第七話 「森での目覚め 狩人の生業」
水浴びから帰った後、3人で干し肉を炙って食った。
そのままでも食えるのだが、そうしたほうが若干柔らかくなる。
少し焦げ目のついた干し肉は、そのまま口にするよりもうまい。
持ってきた干し肉の他に、姉ちゃんが汁物を作ってくれた。
そこらに生えている、食べられる野草を煮込んだ簡素なものだったが、味付けがしっかりしていてなかなかうまかった。
材料が入手しにくい森での食事にしては上出来な献立だ。
飯を食っている途中、ナルカはうつらとうつらと船を漕いでいた。
何気ない会話にも上の空で、たまに意識が飛び、物を口に入れたまま頭を振ったりもしていた。
慣れていない者が森を歩けば、当然こうなる。
狩人のように、森を歩く事を生業とする人間であれば、誰もが通る道だ。
全身の疲労と、急激な眠気。
飯を食って体が程良く温まってくれば、それらがはっきりとしてくる。
体が休息を求めているわけだ。
横になれば、数秒と持たずに眠ってしまうほど、その眠気は強い。
早々に飯を食い終え、ナルカを横にした。
毛布を渡してやると、ナルカは「ありがとうございます」と一言だけ言って、そのまま毛布に包まった。
すぐに寝息が聞こえてきて、俺と姉ちゃんはそんなナルカを見て、静かに笑った。
「やっぱり疲れてたんだね」
一枚だと寒いだろうと思ったのか、姉ちゃんがナルカにもう一枚毛布をかけた。
その表情は柔らかい。
昔の村長を思い出した。
たまに俺と姉ちゃんの頭を、あんな優しい顔をしながら撫でてくれたっけ。
「そりゃあれだけ歩けばな。それでもよくここまで歩けたと思うよ。すごく、頑張った」
「私もそう思う。こんなに小さくて細いのに、本当にすごい子だね」
眠っているナルカの頭を、姉ちゃんが優しく撫ぜた。
姉ちゃんの手が心地いいのか、心なしかナルカの顔が安らいだような気がする。
いい夢でも見てくれればいいと思った。
明日もまた、同じように歩きっぱなしになるだろうから。
「……ナルカちゃん、社の下に居たんだって?」
不意に、姉ちゃんがそう切り出した。
俺はまだ姉ちゃんに何も話していないから、たぶんナルカから聞いたんだろう。
「あぁ。でっかい鉄の塊に入って眠ってたんだ。
……見た時はびっくりしたよ。まさか俺と同じような格好してる奴がいるとは思わなかった」
「それなんだよね、気になるの。ナルカちゃんはずっと眠ってたわけでしょ?
でもリオスは違う。どうして2人とも同じ姿なんだろうね」
「単純に、出来損ないか、神様か、ってだけの話だろ。あんまりいじめないでくれよ」
「そ、そんなつもりじゃないってば。ただ、2人が同族じゃないかなって思っただけで―――」
「わかってるって。冗談だよ、冗談」
慌てる姉ちゃんを見て、笑いながらそう言ってやる。
俺はもうとっくに受け入れているが、姉ちゃんはまだ気にしていると思っているらしい。
別に姉ちゃんが気にすることじゃないと思うけど、たぶん性分なんだろう。
古傷が開かないようにと、心配してくれているのだ。
「でもまぁ、同族ってのはやっぱり考えにくいよ。
俺とナルカ以外に同じ奴がいないなんて、不自然過ぎるじゃないか。
一番情報が早い帝都にだって、そんな噂流れてないだろ?
