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解決編第二章 真犯人

 榊原と『生還者』は無言のまま対峙していた。外から聞こえる大都会独特の喧騒がすべて遮断されているかのように、事務所内は静寂に支配されている。

「……何ですか。その言い方だと、まるで私がその第三者であるという風にも聞こえてしまうのですが」

 『生還者』……三十歳前後の本名不明の男性は、そう言って榊原を牽制した。

「いいえ、とんでもない。私はあくまで『土方邦正』に化けていた誰かの話をしているだけですよ」

 榊原は『生還者』の牽制をのらりくらりとかわす。張り詰めた緊張感の中、榊原はそうした雰囲気を一向に介さないように淡々と話し続けた。

「犯人が『土方邦正』を名乗っていた誰かだとするなら、第一の事件……すなわち『土方邦正』殺害とされていた事件は、バスジャック前に殺害されていた本物の土方運転手の遺体の頭部を『土方邦正』を名乗る誰かが切断し、頭部以外の遺体を便所に置いただけという事になります。当然、あの村では検視も不可能ですし、その遺体がまさか事件前に殺されたものである事などわかるわけがない。警察がやってきた後に遺体を調べられても、正真正銘本物の土方氏の遺体なのだから怪しまれる事もないでしょう。なかなかうまい手だと思いますよ」

 榊原は『生還者』を見ながら言葉を続ける。

「犯人が『土方邦正』だとするなら、以降の犯行でアリバイも何もない。普段はどこか別の場所に隠れておいて、メンバーに隙が生まれたときに一人ずつ殺していく。人数が残り少なくなった後は消化試合に過ぎません。つまり、犯人は第三者でありながら第三者ではない立場にいた。言い換えれば、内部犯でもあり、外部犯でもあったという事になります。長年刑事や探偵をやってきましたが、こんな珍しい立ち位置の犯人は、私も初めてお目にかかりますね」

 ほめているのか皮肉を言っているのかわかりにくい榊原の言葉であったが、いずれにせよ、このままに言わせておくわけにはいかない。

「納得できませんね。何もかもが空想に過ぎない。仮にあなたの考えが正しかったとしても、問題は山積みのように思います」

「もちろん、私もこの程度ですべての謎が解決したとは思いません。例えば、そもそもなぜ『孔明』と柴井がバスジャック前の段階で土方邦正と入れ替わり、『孔明』が土方運転手に化ける必要性があったのか」

 そう言うと、榊原は本格的に推理を……否、『生還者』に対する追及を開始した。

「土方運転手への個人的な恨みなら、殺した後に入れ替わりをする必要性はない。となると、『孔明』たちの目的は運転手の入れ替わりにあったと考えても差し支えないでしょう。では、その目的とは何か。何度も言うようですが、須賀井によるバスジャックの発生はあくまで偶発的なものでしかありません。もし須賀井によるバスジャックが発生しなかったら、『孔明』と柴井は何をするつもりだったのでしょうか。『孔明』も、まさかバスが運転したいがために運転手を殺して入れ替わったという事はないでしょう。となると、考えられる可能性はそう多くありません」

 それに対し、『生還者』は反論する。

「そんな可能性、あるわけないじゃないですか。何のためにそんな馬鹿げたことをする必要性があるんですか。大体、運転手に化けて何のメリットがあるんですか?」

「メリットはありますよ。少なくとも、運転しているバスを自由に動かす事ができる。すなわち、運転手を脅してバスを動かす必要性がない。こう考えれば、二人が何をたくらんでいたのかは明白だと思いますが」

