第四話 「マルシアの決意 天敵への決別」
「話、終わった?」
背中越しに姉ちゃんの声が聞こえた。
話が終わりまで、外で待っていてくれたらしい。
姉ちゃんにもずいぶん心配をかけてしまったな。
さっき会った時もかなり怒ってるみたいだったし、きちんと謝っておこう。
これからの事も話しておかないとしけないしな。
「ああ、もう終わったよ。それより姉ちゃ……ん?」
謝ろうと思って振り返り、姉ちゃんのその姿に言葉を失った。
皮で出来た胸当てに、滑り止めを付けてある長靴。
色あせた腰当てに、所々痛んでいる籠手など、家に入って来た姉ちゃんは、まるでこれから狩りに行くような格好をしていた。
背負っている荷物だってそうだ。
毛布やら着火道具やら鍋やらと、とにかくたくさんの荷物を縄で縛りつけている。
姉ちゃんが愛用している小さめの弓矢も、荷の一番上に付けられていた。
もしかしてと、嫌な予感がした。
「……姉ちゃん、何でそんな格好してんの?」
姉ちゃんの意図を知りながら、とぼけてそんなことを聞いてみる。
「リオス、村から出るんでしょ? 私も行く。
リオスも早く準備して来て。もう時間ないんだから」
やっぱりか。
村長と話をしている間に、準備を済ませていたらしい。
「姉ちゃん、俺が村を出るって知ってたの?」
「うん。リオスが返ってくる前に、生きて帰ってきても追放は免れないだろうから覚悟しとけって爺ちゃんから言われたからね。こうなるって思ってた」
一旦荷物を床に下ろしながら、姉ちゃんがそう言った。
良く考えてみれば、姉ちゃんが付けている装備も、このたくさんの荷物も、村長と話している間に用意するのは無理だ。
誰かに手伝ってもらえば可能かもしれないが、今はみんな広場にいる。
いくら急いでも、1人では絶対にできない。
きっと、あらかじめ準備していたんだろう。
森に入った俺が、生きて帰ることを信じて。
「言っておくけど、私は怒ってるんだからね。
勝手な事して、勝手に出て行って、もう2度と会えないなんて納得できないもの。
ダメって言っても、絶対ついていくから」
腕を組んで、そう宣言する。
白状してしまうと、俺とナルカの2人だけでは、この村を囲っている深い森を抜けられるかどうかも怪しい。
どの方向にどのくらい進めば出られるのかなんてわからないし、
食糧を2人分も調達することだって出来ないかもしれない。
それだけの障害だったらまだいい。
問題は獣だ。
運悪く遭遇したら、俺はナルカを庇いながら戦うことになる。
体格が小さければまだ何とかなるかもしれないが、大きいものに当たればおしまいだ。
何もできず、殺される。
自分に誓った手前、ナルカのために命をかけるつもりはあるが、
出来損ないの俺が出来ることなんて、たかが知れている。
軟弱な俺1人だけでは、ナルカは守りきれない。
悔しいが、それが事実だ。
だが、姉ちゃんがついて来てくれるなら話は違う。
何度も帝都に行っているから、森を抜けるための道もわかるし、
耳もすごくいいから、獣が近づいてきてもすぐに察知してくれる。
村で一番と言われている弓の腕だって頼りになるだろう。
一緒に狩りへ行った時、その弓で何度助けられたかわからない。
姉ちゃんが一緒について来てくれるなら、これほど心強いことはない。
俺には絶対にできないことやってのける姉ちゃんがいれば百人力だ。
同行を拒む理由がない。
「……本当に、いいのか?」
もう村に戻って来れないかもしれない。
これから想像できない程つらい目に遭うかもしれない。
最悪、死ぬかもしれない。
そんな意味を込めて、そう尋ねた。
「いいよ。そんなこと、わかってるから」
何の躊躇いもなく、姉ちゃんは強気な微笑みを見せた。
俺の言っている意味を、ちゃんとわかっている。
わかっている上で、それでも俺に付いて行くと言っている。
そこまでの強い意志があるのなら、もう俺が言うことはない。
旅は道連れ、世は情け。
姉ちゃんには悪いが、どうか道連れになってもらうことにしよう。
「……ありがとう、姉ちゃん。よろしく頼むよ」
深く頭を下げる。
ぽん、と、頭に手が置かれ、撫でられる。
「うん。しっかり役に立ってみせるから、期待してて」
いつもの優しい声で、姉ちゃんはそう俺に言った。
先ほどの棘のある物言いではなくなっている。
