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第九話 「女神の納める国」

 門までたどり着いた。

 街と外を隔てる、古めかしい門。

 その横には見張りの兵がいる。

 姉ちゃんが言っていた、騎士団の兵だろう。


 体全体を鉄の装備で覆うという、重装備をしている。

 篭手やら肩当てやら、身に着けている防具のどれもが放っている鈍い輝きが、妙な頼もしさを感じさせた。


 目が行ったのは防具だけじゃない。

 腰に据えてある剣にも、目を見張るものがあった。

 鞘に収まっているから刀身は見えないけど、それでも質のいいものであることはわかる。

 鞘や柄の部分の素材が、俺の使っている物とは段違いだからだ。


 やっぱり騎士団にもなると、装備品も一般の物とは違うらしい。

 これも騎士団に憧れる理由の1つなんだろうか。


「よ、お疲れさん。見た感じだと、あんたら狩人さんか。狩猟組合に用事か?」


 番兵のうちの1人が、手を挙げながら話しかけてきた。

 それに答えようとして―――詰まった。

 返事をしようと思ったけど、言葉がうまく出てこない。

 初めて話す、外の世界の人。

 髪飾りをしているから、俺が出来損ないだということはバレていないはず。

 わかっている。

 わかってはいるけれど……。


「ええ、そんなところです。お仕事、がんばってくださいね」


「はっはは。べっぴんさんにそう言われるとやる気が出るよ。それじゃあな」


「はい、それでは。……2人とも、行こ」


 そう促されて、先を歩く姉ちゃんの後ろについていく。

 ……いきなりやっちまった。うまくやろうと思っていたのにこの様か。


 顔を伏せながら、石畳が敷かれた道を歩いた。

 日が沈んでいるのに、ずいぶん人気が多いことに驚いた。

 並んである建物から出ている灯りがあるから、薄暗くもない。

 夜なのに、まるで昼間のようだった。


「緊張した?」


 先を歩く姉ちゃんが話しかけてくる。


「……あぁ、ちょっと不安でさ。大丈夫だってわかってるんだけど、やっぱりダメだった」

「最初だから仕方ないよ。これから慣れていけばいいじゃない。ゆっくり慣れていこ」


 姉ちゃんの言葉に、ちょっとだけ救われた。

 ―――最初だから仕方なかったのかもしれない。

 ―――次に同じことがあっても、今度はしっかり受け答えできるはず。

 とりあえず、今はそう思っておくことにしよう。

 失敗を引きずってたってろくなことがない。


「それにしても、ずいぶん道が広いんですね。帝都の道って、どこもこんなに広いんですか?」

「うぅん、そんなことないよ。広いのは大通りだけ。今は何もないけど、朝になるとお店がたくさん並ぶの。たまに騎士団が行列で通ったりもするかな。そうなるとすごいよ、お祭り騒ぎなんだから」

「騎士団の人たちって、どこかに行っちゃうんですか?」

「演習をするから、広いところに行くって話は聞いたことあるけど、それがどこかまではわからないかな。ただ、馬にたくさんの荷物を積んでるの見たことがあるから、きっと遠いところまで行くんだと思うよ」

「演習ですか」

「うん。あとは他の街で大きな事件があったときに出動するときも、たまにここを通ったりするらしいよ。演習のときよりも少人数だから、みんなすぐに事件が起きたってわかるんだって。そんなことは滅多にないらしいけどね」

「騎士の人たちが守ってるのは、ここだけじゃないんですね」

「そうだよ。だからみんな、騎士団に憧れるの」


 犯罪者から民を守り、事件があらば飛んでいく。

 いざとなれば剣になり、何かあれば盾になる。

 騎士というものがなぜ憧れの的になるのか、今さらながらわかった気がした。

 働きぶりを直接見たわけでもないし、助けられたことだってないけど、姉ちゃんの言葉から騎士団への信頼感が伝わってくる。

 どんなに心強い存在なのかを感じ取れる。


 ふと、疑問が浮かんだ。

 ひょっとしてと思い、姉ちゃんに訊いてみる。


「姉ちゃん、もしかして騎士団の世話になったりしたのか?」

「うん。ちょっと前に、荷物を取られそうになったところを助けてもらったの。剣は持ってなかったんだけど、おっきな盾で泥棒を弾いて、あっという間に捕まえちゃったんだよ」