 そう言うと、榊原は一気に切り込んだ。

「ようは須賀井と同じなんですよ。バスジャック。これが『孔明』と柴井の目的であり、須賀井のバスジャックによって幻に終わった計画だった。私はそう考えています」

 思わぬ話に口をつぐんだ『生還者』に対し、榊原は追求を続ける。

「もっとも、馬鹿正直にナイフ一本で堂々とバスジャックに挑んだ須賀井と違って、この二人の犯行計画はもっと緻密で計画的なものでしょうがね。バスジャックという犯罪におけるデメリットは、実際のバスの運転を運転手に依存せねばならない点です。したがって、犯人がいかに脅しても運転手が拒否してしまえばバスを動かすことはできないし、検問突破のような無茶な運転もまずできない。バスジャックにおける犯人の命綱となるバスそのものの動きを完全に人質に握られている形になるんです。こんな事ではバスジャックが成功しないのも無理はない」

 『生還者』に反応はない。榊原は気にせず続ける。

「ですが、犯人が運転手に代わって運転しているとなれば話は別です。本物の運転手に指示してもできないような無謀な運転による強行突破も可能ですし、バスを停めようとする警察の誘導を無視することもできる。一般的にこのような立て篭もり事件の突入は占拠された乗り物が停止したときに行われます。逆に言えば、走り続ける乗り物に対しての突入は不可能。運転しているのが犯人であるなら、こうしたリスクを最小限にまで抑える事ができるんです」

 そう言ってから、榊原は言葉を言い添える。

「ただし、当然これにもデメリットはある。犯人が運転している以上、今度は人質である乗客を統制する事ができなくなってしまう。いくらわめいたところで犯人は運転席に釘付けなのですから、乗客は自由に動く事ができるし、脅そうとした場合、バスを一度停めることになる。これではバスジャックの意味がありません。このデメリットを解決する方法は一つ。運転する人間と人質を管理する人間、二人の犯人が二つの役割をそれぞれ分担する事です」

 榊原は結論を言った。

「もうわかりますね。今説明した二人組によるバスジャック計画で、運転手役が『孔明』、人質管理役が柴井だったんです。おそらく、須賀井のバスジャックがなかった場合、柴井が乗客を脅す中、『孔明』がバスの運転をそのまま掌握するという新手のバスジャックが発生していたはずです。実際に起こっていたかと思うとゾッとしますけどね」

 だが、『生還者』は納得しない。

「だとしても、どうして事前に運転手を殺して入れ替わるなんて事をする必要があるんですか。しかも、その遺体をバス内に持ち込むなんて、わけがわかりません」

「確かに、運転中にいきなり運転手を襲って殺害する事はできるでしょう。ですが、そうなると運転手は運転席で激しく抵抗するでしょうし、乗客だって黙ってはいない。何よりその間、走行中のバスは手放し運転になってしまう。バスジャックしようとしてバスに大事故を起こされたのでは話になりません。スムーズに運転手と入れ替わるためには、倉庫から発車する前に殺害して入れ替わってしまうか、もしくは発車直後の乗客がいない段階で前に飛び出すなりして強引にバスを止め、出てきた運転手を殺害して入れ替わってしまうのが一番手間隙がかからないんですよ」

 榊原は『生還者』の言葉に対する反証を続ける。

「その際、バスジャックまでに遺体が発見されてしまうと、これもまた面倒な事になってしまう。運転しているのが別人とばれて通報され、乗客にまぎれた私服刑事がバスに乗ってくる可能性さえ出てきてしまう。自分たちの安全を確保するためにも、バスジャックが成功するまでは本物の遺体が発見される事だけは断じて阻止せねばならない。だからこそ、一番安全な場所……つまり、犯人たち自身が遺体を管理する他なかったんです。運転している『孔明』にそんな芸当は不可能なので、必然的に乗客として乗り込む柴井がゴルフバッグに入れた遺体を管理する事になった。こう考えれば、すべての疑問に決着がつくと思うのですが、どうでしょうか」

