第六話 「禁断の果実 持たざる者の怒り」
さて、指針の次は、いよいよ行き先だ。
これについては、改めて考えるまでもない。
もう決まり切っている。
「じゃあ、最初の行き先はやっぱり帝都だな。
色んな所に行くにしても、場所と行き方がわからないとどうしようもないから、ひとまずそこで情報と当分の金を集めることにする。
姉ちゃん、それでいいよな?」
「うん、それならいいと思う。お金を稼ぐなら労働組合だね。帝都には本部があるから、きっといい仕事も簡単に見つかるよ」
頷きながら、姉ちゃんがそう言ってくる。
旅をするのにも、何かと物品が必要だ。
食料や水は森に入れば何とかなるかもしれないけど、消耗品はそうはいかない。
武器や防具だって、修繕ができないくらいに壊れてしまえば、どうしても買うことになる。
姉ちゃんはどうかわからないが、少なくとも俺にはそんな金はない。
というか、無一文だ。
村では金よりも現物のほうが嬉しいものだったし、
そもそも金を持って来ようという考えにすら至らなかったのが失敗だった。
そういうこともあって、今は少しでも金が欲しい状況だ。
姉ちゃんの言う通り、労働組合に仕事を貰うことができれば金も手に入るだろうし、
伝手を使って次の目的地のことを聞く事ができる。
まさに、良い事尽くしって奴だ。
近場だし、行かない理由がない。
ナルカにも、どう思っているか聞いてみたいけど、帝都の事なんてさっぱりだろうし、聞いても良い答えは返ってこないだろう。
先に、帝都のことを説明してもらったほうがいいか。
と言っても、俺がわかることなんてたかが知れているし、結局は姉ちゃんに頼むことになるわけだが。
「姉ちゃん。帝都のこと、教えてくれないか?」
「あ、うん。いいよ。ナルカちゃんも聞いてもらえる?」
「は、はいっ! お願いしますっ!」
ナルカの返事に、姉ちゃんが満足そうに笑みを浮かべる。
それじゃあね、という言葉を皮きりに、帝都の説明が始まった。
―――――
俺たちの向かう帝都―――『テルメノンズ』。
長い歴史を持ち、代々王族が統治している由緒ある街だ。
商業の街としても有名のため、色んな街や村から商人がやってくる。
一昔前まではひどい圧政のために、頻繁に暴動が起こっていた危険な街だったらしいが、今はそんなことはなく、他の村や街と比べてもずいぶんと治安が良くなったらしい。
何があったのかと首を傾げていると、統治者が変わったことを姉ちゃんが教えてくれた。
現在、帝都を治めているのは、サン女王。
歳は若いが、民の生活を第一に考えた政策が反響を呼び、『女神』と讃えられているのだとか、いないのだとか。
具体的なところだと、減税での民への負担軽減や、商いの自由化による帝都の活性化、騎士団の予算増加などが挙げられる。
もちろん行った政策はこれだけでないが、これだけでも民への負荷を軽くしようという心遣いが十二分に伝わってくる。
ちなみに、前に統治していた王は、重い税を課したり、軍による住民警護の予算を激減させたりと、かなり無茶なことをやって私腹を肥やしていたそうだ。
そんな暴君と比べたら、民のために尽力しているサン女王が女神と言われるのも頷ける。
民の支持の大きいサン女王はもちろん有名なのだが、それに勝るほどの名物が帝都には2つある。
1つは労働組合の本部。
もう1つが、帝都を守護する騎士団。
労働組合というのは、簡単に言ってしまえば仕事の仲介所のことだ。
例えば、肉食獣の駆除だとか、素材の採取だとか、そういう自分の手には負えないようなことを組合に依頼すると、組員が代わりに駆除やら採取やらをやってくれる。
成功したあかつきには報酬が支払われるものの、失敗すれば違約金が発生してしまう。
また、組合の支部を構えている街や村も存在する。
本部よりも依頼は多くないが、小さな困り事を解決するのに一役買っているとのことだ。
そこを利用して、旅の資金や生活費を稼ぐのがいいと、姉ちゃんが言っていた。
転々と街と村をする俺たちには都合がいいから、とも。
そして騎士団。
帝都の盾、民の剣と讃えられる誇り高き集団だ。
先にも出てきたサン女王の前の統治者。