何も付いていない新しい種族を発見しました、なんてさ」
「それはそうだけど……」
「それに、俺は別にナルカが同族じゃなくたって構わないよ。
同じ姿ってだけでも、何か深い縁を感じるしな。
俺のことも普通に扱ってくれるし、それだけで満足だ」
本当の事を言えば、俺も同族であって欲しいと思わなかったわけじゃない。
出来損ないじゃない、俺はこういう種族なんだと、胸を張りたいと思ったのも事実だ。
だが、ナルカは違う。
たぶん、俺とはずいぶんかけ離れた存在だろう。
神様かもしれないナルカと同族だなんて、思い上がりも甚だしい。
でも、それでよかった。
ナルカは俺を、出来損ないと罵ることも、理不尽な暴力を振るうことも、ましてや見下すこともしない。
至って普通の、対等な人間として扱ってくれる、そんな優しい子だ。
そんな子が、俺と一緒に居てくれる。
それだけで、俺は十分に満足だ。
「……お父さんが生きてたら、何かわかったかもしれないのにね」
ポツリと、姉ちゃんがそう言う。
俺は村で育ったが、村で生まれたわけじゃない。
気が付いたら村長と姉ちゃんと暮らしていたけど、本当は死んだ姉ちゃんの親父さんが村の外から連れてきたそうだ。
行き先も告げずに行方をくらましてから、実に2年ぶりの帰郷の事だったらしい。
村に到着した時点で、親父さんはもう虫の息だったと聞かされた。
何でも、全身を刃物で斬られていたり、至る所に矢が刺さっていたりと、とにかく村に着くまで持っていたのが奇跡的な状態だったそうだ。
誰にやられたのか、抱えている子は誰なのか。
そんな事を聞く間もなく、親父さんは息を引き取ったのだと、村長が悲しげに言っていたのを思い出した。
どうしても行方を辿る事ができず、事情を探るにも探れなかったということも。
だから、俺には自分の親のことがわからないし、どこで生まれたのかもわからない。
ただ、それでも親父さんには感謝してる。
何があったかはわからないけど、親父さんがいなければ、俺がこうしていることもなかっただろうから。
「聞く事だってもうできないんだし、わからないならわからないままでいいよ」
死人に口なし。
親父さんの動向を散々調べつくしたのに、ちっとも手掛かりがない以上、もう俺は自分の出生や親のことは知る事はできないだろう。
心残りは少しあるが、いつまでも気にしていたって仕方がないと、ずいぶん前にそう決めた。
どうしても知りたい事じゃないし、わからないならそれでいい。
そんな事よりも、大切なのはこれからだ。
指針も、行き先も決めたはいいが、まだ旅の軌道にすら乗っていないのだ。
今日1日をうまく過ごせたからといって、油断はできない。
これから乗り越えて行かなければならないことなんて、山ほどある。
今は俺のことなんかじゃなく、先の事と、姉ちゃんとナルカのことを考えなければならない。
となれば、もう横にならないとまずい頃合いだ。
明日は早めに起きて食料調達をしなければならない。
うっかり寝過ごしてしまったなんて、笑うに笑えない。
姉ちゃんの会話も切り上げて、さっさと寝ることにしよう。
「もうそろそろ寝よう。明日は俺が狩りに行くから、姉ちゃんはナルカを頼む。
たぶん、結構遅くまで寝てると思うから」
「うん、わかった。期待してるからね?」
「あぁ、任せとけ」
言いながら荷物から毛布を引っ張り出し、それに包まる。
使い慣れていたせいか、もうゴワゴワだ。
毛布というか、布切れと呼んだほうがいいのかもしれない。
そんなのでも、ないよりはマシだ。
包まってさえいれば、体を冷やさなくて済む。
「1枚じゃ寒くない? もう1枚あるよ?」
「ん? あぁ、ありがと。借りるよ」
姉ちゃんからもう1枚の毛布を借り、体にかける。
暖かい。
これならぐっすり眠れそうだ。