どうやら許してくれたみたいだ。
姉ちゃんの手が、すごく心地良い。
小さい頃は、何かと理由をつけて頭を撫でてもらったもんだけど、最近は全然してもらってなかったっけ。
多少気恥ずかしいものはあるけど、悪くない。安心できる。
「爺ちゃん、リオスから許可も取れたし、私もついて行くね。
さっきも言ったけど、私、やっぱりこの子と離れたくないから」
姉ちゃんの言葉に、爺ちゃんが苦く笑った。
「何を言ったって聞かねぇだろう、好きにしな。
まったく……お前は本当に婆さんと似てやがる。
いつもは他人に合わせる奴なのに、譲れねぇ時は絶対に引かなかった」
「そこは婆ちゃんのおかげかな、感謝しないとね。
……さ、リオス。急いで準備してきて。その間に、この子の着替えとか済ませておくから」
今のナルカでは、森を歩くことすらもできない。
当然のことだけど、姉ちゃんもそれはわかっているようだ。
裸足で、しかも薄い服1枚しか着ていないナルカが森に入れば間違いなく死ぬだろう。
生きて森を抜けるためには、それなりの物を着こむ必要がある。
最初は俺のおさがりでも着せてやろうと思っていたけど、どうせ同じおさがりなら姉ちゃんの物のほうがいいだろう。
俺のだと大きさが合わないだろうし、着るのに手間がかかるものだってある。
俺が着せるわけにもいかないし、そこら辺は姉ちゃんに任せたほうが無難だ。
「ナルカ、姉ちゃんが手伝ってくれるから、俺が準備してる間に着替えてくれ。
その恰好じゃ、森を抜けるのは無理だ」
「は、はいっ! わかりました!」
ナルカが素直に頷いてくれたのを確認し、俺は急ぎ足で家を出た。
―――――
家の近くには古びた小屋が立っている。
そこには鍬や鎌なんかの農具を保管されているのだが、その他に俺たちが狩りで使う武器や防具なんかも置かせてもらっている。
あまり森の深くまで入らないとすれば、武器も防具も、ましてや道具も必要などない。
だが、俺達はそこを抜けなければならないのだ。
1日で抜けられるわけじゃないから、森のど真ん中で眠らなければならないし、食糧を得るために獣を狩ることだってある。
そうなれば、やはり物は必要だ。
生きるためにも、守るためにも、できる限りは備えていなければならない。
小屋の戸に手をかけ、音を立てないようゆっくりと開く。
瞬間、埃の臭いが鼻をついた。何度入ろうと、この臭いには慣れない。
まずは道具の準備をしよう。武器や防具はその後だ。
道具といっても、あまり多くの物を持っていくことはできない。
俺は他の狩人よりも、余分に武器を持っていかなくてはならないからだ。
必須でない物や、なくてもあまり困らない物は置いていく必要がある。
少し考えて、手ぬぐいに、毛布、それから血止め薬と火点け道具を棚から取り出した。
血止め薬と火点け道具は言うまでもないが、手ぬぐいも色々なことに使えて何かと便利だ。
体を拭いたり、汗を拭ったりできるし、何よりも怪我をした時に重宝する。
傷口を押さえて止血できるし、ある程度の長さがあるから縛っておける。
毛布は姉ちゃんも持っていたようだが、もう1枚くらいあってもいいだろう。
暖かくなってきたとはいえ、夜になると冷え込む。
森歩きに慣れていないナルカもいることだし、余分に持って行っても損はないはずだ。
次に武器の準備をする。
弓矢と鉈、伸縮式の槍に、分厚い刃の小刀。
最後に持ち手の長い大金槌をひとまとめにし、先ほどの道具と一緒に縄で縛る。
普通の狩人であれば、自分が得意な武器を1つだけ持っていくのが常識だ。
予備の武器ならまだしも、俺みたいに複数の武器を持っていくなんてまずありえない。
重量が邪魔をして、動きが極端に遅くなってしまうからだ。
狩りの時に動けなくなるのは致命的だ。
人よりもずっと強力で機敏な獣が相手ならば、何もできないまま殺される。
足の遅い獣でも、逃げ切れなくなる確率が高い。
全身を高価な防具で覆うことができたなら話は別だが、それができない狩人は、防御よりも俊敏さが求められる。
それなのに、俺がここまで多くの武器を持つのには理由があった。
単純で、小さくて、ちっぽけな理由だ。
他の人間よりも貧弱である俺は、1つの武器だけで獣を狩ることができないのだ。
羽ばたいている鳥を狩る時は弓矢を使い、愚鈍なものには槍と金槌を使う。
