第三話 「村への帰還 罰の宣告」
「私は死にました……」
「生きてるから」
涙目になって俺にしがみついているナルカの背中を、ポンポンと優しく叩いてやる。
困難は多々あったものの、俺たちは階段を登り切り、社の外に出ることに成功した。
お互いに怪我をすることもなかったけど、外に出るまでナルカはずっと泣きっぱなしだった。
ここまで落ちついたのも、ついさっきのことだ。
ナルカは最初からこうなったわけじゃない。
階段を上り始めた時点では、プルプルと手を震わせていただけだった。
ひどかったのは、光が完全に無くなってからだ。
もう叫んで叫んで、大変だった。
死ぬーとか、怖いーとか、とにかく絶叫していた。
耳がキーンとなって、思わず塞ぎそうになったのも、まだ記憶に新しい。
他にも、俺の手を両手で力一杯握ってきたり、半狂乱になりながら俺の腕を引っ張ったりと、散々な目に遭わされた。
それでも、足を滑らせたり、階段を転げたりという事故がなかったのは幸いだった。
あれだけ取り乱していたら危険だろうと思っていたが、何事もなく上り切れてよかった。
「そろそろ大丈夫か?」
「……すみません、大丈夫です。大丈夫ですけど、手は離さないでください。大丈夫ですけど」
連呼するのが非常に怪しい。
でも、本人もそう言っていることだし、移動を始めることにしよう。
ここから村までは、ナルカが怖がるようなものはないし、大丈夫だろう。
「背負うぞ。いいか?」
「へ? あ、歩けますよ?」
「森の中をか? 枝と石で、足の裏がズタズタになるぞ?
皮だってベロって剥がれるし、血だって出る。
そこから小さな虫が入るかもしれないし、病にだって―――」
「あああああ止めてください止めてください!
悪かったです! 私が悪かったですからそれ以上言わないでください!」
ブンブンとかぶりを振りながら、ナルカは耳を塞いだ。
悪いことをしたかと思ったが、実際そうなのだから仕方がない。
足裏に肉球がついているならまだしも、裸足で森を歩くなんて危険すぎる。
「ほら、乗りな」
ナルカに背を向け、しゃがみ込む。
「そ、それじゃ失礼しますね」
遠慮がちに俺の肩に手を置き、ナルカがゆっくりと体を預けてくる。
すっと立ち上がると同時に、ナルカの腿を腕と腹で挟み、後ろで手を組む。
……やっぱり軽い。
あと、柔らかい。
「あの、重くないですか?」
「軽いよ。軽すぎるくらいだ」
試しにその場で軽く跳んでみる。
1回、2回、3回……。
勢いに合わせてナルカの体が上下するが、それほど気にならない。
いつも背負っている狩りの装備に比べれば、ナルカを背負っているほうがよっぽど楽なくらいだ。
「わっ! わっ! わ、わかりましたからっ! 跳ねるのっ! 止めてっ! くださいっ!」
俺の背中でガクガク揺れながら、ナルカが言った。
……ちょっと面白い。
が、これ以上は止めておこう。あとが怖い。
「悪い悪い。それじゃ、行くからな」
「ふぁ~い~……」
目を回したナルカの返事を聞いて、俺は歩きだした。
社から村までは、結構な距離がある。
誰も通らないし、近寄ることもしないから、足場だって悪い。
村の近くまで行けば幾分かはマシになるが、それ以外は獣道も何もない。
けど、さっきの階段と比べればずいぶんマシだ。
何かあった時にはちゃんと対処できるし、何より日の温かさが心地いい。
暗がりは、もう当分ごめんだな。
やっぱり人は太陽の下で生きないと。
「リオスさんリオスさん」
目を回してからしばらく無言だったナルカが話しかけてくる。
「リオスさんの村って、どんな所なんですか? 気になります」
「名前もない小さな村だよ。5種族の人が集まって、みんなが協力して生活してる」
「5種族? それって何ですか?」
言ってから気がついた。
そうか。ナルカは知らないんだった。
「えっとな……。鳥とか魚とかわかるか?」
「はい。おいしいですよね」
期待していた答えとは違っていたが、一応知ってはいるようだ。
よかった。それなら話が早くて済む。