「それじゃおやすみ、姉ちゃん」
「うん、おやすみなさい」
横になって目を閉じる。
すぐ横の焚火の暖かさを身に受けながら、俺はゆっくりとまどろみに落ちていった。
+++++
まだ日も昇りきっていないうちに目が覚めた。
ふと横をみる。
姉ちゃんとナルカは、まだ眠っているようだ。
音を立てないよう武器を背負い、静かに森の中へと移動した。
薄暗いが、夜道と比べればずいぶん歩きやすい。
朝は夜と違って、時間が経つにつれて明るくなっていく。
夜に活発な動きを見せる凶暴な獣も、この時間はまだ目を覚ましていないだろうから、襲われる危険も少ない。
今が一番安全な時間帯だ。
それは逆を言えば、一番狩りに向かないということでもある。
何せ食料となる獣に遭遇しにくいのだ。
巣穴を探し出すことができれば話は違ってくるが、今からそんなことをしている時間はない。
だが鳥は違う。
鳥は朝になれば鳴き声を上げ、自分の場所を知らせてくれる。
肉の量こそ少ないが、3人が1回で食う分には十分だし、何より襲ってこない分、安全に狩ることができる。
今回の標的はそいつだ。
朝昼晩の分を考えると、大き目の鳥を2羽ほど、といったところだろうか。
そこらは仕留めた獲物の大きさを見てから変えてもいいかもしれない。
しばらく森を進んでいると、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
1つだけじゃない。
それぞれ違った鳴き声がいくつも重なりあっている。
やかましく、まるで統一感がない鳥たちの合唱が、朝の森を賑やかにしていた。
その中でも、一際大きい鳴き声が耳に入った。
荒っぽくて、それでいてしゃがれた感じ。
若鳥にこんな声は出せない。たぶん成鳥だろう。
声で居場所がすぐ割れるだろうし、今回はそいつを狩ろう。
鳴き声を頼りに、森を進んで行く。
しばらく歩いていると、大木を発見した。
表面の所々が剥がれおちていて、根の一部が地面から突き出している。
その木の枝に、鳥は止まっていた。
やはり成鳥だ。
思った以上に体が大きめで、肉付きもなかなかいい。
食うには申し分のない鳥だ。
すぐに近くの木の陰に隠れ、しゃがみ込む。
手を回して背負っている弓を取り、もう片方の手で箙から矢を取った。
鳥はどこか遠くを見て、何度も何度も喉を震わせている。
狙われているとは気ほどにも思っていない様子だ。
これなら仕留めやすい。
矢を撃つ前に逃げられることもないだろう。
気配を殺しつつ、矢筈を弦に番える。
ギリギリと弓を引き絞り、呑気に鳴いている鳥へと照準を定める。
本当であれば、弓を使う時は風向や距離のことも頭に入れなければならないのだが、今は考えなくてもいいだろう。
風はちっとも吹いていないし、獲物までの距離もそんなに遠くない。
おまけに、矢の邪魔をする障害物もないから、真っ直ぐ飛ばしても大丈夫なはず。
息を限界まで吸い込んで、止める。
呼吸が止まると同時に全身の動きもなくなり、手先のわずかなブレも消えた。
頃合いを見計らい、未だ狙われている事に気が付かない成鳥へ向けて、矢を放った。
矢が空気を切り、突き進んでいく。
その音で成鳥が鳴くのを止めたが、もう遅い。
矢は、翼ごと鳥の胴に深く突き刺さった。
先ほどとは違う、どこか悲痛な鳴き声を上げながら、成鳥は苦しそうに錐揉みした。
羽が抜けてしまうほど激しく羽ばたくものの、片方の翼だけではどうしようもない。
健闘も虚しく、成鳥は地面へと激突した。
同時に、辺りにいたであろうたくさんの鳥が、ギャアギャアと喚きながらその場から一斉に飛び立った。
その声を全身に浴びながら、俺は地面でもがいている成鳥に近寄る。
俺の姿を見て、成鳥が逃げようと一層激しく暴れるが、無駄だ。もう手遅れだ。
