プレイヤースキルの許容量(俺Tueeeはできるのか)
VRMMO-RPGに限った話ではないが、ゲームには「上手い人」と「下手な人」が存在する。
VR-RPGという環境下において、これはどこまで許容されるのだろうか?
まず私が思いついたのは、武道経験者とそれ以外である。
格闘技を始め、剣道や今では廃れつつある古流武術の経験者は戦う事に対して精神的にも技術的にも一般人より高い位置にいる。
もしも命中判定や回避判定がリアル準拠に近い物であった場合。彼らが対人を含むVRゲームを始めた場合、その技量と対人戦の経験値により一般人を圧倒する事が予想される。
つまり、彼らはごく一部のトッププレイヤーになる可能性が高いと考えられる。
逆に命中や回避の判定がゲーム的なデータに準拠する場合はそのアドバンテージが無くなることになる。精神的な面はそのままだから完全に無駄という事は無いだろうが、技術的な積み重ねが発揮できないというのは相当な負担になるだろう。なにせ、避けたはずが「当たっている」ことになるのだから。もしかしたらその感覚の誤差が邪魔をする事があるかもしれない。
これは身体能力のステータス化にも言える問題だ。
コンクリートブロックを殴り壊せる巨漢が魔法使いキャラにした結果、箸をへし折るのが精一杯のキャラになる。それぐらいならまだいい。もしかしたら、DEXを低くしたら不器用になり、体を上手く動かせなくなるかもしれない。そうなると「出来るはずの事が出来なくなる」ストレスを、プレイヤーに与える事になる。
これは果たして「公平な」状態なのか。
プレイヤースキルはどこまで考慮されるべきなのか。
「なろう」のエッセイでたまに見かける「ゲームのバランスを考えて」という言葉。
これはゲーム制作会社が「どんな客をターゲットにして」「どこを公平にして」「より多くのプレイヤーが」楽しめる環境を作るかにかかっている。
全てのプレイヤーにとって公平であったとしても、その「公平さ」はごくごく一部の面を見たモノのはずである。
リアルラックが差を生む事もあるし、ゲーム内の情報量などといった物で主人公を特別扱いする事もある。だが、それでは主人公が無双できる程のモノにはまずならない。それがゲームバランスだと言われればそれまでである。
しかし私はその意見にもの申す。
たまに何らかの理由で一人勝ちを許すゲームを扱った小説というのがある。一人勝ちするという事は、本当にゲームバランスが悪いゲームなのか。それを成すだけのプレイヤースキルの有無が勝負の決め手になる事が「バランスの悪い」ゲームのように扱われるが、それは本当に「バランスが悪い」ゲームなのだろうか?
全員に均等に機会があり、その人はその「機会」を掴んだだけではないのか。
プレイヤーの努力を書くことでそれを表現する人もいるし、努力じゃなくても理由付けを明確にする作者さんはいる。ゲーム前まで身体を鍛えて強くなった人がゲームでも強くたっていいじゃないか。ちょっとぐらい変わった設定をぶち込んだっていいじゃないか。それはゲームの「個性」である。
MMOやソーシャルゲームでは課金でどこまでも強くなれるからと課金に規制をかけたゲームもあるが、そうでないゲームも未だに存在する。そのゲームは不人気とは言えないほど課金者が多い人気ゲームだ。一人勝ちではないが、課金出来ないプレイヤーにしてみれば「超える事の出来ない差」を内包している。それでも自分なりの楽しさを見付けてプレイする人は多い。少数が「勝ち組」になるゲームなど、ごまんとあると言っていい。
単純に「一人勝ちする」だけで「ゲームバランスが悪い」などと、あまり言わないで欲しいものである。
余談ではありますが、私の場合は
・ そもそもキャラクターがトッププレイヤーではない
・ ごく特定の事にのみ特化したキャラを作れる
・ 特定シチュエーションでのみ活躍する
として、「ゲーム内における」俺Tueeeeeeは書かない事にしています。
その作品、こちらにまだアップしていませんがね。