーは男の目的がわかりかねた。いや、もしかするとバカバカしくも説得でもしようという腹積もりなのかもしれない。

 だとすれば失笑ものだ。決闘の前に茶々を入れるギャラリーのようなものである。


「やめろ! 戦いたくない!」

「うるせぇ」


 エリーはまた引き金を引いた。本来ならば大気に深刻な汚染を与える熱量が、直樹に向かって奔る。

 だが、直樹はまたも閃光を防いだ。エリーは苛立たしげにボードに格納されていたウィンチェスターライフルを取り出す。


「マジファックだな。気分が悪い。戦争で戦って何が悪い?」


 レバーを引き、異能を発動させる。装填済みとなったM1873を構え、最高出力のレーザーを充填し始める。


「お前みたいなヒヨった奴は早々に死ね。人のやろうとしてることに茶々入れる奴マジファッキン」

「……どうしても、やめないんだな」


 青空をくるくると旋回し続けるエリーに、直樹が再び問いかける。

 その声はとても静かで、しかし確固たる意志と怒りを感じさせる声音だった。

 急に男の雰囲気が変わり、エリーが訝しむ。チャージ完了まで後少し。

 だが、急に下部から気配を感じ、彼女は左手で腰のピースメーカーを抜き取った。


「……させないよ!」

「ファック! 邪魔すんじゃねぇ!」


 見る者を驚かせるほどの早撃ちで、エリーは炎を迎撃した。空中を自在に動ける炎と言えど、レーザーの熱量に圧倒され接近は困難であり、スラスターボードで晴天を駆けるエリーを足止めすることは出来なかった。