 そこで、榊原は表情を厳しくさせた。

「でも、この完璧な計画も思わぬ横槍でお釈迦になってしまいます。自分たちがバスジャックを決行する前に、別の第三者……すなわち須賀井が、よりによって自分たちの乗っているバスでバスジャックを実行してしまったんです。これは本当に犯人たちにとって不運以外の何物でもなかったと思います。まさか今更、自分たちもバスジャックするためにここにいるんだ、と言うわけにもいきませんし、当然自分が本当の運転手でない事を告白するわけにもいかない。結果、『孔明』は内心歯軋りしながらも土方運転手として須賀井の言いなり通りにバスを運転する他なくなってしまった。この時点で、『孔明』たちのバスジャック計画は中止せざるを得なくなってしまったんです」

 榊原は話を先に進める。

「バスジャックが起こせなくなってしまった以上、一刻も早く正体がばれることなく撤収する事が『孔明』たちにとっては最大の課題となります。問題はここなんです。警察の介入でバスジャックが解決しても、その瞬間に自分が運転手でない事がばれてしまう。さらに、柴井のゴルフバッグには本物の土方運転手の遺体があるんです。警察に突入されて事件が解決されてしまえば、須賀井と同時に自分たちまで窮地に追い込まれてしまうんですよ。つまり、『孔明』と柴井もこのバスジャックが解決してもらっては困るという状況に陥ってしまったんです。この場から逃げるには須賀井のバスジャックが解決されなければならない。だが、解決してしまうとその瞬間に本来の目的を達する事ができないまま自分たちも終わってしまう。とんでもないジレンマだったと思います。しかも、自分たちと違って須賀井のバスジャックは稚拙極まりないものだった。一刻も早く何とかしないとあっという間に事件が解決してしまう」

 『生還者』は無表情に話を聞いている。その無表情が逆に不気味なオーラを発しているが、榊原は止まらない。

「唯一の救いは、バスの運転を握っているのが『孔明』であるという点です。須賀井の命令に従いながらも、『孔明』はこのどうしようもない事態を解決する方法を模索していた。そして、豪雨の奥多摩を走行する事になって、その方法を思いついたんです。それが、事故を起こして全員を強引に遭難状態に追い込むという方法でした」

 いよいよ、話が白神村の惨劇へと近づいていく。

「おそらく、『孔明』も一か八かだったと思います。危険ですし、もしかしたら死ぬかもしれませんから。ですが、このままジリ貧になるよりはという考えだったのでしょう。彼はハンドルミスに見せかけてバスを転落させ……そして生き残る事に成功した。柴井の死が意図的だったのか誤算なのかはわかりませんが……いずれにせよ、これで警察に知られる事なく須賀井のバスジャックは解決した」

 そして、榊原は重苦しい表情で告げる。

「ただし、このまま救助されるわけにはいかない。生き残った乗客たちは、『孔明』が土方運転手として運転しているところを見てしまっている。彼らがいる限り、自分が土方運転手の名前を偽ってあのバスを運転していた事実は消えないんです。自分が土方の偽者であることがばれた時点で土方殺しの容疑が全面的にかかってしまいますから、自分の事を知っている彼らがいる状態で救助されるわけにはいかない。ですが、これを逆に言えば自分が土方運転手と名乗っていたのを知っているのは、この場にいる乗客たちだけなんです。彼らさえいなければ、自分は土方殺害の容疑から逃れる事ができる上に、堂々と本名で社会へと復帰できる。ならどうするべきなのか。それが、あの白神村の惨劇の動機だった」

 榊原は結論付ける。

「すなわち、自分が土方運転手を名乗っていた事を知っている乗客全員の口を封じるしかない。つまり、今回の白神村の犠牲者たちは、第三者の『孔明』が土方運転手と名乗っているのを知らずのうちに知ってしまっていたがゆえに殺害される事になったのです」

