Heart's Cry-1
〈注釈〉
※1…この時代ではキリスト教は既にほぼ廃れており、前文明の遺物という見方が一般的であるが、あまりにも強い影響力を持っていたことは有名。
※2…大陸の位置が変わる、ある国が丸ごと海の底に沈むレベルの変化が起きているため、国籍・人種関係なく、全ての人間が散り散りになってしまった。
気が遠くなるほど、とは決して言うものではございませんが、それでも百年や二百年ではとても足りないほど遥か昔のことでございました。神が果たしてこの世に存在するのかという議論は抜きにしましても、それが本当に神の天罰であったのか、それとも古い宗教(※1)に伝わる「ノアの箱舟」伝説の再現か、環境破壊に怒った地球の起こした天災か、もしかしたら人為的なものなのか……。未だに解明されぬ謎が謎を呼ぶ事象ではございますが、兎にも角にも、我々人類が悠久の時を超えて築き上げてきた数々の文明が、多くの犠牲の上にようやく独立した国々が、それこそ気が遠くなるほどの年月を数えてできた大陸が、そして地球に生きとし生けるものの多くが、たったの、たったの数年で失われるという、それはそれは大きな事件がございました。(※2)その「事件」の原因には、最有力なものとして「隕石の衝突」という、立証も実証もできないような根拠の無い眉唾物の一応の結論が出されてはおりますが、きっとその結論もあと数年でまた別の説に覆されることでしょう。
しかしそれは、文明崩壊から復活してそこそこ長い年月を超えた現代を生きる人々にとっては、暇つぶしにもならないような不毛な論争でございます。それにしましても、今日もこんなに空が青々と澄み渡っているというのに、そのような大昔のことよりも、我々は今を生き抜けばそれでよいのでございます。「事件」当時は世界中の人口が五分の一にも、十分の一にも、あるいはそれより多く減ったと言われてはございますが、今ではそのようなことは日常の波にかき消され、今なお人口は増え続けているのでございます。
文明の滅亡は、新たな文明を築き上げる糸口でございました。世界中のあらゆる技術は、そのほとんどが失われたとございますが、生き残った人間は逆境に強くなりました。散らばった文明をかき集め、憶えている限りの知識で組み直し、不要なものは捨て、必要なものは強化し、新たな技術を発見する。そうして今日の我々へと受け継がれていったのでございます。
ところで、そのようにして文明を再び築き上げる途中に、人類は新たな発見をするのでございます。その発見の名も「魔法」。かつて多くの人間が憧れたものを、畏れたものを、偶然にもゼロからの復活を遂げる過程で見つけたのでございます。発見当初はその名に恥じぬ世紀の大発見ではございましたが、しかしながら「魔法」とは、確かな知識と正確な力の加減、そして強靭な精神力と集中力――その全てを兼ね備えた人間にしか扱えぬものでございました。また、全てを習得してもなお、「人の手が生み出すもの」に勝るほどの繊細な力を手に入れることは無かったのでございます。やがて「魔法」は人々の意識から消え去り、科学技術の進歩のみがもてはやされるようになりました。
しかしそれでも「魔法」は世紀の大発見。数々の苦難を乗り越えてこの時代まで生き残りました。多くの時間を「魔法」の研究に費やした「魔法使い」たちは、より簡単に、より親しみやすくなるよう、それらに改善を施していったのでございます。そうしてできた現在の「魔法」の意義、それすなわち「護身術」でございます。何も無いところから生み出せる力は、時に武器を持たぬ人を助けることもございましょう。時に動けぬ身体を助けることもございましょう。今や「魔法」は世界共通の軍事訓練の必須項目。またその技を学ぶため、目下多くの訓練生が、日々修行に勤しんでいるのでございます。そう、数々の努力と年月を経て、「魔法」は格闘技と並ぶ、護身術としての地位を確立したのでございます。
さて、前置きが長くなってしまいました。私は、名をデュランと申します。若輩の身ではありますが、人に「魔法」を教える立場の者でございます。
このような私の心の叫びを、叶うならばあなた様にお聞きになって頂きたく存じます。
この小説はカナリの気まぐれ更新です。また、注釈を入れてみようと試験中です。要はやってみたかっただけなんです。
後書きにはタイトルの馬のことを語ったりするやも…いや、ハーツクライは確実にします(笑)
サブタイトルの競走馬からストーリーを連想していくことになりますので、そちらにもご注目いただき、「こんな感じの話になるのかな?」と想像していただけたら本望です。