 しかし、炎の顔に焦りはない。むしろ余裕の笑みをみせている。


「なに……っう!」


 鋭い水線。水鉄砲による射撃が危うくボードに着弾しそうになり、エリーが肝を冷やす。

 あぶねぇ、とホッとしたのも束の間、エリーに舌打ちをさせた張本人が正面から接近してきていた。


「な……!? コイツバカか!?」


 両手でライフルを構え直したエリーが瞠目する。

 右手に水鉄砲を持ち、左手を盾と変化させ、足から炎を噴射させながら飛来してくる男。

 だが、エリーの手には最高出力を放てるように改良したライフルがある。どれだけ急いでも、エリーが銃を穿つ方が速い。

 だというのに、エリーは焦っていた。男の気迫に気圧されている。


「く……終わりだ!」

「……うん。あなたの負けだよ」


 直樹に向けてエリーが異能を撃ち放った瞬間、炎が呟いた。

 その言葉が予言だったかのように、直樹は光り輝くレーザーの中を直進していく。

 シールドが最高威力の光線を防いでいた。あらゆる物質を瞬時に蒸発させる熱量を。


「な……ウソ……だ」


 エリーが呆然と呟きを漏らす。だが、どうしようもない現実として、エリーが戦を望む気持ちよりも、直樹の戦いを終わらせたいという想いが勝っていた。

 故に、負ける。シールドバッシュを食らい、ボードから叩き落され、空中へと投げ出される。

 エリーは悲鳴を上げながら、海中へと落ちていった。


「……ふぅ、何とかなったな」


 ひとまずの戦いが終わり、安堵する直樹。隣には炎が異能の力で浮遊していた。

 そうだね、と返した炎は、眼下を見下ろし不安そうな顔つきになる。


「あの人、大丈夫かな」

「異能者だし、死なないよ。ボードを渡せばたぶん」


 大丈夫、と言おうとした直樹の耳に聞こえてきた叫びに、直樹は怪訝な顔で海へ目を向けた。

 そこには、気取った姿のガンマンが何とか海面に顔をだし、情けなく助けを求めている姿が。


「へっ……ヘルプ! 私っ……泳げなっ……ブクブク」

「大変! 助けないと!」


 炎の声に直樹は頷き、エリーの元へ降下して行った。




「助けてもらったことには礼を言う。だが、敵に与える情報はねーな」

「いや、そんなぶるぶる震えながら強がられても」


 何とか引き揚げ、無事輸送機の中にエリーを収容した直樹達は彼女にタオルを渡し服を乾かしてあげていた。

 先程まで異能を交えていたとは言えないほのぼの感である。幸いなことに護衛機のパイロットが全員無事だったことが、殺伐とした空気にならずに済んだ要因だった。


「う、うるさい! 水嫌いなんだよ!」

「それはわかるけど……」

「つーか何なんだよ! さっきまで殺し合いしてたんだぞ! なのにトモダチみたいに話しかけてきやがって」


 ハットを頑なに外さなかったガンマンは、寒さに身体を震わせながら、直樹達に言う。

 もっと雰囲気があるだろ、だとか、捕虜らしく尋問しろ、だとか。

 それらが自分の首を絞める提案だということにまでは頭が回っていない。

 そして、直樹が次に口にした問いで、完全に冷静な思考が吹き飛んだ。


「……殺し合いなんてしてたっけ?」

「へ……?」


 目が点になったエリーが呆けてクソジャップの顔を見つめる。

 だが、この目が細い日本人はそんなことしてたか? とまた尋ねてくるばかり。


「は……はぁっ!? 命を賭けた撃ち合いを……魂ひりつく決闘をしてたじゃねえか!?」


 訳がわからない、と言った顔で叫ぶエリー。しかし、残念なことに状況を理解出来ていないのはエリーだけだった。

 エリーが殺そうとしていた、ということは正しい。だが、直樹達は殺す気はなかったのだから、意見が一致するはずもない。

 情報を得た後は殲滅しようとしていたエリーと、端から戦うつもりはなかった直樹。

 戦をけしかけた方が、やる気のなかった方に負けたのだ。これ以上情けない状況があるだろうか。


「……ッ! ウソ……私はこんな……ママに甘やかされて育ったような輩に」

「……残念だけど、私のママは幼い頃になくなってるわ。ま、そこのマザコン男はそうだろうけど」

「いや、勝手に人をマザコンにしないでください」


 マザコン呼ばわりした矢那に突っ込みを入れた直樹だったが、少し遅かったようだ。

 マザコン……マザコンに負けた……とショックを受けるエリーは涙すらこぼし始めた。


「お、おい。突然泣くな」

「……わだじ……こんな……こんなやつにぃいいい!!」


 水橋の声も届かず、号泣し始めてしまうエリー。

 炎がその背を叩き、よしよしと宥めると、最後に直樹に悪態をついてエリーは泣き止んだ。


「クソッ。正義の保安官たる私が敵に涙をみせちまうとは……ッ!」

「いやもう何が何だか……」


 直樹が困り果てていると、涙を拭ったエリーが質問してきた。


「……で、毎日ママのおっぱいでも啜ってんのか? マザコン野郎」

「おい、だからマザコンじゃない――」

「……はっ。ジョークだよ。ただ、少し気になってな。母親ってどういうものかって」


 急に話題を振ってきたエリー。どこか緩んでいる集団に気を許したのか、彼女は自分から話をし始めた。

 一見無関係そうな身の上話に、直樹は真摯に耳を傾ける。もしかするとポロッと敵の情報を漏らすかもしれない。


「私は自分の母親を撃ち殺したからよく知らなくてな」

「な……何でそんなことを」


 驚く直樹に、エリーが皮肉気な笑いすら浮かべながら言葉を続ける。


「儀式さ。異能者である私が、無能者を殺せるように」


 単純な確率でいえば、異能者の親は、無能者である可能性が高い。

 直樹の両親も無能者だ。水橋と炎は話を聞いていないのでわからないが、直樹の幼馴染である久瑠実や、心の相棒である彩香、両親に殺されかけた小羽田などは親が無能者である。

 とすればエリーの親が無能者でもおかしくはない。矢那のような親も異能者である家系は珍しい部類に入る。

 ただ、そうなると悲劇が起きてしまう。世界は二つに分けられているからだ。

 無能者は異能者を恨め。異能者は無能者を憎め。

 エリーはそんな世界の在り方に、何ら疑問を感じず従った。

 ペーパーテストを受けるように、悲しそうな表情の両親の眉間を、子どもの頃から好きだった西部劇のガンマンよろしく撃ち抜いた。

 先生はまるで実の娘が表彰されたかのように喜んでいたらしい。

 これでこの子も敵を殺してくれる。同情も逡巡もなく、食事に集るハエを叩き潰すかのように無能者ゴミを蒸発させてくれる。


「私は優秀だった。エリート中のエリートだ。私のことを誰も知らないくらいにな。敵と相対すれば、連中はすぐにお星様、噂が立とうにも広める奴すら死んじまう。なのに、こんな甘っちょろい奴らに負けたなんて……」