「『鳥人』『獣人』『魚人』『竜人』『魔人』ってな具合に、人は似ている生き物にならって5つの種族に分かれてるんだ。
鳥みたいに翼のある『鳥人』。
獣みたいに牙や爪を持ってる『獣人』。
魚みたいにずっと水に潜れる『魚人』。それから―――」
「ちょ、ちょっと待ってください! 翼とか牙って、そんなの人間に生えるものなんですか!?」
説明を遮り、ナルカが身を乗り出してくる。
「個人差はあるけど、生えるぞ。滅多にいないけど、鳥とか獣にそっくりな奴もいるくらいだ。
そういう奴は、力も強くなるし走るのも速くなる。
ただ、手とか指が上手く使えなかったりはするけどな」
「へぇええ……。そうなんですか……」
背中で、ナルカが脱力したのがわかった。
どうやら、この事はナルカにとって非常識らしい。
上下の名前といい、種族の常識といい、当たり前が当たり前じゃない。
―――やっぱり、邪神と俺たちとでは色々と違うのかもしれないな。
「話を戻すぞ。
硬い甲殻のある『竜人』。
不思議な力を使う『魔人』。これで5つだ。
人はそれぞれ違った長所を生かしながら、お互い助け合って生活してるんだ」
「な、なるほど……。あの、竜人って言いましたけど、もしかして竜もいたりするんですか?」
「ああ。火を吐かない小さな竜なら、ここらでも結構見かけるぞ。
でかいのもいるらしいけど、俺は見たことがない。
頭がすごくいいらしくて、滅多に人の前に現れないんだとさ」
「そうなんですか。竜、ですか……」
そう呟き、ナルカが頷く。
この様子だと、竜も見たことがなさそうだ。
珍しいものでもないし、機会があったら見せてやろう。
「あの、魔人さんはどういう人なんですか? どんな生き物に似ているんですか?」
魔人か。
5種族の中でも一番の変わり種で、わかっていないことも多い。
俺もそこまで詳しいわけじゃないけど、知ってることだけでも話そうか。
「魔人は、他と比べて最も数が少ない種族だ。
褐色の皮膚と赤い目、あと尖った耳が特徴で、不思議な力を使う。
似ている生き物はいないな。誰がそう呼び始めたのかはわからないけど、みんなそう呼んでる」
「その不思議な力っていうのは何ですか?」
「普通じゃ絶対ありえない現象を起こす力、ってとこかな。
村で大工をやってる一家の魔人だと、物をくっつけたり、硬くしたり、軽くしたりすることができたっけ。
俺はそれくらいしか知らないけど、他にもっとすごい力を使える奴がいるらしいぞ」
「へぇー……。魔人って、1人でそんなたくさんの事ができるんですか?」
「いや、できないみたいだ。魔人は1つの力しか持てないし、人によって使える力は違ってくるって聞いた。
それに、自然と身に着くものだから、好きな力を狙って発現させるってこともできないらしい」
「それでもすごいですよ! 1つしか使えなくても、とっても便利そうです!」
背中の上で、ナルカがはしゃぐ。
もちろん、俺もその力を見た時はそう思った。
あんなに便利な力があれば、狩りがすごく楽になるだろうと、羨ましかった。
けど、そんな魔人も万能ではない。欠点だってもちろんある。
「でも、魔人はその不思議な力を使う代わりに、力がすごく弱いんだよ。
獣人の子供が軽々振るう斧も、魔人じゃ大人が両手を使わないと持ち上げることだってできない。
体も小さいのが多いしな」
「そ、そうなんですか。やっぱり、いいことだけじゃないんですね」
「まぁそういうことだ」
そう言いながら、落ちている枝や枯葉を踏み歩く。
さっきと比べて、だいぶ足場が安定してきた。
もう少し歩けば、村に着くだろう。
「……あの、最後に1つだけ聞いてもいいですか?」
「ん、いいぞ。何だ?」
特に何も考えずに、そう答える。
返事を受けたナルカは、少しだけ黙って、それからおもむろに口を開いた。
「……リオスさんって、どの種族の方なんですか?」
ポツリとそれだけ言って、ナルカは口を閉ざした。
……やっぱり、気になるか。
出来損ないで、異端。
それを聞いたら、ナルカはどうするだろうか。