素早い獣を狩る時は鉈で立ち向かい、意表を突いて小刀で急所を突き刺す。
時には槍と小刀を使い分け、時には金槌で怯ませ鉈で切り裂く。
獣によって武器を使い分け、不意を突き、それで初めて俺は獣を狩ることができる。
だから、使い慣れたこの武器は置いていけない。
万が一戦闘になった時を考えると、どれかを置いていくなんて考えられなかった。
例え、便利な道具をいくつか犠牲にするとしてもだ。
最後に防具の準備に入る。
胸当てに、籠手、腰当に長靴。
さっきの姉ちゃんと同じ装備だ。
違う点を挙げるとすれば、腰当の内側に取り付けている道具入れくらいか。
自分で付けてみたのだが、細かい道具を入れられるからなかなか使える。
脚から頭にかけて、防具を手早く取り付けていく。
何度も何度も着てきたせいか、ものの数十秒で装着し終わってしまった。
その場で軽く跳んで、外れないかどうかを確認するが、問題はない。
この分だと、激しく動いても外れたりはしないだろう。
準備は終わった。ナルカもそろそろ着替えが済んでいる頃だ。
束ねていた荷物を背負い、出口に向かおうとしたその時に、ふとある物が目にとまった。
獣の耳を模した、髪飾りだ。
(そういえばこれ、俺が作ったんだっけ。懐かしいな……)
うっすらと埃にまみれたそれを手に取る。
子供の頃、少しでもみんなと同じになりたいと思って作った物なのだが、今見てもなかなかいい出来栄えをしていた。
俺の髪の色と同じく黒く染めてあるし、耳の部分は本物を剥製にした物を使っているから、触られたりしない限りはバレることはない。
付けた姿を水面に映してみると、思ったよりもずっと違和感がなくて、これで仲間外れにされることもなくなると喜んだもんだ。
でも、そこはしょせん子供の浅知恵。
いくら本物とそっくりな耳があろうと、初めから何も付いていないことを知っているザ-ク達には通用しなかった。
受け入れられるどころか、生意気だといつも以上に殴られ、俺は気絶するまで解放してもらえなかった。
この村を出れば、あいつ等に殴られることもなくなるなと思いながら、その髪飾りを棚に戻そうとしたところで―――ふと、思った。
これは、使えるんじゃないだろうか?
この髪飾りが通用しないのは、俺のことを元から知っている奴だけだ。
けど、他の村の人達は違う。
俺のような、あるべきものがない奴がいることなんて知らない。
だとすれば、これを遣って獣人であると誤魔化せるかもしれない。
正直、俺がこのままの姿で他の村に行ったところで、歓迎されるとは考えにくい。
村の人達と同じく、どこか蔑んだ視線を注がれるのが関の山だ。
俺だけならともかく、姉ちゃんやナルカをそんな目に遭わせるなんて我慢できない。
そういう波風は、なるべく立たないようにしたほうがいいだろう。
複数あるうち、とりわけ出来の良い物を2つ手に取って腰当の道具入れに仕舞い込んだ。
1つは俺ので、もう1つがナルカのだ。
髪の色も俺と同じだから、ナルカが付けてもたぶん大丈夫なはず。
これで、もうここに用はなくなった。行こう。
今度こそ埃臭い小屋を後にし、家へと向かう。
―――――
「ナルカ、準備できたか?」
そう言いながら、中を覗き込む。
「はいっ。もうちょっとです!」
姉ちゃんに髪を結われているナルカが、そう返事をする。
着替えも済んでいるみたいだ。
お下がりの服の上に、姉ちゃんが前に使っていた防具を付けている。
ナルカが獣と戦うことはないはずだが、万が一のことを考えれば防具を付けていたほうがいいと姉ちゃんは考えたんだろう。
どんなことが起こるかわからないのだから、備えておくに越したことはない。
「ナルカちゃん、終わったよ」
「ありがとうございます、マルシアさん」
傍にあった帽子をすっぽりとかぶり、ナルカが姉ちゃんに笑いかける。
お互いに名前を呼び合っているところを見ると、もう自己紹介は済ませたらしい。
獣人を初めて見るナルカが受け入れてくれるか少しだけ心配だったけど、この様子なら心配なさそうだ。
旅立つための準備は全て終わった。
あとは、出ていくだけだ。
「用意は出来たかぁ?」
奥の部屋から、村長が出てくる。
たぶん、ナルカが着替えるからと、姉ちゃんに押し込められたのだろう。
最初に俺を見、姉ちゃんへと視線を移し、最後にナルカを見つめる。