彼は騎士団に充てるべき予算を削減したばかりでなく、規模そのものを縮小させ、帝都から騎士団という盾を奪った。
城のみ守れればそれでいいと言わんばかりの態度に住民の怒りは爆発し暴動を起こしたが、最後まで城を陥落させることは叶わなかった。
いくら規模が小さくなろうとも、武力を持たない住民を騎士団が鎮静化させるのは、難しいことではなかったらしい。
しかし、この体制も終わりを告げる。
サン女王が統治者として就任し、騎士団の在り方が大きく変わったからだ。
統治者に就任したサン女王がいち早く手をつけたのが騎士団だった。
騎士団の再編成に大幅な予算を割き、帝都の警護と治安維持に力を注いだ結果、無法地帯と化していた帝都は本来の姿を取り戻すこと成功した。
騎士たちも誇りを取り戻し、底辺にまで落ちた騎士団の名誉はみるみる内に挽回する。
結果、犯罪は激減し、強固な秩序が生まれた。
安心して生活できる環境を再び手にした住民たちは、しばらく祭りのような馬鹿騒ぎをしていたらしい。
紆余曲折あって現在の形に落ち着いた騎士団だが、その中にはサン女王の手足となって活躍する非常に優秀な騎士達がいる。
騎士団長である『ガニェ』。
そして副騎士団長『ガリアーノ』、『ラズール』、『パライソ』。
この4人は『聖騎士』と呼ばれ、後にも先にもない最強の騎士として騎士団の頂点に君臨している。
その地位と持ち前の強さは、他の騎士の向上心を刺激させ、その結果いつか自分もと、鍛錬に励む騎士が多くなったというのは有名な話らしい。
彼らは騎士団の中でも指折りの実力者であると同時に、帝都の住民の憧れの的でもある。
サン女王の命とはまた別に、帝都の治安維持のために動いていることが多いからだ。
圧倒的な実力と頼もしさを身近に感じたのならば、誰もが尊敬の念を抱くことは当然のこと。
そのおかげか、前統治者の騎士団に抱いていた悔恨はきれいに消えた。
正真正銘、今度こそ自分たちを護ってくれるのだと確信したからだ。
騎士団の信用が回復したのも、この聖騎士たちの活躍が大きい。
女神の治める街『テルメノンズ』。
そして帝都の代名詞とも言える労働組合の本部と、騎士団。
俺たちがこれから向かう帝都は、そんな街だった。
―――――
「き、騎士団って……騎士さんがいるんですかっ!? ホントですかっ?」
突然、話を聞いていたナルカが、目をキラキラと輝かせた。
「うん。高級な鉄の鎧を着けてて、腰には長い剣を持ってるの。
とっても格好いいよ~。整列しながら歩いてるところなんてすっごく綺麗なんだから」
「うわぁ、羨ましいです! リオスさんリオスさん! 私、騎士さん見てみたいです!」
「きっと見られるさ。ナルカはそういうのが好きなのか?」
「好きですよ! 格好いいですもん! 女の子なら誰でも白馬の騎士に憧れるものなんです!」
興奮しながら、ナルカは俺にそう言ってくる。
白馬の騎士か。
確かに格好良さそうだし、姉ちゃんの話を聞く限りでは憧れの対象になっていることにも納得できる。
けど、ナルカの笑顔を見ていると、なぜかもやもやしてしまう。
何だろう。面白くない。
「? リオスさん、どうしましたか? 難しい顔してますよ」
「……あぁ、いや。何でもないよ」
そう言って、顔を覗き込んできたナルカを煙に巻いた。
記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないし、ナルカも見たいって言ってるんだ。
帝都に行ったら騎士団を見に行くことにしよう。
それがいい。それでいい。
「それよりナルカ、体はもう大丈夫か?」
「あ、はいっ、いつでも行けますよっ!」
うきうきと言った様子で、ナルカがそう言う。
どうやら、すっかり元気を取り戻したようだ。
指針も行き先も決まったことだし、そろそろ出発しようか。
「それじゃ、行こう。まだ見える内に、川の近くまで辿り着いておきたい」
立ち上がりながら、2人に向けてそう言った。
「わかった、行こ」
「了解ですっ」
姉ちゃんとナルカが立ち上がった。
その様子を確認してから歩き出す。
川の近くまでは、まだかかりそうだ。