蔑むだろうか。嘲笑うだろうか。
それとも、受け入れてくれるだろうか。
「どれにも、当てはまらないよ」
そう答えた瞬間、ナルカの体が強張ったのを感じた。
聞いてはいけないようなことだとでも思ったんだろうか。
気にはしているけど、俺にとっては別にそこまで深刻な話じゃない。
「『出来損ない』って言われ続けてな、年の近い連中にいつも殴られて大変だった。
見返そうと思って、大きな獲物を狩ってきても駄目だった。
子供の時は、心底自分の体に嫌気が差したもんだ」
「……そうだったんですか」
沈んだような声で、ナルカはそう言った。
ちょっと大袈裟過ぎたか。少し話を逸らそう。
「今は別に気にしてないけどな。2人しかいないけど家族もいるし。
同族がいなくても、大丈夫だって割り切れたからな。あの2人は感謝してる」
「素晴らしい人なんですね、その2人」
「ああ。俺の自慢の家族さ」
「羨ましいです」
ナルカの声色に、明るさが戻ってくる。
よかった。このまま落ち込まれたらどうしようかと思った。
「きっと、ナルカの事も歓迎してくれると思う。期待してな」
「はいっ!」
先ほどとはまるで違う明るい様子で、ナルカが返事をしてくれる。
その声に安堵を覚えながら歩いていると、一際背の高い草木の壁にぶち当たった。
社に向かった時も、ここを強引に突っ切った記憶がある。
とすれば、ここさえ抜ければ到着だ。
足元に注意を払いながら、目の前の草と蔓をかき分け、ゆっくりと進む。
ガサガサと乱暴に手を突っ込み、空いた隙間に体をねじ込むようにして前進を続ける。
まだ突っ切れないのかと、草木を腕で薙いだところで―――見えた。村だ。
「ナルカ、見えたよ」
「ホントですか!? ん、よっと!」
俺の肩に手を付き、ナルカが身を乗り出す。
「あっ! 見えました! あれがリオスさんの村ですかっ! すごいですっ! 村ですよっ!」
何がすごいのかわからないが、ナルカが背中の上ではしゃぐ。
俺には特に何も感じなかったけど、それでもナルカにとっては珍しいものらしい。
こんな廃れた小さな村に、ここまではしゃいでくれるとは思いもしなかった。
「ナルカ、はしゃぐのもそこまでにしとけ。そろそろ行くぞ」
「あ、はい! よいしょっと」
ナルカの体が、再び俺の背中に密着する。
そのやわらかさを感じながら、まっすぐ村へと歩き出した。
そういえば、ザ-ク達は俺が社に向かったことを誰かに喋ったりしたんだろうか。
森に入った事を知られれば大騒ぎになっているはずだが、どうなんだろう。
見る限りだと何の変わりもないようだけど、もしかしたら大変な事になっているかもしれないな。
そんなことを思いながら、村の中へ足を踏み入れる。
「……なんだ?」
入ってすぐに、違和感を覚えた。
人の姿どころか、気配すら感じない。
まるで、誰もいないかのようだ。
みんなで狩りに行っているのかと思ったが、それでも女や子供が1人も見当たらないのはおかしい。
村を空にしてまで狩りに行くなんて、まずあり得ない事だ。
なんだろう。何かあったのだろうか。
「……ん?」
不思議に思いながら進んでいくと、人の声がふと聞こえた。
それも1人じゃない、大勢のものだ。
声は、村の中央にある広場から聞こえてくる。
どうやら村人は全員そこに集まっているらしい。
「リオスさん、今日は村でお祭りでもやるんですか? 何だか賑やかですけど」
「祭りはあるけど、今日はその日じゃない。
あとナルカ、悪いけどちょっとの間だけ静かにしてくれ。頼む」
「え? は、はい」
足早に移動し、近くにある家の陰に隠れる。
見つからないよう注意を払いながらそっと顔を出し、広場の様子を伺った。
睨んだ通り、広場には村人全員が集合していた。
男も、女も、老人も、子供も、村に住む者は1人残らず集まっているようだ。
集まった村人たちは、近くの人と会話をしているだけだった。
子供から大人まで、みんな怯えた顔つきをしながらも、話すことを止めない。
(みんな何を話してるんだ?)