 エリーはまたもやショックを受けたような表情になった。その顔を見て、直樹もまた衝撃を受ける。

 矢那に意見を求めてその顔を見つめたが、普通のことよと首を振られ悲しそうな顔となった。

 いつの間にか、大人的な思惑は吹き飛んでいた。同情する子どものようにエリーの話を聞き続ける。


「有り得んぜ……。どうせお前らはみんなと仲良くしろとか言ってるんだろ? マジファックだな。みんなとは仲良くしてるだろ、私達は。で、それを邪魔してくる害虫を駆除してるだけだぜ」


 つまり、エリーにとって人を殺している感覚ですらなかったらしい。

 みんなで食事を摂っていたら、食べようと掴んだチキンにハエが集ってきた。だから、手に持っていたハエ叩きでぶっ潰した。

 そんな認識。ただ、目障りなハエを潰した。ただそれだけ。

 無邪気で無垢な幼い頃からそう教えられれば、人はそんな風になってしまうことを直樹は良く知っていた。

 ノエルやノーシャ、メンタル、成美がそうだ。

 だが、だからこそ受け付けられない。

 エリー当人がどうこうよりも、エリーにそんな教育を施した異能派がだ。


(くそ……単純じゃないな……やっぱ)


 直樹が姿の見えない曖昧な敵を前に歯噛みする。目先の敵を倒せば済むという単純な事態でないことは承知していたが、改めて敵が強大で卑劣な存在であることを再認識させられた。

 くそ……と直樹が怒りに顔を歪ませていると、エリーが何だ? と声を上げる。


「きゅ、急に何だ。何でキレる? 私の話がつまんなかったのか?」


 もしかして拷問を受けるんじゃね? と感じ始めた哀れな捕虜エリーは急に恐ろしくなって問いただした。

 その誤解を炎が訂正する。直樹君はあなたに怒っているんじゃないよ、と。


「な、じゃあ何にキレてるんだぜ?」

「あなたの境遇に同情して、首謀者に怒ってるんだよ。何でこんなことをするんだって」


 は? と一瞬きょとんとしたエリー。だが、すぐにいやいや、と片手を振った。


「何で敵に同情すんだよ。お前は一昔前のジャパニーズヒーローか? そんな古臭い奴が現実にいるはず……が……」


 しかし、予想外のことが起きるのが現実だ。事実は小説よりも奇なり。

 フィクションのようにイケメンではなく、スタイリッシュに決めることなど出来ず、どうでもいいことで思い悩むが、理想と信念だけはヒーロー足りえる男がエリーの目の前には立っている。少なくとも、エリーが途中で言葉を継げなくなる程度には。


「……お前、マジモンか?」

「……何のことだ?」


 見えない敵に静かなる怒りを向けていた直樹に放たれた問いに、彼は首を傾ける。

 その様子を見て、今までの自分のアイデンティティがぶち壊されたような感覚に陥ったエリーは、怒るでも悲しむでもなく、ただ大きな声で笑い始めた。


「マジか……ッ。マジでこんなヤツが今時いるのか……! ジンセイってのはわかんねーな。マジファックだ……ハハハ……」


 もうちょっと早く出会えてれば――。

 そう思ったエリーだが、口には出さず、代わりに銃を要求した。

 もしこいつがマジモンのバカならば、何の躊躇いもなく渡すはず。

 そう踏んだエリーの予想は見事的中した。


「……ハハハ。お前マジでバカだな。私が銃をぶっ放したらこんな鉄の鳥一瞬で海の藻屑だぞ」

「お前の愛馬ボードもいっしょに、だろ。それにそんな悪い奴には見えない」

「人は見かけに……ってんな格好じゃざまぁねえな……。……まぁいい。私達の世界では力こそ正義だ。どんなに立派なキレイゴトをのたまっても、負けたら結局弱者の理屈なんだよ」