成鳥の体を押さえつけ、腰の小刀を逆手で取り出す。
勢いづけて一気に振り下ろし、成鳥の首を切断した。
断面から血が吹き出、俺の手と刃を赤く濡らす。
温かく感じるのが、かえって不快だった。
じたばたと暴れていた成鳥も、首を落とすと大人しくなった。
何度も体を痙攣させ、やがて動かなくなる。
それでも首からは血が勢いよく出ていて、土や草に絶え間なく滴り落ちていた。
首を落とした後は羽の処理だ。
あとでも抜けるが、体温が残っているうちだと抜きやすい。
緑色の羽毛を、手当たりしだいに毟っていく。
ついでに、刺さった矢も回収した。
成鳥はみるみるうちに裸になっていき、最後には肌色だけの肉の塊になった。
羽さえなければ、鳥だってこんなものだ。
もう枝の上で鳴いていた時の面影はない。
終わった後、丸裸になった成鳥を近くの木に吊るした。
しばらく放っておけば、勝手に血抜きが終わる。
その間に、もう1羽狩っておこう。
この1羽だけじゃ、今日1日の分にはならない。
地面の小刀を鞘に納め、再び森を進むことにする。
歩きながら耳を澄ませ、鳥の鳴き声を辿る。
鳴き声は、意外と近くから聞こえてきた。
てっきり、ここらの鳥は全部逃げ出してしまったかと思っていたが、そうでない鳥も何匹かいたらしい。
図太いのか、それとも危機を察知していないのか。
いずれにしても、助かった。
これなら、遠くまで探しに行かなくて済む。
運が良かったと思いつつ、声のする方へと歩く。
背中に手を回して矢を取り、弓に番えようとしたところで―――
鳥たちが一斉に羽ばたく音が聞こえた。
バサバサと木々の葉を揺らす音も、それに混じって聞こえてくる。
まさかとは思ったが、この音がしたということは、つまりはそういう事なのだろう。
……どうやら、獲物には逃げられてしまったらしい。
「……?」
訳がわからず、一瞬だけ戸惑ってしまう。
歩く時、俺は感付かれる程の大きな音を立てなかった。
鳥たちからも、俺の姿は見えていなかったろうし、距離もまだ結構あるから、気配を察知されたということも考えづらい。
だとしたら、たぶん俺の他に鳥を狙っていた奴がいたのだろう。
それなら一応、鳥たちが一斉に飛び立ったことの説明がつく。
(行ってみるか……)
気配を殺し、ゆっくりと歩く。
音を鳴らさないよう足場に気を配り、木の陰に隠れながら進んでいく。
鳥を襲った獣はどんな獣だろうか。
小型か、それとも大型か。
獰猛で好戦的でありませんようにと祈りながら、そっと陰から顔を覗かせた。
(……猿か)
鳥が停まっていたであろう木の上で、1匹の猿が仕留めた鳥にかぶりついていた。
体はそこまで大きくない。
大猿にしては小さいし、小猿と言うには大きい。
まだ成長途中という具合の体格だ。
だが尻尾だけは長く、鳥にありつけてご機嫌なのか、忙しなく左右に振られていた。
どうやら、鳥が逃げてしまったのはこいつのせいらしい。
その恨みというわけではないが、狩るはずだった獲物の代わりになってもらうとしよう。
解体するのに手間がかかりそうだが、その分、多くの肉にありつけると思えば安いものだ。
すぐさま木陰に身を潜ませ、矢を弓に番える。
先ほど仕留めた鳥ならともかくとして、あの猿を一撃で仕留めるのは無理だ。
姉ちゃんなら、頭や胸などの急所を狙って即死させることも簡単だろうけど、少なくとも俺にはそんなことできない。
1本も外さないことを前提とすれば、3本は矢を放たなければ仕留められないだろう。
だからこそ、最初に放つ1本目は重要だ。
これを外してしまえば、全てが台無しになる。
胴でも、足でもいい。
とにかく、1本目だけは絶対に外すわけにはいかない。
息を殺して引き絞り、狙いを定める。
狙いは胸だ。