話の内容から何かがわかるかもしれないと、聞き耳を立ててみる。
が、どうもうまく聞き取ることができない。
もう少し近づければいいのだが、遮蔽物もないし、これ以上は接近することはできない。
話の内容を聞き取るのは無理だ。
(……なら、もうここに居ても意味はないな)
問題はここを離れてどこに行くかだ。
このまま真っすぐ村長の家に行くか。
それとも、一度村の外に出て様子を見るか。
「ん?」
悩んでいる最中に、ちょんちょんと肩を叩かれた。
俺が声を出すなと言ったから、その代わりのつもりだろうか。
ずいぶん律儀だなと思いながら、首だけ後ろを向く。
「おかえり、リオス。心配したよ」
振り向いた俺に小声でそう呟いてきたのは、俺の背に乗っているナルカではなかった。
ナルカの黒い髪の毛とは違う、真っ白な髪の毛。
頭の天辺から生えている、長く垂れた耳。
『兎』の獣人である、マルシア姉ちゃんだ。
ナルカも今になって姉ちゃんの存在に気が付いたのか、口をパクパクさせながら目を点にしている。
驚いて声を上げられなかったんだろう。
「姉ちゃん、どうして―――」
そこまで言ったところで、姉ちゃんは俺の唇に人差し指を当ててくる。
「しっ! ……いいから、付いておいで。
爺ちゃんも家で待ってるし、そこで話してもらうから」
いつになく真剣な表情のまま、姉ちゃんは俺に背を向けて走っていった。
いきなりのことで呆気に取られてしまったが、慌てて姉ちゃんの後をついていく。
それにしても、姉ちゃんがあんなにピリピリしている所なんてずいぶん久しぶりに見た。
よほどの事がない限り、姉ちゃんはあそこまでならない。
(まぁ、バレたんだろうな)
身内が、禁忌を犯した。
姉ちゃんがああなるには十分すぎる理由だ。
広場にみんなが集まっていることだって、それで全部説明がつく。
禁断とされていた森に入ったことについては俺が悪いし、弁解をするつもりもさらさらない。
だが、俺もここまでの騒ぎになるとは思わなかった。
これはとても説教や拳骨で済みそうにない。もしかしたら私刑もありうるか。
そうなったら、ナルカはどうなるんだろう。
社に封じられていたとは言っても、今のナルカは何もできないただの女の子だ。
記憶も失っているし、邪神の力の片鱗だって見えない。
……力をうまく使えない今のうちにと、ナルカを殺すことも考えられるな。
俺はどうなろうがいいが、俺の都合のせいで無理やり起こしてしまったナルカだけは助けたい。
こいつだけは、何としてでも。
「入って」
姉ちゃんの声で我に返る。いつの間にか、着いていたようだ。
周りの物と比べて、2倍近くある大きな家。
この中で、村長が待っている。
「……ただ今、戻りました」
ゆっくりと足を踏み入れる。
慣れたはずの家なのに、どことなく重っ苦しく感じた。
まるで俺の家じゃないような、そんな錯覚に陥る。
「無事だったかリオス……! もう会えんものかと思ったぞ……」
奥の方で鎮座していた村長が、口を開く。
一応は心配してくれたみたいだ。声色から、安心しているのがわかる。
正直、意外だった。
てっきり平手の1発でも貰うもんだと覚悟していたが、
村長は灰色の耳をパタパタとさせるだけで何もしてはこない。
どうやら、かなり心配をかけてしまったらしい。悪いことをしてしまったな……。
「ナルカ、降ろすぞ」
そう告げ、ゆっくりナルカを床に上げる。
緊張しているのか、口を噤んだままだ。
別に怖がっているわけではないようだから大丈夫だろう。
「!? リオス、その娘は誰だ? どこでそのような娘を拾ってきた?」
ナルカの容貌を見て、村長が取り乱す。
やっぱり、気になるだろうな。
「社に封印されてたんだよ。放っておけないから連れてきた」
「では貴様、封印を解いたのか! なんと……! そんなことが、本当に……!」
村長はただ呆然とナルカを見つめる。
邪神の恐ろしさを人一倍わかっているだろう村長にとって、
社に封じられていたナルカの存在はとても衝撃的だったようだ。
口を開けたまま、ナルカを凝視している。
「リオスさん……」
突き刺さる視線に不安を覚えたのか、ナルカが俺の手を握ってくる。
安心させるように握り返し、一緒に村長の前まで歩いた。
先にナルカを座らせ、俺も胡坐をかく。
手は放していない。握ったままだ。
