夜道の話
【語り部:熊本味恵】
このご時世、『本当の暗闇』というのを実感するのは本当に難しくなったねえ。
少し前だったら懐中電灯や街灯なんて普及していなくて、提灯で夜の闇を照らして歩いていたものよ。灯りがなければ一寸先は闇、自分の指先さえも見えない、まさに『暗闇』というものがあちらこちらに広がっていて……。月が出ない晩は、提灯片手に恐恐と歩くのが普通だったよ。
――さて。これから私が話すのは、夏の、まだまだ暗闇が身近だった頃に体験した話だよ。
友人の庵から帰る途中のことだった。その日は満月が出ていたし、久しぶりに会ったこともあって話もはずんで、結構夜分遅くまで友人宅にお邪魔していたの。
友人宅を出て、田園が広がるあぜ道を随分歩いた頃だね。
「もし」
背後から声をかけられたの。少し低い、女性の声だった。
「はい?」
ちょっと虚を付かれて、声のした方に提灯を向けた。照らし出されたのは、自分から五歩ほど離れた所に立っていた女性。顔はもうほとんど覚えていないんだけど、闇夜でも目立つ、赤地に白い牡丹の模様が入った着物は今でも印象に残っているよ。
こんな夜更けに女性が一人で、しかも提灯も持たないで歩いているなんておかしい。(ああ、私この時は男装していたら、別に自分を棚にあげているわけじゃないよ)そうは思ったけれどね、
「すみません。途中までご一緒しても宜しいでしょうか? 連れとはぐれてしまい困っていたところなのです……」
とてもお困りのご様子だった。それは大変でしょう……途中までご一緒することにした。蛙の鳴き声がそここから響く一本道から、私の家へ続く分かれ道に差し掛かった。女性はここから五分ほど離れた集落へ帰るとのことだった。
「宜しければお送り致しましょうか?」
「いいえ、大丈夫です」
それでは、こちらをどうぞ……提灯を女性へ渡してあげた。少し不安に思ったけど、そのまま女性と別れて自分の棲家へ続く神社の石段を登り始めた時、ふと気づいたの。
田園の中のあぜ道は、まっすぐ続く『一本道』なのよ。私の『背後から』声をかけてきたと言うことは、私が女性を通り過ぎたか私の後ろから歩いてきたかってことだよね。
……ということは、通り過ぎればわかるはずなんだよね。
ましてや赤と白の派手な着物を着ていたら、いくら何でも気づかなかった、なんてことないでしょう。それに歩いてきたといっても、背後から誰かが近づく気配などなかった。
ハッとして振り向けば、あの目立つ後ろ姿はなく。女性と分かれた場所にあった石の上で、自分の提灯が煌煌と燃えて灯りを放っていた。