+++++
日が沈みかけた頃に、俺たちはようやく川の近くまで辿り着いた。
後ろでは、ナルカの激しい息遣いが聞こえている。
あれから何度か休憩を挟んだが、さすがに限界のようだ。
かろうじて歩けてはいるが、それでも足が小刻みに震えていた。
「ナルカ、到着だ。今日はもう終わりだよ」
「は、い……。助かり、ました……」
そう声をかけると同時に、ナルカはその場に倒れ込んだ。
地面に横になりながら、何度も肩を上下させている。
何かの病気かと思うくらいの激しい呼吸だ。
ナルカには無理をさせてしまったが、何とか暗くなる前に川まで到着できて良かった。
これで飲み水は確保できる。
「姉ちゃん。水筒、貸してもらえるか?」
「うん。早くナルカちゃんに飲ませてあげて」
「わかってる」
そう言って、姉ちゃんから竹の水筒を受け取った。
川の近くまで行って、水筒を水の中に入れる。
こぽこぽと空気が抜けていき、水で満たされたのがわかった。
水滴の垂っているそれを持ちながら、倒れているナルカに近寄る。
「ナルカ、水だ。飲めるか?」
上体を起こしてやり、水筒を差し出した。
「あり、がとう……ございま、す」
受け取ってすぐに、ナルカが口をつけた。
喉のなる音が大きい。
結構な勢いで飲んでいるみたいだ。
疲労や喉の渇きもあって、水のうまさも一塩だろう。
「っはぁ~、助かりました……」
あっという間に、ナルカは水筒の水を飲み干してしまった。
ぐったりしていたし、もしかしたらと心配していたが、これだけ水を飲めれば大丈夫だろう。
たまに水さえ飲めない時もあるからな。
安心して短いため息をついた瞬間、ナルカの腹から音が聞こえた。
ぎゅ~という、結構大きめで、それなのに可愛らしい音だ。
腹の虫の鳴き終えたと同時に、ナルカが気まずそうに視線を泳がせた。
「いえ、あの、その……これは、違うんです! 陰謀なんです!」
ちらっとこちらを見ては、何やらわけのわからないことを言い出す。
陰謀って何だよ。誰のだよ。
「ご飯にしよっか。そんなに多くはないけど、干し肉は持ってきたから」
くすくすと笑いながら、姉ちゃんが荷物の中から葉に包まれた干し肉を取り出した。
たぶん、俺が前に狩ってきた、大鹿の肉だろう。
台所を担当している姉ちゃんに預けたままだったけど、どうやら保存食になっていたみたいだ。
「あ~、いえ、その~、何と言うか……」
「いいのいいの、気にしないで」
もじもじしているナルカに、姉ちゃんがそう言った。
よくわからないけど、とりあえず飯にありつけるみたいだ。
けど、その前にやることがある。
「姉ちゃん。その前に火を点けないか? これ以上暗くなると、手元がわからなくなる」
川まで来たことだし、今日使った分の手ぬぐいや肌着は洗っておきたい。
焚火があると真っ暗でも洗いやすいし、近くに干しておけばすぐ乾く。
それに獣避けにもなるし、ついでに姉ちゃんの干し肉だって炙れる。
ナルカも、森で過ごす初めての夜くらいは、明かりがあったほうが安心するだろう。
「あ、それもそうだね。それじゃあリオス、枯れ枝とか集めて来てくれる?」
「ああ、任せとけ」
「あのっ、私も行きま……っす」
言っている途中で、ナルカの顔が少しだけ歪んだ。
たぶん、筋肉痛だ。あれだけ動けば当然か。
明日のことを考えると、今は少しでも休ませておきたい。
「いや、1人でいい。そんなに時間も手間もかからないしな。休んでろ」
「ごめんなさい。それじゃお言葉に甘えさえてもらいます……」
意外なほど、素直に言うことを聞いてくれた。
ナルカも、自分の体の状態くらいはわかっているようだ。
それを見て、俺は元来た道とは逆方向―――森の方へと向かう。
カサカサと、枯葉を踏む音が夜の森に響く。
薄暗いが、見えないほどでもない。
枯れ枝は思ったよりも簡単に見つかった。
目に入ったそれを、手当たり次第に抱え込んでいく。
程なくして、両手が一杯になるほど大量の枯れ枝が手に入った。
ついでに、点火用の枯葉も拾っておく。
たくさんは要らない。どうせ使うのは最初だけだ。
これだけあれば十分だろう。