「色々言いてぇことはあるが、まずはリオス。よく帰ってきた。
社に向かったと聞いた時は肝を潰したぞ」
「悪かった。俺もまさかこんなことになるとは思わなかったんだ」
「……して、なぜ社に向かった? あれだけ近寄るなと言ったろうが」
ここでようやく、村長が怒りを露わにした。
表情こそは変わらないが、明らかに声に怒気が籠る。
俺にとって、邪神の伝承の次に恐ろしいのが村長だった。
何かと悪さやいたずらをした時は、こうやって理由を聞かれ、そのあとに怒鳴られる。
その怒声がまるで落雷のようで、村長の口が開くたびに俺は体を委縮させていた。
今になっても、村長の怒鳴り声は苦手だ。
あの声がこれから耳に突き刺さるかと思うと、怖くてたまらない。
でも、悪いのは俺なんだ。
いくら怖くても、甘んじて受け入れなければならない。
「邪神の正体が知りたかったんだ。
悪いことだってわかってたけど、どうしても抑えられなかった。すまない……」
頭を下げ、額を床につける。
きっかけがザーク達だとしても、途中で引き返そうと思えば引き返せた。
それなのに村に戻らず、わざわざ社に入ったのは、他ならぬ俺の意思だ。
それだけは誤魔化したくない。
俺のやったことを、人のせいにしたくはない。
「……いい、顔を上げろ。今はお前に説教している時間はねぇ。
それよりも聞きてぇことがある」
村長は怒鳴りもせず、ただポツリと俺にそう言った。
怒りの色は消えていないが、本当にそれどころではないんだろう。
どうやら、俺が思っている以上に事態は深刻らしい。
頭を上げ、村長を見据える。
「単刀直入に聞くが、リオス。その娘は邪神なのか?」
「わからない。記憶を失ってるらしくて、自分が誰かもわからないみたいなんだ」
正直に村長にそのことを話す。
当の本人のナルカは、村長と俺とを交互に見つめていた。
これからどうなるのか不安がっているのがわかる。表情も、どこか暗い。
「ふむ……。娘さん、名前を教えてくれるか?」
「えっと、今はナルカと名乗ってます。本当の名前が思い出せなくて……」
たどたどしい口調で、ナルカが村長の問いに答える。
「社に封じられてたってのは本当かい?」
「それはちょっとわからないですけど、ずっと眠っていたのは確かです。
起きて最初はうまく歩けませんでしたから」
「なるほど。……時にお前さん、何か強力な力を持っていないか?
壊したり、殺したりできる力を使えぬか?」
「記憶を失ってるのでわかりませんけど、そんな怖い力、私は使えません。使いたくもないです……」
「なるほどな……。ありがとよ」
質問が終わったと同時に、ナルカがほっと溜息をついた。
村長は腕を組みながら目を閉じ、そのまま黙り込んでしまった。
たぶん、俺とナルカの処遇を考えているんだろう。
口を閉じたまま、一言も喋ろうとしない。
無言のまま、時間だけが過ぎていく。
時の流れが遅い。脈打つ間隔が一段と長く感じる。
ナルカが気になって、視線をやった。
下を俯いたまま、きゅっと口を結んでいた。
握った手からナルカの不安を感じる。
それに押し潰されないようにと、手を強く握ってやった。
少しでもいい。大丈夫だと伝わっていてほしかった。
やがて村長の芽はゆっくりと開かれ、その視線を俺に向ける。
裁きの時がやってきたらしい。
視線を受け止めると同時に、村長の口が開かれた。
「さてリオス。今さらだが、お前が社に向かったことで村はこの有様だ。
皆、邪神が復活し、村に災厄が訪れることを恐れている。
この村にとって、邪神とはいかに恐ろしいものかは、お前も重々承知しているはずだ」
言われなくともわかっている。
今までにない大騒動を引き起こし、何もしていない村人を怯えさせてしまった。
後先を考えず、自分の好奇心を抑えられなかった俺の責任だ。
「極めつけは、このナルカさんだ。
本当にこの娘が邪神かどうか俺にはわからんが、社から連れてきたと知れれば大変なことになる。
力こそ使えんようだが、それが逆にいかん。
今の村人に存在が知れたら、今のうちにと袋叩きにされるやもしれねぇ」
話を聞いていたナルカの体が、ビクッと跳ねる。
「怒鳴って、罰を与えて済むのなら俺もそうしたいが、ここまで騒ぎになってしまったらもうどうにもならん。
今すぐこの村を出ろ。ここでは、もうお前らは暮らせん」
それだけ言って、村長は俯いてしまった。
村を出る。