 あまりにも残酷な真実だった。そして、それを聞いて、『生還者』は重い口をあける。

「その理論だと、『孔明』の目的は自分を知る全員を殺して生き残る事ですね」

「はい」

「だとするなら、やはり第一容疑者はあの村から生還した『生還者』、という事ですね」

 挑戦的な『生還者』の言葉に、榊原はしばらく黙っていたが、

「……現状、私はその可能性が高いと思っています」

 と、ようやくその事実を認めた。一瞬、両者の間に火花が散る。

「つまり、あなたは誰ともわからぬ『生還者』が犯人だと……『生還者』があの村での『土方邦正』であり、同時に『孔明』であると告発している、と」

「……そうなります、ね」

「なら聞かせてください。あの村で、『生還者』はどのようにして一連の犯行を行ったのですか」

 それは、榊原に対する挑戦とも取れる言葉だった。一方、榊原はその挑戦を真正面から受けるつもりのようで、そのまま追求を継続しにかかった。

「これから話すことは、問題の矢守の手帳に書かれている事件の流れを前提にしています。手帳に従って一連の流れを振り返ってみると、バスが事故を起こして全員が村に逃げ込んだ翌日の早朝、彼らが逃げ込んだ村上家の便所から『土方邦正』の首なし死体が見つかった。ほぼ時間を置かずして、離れから看護師・宮島真沙代の生首が発見され、さらに生き残った人間が協議している最中、二階から宮島と一緒にいて行方不明になっていた牧原中学一年の時田琴音のバラバラ死体が発見。これが事件二日目の流れになります」

「あなたの推測では、その『土方邦正』はあらかじめ殺してあった本人の死体を置いただけで、それまで彼らと行動を共にしていた『土方邦正』は生きてどこかに隠れていた、という事になりますよね。そして、その『土方邦正』の遺体は柴井の持っていたゴルフバッグの中にあったものだと」

 『生還者』は怖い表情で榊原を睨みつける。

「手帳の記述がどうなのかは知りませんが、非常時にもかかわらず乗客たちの誰かがゴルフバッグを村に持ち込んだとでも言うんですか?」

「いえ、記述によれば乗客たちは必要最低限の荷物しか持ち込んでいないようです。当然でしょうね。豪雨と雷の中で一刻も早く避難をしなければならなかったのですから」

「つまり、肝心の遺体は事故現場。あなたは犯人がわざわざ遺体を事故現場まで取りに行ったと言うつもりなんですか?」

「言うつもりなんですけどね」

 呆れた口調で言う『生還者』の問いに対し、榊原の答えは単純明快だった。

「そのための目印だったんでしょう。手帳によれば、『土方邦正』は事故現場から白神村に行くまでの間に目印をつけています。これは事故現場まですぐに戻れるためにつけられたものだった。これをたどれば、迷うことなく事故現場に行き着くことは可能です」

「発覚したのが二日目の早朝という事は、事件そのものが起こったのは夜なんでしょう。しかも豪雨が降っている。そんな中、行き着くまでに何時間もかかったはずの森の中をうろつくなんて……」

「事故現場と白神村の距離は、そこまで離れていなかった可能性があります。元々山歩きに不慣れな上に、女性や子供、さらには負傷した須賀井までいたんです。手帳によれば、乗客たちが村に着くまでには相当に時間がかかっているようですが、実際はもっと短時間で往復できたかもしれません。それに、隠していただけで『土方邦正』には山歩きの経験があった可能性もある」

「なぜ、そんなことがわかるんですか」

「自分から山中で事故を起こしているからです。あの状況で事故を起こせば嫌でも山中でのサバイバルを強いられるのは目に見えている。それなりに山に関する知識がなければまずこんな決断はできません。ゆえに、もしかしたらと考えたまでです。とにかく、山に関する知識があって、おまけに道順がはっきりしている。実際の距離が先程の推測通り実は短かったとすれば、一時間もかからずに現場と村を往復できるはずです」