「盾?」

「こんなにおっきな盾。両手に1つずつ、2つ持ってたの」

 自分の肩幅よりもずっと大きく手を広げながら、姉ちゃんが言った。

 姉ちゃんを助けた騎士の体格にもよるが、1つ持つだけでも一苦労しそうな大きさだ。そんな盾を2つも持っているのに、騎士の象徴である剣を持っていないだなんて、何だか変な話だ。

「……なんだか変わった騎士だな」

「でもかっこよかったんだよ? リオスにも見せてあげたかったなぁ……。両手で盾を構えて突進するところなんてすごかったんだから!」


 興奮気味に姉ちゃんが語った。

 よっぽどその騎士に助けられたことが深く印象に残っているらしい。

 普段の姉ちゃんらしからぬ、だらしのない笑みを浮かべている。

 ほんのりと頬も赤くなっているし、長い耳も忙しなく動いている。


 何だろう。

 面白くない。

 非情に、面白くない。

 嬉しそうに他の男のことを話す姉ちゃんを見るのが、ものすごく面白くない。


「リオスさん、何だか難しい顔ですよ? 気になるんですか?」

「ん……、まぁそんなとこ」


 ナルカに言われて、初めて顔に出ているのに気が付いた。

 ……いかんいかん。落ち着け落ち着け。

 子供じゃないんだ、そんなことで目くじらを立てるなんてみっともない。

 これ以上、その騎士のことを考えるのは止めよう。

 寝る寸前までもやもやしそうだ。


「ナルカ、体は今、どんな感じだ? もう休もうか?」

「えっ? あっ、まだまだ元気ですっ! どこにでも行けますよっ!」


 慌てたように、ナルカがぐっと拳を握った。

 何だか怪しいな。本当に大丈夫なんだろうか?


「正直に」

「ちょ、ちょっと疲れてますけど、大丈夫ですっ!」

「正直に」

「……ごめんなさい。本当は今にも眠りたいくらい疲れてます」


 小さな声で、ボソッとナルカが言った。

 今日は山歩きだけじゃなくて、でかい山犬にも遭遇したからな。

 体のほうは当然としても、きっと精神も疲れているはずだ。

 街を歩き回るような元気は残っていないだろう。


 それに、俺も帝都について少し気が抜けた。

 組合に行ったり、街をゆっくりと散策したいと思っていたが、何だか疲れてしまった。

 できれば、すぐ横になりたい。


「じゃあ宿に向かうね。こっちだよ」


 そう言って先を歩いていく姉ちゃんの後に、ナルカと2人で付いて行く。


 しばらく歩き、裏道へと入った。

 表の道よりも暗く、じめっとした雰囲気がある。

 人気はさらに少なくなり、酒樽やら木箱が目立った。


 不意に姉ちゃんが近くの建物の中に入っていった。

 周りと比べて、ずいぶん年季が入っている。

 布団の絵を描いた看板が入口の横に立てかけてあるから、たぶんここが宿屋だろう。 

 中はどうなってるんだろうかと思いつつ、俺も姉ちゃんのあとに続いた。


「ちょっと待っててね、話してくるから」


 入ってすぐ、姉ちゃんにそう言われた。

 何を、と訊こうとしたが、その前に姉ちゃんはさっさと店の奥へと行ってしまった。

 勝手に入ってしまっていいもんなのだろうか?