無くなったらまた取りにくればいいしな。
両手の枯葉を落とさないよう、慎重に2人のところまで戻った。
「拾ってきた」
「ありがと。火を点けるから、組んでくれる?」
姉ちゃんに言われた通り、持ってきた枯れ枝のいくつかを塔のように積み上げていく。
枝を適当に置いたまま着火してもいいのだけど、それだと空気の通りが悪くて火がうまく点かない。
こうしてやれば、良い具合に風が吹き込んですぐに火が大きくなるってわけだ。
最後に中に枯葉を入れて準備を終える。
あとは点火するだけだ。
「じゃあリオス、ちょっと離れてて」
言われて、数歩下がる。
姉ちゃんが、持ってきておいた火打石と打ち金を鳴らし、火花を散らせた。
カチッカチッと何度も叩いているうちに、枯葉が燻ってくる。
もう少しだ。
持っていた道具を一旦置き、姉ちゃんは煙の出ている所へ静かに息を吹きかけた。
枯葉から火が上がった。
火は他の枯葉に移っていき、徐々に勢いを増していく。
あとは放っておいても大丈夫だ。
そのうち大きい炎になる。
「うん、もう大丈夫だね。今のうちに汗を流しちゃおうか」
「あ~、賛成です。着てる服がもうびしょびしょで気持ち悪かったんですよ」
力なく笑って、ナルカがパタパタと服を扇いだ。
日も、もうすぐ沈みきってしまう。
昼は暖かくても、夜の山は冷え込むから、濡れたままの服を着ているのはあまり体に良くない。
風邪をこじらせしまうかもしれないし、早いうちに汗の処理をしたほうがいいだろう。
「じゃあ着替えを出すから、ちょっと待っててね」
言うなり、姉ちゃんが荷物を漁り出す。
あの大荷物の中には、どうやら着替えもあるようだ。
替えの服と大きめの手ぬぐいを取り出し、それらのいくつかをナルカに手渡す。
「リオスはどうする? 一緒に来る?」
「え゛っ!!」
姉ちゃんの言葉に、ナルカが変な声を上げた。
顔をひきつらせ、俺と姉ちゃんを交互に見つめてくる。
……言いたい事はわかる。
わかるから、そんな顔をするな。頼むから。
「ナルカがいるってば、姉ちゃん。それに火の番もしないといけないから、俺は後でいいよ」
「あ、ごめんねナルカちゃん。ついつい」
えへへと、姉ちゃんが笑った。
出来ることなら早く汗を流しておきたいが、さすがにナルカと一緒に水浴びをするのは躊躇われた。
姉ちゃんならともかく、ナルカの裸なんて想像するだけで気恥かしい。
ナルカも抵抗があるみたいだし、ここは遠慮しておくべきだろう。
姉ちゃんの言葉に安心したのか、ナルカはホッとため息をついた。
……が、すぐに「あれ?」と首を傾げる。
「……もしかして、お2人はいつも一緒に?」
「いつもってわけじゃないけど、たまにな。
子供の頃からだったし、俺も姉ちゃんも慣れっこなんだよ」
「よく言うよ。恥ずかしいから嫌だって、一時期すっごく逃げ回ってたのは誰だっけ?」
……痛いところを、姉ちゃんに突かれてしまった。
にやにやしながら言ってくるのが、これまた癪に障る。
だって仕方がない。
その頃は、お互い体の変化が大きかった時期だったから、女である姉ちゃんの裸を見たくなかったし、自分の裸も見られたくなかった。
姉ちゃんはそんなこと全然気にしてなかったみたいで、一緒に水浴びをしようと平気でせがんできてたっけ。
もちろん断ったけど、その次の日にも、そのまた次の日も、何日も何日もしつっこく誘われては、もう折れるしかなかった。
最初はかなり嫌だったしすごく抵抗があったけど、今はもう慣れてしまった。
もちろん姉ちゃんの裸にじゃなくて、水浴びしているところに乱入されることに対してだ。
諦めた、と言ったほうがいいかもしれない。
「……今は平気なんだから、別にいいだろ」
「まぁそうだけどね。でも、ちょっと寂しいかな。
あの時はいい反応してくれたのに、今じゃ全然だもんね」
「い、良い反応って何ですかっ?」
「ん~? 聞きたい? あれは傑作だったよ~、顔真っ赤になってるんだもん。
ずっと背中向けてしゃがんでてね、いつまで経っても上がって来ないからおかしいなって―――」
「だぁーッ! この話は終わりだ終わりッ! とっとと汗流して来いッ!」