 エリーはリボルバーを一通り眺めて満足すると、少し濡れているハットに左手を置いた。

 本人としてはかっこつけているつもりなのだが、身体がタオルに包まれているせいで間抜けにしか見えない。

 しかし、その言葉には惹きつけられた。


「で、異能者は無能者を殺すものつー理屈は、今や弱者の理屈だ。私は私を打ち負かした強者……そこのチェリーボーイに従うしかない」

「チェリーって……」

「事実だろ? それともそこの赤いヤツとヤったのか?」

「んなことするか!」「しないよっ! まだっ!」


 炎が何かとんでもないことを口走った気がするが、気のせいだろう。

 何でこいつはこんなに言葉が汚いんだと嘆く直樹を尻目に、エリーは口を動かし続ける。


「まぁコイツが童貞だろうがんなことはどうでもいい。私はコイツのオーダーにしたが……いや待て、どうでもよくないな。エロい命令とか出されたらたまらない」

「んなもん出すかよ! 人を変態みたいに言うな」

「……ま、とにかくそういうことだ。少しばかり協力してやる。三枚目のヒーローさん」


 バスタオル姿の少女エリーは、西武ガンマンのようにガンスピンを披露した。

 助けを借りられると確信した直樹は、手を伸ばし握手を求める。しかし、レーザーガンマンは拒否した。


「おっと……まだ身体は許しちゃいねえ。情報は受け渡す。が、この銃は渡さない。……だけど、銃弾なら何発かくれてやる」

「……いや……ああ、うん。それでいい。よろしく」


 色々突っ込みたかった直樹だが、協力してくれるというのならば特に言うことはない。

 それに、まずは情報が欲しかった。少々寄り道をしたが、ここには心を探しに来たのだ。


「……見たところ、アンタらは異能殺しを探しに来たんだよな。てっきり連絡を取り合ってると思ったんだが違うようだし」

「うん。私達は心ちゃんを探してる」


 炎が皆の代わりに答える。なるほどな、と頷いたエリーは、


「なら、私が最後に異能殺しを見た地点を教えてやる。場所は……」


 心のいる場所を聞き、炎がよろめいた。

 慌てて直樹が炎の傍に行きふらつく彼女を支える。顔は真っ青になっていた。


「……そんな……私の兄さんが死んだ場所……」


 考えてみれば当然だったのかもしれない。

 心のはじまりの場所は、炎にとってはじまりの場所でもある。

 立火市から遠く離れたそこになぜ心がいるのかはわからないが、何の当てもなく立火市を捜索するよりは可能性がある。

 直樹が目配せすると、水橋が頷き返し、指示を出した。


「進路変更してくれ。目標は新来市……。狭間心がかつて住んでいた家だ」







 生き残ってしまった。

 ナンバー356は呆けた表情で、その残骸を見つめていた。

 死ぬべきだった場所。だが、自分は生かされ、海に触れるか触れないかぐらいの宙に漂っている。


「どうしよ」


 生きる目標はない。通信機が壊れたのか、自分が成すオーダーもない。

 あるのは空白と無気力感と……。


「貴公……伝授?」


 右手の無い、死にかけた男だけだ。


「……生きる意味を……見いだせぬなら……」


 奴の情報を俺の仲間に届けろ。

 男は息も絶え絶えな様子で、そう訴えた。


「奴……殲滅目標……いや、殺害完了なはず……」


 疑問に眉根を顰める少女に答えるかのように、海が割れ始める。

 神話の再現のように割れる海。その中から出てきたのは一人の少年だった。


「……理解……不能……」

「へっ。こんな程度なのか?」


 傷どころか汚れすらついていないキングはアイツの名前なんだったけなーと考え込み始めた。

 本能が危険を告げている。ナンバー356はタワーの残骸に隠れようとした。

 だが遅すぎた。いや、そもそも隠れることが不可能だったのかもしれない。


「おい、隠れてるお前、知らないか? クイーンがめっちゃ執着してたヤツ」

「……情報皆無」

「嘘つけ。……あーっと思いだした。狭間心だ……。あの茶番やってたガキのお友達だよな……。……そうだ。いいこと思いついた。……狭間心と神崎直樹……そいつらの仲間全員……」


 ――皆殺しにしてやる。

 そう呟いたキングは、上空に跳び上がった。何か異能を発動したようだが、異端狩りの騎士である少女にもそれが何の異能かはわからない。

 正体不明の敵を緊張の面持ちで見守っていた少女は、脇で抱えていたシャドウに海へと叩き落とされた。


「……死ぬな」

「……あなたは……っ!!」


 少女がつい先程まで浮かんでいた場所に、黒い塊が着弾した。



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