 怒られたりするもんだと思うが。


「リオスさんリオスさん。これって座っていいものなんでしょうか?」


 言いながら、ナルカが近くの古びた長椅子を指さす。

 備えつけられたものだろうから構わないだろう。

 これだけくたびれていれば、さすがに売り物ってこともないだろうしな。


「大丈夫だろ。座ってな」

「それじゃあ遠慮なく……よいしょっと」


 ゆっくりとナルカが椅子に腰を下ろす。

 よっぽど疲れていたのか、あ゛ぁ゛~と声を漏らし、ぐたっと背もたれによりかかっている。

 疲れたろうな。

 歩かせただけじゃなくて、すごく恐い目に遭わせてしまったからな。

 体だけじゃなく、精神もすり減ってることだろう。

 一晩ぐっすり寝て回復すればいいのだが。


「話、つけてきたよ。2階の部屋だって」


 鍵をちらつかせながら、奥の部屋から姉ちゃんが出てきた。

 わかったと頷こうとして、姉ちゃんの背負っている荷物が少なくなっているのに気がついた。


「何か降ろしたのか? 荷物」

「宿代の代わりにお肉をあげたの。夕食とお湯もつけてくれるってさ」

「肉だけでそんなに都合してくれるもんなのか?」

「うん、おまけだって。いつも使ってくれてありがとうってさ」

「ふぅん」


 いつもってことは、帝都に来るたびにここに泊まってたってことか。

 こういうおまけも、実は狙ってたりするんだろうか。

 だとしたら姉ちゃん恐るべし、だな。


 付いてきてと言って、姉ちゃんが階段を上がっていった。

 部屋の場所はわかっているらしい。

 ナルカと一緒に階段を上った。


 一段上る度に、ギシギシと軋んだ音が鳴く。

 抜けるんじゃないかと思ったが、さすがに杞憂だった。

 2階まで上りきり、姉ちゃんの立っている部屋の前までたどり着く。


「はい、どうぞ」


 言いながら姉ちゃんが部屋の戸を開けてくれる。

 鍵は、もうとっくに開けたみたいだった。

 どんな部屋かと、ほんの少しだけ胸を高鳴らせながら中に入る。


 布団1つに窓1つ、机と椅子が1つずつ。

 あるのはそれだけだった。

 思っていたよりも狭く、柱や床もずいぶん古い。

 本当に寝起きするためだけの部屋って感じだ。

 余計な飾りなんかは一切ない。


 ただ、古い見た目に反して、部屋の掃除はきちんと行き届いているようだった。

 ありがちな埃の臭いはしないし、目立った汚れは見当たらない。

 小さな傷や染みが所々についているが、それは仕方ないだろう。

 むしろそれしかないことに驚きだ。


 部屋の隅に荷物を置き、凝り固まった肩をほぐすようにして回す。

 痛さの中に気持ちよさが生まれてくる。

 何回か回しているうちに肩のだるさも和らぎ、そこでようやく俺は腕を下ろした。


「よいしょっと。では、ご飯を食べにいきます」


 荷物を下ろした姉ちゃんが、俺たちに告げた。


「飯は下で食うのか?」

「そうそう。机と椅子があったでしょ。あそこ使うの」

「あぁ、なるほど、了解。……ナルカ、悪いけど寝るのはもうちょっと待ってくれ」

「むぁッ! 寝てないですよっ! 起きてますよっ!」

「いやバレてるから」


 よだれを手の甲で拭くナルカを見て笑いながら、俺たちは部屋を出た。


 香ばしく、食欲を湧かせるいい匂いが鼻をついた。

 宿が出してくれる飯はどんなのだろう。

 献立に期待しつつ、階段を降りた。


 降りて、目を疑った。

 先ほどはなかった背の高いちゃぶ台がそこには置かれていた。

 その上には湯気を立たせている汁物と大振りの肉、さらには山盛りになった生野菜が、3人分綺麗に盛り付けられている。


「……大道芸か何かか?」

「えっ?」

「いや、だってこれ」

「あぁ。もう夕飯の仕込みはしてたみたいだったからね。パパッと並べちゃったんじゃない? あんまり見られたくないって言ってたし」

「自分の姿を? なんでまた?」

「恥ずかしがり屋なの、おかみさん。私もお話できるようになるまで時間かかったんだよ?」


 この早業を『恥ずかしがり屋だから』の一言で済ましていいんだろうか……?