「でも、さっき言ったように夜なんですよ」

「バスには非常用の懐中電灯が設置されているはずです。乗客の前で『土方邦正』はそういう設備はすべて壊れたと言っていますが、それがもし嘘で、本人が密かに隠し持っていたとすればどうでしょうか。村にあった雨合羽や傘を使えば、遠距離移動は無理でも、事故現場との往復くらいはできるはずです。遺体はゴルフバッグの中。担いでいけば運搬自体もそれほど難しい事ではない」

「で、遺体を村に持って帰って、そのまま首を切断して便所に放置したと」

 『生還者』は皮肉めいた口調で言うが、榊原は気づかぬ風に話を進める。

「首を切断したのは、当然その遺体が今まで彼らと一緒にいた『土方邦正』でない事を悟られないため。ですが、それだけではなぜ首を切断したのかという話になり、あの遺体が本人ではないかもしれないという話につながりかねない。だからこそ、犯人はさらに二つ手を打った。それが、宮島さんと時田さんの殺害だったんです」

 榊原の言葉が若干重くなる。

「あの状況で犯人が二人を殺害した理由は二つ。一つは、犯人の狙いがあくまで離れにいた宮島さんと時田さんの二名であると残った面々に思わせ、『土方邦正』が殺されたのはあくまで二人の殺害に巻き込まれたと思わせるため。事実、手帳の記述でも『土方邦正』の死はトイレに行った際に二人を殺害しようとした犯人に遭遇したがためと推察されています。つまり、話の主軸から本来中心であるはずの『土方邦正』という存在を外す事ができるんです」

 そう言いながら、榊原は二本目の指を伸ばす。

「もう一つの理由は、二人の遺体をバラバラにしてその遺体の一部を持ち去ることで、『犯人は遺体の一部を持ち去る』という誤った法則を全員に周知させ、『土方邦正』の頭部がない事に疑惑を抱かせないため。犯人としては遺体の首がないことに疑問を持ってもらわれては困る。だからこそ、他の遺体をより派手に切断して、その事実を埋めてしまうしかなかった。木を隠すなら森の中、首なし死体を隠すなら大量のバラバラ死体の中に、です。それが、この一連の犯行で犯人が遺体を切断していった根本的な理由だと、私は考えています」

「最初の標的があの二人になったのは?」

「単に狙いやすかったからでしょう。七人で固まっている面々を狙うのと、そこから離れた場所にいる二人を狙うのと、どちらが簡単かという話です。しかもそのうちの一人は病気で身動きが取れない。私だったら間違いなくそちらから狙いますね」

「あなた、ふざけているんですか。そんな理由が通用するとでも……」

「そのセリフは犯人にそっくりそのままお返ししたいですね。とにかく、この犯人の最終的な目的は村にいる乗客全員の殺害。となれば、狙いやすい人間から狙っていくのは当然です」

 榊原の淡々として、しかしそれでいながらどこか決然とした言葉に、『生還者』は何も言えなくなる。

「続けましょう。こうして犯人は自らの存在を抹消する事に成功し、後は残る面々を適宜に殺害していくだけとなった。おそらく、それまでは他の廃墟でも潜んでいたんでしょうね。殺人鬼の影に怯えて自由に動けない乗客たちと違い、犯人は何の憂いもなく自由に動けたはずですから。これだけの事が起これば、必ず乗客たちには隙が生まれる。犯人はそれを待つだけだった。そして、それはその日の夜にやってきた。他でもない、瀬原麻美が月村杏里を気絶させて一人脱出を図ったんです」

「それで、瀬原さんを殺した、と」

「いえ、手帳の流れを見るに、おそらくはまず縛られている須賀井を殺したと思われます。元々自分の計画を邪魔された恨みはあったでしょうし、何より足を折っている分、残ったメンバーの中で一番殺しやすい。見張りの月村さんが気絶したのをいい事に、縛られていて抵抗ができない須賀井を気絶させ、そのまま外に連れ出して殺害して下半身を切断。次に逃げた瀬原さんを追って、これもまた殺害した。相手は山歩きに慣れない女子高生。追いつくのは特に難しいことではなかったはずです。この先は想像ですが、瀬原さんの遺体処理をしている最中に一人抜け出した雨宮憲子がやってきたのでしょう。やむなく、犯人はその場を離れた」