運がよければ、致命傷を与えられる。
猿が肉に食らいつく一瞬を狙い、矢を放った。
放った瞬間、すかさず箙に手を突っ込み、新しい矢を手に取る。
矢を引っ張り出した時には、1本目の矢がうまいこと猿に命中していた。
当たったのは胸でなく、腕だった。
短い悲鳴を上がり、猿が持っていた鳥を落とした。
腕はまずい。逃げられる。
間髪入れずに次の矢を番え、引き絞る。
放とうとしたところで―――猿と目が合った。
奴は俺を睨んでいた。
毛を逆立てながら歯をむき出しにし、血走った視線を俺に向けてくる。
逃げる気は見られない。
食い殺してやるとばかりに金切り声をあげ、枝から飛び降りた。
―――近づかれたら厄介だ。
接近戦は、獣の方に分がある。
着地の瞬間を狙って矢を放った。
命中はしたが、突き刺さったのは肩だ。
致命傷にはならない。
肩から矢を生やしたまま、猿が物凄い形相で迫ってくる。
片腕を射ているから動きが鈍っているはずなのだが、俺が思っていたよりもずっと速い。
これではもう矢は撃てない。
弓を構える前に、喉に喰らいつかれる。
なら、俺も覚悟を決めるしかない。
接近戦だ。
腰に引っ提げている鉈を手に取り、鞘から引っ張り出す。
猿はもう間近に迫っていた。
疾走の勢いに乗り、俺に跳びかかってくる。
鞘から抜きながら、猿の顔面へ鉈を叩きこんだ。
薙いだ鉈の殺傷力は低く、猿を殺すまでに至らない。
小さく短い鳴き声を上げ、猿が離れる。
地面を転がり、そして顔を上げた。
猿の顔には、広くも浅い一文字の切り傷が走っていた。
切り口から血が流れ、それが猿の顔面を赤く濡らした。
果敢に攻めてきた猿も、これにはさすがに参ったらしい。
殺気でギラギラしていた瞳が、今は怯えの色しか見えない。
だが、猿は退かなかった。
確かに怯えはしているが、それでも俺の喉を食い破ることを諦めてはいない。
姿勢を低くし、飛びかかる機会を伺っている。
俺と猿との距離は、大股でだいたい2歩程。
確実に猿の間合いに入っている。
先に動かれたら、たぶん反応できないまま死ぬだろう。
先に猿に動かれてはならない。
決心して、地面を蹴った。
一瞬遅れて、猿も飛び出してくる。
速い。
後から飛び出したのに猿のほうが、俺よりずっと速い。
距離が一気に縮まり、鋭く尖った牙が目の前に迫った。
咄嗟に鉈を引き上げ、防御する。
下から衝撃がやってきた。片腕では支えきれない。
ならばと、俺は鉈を手放す。
衝撃で鉈は上に飛んでいく。
だが、俺の態勢が崩れることはない。
すぐに次の攻撃へと移れる。
腰の小刀に手をかける。
鞘から抜くと同時に小刀を振り、猿の首に刃を深く食い込ませる。
ズブリと、嫌な柔らかさを感じた。
勢いに任せながら乱暴に振りぬく。
ブチブチと、細い線をいくつも切断したような手応えがあった。
肉と肉の切れ間から生暖かい鮮血が飛び、頬を濡らした。
猿は目を見開き、力なく手を上げようとして……そのまま地面に倒れた。
呻き声が聞こえる。
斬った部分から空気が漏れているのか、ひゅーひゅーという隙間風に似た音が漏れていた。
動きも鈍くなり、目から光が消えて行く。
やがて猿は、血だまりの中で動かなくなっていた。
あれだけ暴れていたというのに、終わりはずいぶんとあっけなかった。
猿に弾き飛ばされた鉈を拾い、鞘に納める。
猿の尾を持ち、担ぐ。
さっき逆さにしておいた鳥も、そろそろ血が抜けている頃だ。
戻る途中で回収して、川で解体するとしよう。
猿の作った血だまりを背にし、俺は来た道を戻った。
+++++
戻ると、消えていた薪から煙が上がっていた。
その隣には、眠っていたはずの姉ちゃんとナルカがいた。
何やら話をしながら木の枝を焚火にくべ、炎をゆっくりと大きくしている。