 納得いかなかったが、そういう人もいるんだろうと思って気にしないことにした。


 席につき、3人で手を合わせた。

 作った人に、いただきますと言えないのがちょっと残念だった。

 無理にとは言わないけれど、1回くらいはおかみさんと話をしたいと思った。


 飯に箸をつけ始めると、俺たちの会話は途切れた。

 3人とも、食うことに夢中になっていた。

 飯がうまいのはもちろんのこと、安全な場所で温かい飯にありつけることのありがたみを噛みしめずにはいられなかった。


 いつの間にか、俺たちの顔には笑みが浮かんでいた。

 無言のまま、けれどもにやけた顔をしながら飯を食う3人組。

 ……客が俺たち以外にいなくてよかったかもしれない。

 まず間違いなく変な目で見られただろう。

 今このときだけは、閑古鳥の鳴いているこの宿屋に感謝した。


 ほどなくして飯を食い終えた。

 奥にいるであろうおかみさんに3人で頭を下げ、空っぽになった食器を重ねた。


 運ぼうとしたところで、姉ちゃんに止められた。

 自分がやるから、とのことだった。


 なんでと訊こうとして、おかみさんが恥ずかしがり屋だということを思い出した。

 ここまで徹底的だと、何だか嫌われているような気がしないでもないが、無理に顔を見るわけにもいかない。


 仕方ないと納得し、姉ちゃんに食器を片づけてもらうことにした。

 食器を持って奥に進んでいく姉ちゃんの背中を見て、何だか申し訳ない気持ちになった。


 最後の食器を運び終えた姉ちゃんが、ちゃぷちゃぷと音を鳴らしながら、湯の入ったたらいを持って帰ってきた。

 そういえば、貰えるって言ってたっけ。

 本当にありがたい。至れり尽くせりだな。


 火の点いた油皿を1つ拝借して、俺たちは部屋に戻った。

 先に姉ちゃんとナルカ、最後に俺と、昨日の水浴びの順番で湯を使った。

 もちろん、2人が体を拭いているのに中にいるわけにはいかないから、俺は外に出て部屋の前で待機していた。

 当然、2人の肢体を見ることはなかったが、その代わりに、服を脱いだときに出る布と布の擦れる音とか、時々聞こえる水滴の音とかは丸聞こえだった。


 俺も、その……年頃の男だ。あまり褒められたもんじゃないとはわかっていたが、その生々しい音から耳が離せなかった。

 最近はご無沙汰している姉ちゃんの体はもちろん、まだ見ないナルカの裸を、扉越しに聞こえてくる音から悶々と想像した。


 スケベな事を考えている間に2人が湯を使い終わり、俺の番がやってきた。

 姉ちゃんが手伝ってあげようかと言ってきたが、慌てて断った。

 変な妄想をした後だと、さすがにばつが悪い。

 1人で出来るからと、強引に部屋から追い出した。


 部屋に1人。俺は湯に布を浸して体を拭いた。

 体温よりも高い温度の湯が、非常に心地良かった。

 いっそのこと、たらいの中に飛び込んでしまいたいという欲求に駆られたが、ひっくり返しそうで止めた。


 使い終わったたらいは、やっぱり姉ちゃんが返しに行った。

 せめて1階までは俺が運ぼうとしたけど、姉ちゃんにやんわりと断られた。

 次に何かあったら代わりにやってやろうと決めて、大人しく甘えた。


 たらいを返してきた姉ちゃんが部屋に戻ってきて、そろそろ休もうという話になった。

 そこで問題が起きた。

 布団は1つしかない。

 このままだと残りの2人は床で寝ることになる。


 いくら掃除が行き届いているとはいえ、さすがに床に寝るのは遠慮したかった。

 毛布はあるから風邪を引くようなことはないが、宿屋に来てるというのに冷たくて固いところに寝たくない。


「布団、他の部屋から借りられないのか?」

「? どうして?」

「いや、これじゃ1人しか布団を使えないだろ?」

「3人で使えばいいじゃないの。布団、大き目だし」

「……は?」

「っしょっと……、ほら、3人で寝られるよ」


 たたまれている布団を姉ちゃんが広げながら、姉ちゃんが笑った。

 いや、確かに他の布団よりも大きいかもしれないけど、問題はきっとそこじゃない。


「3人って……3人か?」

「え? 嫌?」


 そんな意外そうに言われても……。


「第一、ナルカが嫌がるだろう」

「ナルカちゃ~ん、別にいいよね~? 私、真ん中になるから。ね?」

「ふぁ~い、いいですよぉ~……」

「だってさ」


 ナルカの返事を聞いて、姉ちゃんはご満悦だった。