「なぜ雨宮さんをその場で殺さなかったのですか?」

「すぐに他の面々がやって来る事が予想できたからです。犯人にとってみれば、この場で無理に殺す事はない。案の定、森から脱出しようとして、やってきた藤沼たちに見つかっています」

 榊原はそう言って、手帳の写しの一節を指差した。雨宮憲子を追った矢守たちが、森の中に何かを見て追っていったという記述が書かれている。この直後、矢守は小里利勝と共に森に入って瀬原麻美の遺体の傍らに立つ憲子を発見し、直後に真っ先にその人影を追った藤沼が殺害されているのが発見されている。

「藤沼さんが殺されたのは?」

「見つかったからでしょうね。記述によれば、最初に追いかけていったのは藤沼さんです。おそらくはぐれた他の三人と違ってそのまま追いつく事に成功したのでしょう。そして、犯人の正体を知ってしまった。正体がばれた以上は、状況がどうあれ殺すしかない。もっとも、さすがに遺体をバラバラにする余裕はなかったようですが」

 そこまで言うと、榊原はファイルを閉じる。

「この時点で生き残ったのは四人。手帳の記述は月村さんが低体温症で倒れ、雨宮さんが部屋を出て行くまで。この後、この四人がどのような順番でどのように殺害されていったのかは不明です。ですが、小里さん以外の発見された三つの遺体には動かした形跡はなかった。つまり、発見された遺体は発見されたその場所で殺害された事になります。雨宮さんは離れの入口、月村さんは村上家の部屋の中、矢守さんが森の中です。また、現場の状況から乗客たちは村上家を拠点としていたと考えられています。以上の条件から推察するに、まず一人部屋を出て行った雨宮憲子が家を出たところで真っ先に殺害。その後、犯人が家に侵入して動けない月村杏里を殺害し、一人逃げ出した矢守昭平が最後に森の中で追いつかれて殺害されたと考えるのが妥当でしょう」

 そう言ってから、榊原は軽く首を振る。

「もっとも、村から遺体の見つかっていない小里利勝の殺害の様子ついては推測するしかありません。ただ、村上家からは彼のものと思われる左腕が発見されています。ここから、おそらくは月村殺害の前後に襲撃を受け、犯人に左腕を切断されたものと私は判断をしています。まぁ、この段階で彼の殺害順序がわかっても、推理にはたいした影響はありませんが」

 榊原は一息つくと、そのまま厳しい視線を『生還者』に突き刺した。

「以上が、私が推測する今回の事件で犯人が起こしたすべてです。反論はありますか?」

 あからさまな榊原の挑発に対し、しかし『生還者』はすぐに答えようとしなかった。一触即発の張り詰めた空気が、このさびれた探偵事務所全体を覆っていた。

 と、そのまま五分程度が経過したときだった。不意に『生還者』が単調に両手を叩いて乾いた拍手をした。

「すばらしいですね。本当にすばらしい推測です。いっそどこかの推理小説賞にでも送れば入賞くらいはするんじゃないんですか」

 そう言いながら、『生還者』は苦笑に近い表情を榊原に向ける。一方、榊原は厳しい表情を崩さない。

「推測、ですか」

「ええ、推測です。厳しい事を言うかもしれませんが、あなたの考えはすべてがただの推測です。証拠も何もあったものじゃない。おまけに、推理の根幹となっているのはその手帳の記述だけ。あまりにも根拠薄弱じゃないですか?」