「ん、全部終わってるみてぇだな。あとは出るだけか……」
おもむろに頷いた後、村長は寂しそうに目を伏せた。
村長にとって、姉ちゃんは血の繋がった唯一の肉親だ。
それを離れ離れにするのは、他の誰でもない、俺なのだ。
俺が村長を、孤独にする。
落ちついたはずの罪悪感が、沸々とで沸き上がって来た
胸が痛み、とても村長の顔を見れなかった。
「そんな顔するな。マルシアとは死に別れってわけじゃあねぇからな。
健やかに生きてさえくれてれば、それでいい。それはもちろんリオス、お前もだぞ」
一転し、何でもないような振りをして俺に笑いかけてくる。
……最後の最後まで気を遣われてしまった。
本当に、村長には頭が上がらない。
「村長」
親代わりとして、出来損ないの俺を受け入れてくれた村長を、正面から見据えた。
「今まで本当に、ありがとうございました。育てて頂いた恩は、一生忘れません」
頭を下げる。
何から何まで、村長には本当に世話になった。
この人がいなければ、俺は今ここにいなかっただろう。
孤独に震え、生まれてきたことを恨み、蔑んでくる人を憎みながら生きることになっていたはずだ。
お前は1人じゃないと教えてくれたのも、間違いを犯した時に正してくれたのも、村長だ。
この人には、一生をかけても返せないほどの恩がある。
いくら感謝しても、しきれない。
ポンと、頭に手を置かれる。
ゴツゴツした、大きな手。
何度も拳骨を貰い、何度も撫でてくれた、村長の手だ。
「リオス、俺とお前は血こそ繋がっちゃいねぇが家族だ。
離れたってそれは変わらん。これから先、2度と会うことがなくてもだ。
それを忘れるんじゃあねぇぞ」
顔を上げた。
寂しげだった村長が、笑っていた。
「はいっ」
だから、俺も笑顔でそう返した。
まだ罪悪感は消えないけれど、それでも最後は笑って別れたかった。
「マルシア、2人の力になってやれ。この村で一番の弓士のお前なら出来るはずだ。
何かとつらいとは思うが、くじけんなよ」
「うん、もちろん。絶対に足は引っ張らないから!」
姉ちゃんが胸を叩く。
不安はちっとも見られない。
戸惑いも、迷いも、今の姉ちゃんにはどこにもない。
強い覚悟と、この上ない頼もしさが感じられた。
姉ちゃんのその姿を見て村長が頷き、最後にナルカへと視線が移る。
「ナルカさん。目ぇ覚めたばっかりのあんたを追い出すような真似をして申し訳なく思う。記憶がなくて色々不安になることはあるかもしれねぇが、そんときは遠慮なくリオスとマルシアに頼ってやってくれ。きっと助けになってくれるはずだ」
「は、はいっ!」
村長の言葉に、ナルカがつっかえながらも返事をする。
目を覚ましたばかりのナルカには、本当に大変な目に遭わせてしまった。
たぶん、今も少し混乱しているだろう。
これからのことに不安も覚えているに違いない。
でも安心しろ。
お前は俺が守る。
何があっても、必ずだ。
「……さぁ、見つかる前に行っちまえ。くれぐれも森ん中で押っ死ぬんじゃねえぞ」
村長が笑いながら、しっしっと手を払った。
いつまでみんなが広場に集まったままでいるかわからない。
もし見つかってしまえば厄介なことになる。
名残惜しいが、そろそろ行かなければ……。
「村長、どうかお元気で」
「爺ちゃん、長生きしてね」
「あ、あの! お邪魔しました!」
3人揃って家を出た。
振り向くような真似はしなかった。
そうすればきっと、その場から動けなくなってしまうだろうから。
歩いて、歩いて、ひたすら歩いた。
向かう先は、北にある森。
これからどうするとか、どこへ行くとか、考えることはたくさんあるが、まずはここから出ることが最優先だ。
今後の相談は、森の中でも出来る。
後ろにいるナルカと姉ちゃんも、その事はわかっているようだった。
何も聞かず、ただ黙々と俺に付いて来ている。
足音だけが妙にうるさく聞こえて、それが何だか落ちつかなかった。
村の外れに差し掛かる。
森は目と鼻の先だから、ちょっと歩くだけで入ることができるだろう。
「待てよ」
大嫌いな奴の声が背中に突き刺さり、足を止めてしまう。
村で最後に見る顔がこいつなのか。
振り返る。
ザ-クが俺を睨みつけていた。
「追放かよ」
「ああ、そうだよ。満足したか?」
吐きだすようにして返してやった。
俺のこの喧嘩腰な口調も、ザ-ク達に殴られる原因の1つだった。