 まぁ、ナルカが嫌だってわけじゃないならいいか。

 俺も嫌じゃないし。


 観念して、布団の端に寝転んだ。

 次いでナルカ横になる。

 寝る準備は万端だ。


「それじゃ、消すからね」


 ふっ、と息を吹きかけて、姉ちゃんが火を消した。

 途端に、部屋の中が真っ暗になる。

 それを待っていましたとばかりに、隣からナルカの寝息が聞こえてきた。

 ずいぶん寝つきがいいなと驚いたが、疲れていればこうなるのも当たり前か。


 ほどなくして、俺の隣に姉ちゃんが横たわった。

 大きく息をつき、そして規則正しい寝息をかき始める。

 たぶん、もう寝てしまったのだろう。

 平気そうに見えて、実は姉ちゃんもかなり疲れていたのかもしれない。

 村から帝都に到着するまで、ほとんど頼りっぱなしだったからな。


 ……もっとしっかりしよう。

 このまま姉ちゃんに頼りきりになんてならないように。


 そうと決まれば、俺もさっさと寝ちまおう。

 きっと明日も大変だ。


 目を閉じる。

 2人の可愛らしい寝息を聞いているうちに、いつの間にか眠りに落ちた。



 +++++



 寝返りを打とうとして、頭を押さえられているのに気が付いた。

 顔を動かしてみると、柔らかくも弾力のあるふっくらとした物に鼻先が当たる。

 温かくて、甘い匂いがした。

 柔らかさとも相まって、夢のような心地よさだった。


 まさかと思って、拘束から抜けようともがく。

 頭を押さえられている力は案外弱く、簡単に抜けることが出来た。


 やっぱりかと言うべきか。

 またかと言うべきか。


 結論から言うと、俺の顔を包んでいた物の正体は姉ちゃんの胸だった。

 どうやら俺は、姉ちゃんの抱き枕代わりとして使われていたらしい。

 隣に寝るとすぐこれだ。

 嬉しくないと言えば嘘になるが、隣に寝るたびにこれをやられると俺の身が持たない。


 体を起こすと、ナルカの寝顔を見ることができた。

 口を半開きにして、気持ちよさそうに眠っている。

 寒かったのか、それとも人肌が恋しかったのか、姉ちゃんの背中にぴったりと引っ付き、足を絡ませたりもしていた。


 こうして見ると、本当に姉妹みたいだ。

 安心して眠っている2人が何とも微笑ましい。

 もう少しだけ、このまま寝かせておこう。


 凝り固まった全身をほぐすようにゆっくりと歩き、うっすらと光が差し込んでいる木の窓を開け放った。


 昨日通った裏道が真下にあって、向かいには城壁が見えた。

 立地の関係からか、太陽を直接拝むことはできない。

 が、それも悪くなかった。

 いい朝だと思う。


 積み上げられた樽や木箱を運ぶ人がいた。

 ほうきで掃いている人も見える。

 たぶん、この裏通りに住んでいる人たちだろう。

 ある人は気だるそうに、ある人は一生懸命に、それぞれの仕事をこなしていた。


 しばらくその光景を眺めていると、後ろから「んーぅー」というナルカの声が聞こえた。

 どうやら目を覚ましたらしい。

 朝は弱いなんて言っていたが、姉ちゃんに比べれば可愛いもんだ。


「おう、起きたか?」

「……起きてないです。目が開いただけです」

「起きたみたいだな、おはよう」

「はい、おやすみなさい……。くー」


 冗談かと思いきや、本当に2度寝し始めた。

 前言撤回だ。

 ナルカが朝に弱いっていうのは本当だった。

 慌てて駆け寄り、ナルカを揺り起こす。


「ほれ起きろ。起きろ。起きたか?」

「ぅぅぅ、起きましたぁ……。おはよごじゃいましゅ……」


 渋々という具合に目を擦り、のっそりとナルカが起きた。

 何だか悪い気がしたが仕方ない。

 自然に起きるのを待っていたら、昼になってしまう。


 ついでに姉ちゃんも起こそうか。

 ちょっと手強いが、ナルカもいるから何とかなるだろう。


「ナルカ、起きたてで悪いんだけど、姉ちゃんを起こすのを手伝ってくれ」

「へぇ~? いーですよぉ~」


 頭をふらふらさせながらも承諾してくれた。

 まだ眠気があるのだろうけど、それもすぐ覚める。


「マルシアさぁーん、起きてくださぁーい、遅刻しますよぉー」


 あっ、と思ったが、もう遅かった。

 止める間もなく、ナルカが姉ちゃんの肩を揺さぶった。

 その一瞬で、姉ちゃんはまるで獲物を待ち構えていた獣のように、ナルカの体を捕えた。