 『生還者』は哀れむように笑いながら、榊原の視線をはねつけるように見つめ返す。

「いや、面白いお話でしたよ。ただ、所詮は『お話』。勝手に想像するのはあなたの自由でしょうけど、他人に信じてもらうには証拠がないといけませんね。これ、社会の常識ですよ」

「……あなたはこの意見に賛成できませんか」

「賛成するも何も、こんなあなたの空想に付き合ってあげただけでも感謝してほしいくらいですよ。まぁ、無理もありません。どれだけ頑張ってもあなたは事件の部外者。いくら頑張ったところで、証拠を提示するなんて無理なんですから。もっとも、それは私もですけどね」

 そう言って自身は関係者ではないと改めて強調すると、『生還者』はその場で伸びをして立ち上がった。

「じゃあ、私はここで失礼しますよ。この後予定がありますのでね」

 『生還者』はそのまま部屋を出ようとする。入口の前に立ち、ドアの取っ手に手をかける。このまま終わるかと思われた。

 だが、この榊原という探偵はこのまま黙って引き下がるような男ではなかった。

「なるほど、確かに部外者に過ぎない私には真の意味での証拠を提示することは無理でしょうね」

 榊原の意味深な言葉に、『生還者』は思わず手を止める。が、榊原は気にする様子もなく、彼の背中にこう呼びかける。

「なら、採る手段は一つです。部外者の私に証拠の提示が無理なら、すべてを見ていた事件の関係者に証拠を提示してもらいましょう」

 『生還者』はしばらくその場に固まって、黙って相手に背を向けていた。が、不意にゆっくり振り返ると、再びソファに座ったままの榊原と対峙する。

「……どういう意味ですか? あなたも言ったように、あの事件の関係者はその誰ともわからない『生還者』を除いて全員死亡しています。『生還者』が誰なのかわからない現状で、いったい、誰に証拠を提示してもらうつもりなんですか」

「『生還者』以外全員死んだとは聞き捨てなりませんね。もう一人、大切な登場人物がいるじゃないですか」

「そんな人間、いるわけが……」

「とりあえず座ったらどうですか。事件を調べているというあなたにとっても悪い話ではありません。それとも、このままそこに突っ立ったまま話を聞きますか?」

 榊原の言葉に『生還者』は一瞬躊躇したが、やがて肩をすくめて再びソファに腰掛けた。

「で、誰なんですか。そのもう一人の登場人物というのは」

 じれったそうな『生還者』の言葉に、榊原は静かにこう告げる。

「事件は白神村で起きました。なら、すべての根幹となった白神村の関係者にも事件に関する意見を聞くのが道理です。そして、幸いにも私にはその人物に心当たりがあります」

 一瞬、『生還者』はこの事務所の元の持ち主である笹沼昇一というシリアルキラーの名前を思い浮かべた。というより、その程度しか思い浮かばなかった。確かに、彼は今でも拘置所で死刑の執行を待っている。だが、この状況で彼に話を聞く理由などまったく存在しないし、第一死刑囚である彼にそう簡単に意見を聞けるわけがない。

 『生還者』は、榊原がおかしなことを言い始めたと思い、思わず顔をしかめて手元に出されていたお茶を手に取った。

 だが、実際の榊原の言葉は、そんな『生還者』の考えのさらに斜め上を行くものだった。

「この際です。事件の際に散々乗客たちを振り回した、噂の『イキノコリ』本人に、犯人を追い詰める切り札を提示してもらおうと考えているのですが、あなたの見解はいかがでしょうか?」

 思わず、『生還者』は口に含みかけていたお茶を吹き出しそうになる。探偵とは思えない、とんでもない爆弾発言だった。榊原の言葉にその場の時が停止し、『生還者』の頭も一瞬真っ白になったが、榊原の表情は大真面目である。それだけに、『生還者』はこれからどのように推理が進展していくのか、まったく予想する事ができなかった。

 戸惑いや疑念が渦巻く中、今、榊原の推理はクライマックスへと差し掛かろうとしていた。

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