どうやら俺が帰ってくる前に火を起こしてくれていたらしい。
俺が2人に近づくと、その音を察知したのか、いち早く姉ちゃんが振り向いた。
慌てた様子はない。
たぶん、俺の足音だとわかっているのだろう。
微笑みながら、姉ちゃんが手を振ってくれる。
返事をする代わりに、手に持っている鳥と猿を高く上げてやった。
細かった目が丸くなり、口もぽかんと開かれる。
鳥だけならともかく、猿まで獲ってこれるとは思っていなかったのだろう。
「ただいま、結構な量だろ?」
「……刃物で仕留めたんだね。怪我しなかった?」
猿の首に出来た傷を見ながら、姉ちゃんがそう訊いてくる。
「何とも。大丈夫だよ」
「そう。ならよかった」
ほっと、姉ちゃんの顔が綻んだ。
……実は、あと少しのところで大怪我を負っていたかもしれない、ということは内緒にしておこう。
何を言われるかわかったもんじゃない
「ほら、ナルカも見てみろよ、なかなかのもんだろう?」
焚火の方を向いたままのナルカにそう言う。
ナルカがこの成果を見たらどう思うだろうか。
驚くだろうか。
それとも喜んでくれるだろうか。
「あ、はい! ……う、ぐぐ」
顔を歪め、ゆっくりとナルカがこちらを向く。
……あぁ、体が痛いのか。
俺も何度か経験があるからわかるが、これがまたつらい。
なんせ、ちょっと動いただけでも激痛が走るのだ。
振り向くだけでも、結構な負担がかかる。
こっちから見せに行ったほうがよかったか。
ようやくこちらを振り向いたナルカは、わくわくと目を輝かせながら俺の狩りの成果を目にした。
「お、おぉ……、何だか衝撃的です」
若干引き気味に、ナルカがそう言う。
2つの死体をじっと見つめてはいるものの、喜んでいるようにはとても見えない。
むしろ、怯えているように見える。
「……ナルカ。もしかして、見るのは初めてだったか?」
「た、たぶんそうだと思います。お肉って、切り身の状態でしか見たことがなかったもので……」
あははと、ナルカが力なく笑った。
切り身しか見たことがないという言葉に少し引っかかったが、だとすればナルカが衝撃を受けるのも頷ける。
鳥の死体はまだしも、猿の死体はまだ毛皮も剥いでいない殺したままの状態だ。
こんな生々しい死体を初めて見たとなれば、そりゃ驚くだろう。
肉を切り身でしか見た事がないのなら、尚更だ。
「すまん、驚かせたな……」
「あぁ、いえ! 別に謝って頂くことでは! っていぎゃぁぁぁああああ!!!」
突然、ナルカが絶叫を上げた。
……あぁ、そうだな。いきなり動かすと痛いよな。
それにしても、思ったよりも平気そうでよかった。
俺と姉ちゃんが初めて死体を見た時は泣き出してしまったものだけど、それを驚くだけで済ませたのだから、何気に耐性があるのかもしれないな。
もっとも、鳥と猿を解体するところは見せないほうがいいだろう。
卒倒だけじゃ済まないかもしれない。
ナルカには見えない場所で捌いたほうがいい。
「……じゃあ、ちょっと準備してくるよ。2人はここで待っててくれ」
「あっ、それは私がやるよ。リオスに任せっきりだと悪いし」
よいしょと言って、姉ちゃんが立ち上がる。
俺がやるよりも、姉ちゃんのほうが綺麗に捌けるし、何より早い。
飯までの時間を考えると、ここは姉ちゃんに甘えておいたほうがいいか。
「そういうことならお願いするよ。刃物、貸そうか?」
「うぅん、あるから大丈夫。それじゃ、ナルカちゃんと2人でゆっくりしてて」
俺の手にある2つの死体を取り上げ、姉ちゃんは川下のほうへと向かって行った。
そっちなら、ナルカが血を見ることもないだろう。
どうやら気を遣ってくれたらしい。
「体の具合はどうだ?」
顔を歪めながら腰をさするナルカに、そう話しかけた。