「? 寝ぼけてるんです―――かぁっ!」


 ぎゅーっと。

 不機嫌そうに眉をひそめながら、姉ちゃんが腕の中のナルカの頭を豊満な胸に抱え込んだ。

 あちゃ~と、心の中で呟いた。

 予想はしていたが、こんなに早く捕まってしまうとは思わなかった。


「ちょっ……! マルっ……! ぐるじっ……!」


 じたばたとナルカが暴れるが、姉ちゃんの両腕から逃れることはできない。

 むしろ、暴れれば暴れるほど姉ちゃんの腕の力がこもっていく。


 寝ている時の姉ちゃんは底なし沼によく似ている。

 もがけばもがくほど、状況が悪化していく。


「ナルカ! 暴れるな! 動かなきゃ大丈夫だ!」

「うぐっ……うぐっ……、あっ、ホントです。緩んできました」

「よしよし、緩んだな。そんで悪いんだけどナルカ、もうちょっとだけ耐えてくれ」

「えっ? それってどういう―――ぎゅぅううううっ! ぎぶぎぶぎぶっ!」


 姉ちゃんの肩を揺らし、ナルカが絶叫をあげる。

 ……すまん、ナルカ。

 でも、こうやらないと姉ちゃんがいつまでも起きないんだ。


 その後、じっとして拘束を緩めるのと揺さぶるのを、姉ちゃんが起きるまで繰り返した。

 力一杯抱きしめられて涙目になっているナルカには悪いが、姉ちゃんは腕に何かを抱えていないと起きてくれないのだ。


 村にいたときは村長も手伝ってくれたけど、その場合に生贄になるのはもっぱら俺の仕事だった。

 今のナルカのように、姉ちゃんが起きるまで強力な締め付けを味わっていた。


 それが嫌だと言って、遠くから棒で突いたり大声を上げたりしても、姉ちゃんは絶対に起きてくれない。

 気を張っていない状態で眠りについている姉ちゃんの眠りはかなり深い。

 たぶん、すぐ横を大型の獣が通ったとしても眠りこけていることだろう。


 そんなわけで、ナルカが捕まったまま何度も姉ちゃんを揺さぶった。

 助けてくださぁいと懇願してきたナルカに心の中で詫びながら、何度も何度も揺さぶった。


 そのあと姉ちゃんが起きたのは、吹っ切れたナルカが逆に姉ちゃんを抱きしめ返し始めた時だった。

 不機嫌そうな声を上げながらゆっくりとまぶたを開き、そして姉ちゃんはようやく目を覚ました。


「う゛ぅ゛~~……ぅ? ナルカちゃん? どしたの?」

「んーーー! んーーー! あっ、マルシアさん起きました!」


 顔を真っ赤にしながら必死にしがみついているナルカを見て、姉ちゃんは不思議そうに首をかしげていた。

 と、急に合点のいった顔をして、腕の中のナルカを再び抱きしめた。

 眠っていた時とは違い、優しく。


「もー! 朝から甘えん坊だねナルカちゃんはぁー! こうしてあげちゃう!」

「むぁ~! やわらかいぃ~! あといい匂いがしますぅ~!」


 俺にやっていたように、姉ちゃんは胸の中にナルカをうずめた。

 強く押し付けるわけでもなく、優しく包み込んでいた。

 ナルカは何だか嬉しそうだった。


 しばらくして2人のじゃれあいが落ち着き、飯を食いに1階へ降りた。

 相変わらず、おかみさんの姿は見えない。

 料理は昨日と同じように、机の上で湯気を立てて並んでいた。


 今さら驚きはしないが、そこまで姿を見られたくないもんなんだろうか。

 さすがに少し悲しい。


「今日はどうしようか? 組合に顔を出そうか?」


 朝食を終えた後に、そう話を切り出した。

 もちろん、食器は残ったままだ。

 何だか申し訳なかったが、楽ができていいじゃないかと、割り切ることにした。


「ん、それもいいかもね。でも、今日は帝都の色んなところを見て回らない? きっと楽しいよ」

「金は大丈夫なのか? 俺は文無しだけど」

「しばらくなら大丈夫。組合には明後日にでも顔を出そ」


 姉ちゃんがそう言うなら大丈夫か。

 帝都は広いらしいが、1日もあればある程度は回れるだろう。


「観光ですかっ! ぃやたっ!」


 顔を綻ばせながら、ナルカは体を忙しなく動かす。

 散々歩き詰めの2日を送ったからな。

 これからの息抜きが嬉しくて仕方ないんだろう。


 まぁ、それは俺も同じだ。

 話にしか聞いたことのない帝都。

 実際はどうなっているのか、非常に興味がある。

 どんな物があって、どんな人がいるのか。

 それを、早く見てみたいと思った。


「最初はお店がいっぱいあるところから回ろっか。ここから近いし、色んな物が置いてあるから見てるだけでも楽しいよ」