慣れ親しんだこの村から、出る。
何度もその言葉の意味を反芻し、しばらくしてから呑みこむ。
禁忌を犯した事を考えれば、俺は殺されても文句が言えない立場だ。
邪神がどんな存在かを知りつつも、立ち入りを禁じられている森に入り込み、挙句、封じられていたナルカを解き放った。
そんなことをしでかしておきながら、村を追放されるだけで済むわけがない。
いくらなんでも軽すぎる。
「……確かに、お前は禁忌を犯し、森に入った。
だけどよ、俺は知ってんだ。ザ-ク達に命令されて、渋々森に入ったってことを知ってる。
お前が森に入って行ったって、あいつ等は嬉しそうに報告してきたからな。
お前が邪魔で邪魔で、どうにかして村から追い出したかったんだろうよ。
ま、本人たちも思ったより事が大きくなってビビってたみてぇだけどな」
ため息をつきながら、村長がそう言った。
どうやら、ここまで大事になると思っていなかったのは俺だけではないらしい。
ザーク達はおそらく、森に入ることの重大さを甘く見ていたのだ。
たかが森。たかが決まり事。
そう思っていたからこそ、ザーク達は俺を嵌めたんだろう。
あいつ等の考えでは、もっと穏便に俺をこの村から追いだせると踏んでいたはずだ。
だからこの大騒ぎに戸惑っている。
こんなはずじゃなかったと怯えている。
「一から十まで、全部が全部お前が悪ぃわけじゃねぇことはわかってる。
それに、幸いかどうかはわからんが、社から出てきたのは何の害意もなさそうな可愛らしい娘だ。
村には何の危害も加えねぇことを考えりゃ、お前ら2人をここから追放ってのが妥当だろうよ。
死罪はあまりに重た過ぎらぁ」
天井を仰ぎ見ながら姿勢を崩し、村長は罰の理由を俺たちに告げた。
それを聞いて―――改めて俺はなんて馬鹿なことをしたんだろうと後悔した。
村長の言っていることは明らかにおかしい。
この件に関して、死罪が重すぎるなんてありえない。
そんなことは村長が一番わかっているはずだ。
決まり事―――特に邪神の事について人一倍厳しい村長なら、尚更。
それなのに、俺達の罰を追放だけで済ます理由なんて1つしかない。
村長は、俺をかばうつもりなんだ。
絶対の決まり事を破り、後先を考えずに動き回り、そして村全体を混乱させた俺を、見逃そうとしてくれている。
村の人達に知れたらどんな目に遭うか、全て承知した上で。
「そんなの、村の連中が納得するわけがない」
苦し紛れに、そんなことを口走ってしまう。
俺にそんなことを言う資格がないのはわかっている。
だけど、言わずにはいられなかった。
何の関係もない村長が、俺達のために危険を冒すことに、納得できなかった。
「勘違いしているようだから言っておく、あいつ等は別にお前らを殺したいわけじゃねぇ。怖いだけだ。
お前らがこの村から去ってくれるんなら、あいつ等にとってそれが一番いいんだ」
村長はそう言ってくれるが、もやもやした気持ちは残ったままだ。
本当に、これでいいのか?
俺は、こんな罰だけで許されていいのか?
「……納得できねぇなら、その子のため生きて償いな」
村長の言葉を受けて、顔を上げた。
「ナルカさんが邪神かはまだわからん。
だが、少なくともその子は1人じゃ生きていけるだけの力は持ってねぇだろう。
お前がいなきゃ、生きることはできん。
ナルカを目覚めさせたのは、誰でもねぇ、お前だ。
男なら、責任取って守ってやれ」
となりにいるナルカを見る。
ナルカは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
目に浮かんでいる涙を溢さないよう、強く口元を結んでいる。
……俺がこんな顔にしてしまったのだろうか。
俺が、ナルカを不安にさせてしまったのだろうか。
いつの間にか、俺の手はナルカの頭に伸びていた。
その長く、艶めいた髪の毛を梳かすように優しく撫でる。
小さい。あまりにも小さくて、頼りない。
守ってやりたいと思った。
ナルカを不安にするものから全部。
―――俺が、この手で。
「お前の中で罪の意識が消えるまで、その子を絶対に手放すな。いいな、リオス?」
村長が俺にそう問いかける。
いつもの浮かべている、不敵な笑みを浮かべながら。
「はい」
迷うことなくそう答えた。
ナルカは、俺が守る。
手の先の体温を感じながら、自分の心にそう誓った。