変な事を言われる前に、強引に話を打ち切った。
これ以上恥を晒してたまるか。
ナルカもナルカで、何だか興味ありそうな目で姉ちゃんを見てるし、もう何だってんだ。
「はいはい、わかりました。それじゃナルカちゃん、行こっか」
「あ、はいっ」
くすくすと笑いながら、姉ちゃんがナルカと一緒に川上の方へと歩いて行った。
まったく、姉ちゃんも悪ふざけが過ぎる。
まさか、ナルカの前であの事を暴露しようとするとは思わなかった。
知られたら、本当に顔を合わせられなくなるぞ。
ため息をついて、焚火の様子を見る。
パチパチと枯れ枝が弾け、勢いよく燃え盛っている。
ただ、燃料である枯れ枝のほとんどが炭になっていた。
新しい枝を足さないといけない。
横に置いてある枯れ枝の束から何本かを取り出し、炎の中に放り込んだ。
炎はすぐに新たな燃料を包み込み、さらに勢いを増していく。
同時に、暗くなった辺りを一層明るく照らし、どこか不思議な安心感を与えてくれた。
焚火の温かさを感じながら、ふと空を見上げる。
まだ明るい夜空には、小さな星がいくつも散りばめられていた。
その1つ1つが静かな光を放っていて、今にも消えてしまいそうなくらい儚げな雰囲気を醸し出している。
それが本当に綺麗で、俺はしばらく目が離せなかった。
こんな星空を見るのは、ずいぶん久しぶりだ。
数日に渡って行う狩りで野宿をする際に空を見ることはあったけど、木々に邪魔をされてしまうからここまで綺麗には見えない。
ここが拓けた場所でよかった。
おかげで、遮られていないそのままの星空を眺めることができる。
(……村、落ちついたかな)
しばらく星空を眺めているうちに、そんなことが頭に浮かんできた。
今頃、村はどうなっているだろう。
落ち着きを取り戻しただろうか。
それともまだ混乱しているだろうか。
いずれにしても、村を出た俺に知ることのできない問題だ。
引っかき回した張本人の俺が言うのも何だが、村長がうまく事態を収拾させてくれる事を信じたい。
俺はもう、村に戻ることはできないのだから。
それが俺の罰であるし、自業自得の報いなのだけど、それでも心配だ。
つらい事のほうが多かったし、もう2度と会いたくない連中だっている村だけど、あそこが俺の故郷であることに変わりはない。
叶うことなら、俺が引き起こした事件なんてすぐに忘れて、今後も平穏な日々を送って欲しいと、そう思った。
目を閉じる。
焚火の音に混じって、川のせせらぎと虫たちの鳴き声が聞こえてきた。
星が光る夜空も悪くはないが、こういう自然の音の良さも捨て難い。
森は決して人に対して優しくはないが、安らぎを与えてくれるというのもまた事実だ。
何度も森で痛い目を見て、その度に俺は森に癒されてきた。
どんな森でもたくさんの危険があって、同じだけ安らぎと恵みがある。
だから俺は森が好きだ。
厳しさと優しさを持ち合わせている森が大好きだ。
ナルカにとっても、森はそういう所であって欲しいと思う。
足場が悪くて蒸し暑く、水さえも自由に飲めないという大変な状況を味わったナルカだけど、それに見合うだけの安らぎと恵みがあることを知ってもらいたい。
狩人にとって、森はもう1つの家に等しいのだから。
「リオス~、上がったよ~」
背中に、姉ちゃんの声がかかる。
振り向くと、姉ちゃんとナルカがこちらへ戻ってくるのが見えた。
2人の手には、濡れた状態の服が。
どうやら、洗濯も済ませてきたらしい。
焚火のそばに置いておけば、明日には着られるようになるだろう。
「? ナルカ、どうした?」
無表情のまま唇を尖らせているナルカに、そう声をかけた。
よくわからないが、どこか不機嫌そうだ。
水浴びをしている時に、姉ちゃんがいたずらでもしたのだろうか。
「……騙されたんです」
「何に?」
思わず聞き返してしまう。
すると、ナルカはいきなりこちらをキッと睨み、声を張り上げた。
「マルシアさんに騙されたんですっ! 最初見た時はおんなじくらいかなぁ、よかったうれしいなぁって思ったんですよこっちはっ! でも服脱いでみれば何ですかあれっ!? バインバインじゃないですかっ! ほんっとに信じられないですっ! 縦じゃなくて横に揺れるとこなんて初めて見ましたよっ! ひどいですっ! 裏切られましたっ! 私は悲しいですっ!」