「ああ、わかった。じゃあさっそく行こう。時間がもったいない」


 言いながら、そそくさと立ち上がる。

 そんな俺を、2人がきょとんとした顔で見つめてくる。

 なんだろうと思ったが、すぐに2人は笑い出した。


「楽しみなんだね、リオス」

「俺が?」

「そうですよ。顔には出てませんでしたけど」


 そう言って、2人は顔を合わせてくすくすと笑った。

 恥ずかしいと、バツが悪いの中間くらいの感覚。

 何だろう、ものすごく居心地が悪い。


「……2人とも、笑ってないで早く行こうって。時間は限られてんだからさ」

「はいはい、わかったわかった」

「了解です~」


 姉ちゃんとナルカが、優しくそう言って立ち上がる。

 2人の態度に納得のいかない物を覚えつつ、俺たちは宿屋を後にした。




 +++++




 帝都は城を中心に4つの区画に分けられている。

 騎士団の駐屯地である北部。

 商いが盛んな東部。

 労働組合の本部と、支援施設のある南部。

 住宅の多い西部。

 中でも活気が多いのが、商人たちの楽園である東部だ。

 商人は言うまでもなく、各村や街の人々がこぞってここに訪れるため、賑やかでない日がないんだとか。


 どうやら、扱っている品が非常に豊富というのが人気の秘密らしい。

 馴染みのある食品から、世にも珍しい機械仕掛けの人形まで、ここで買えない品なんてないというのが、ここでの決まり文句のようだ。


 もちろん、品を売るだけの店しかないわけではない。

 簡単なくじ引きやら、的当てやら、気軽に楽しめる小さな遊技場も点々としている。

 大人達が買い物に夢中になっている間、子どもたちがそこで時間を潰すというのが、当たり前となりつつあるらしい。


 豊富な商品と、気楽に遊べる遊技場。

 果たして実際はどんなものなのだろうかと心を躍らせつつ、俺たち3人は商いの花道―――東部大通りへと足を踏み入れた。




 +++++




 やってきた大通りは、たくさんの人で溢れかえっていた。

 見渡す限りの、人、人、人。

 男も、女も、子供も、老人も。

 まるで世界中の人間がこの大通りにいるみたいだった。


 通行人の歩く音や雑談に交じって、えらく元気な声も聞こえてくた。

 商品の宣伝をしているらしい。

 安いだとか、おまけするだとか、そういう単語があちこちで飛び交っている。


 商業が盛んだって話は前もって聞いていたけど、これは予想外だ。

 ここまで大規模なもんだとは、正直思っていなかった。


「やっぱりびっくりするよね。私も初めて来たときそうだったもん」

「あ、ああ。さすが帝都、だな」

「ふふ。―――ナルカちゃん、どう? すごいでしょ」

「はいっ! これはすごいですよっ! もう大興奮ですっ! 早く行きましょうっ!」


 辛抱できないとばかりに目を輝かせ、ナルカが姉ちゃんと俺の手を引っ張った。

 姉ちゃんと顔を合わせ、そして笑った。


「わかったわかった。わかったから引っ張るなって」

「転んじゃうよ、ナルカちゃん!」


 ナルカに手を引かれながら、俺たちは人ごみの中へとまぎれていった。




 ――――――

 ――――

 ――




 大通りに出ている出店は、とにかく種類と数が豊富だった。

 青果を売っている店や、菓子を売っている店、簡単な料理を売っている店に、道具を売っている店と、とにかく俺たちの目を飽きさせてくれない。


 中にはくじびきや投擲という変わり種もあったが、金がかかるので泣く泣く諦めた。

 珍しかったし、ぜひやってみたかったのだが、今の俺には自由に使える金はない。

 組合ギルドの依頼をこなして金を手に入れることの必要性を、こんなところで実感してしまった。


 けど、物を買わなくても商品を見るだけでも十分に楽しい。

 生まれて初めて見る食い物や道具なんかはもちろん、どこにでもありふれた物でも、出店に並んでいるというだけで貴重な品物に早変わりだ。

 おかげで、どの出店のどんな品を見てもわくわくする。


 それはナルカと姉ちゃんも同じようだった。

 珍しい物を見ては驚き、変な物を見ては笑っていた。


 早く次を見ようとナルカが急かし、どんなのがあるんだろうねと姉ちゃんが耳を揺らした。

 はぐれないように3人で手を繋ぎながら、俺たちはとにかく出店を回りまくった。