「もう激痛が運動会してますよ……。朝も叫び声でマルシアさんを起こしちゃったし……」
「寝返りでも打ったのか?」
「そうなんですよ! ゴロンってやったらビキビキっと! 足とおなかに、こう……痛みがですね!」
身振り素振りで、ナルカが痛みを表現する。
何を例えているのかがいまいち伝わらない動きだが、とりあえず必死さだけは伝わった。
でも、大丈夫だろうか。
飯を済ませたら、また長い道のりが待っている。
これだけ痛ければ、きっと歩くのにも難儀するだろう。
「……飯食ったらまた歩くことになるけど、いけそうか?」
「あ、それは大丈夫です。痛いけど、慣れてきました。
これでも、起きた時よりはずいぶん楽になったんですよ」
それなら何とか歩けるか。
でも、油断は禁物だ。
大丈夫だからと言って無理をすれば、体を壊しかねない。
「歩いてる時に何だか変な感じがしたらすぐ言えよ?」
「あ、はい! その時はちゃんと言うので、どうぞご安心を!」
相変わらずの笑顔だが、果たしてわかってくれたのかどうか……。
まぁ、俺と姉ちゃんが気をつけていればいい話か。
経験値の低いナルカに判断を任せるのは、あまりに不安だ。
昨日だって、俺と姉ちゃんが休憩を提案しなければ、きっと倒れることになっていただろうし、しばらくは俺達がナルカの手綱を握っておいたほうがいい。
「あ~! 何だか信用してないぞって顔してます!
大丈夫ですってば! 自分の体くらい、きちんと管理できますよ!」
「わかったわかった。ちゃんと慣れたら任せるからさ」
「むー……わかりました」
頬を膨らませるものの、一応納得はいったのか、ナルカは頷いてくれた。
むくれるのも仕方ない。はっきり言って子供扱いだからな。
けど、必要なことだ。今のナルカは、冗談抜きで子供に劣っている。
体力も、そして森を歩く経験もだ。
そんなナルカに、自分のことは自分で判断しろなんて無責任ことは言いたくない。
面白くないだろうが、従ってもらうしかない。
少なくとも、この状況に慣れるまでは。
「あっ、そういえばリオスさん。さっきのえっと……お肉はどうやって獲ってきたんですか?
罠とか、そういうのは使ったんですか?」
打って変わって、興味津々といった様子で、ナルカがそう尋ねてくる。
「いや、罠は使ってないよ。手間も時間もかかるし、道具もないしな。
今回は弓と小刀を使ったんだ。あんまりうまくいかなかったけどな」
「えっ? ちゃんと獲ってこれたじゃないですか。ダメだったんですか?」
「矢がな、ちゃんと当たらなかったんだよ。
それで近づかれて、結局小刀を使う羽目になっちまった」
しっかり矢を当てることさえできれば、俺も小刀を使うこともなかった。
一撃で仕留めていれば、接近させずに済んだ。
姉ちゃんのように弓を使いこなすには、まだまだ努力が必要だ。
「私からすれば、怪我をしないで帰って来るだけでもすごいですよ。さすがです!」
「持ち上げてくれるとこ悪いけど、そうでもないぞ。もうちょっとで大怪我するとこだったしな」
「え゛っ! ホントですかっ?」
「本当。っても、そんな珍しいことじゃないぞ。狩りはいつも危険なもんだ」
相手にもよるけど、狩りは基本的に命懸けだ。
狩るつもりの獣に狩られることもあるし、思ってもみないことで命を落とすこともある。
熟練の狩人でも、死ぬときはあっさり死ぬのが狩りだ。
俺も姉ちゃんも、その例外ではない。
下手をすれば、今日明日のうちに死ぬかもしれないのだ。
「……リオスさんは、狩りはいつから始めたんですか?」
「ん~、姉ちゃんと同じ時だから……10年前くらいからか」
「そんな小さい頃から狩りをしてたんですか。
何ていうか、その……うまく言えませんけど、ソーゼツですね」
「言っておくけど、いきなり凶暴な獣を狩るわけじゃないぞ?