物凄い剣幕で、なぜか俺が怒鳴られる羽目になる。
一瞬、何のことを言っているのかわからなかったが、姉ちゃんが苦笑いしているのを見て……それでピンときた。
よく見ると、姉ちゃんの胸が、水浴びに行く前と比べて不自然なほど盛り上がっている。
それほど目立っていなかった膨らみが、まるで双子山のようにその存在を証明していた。
さすがに頭よりは小さいが、それでも十分でかい。
たぶん、晒を取ったのだろう。
姉ちゃんはかなりきつく巻くから、今とさっきでは大きさが別物だ。
「そ、そんなに怒らないでナルカちゃん。別にナルカちゃんのが小さいわけじゃないんだから」
そう言って、姉ちゃんがナルカの肩に優しく手を置いた。
ナルカの胸もそこまで小さいというわけじゃない。
実際に見たわけでないから確かな事は言えないけど、少なくとも服の上からでも膨らみがわかるくらいにはある。
晒をきつく巻いて、それでやっとナルカと同じという姉ちゃんの胸が規格外過ぎるだけだ。
そんなのと比べて負けたからと言って、別に悲観することはない。
それに、大事なのは大きさじゃなくて比率だ。
小柄で細身のナルカが姉ちゃん並みの胸を引っ提げたとしても、違和感があって気味が悪い。
逆に、姉ちゃんは結構な背丈があるし、狩人だけあって体つきもしっかりしているから、あれだけ大きな胸があっても違和感がちっともない。
ナルカの胸だって同じ話だ。
小さいわけでもないし、体格と比べても少し大きめなくらいだから、嘆くほど小さいわけじゃない。
でかければいいというものではないという、良い例だ。
涙目になりながら、世界がいかに不平等で満ちているかを訴えているナルカも、姉ちゃんにそう言われて落ち着いたらしい。
何度か自分の胸に手を当て、そして再び俺を見る。
「……小さくないですか?」
先ほどとは打って変わり、眉を八の字にしながらナルカが訊いてきた。
「体格を考えれば少し大きいくらいだと思うぞ。
ってか姉ちゃんがでかすぎるだけなんだから、あんま気にすんな」
「そ、そうですか! それはよかったです! いえ本当に!」
ぱぁっとナルカの表情が輝く。
男の俺には、なぜ女が胸の大小で一喜一憂するのか良くわからないが、もしかしたらそれは、男によっての強さみたいなものなのかもしれない。
それなら、まだ理解できる。
強さは、あればあるほどいい。
だったら、俺の強さは胸で言うとどれくらいだろうか。
…………。
……止めよう、あまり考えたくない。
獲物を狩るだけならともかく、それ以外だと力でさえ姉ちゃんに劣る俺だ。
胸に換算したら、それこそ目も当てられない程のものになるに決まってる。
ナルカが胸を欲しがる気持ちが、少しわかったような気がした。
「でかすぎってなによー。いっつもこれ見て恥ずかしがってたくせにー」
不満げに声を上げ、姉ちゃんが片腕で胸を持ちあげた。
ぐにゃりと形が変わり、その手が埋もれてしまった。
その様に、思わず目が釘付けになってしまう。
喜んでいたナルカも、それを見てあんぐりと口を開け、まるで時間が止まったかのように動きを止めた。
見ているだけでも十分柔らかさが伝わってくるという、衝撃的過ぎる光景。
……もしかして、またでかくなったんじゃないだろうか。
「だ、誰のだって恥ずかしいに決まってるだろっ」
「もー、素直じゃないなぁ……。まぁいっか」
そう言って、姉ちゃんが胸から腕を解放する。
その際に、だぷんっと大きく揺れたような気がしたが、見なかったことにした。
「私たち準備してるから、リオスも水浴びに行ってきたら?」
荷物から着替えと手ぬぐいを取り出し、俺に投げてくる。
「おっと、ありがと。じゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃーい。あんまり遠くに行っちゃダメだよー」
しっかりと受け取った後、姉ちゃんの声に送られて川上のほうへと向かった。
ちなみに、ナルカはまだ固まったままだった。