 大通りを歩いている途中、通行人が俺たちに視線を投げてくることが度々あった。

 もしかして頭の飾りがバレたかと思ったが、しばらくして通行人が見ていたのは姉ちゃんとナルカの2人だということに気がついた。

 振り向くのが男だけだからだ。


 ……少しだけ、誇らしい気分になった。

 男が思わず振り向いてしまうほどの女2人と一緒に、こんな俺が歩けているということに。


「ん……?」


 歩いている途中で、ふと気になる光景を見た。

 行列だ。

 どうやら前の店に並んでいるらしい。


「すごい人ですねぇ~。何のお店なんでしょうか?」

「う~ん、フロムビーンドの新作はまだだし……それならビレムスタンドの海産物かな。いっつもすぐに売り切れちゃうし」

「海産物がこんなに人気なんですか?」


 いまいちよくわからないといった具合に、ナルカが首を傾げた。

 正気か、と言いかけたが、寸前で止めた。

 ナルカは知らないんだから仕方がない。


「人気も人気。海の近くに住んでいない人にとっては物凄く貴重なものだからね」

「海の近く……あっ」


 ナルカがはっとした顔で声をあげる。

 俺たち狩人を含め、山奥で生計を立てている人にとって、海の物なんて滅多に手に入らない。

 自分たちで手に入れる余裕なんてないし、買おうにも港以外だと値段が高くて手が出ないからだ。

 他にも地理や時間なんて問題もある。

 それ故の高級品ってわけだ。


 俺も姉ちゃんも、海産物を口にしたのは今までに1回しかない。

 小さな貝だったが、それでも食べている間、2にしてずっと無言になっていたのを覚えている。

 ……うまかったな。あの貝。

 死ぬまでには、もう1回くらいは食ってみたいもんだ。


「荷車だと時間がかかりすぎて痛んじゃうし、鳥人に運んでもらうのもお金がかかる。そんなわけで、帝都に並んでいる海産物はとっても貴重で、とっても人気があるの。わかった?」

「はい、わかりました! でも、いつか食べてみたいです!」


 いつか、か。

 何とか食わせてやりたいもんだけど、なにぜ高価だからな。

 買うのに一体どれだけ時間がかかることやら。


「港町に行ければいいんだけどね。ここで買うよりもずいぶん安いって話だし」

「えっ、そうなのか?」

「うん。まぁ、ここで買うから高くつくだけの話だしね。直接行けば、おなかいっぱい食べられるらしいよ」


 初耳だ。

 海産物が、腹一杯になるまでだなんて夢にも思わなかった。

 ……いかん、唾液が口の中に溜まってきた。


「ナルカちゃんは食べたことあるの? 海のお魚とか、貝とか」

「はい、ありますよ。2日に1回は食べてたようか気がします」

「「えっ」」


 俺と姉ちゃんの声が重なった。

 目を丸くして、ナルカの言葉を何度も反芻した。

 2日に1回って……嘘だろ?

 あの貴重な魚を? そんな間隔で?

 ……ああ、いや、待て待て。

 ひょっとしたら海の見える所に住んでたのかもしれない。

 だとすれば、別に不思議でもないか。

 狩人が肉をたらふく食うのと同じことだからな。


「おぼろげですけど、煮付けとか素揚げとか焼いたのとか、とにかく色んな形で食卓に並んでたんです。私はお魚が好きだったからよかったんですけど、他の人はお魚に飽き飽きしてました」


 それはかなり羨ましい。

 煮付けだの素揚げだの、絶対にうまいに決まってる。


「ええ~いいなぁ~……私もそんなになるまで食べてみたいなぁ~……」


 姉ちゃんに同意だ。

 貴重な貴重な海の幸。

 飽きるくらい堪能できたら、たぶん物凄く幸せだろうな。


 そんな話をしていると、不意に行列が崩れ始めた。

 並んでいた客は、何だか残念そうな顔をしている。


「もう売り切れちゃったみたい。やっぱり海の物は人気だね」

「まだ朝だってのにな」


 あまりの人気ぶりに、思わず肩をすくめてしまう。

 こりゃ、買えなかった人のほうが多いんじゃないのか?

 本当にため息しか出ない。


「じゃあ次行こっか。まだまだ面白いものがいっぱいあるよ」


 姉ちゃんに促され、先へと進んだ。

 店を通り過ぎたときに鼻をついた独特の香りが印象的だった。

 港町か。

 いずれは行ってみたいと、ふと思った。


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