最初は大人も同伴だし、狩るのも小さくて大人しい奴だけだ」
初っ端からそんな獣を狩るなんて、絶対無理だ。殺される。
森に入りたての狩人が、そんな大それたことなんて出来るわけがない。
「小さいことをこなしながら山に慣れていって、最後は1人で狩りに行くんだ。
ちゃんと仕留めてこれたら晴れて1人前。村のみんなに認めて貰えるってわけさ」
「1人でって……危なくないですか?」
「危ないぞ。だからこそ、狩人としての力量が問われるんだ。
駄目だと感じたら村まで退いて、また挑戦ってのが基本でな。成功するまで何度も続けるんだ」
逆を言えば、それが出来ない奴は森から帰って来られなくなる。
狩りは命あってこそのものだ。
例え獣を狩ることができたとしても、村まで到着できなければ何の意味もない。
生きて帰るという事を、俺たち狩人は忘れてはならない。
「狩人さんって、やっぱり大変なんですね……」
「あぁ、大変だ。大変じゃない狩人なんていないだろうな」
「その……私もお手伝いできるでしょうか?」
「は?」
思わず変な声が出てしまう。
「も、もちろん今すぐってわけじゃないです! こういう生活にも慣れて、えっと……ほんのちょっと余裕が出てきたら、そしたらお2人のお手伝いをさせてください!
ずっとお荷物になっているのは嫌なんです! お願いします!」
たどたどしい口ぶりで、それでも俺の目を真っ直ぐ見詰めて、ナルカがそう言った。
半端な覚悟ではないと、目が言っている。
たぶん、ナルカなりに色々と考えたのだろう。
詳しくはよくわからないが、こんな状況でも前向きに物を考えるのはいい事だ。
少なくとも、塞ぎこむよりはずっといい。
うまく教えられる自信はないが、姉ちゃんにも手伝ってもらえば何とかなるだろう。
ただ、今すぐにというわけにはいかない。
ナルカも言っていたように、もう少し余裕が生まれてからのほうがいいだろう。
旅もまだ始まったばかりで慌ただしいし、とてもじゃないが今は教えることなんてできない。
「わかった、ちゃんと教えるよ」
「ほ、ホントですかっ! ありがとうございますっ!」
「ただし、もうちょっと後でな。今はさすがに無理だ」
「もちろんですもちろんです! ぜひよろしくお願いしますっ!」
ナルカの顔が綻んだ。納得してくれてよかった。
話がまとまったその後、俺はナルカと他愛のない雑談をした。
森の事や、獣の事や、これからの事。
話し込んでいるうちに、解体を終えた姉ちゃんが帰って来た。
その両手には、いっぱいの肉が乗せられている。
それを見たナルカが、目を丸くしながらため息をついていた。
見慣れている切り身に変わったからか、もう恐がってはいないようだった。
「遅くなってごめんね、ごはんにしよっか。ナルカちゃん、鳥と猿はどっちが食べたい?」
「鳥でお願いします!」
一切の迷いなく、ナルカが即答した。
もしかして、ナルカは鳥肉が好きなのだろうか?
なら、今度からは積極的に狩ることにしようか。
姉ちゃんも、肉の中なら鳥が一番好きだって言ってたし。
「リオスは?」
「俺は猿で」
「ありがと。よっ、と」
器用に片手で肉を支えながら、姉ちゃんが荷物の中から風呂敷を取り出す。
バサバサと扇ぐようにして広げ、その上に肉を置いた。
そのうちの2つを取り、俺とナルカに手渡される。
「ナルカちゃん、自分で焼ける?」
「大丈夫です! 昨日でコツは掴みました!」
たぶん、干し肉のことを言っているんだろう。
おっかなびっくりだったけど、器用に炙れていた。
なら大丈夫だろう。
見ていなくても、ちゃんと焼けるはずだ。
「火傷すんなよ?」
「だ、大丈夫ですってばぁ!」
もう、と言いながら、唇を尖らせる。
何だか可愛くて、思わず笑ってしまった。
それは姉ちゃんも同じだったようで、俺たちのやり取りを見て微笑んでいた。
「それじゃ食べようか。いただきます」
姉ちゃんの声に合わせて、俺とナルカが合掌した。
今日の飯は、特にうまくなりそうだ。