喧嘩では勝てないからと、せめての抵抗のつもりだった。
敬語を使えと何度も命令されたが、同じ数だけ突っぱねてやった。
こいつに敬語を使うくらいなら、牛や豚に敬語を使ったほうがマシだ。
「……マルシアさん、お見送りですか?」
俺の言葉には答えず、ザ-クは丁寧な口調で姉ちゃんに声をかけた。
俺に向けた侮蔑の表情とは違い、笑みを浮かべている。
いくらなんでもあからさま過ぎだ。
昔からの事らとはいえ、腹が立つ。
「私はこの子についていくの。見送りなんかじゃないよ」
「……は?」
笑顔が一転し、ザ-クの目が丸くなる。
「な、なんでマルシアさんが! 関係ないじゃないですか!」
「あるよ。リオスのことだもん。私が関係ないなんて言わせない」
ぴしゃりと、姉ちゃんが言い切る。
みるみる内にザ-クの顔が歪んでいき、ギリギリと歯ぎしりをした。
……そういえば、こいつがこんな顔をするのは初めて見たな。
正直、それを見て少しだけ胸がすっとした。
「リオス、お前からも残れって言え。マルシアさんは関係ないだろ。
お前のしでかしたことに巻き込むな」
姉ちゃんに言っても無駄だと悟ったのか、俺に命令してくる。
確かにそうだ。
姉ちゃんは今回の件には関係ないし、俺が連れて行くのだっておかしい。
それはわかっている。
ザ-クの言っていることは正しい。
だけど、姉ちゃんはそれでもいいと言ってくれたんだ。
危険な目に遭おうが、死ぬことになろうが、それでも付いて行くと言ってくれたんだ。
姉ちゃんの強い覚悟も知らない奴に、そんなことを言われる筋合なんてない。
いくら正しくても、こいつに口を出す権利なんてこれっぽっちもない。
「勘違いしてるみたいだから言っておくけどね、私が勝手に巻き込まれたの。リオスがダメだって言っても付いて行くつもりだったの、わかる?
大体、私の事にあなたがどうして口出しするの? 関係ないのはあなた。引っ込んでちょうだい」
何か言い返そうと思った瞬間、姉ちゃんが間髪入れずに口を挟んだ。
いい加減イライラしてきたのか、無表情で淡々しているのが怖かった。
「で、でもマルシアさん、あなたまでいなくなったら村長だって1人に―――」
「余計なお世話もいいところです。あなたは私の身内じゃないでしょ?
家の問題に首を突っ込まないでもらえませんでしょうか」
「俺はマルシアさんのことが心配で―――」
「あなたに心配される筋合いはありません。もういい加減にしてください」
ザ-クの言葉を、姉ちゃんはことごとく突っぱねた。
いつの間にか敬語が混じってきているし、言い方もどんどんきつくなってきている。
完全に怒っている。
これ以上はまずい。
もしかしたら手が出るかもしれない。
ザ-クもその事を悟ったのか、がっくりと俯いて口をつぐんでしまった。
さすがに姉ちゃんに殴られるのはごめんだと思ったらしい。
「……姉ちゃん。もう行こう」
話を終わらせ、ザ-クに冷たい視線を送っている姉ちゃんを促す。
きょとんとしているナルカの手を引き、その場を後にしようとザ-クに背を向ける。
「……おい、そいつは誰だ。村の奴じゃねぇよな?」
ようやくナルカに意識がいったのか、ザ-クが尋ねてくる。
姉ちゃんの次はナルカか。
本当にしつこい奴だ。
「教えるわけないだろ。何の関係もないお前を巻き込むわけにはいかないからな」
振り向きもせず、皮肉を込めて言ってやった。
これ以上面倒な事にならないようにという意味もあったが、こんな奴に何よりもナルカの事を教えたくなかった。
何をされるかわかったもんじゃない。
後ろから、ザ-クの低い唸り声が聞こえてくる。
格下に見ている俺に言い返されたことが癪に障ったのかもしれない。
いつもであればここで殴られるところだけど、今は姉ちゃんがいるからか、
ザ-クも手を出してこない。
「この出来損ないがッ! 獣に喰われて死んじまえッ!」
苦し紛れに、ザ-クが叫ぶ。
いつもなら腹の悪くなるだけの怒声が、今だけは何だか清々しく聞こえた。
仕返しも何もできない俺だったけど、ようやくあいつらのしがらみから解放された気がする。
小さくて些細なことだけど、ザ-クに仕返しを出来てよかった。
色々と喚き散らしているザ-クを置いて、歩き出す。
踏み慣らされた道を辿りながら、俺たちは森へと足を踏み入れた。