表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後の語り部が覚えている世界で、最初の魔法使いが生まれた  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/15

森を怒らせるな

 長老会議はその日の夕方に開かれた。


 小屋ではなく、広場の端の屋根付きの場所だ。屋根と言っても柱に板を渡しただけのものだが、正式な決定はここで行う慣習が澄ヶ淵にはあった。炬火たいまつを二本立てて、シズとカヤとヨルの三人が向かい合った。


 シズが口を開いた。


「あの力は使ってはならない」


 まず結論を言う、というシズの流儀だ。ヨルは長い付き合いで知っていた。


「理由は」


 カヤが聞いた。


「森が怒る」


「鎧獣から集落を守った。それでも怒るのか」


因果いんがはそうではない」


 シズは背を起こして続けた。


「あの力は自然のものではない。自然でないものを使えば、森から報いが来る。昔から言われていることだ」


 カヤは静かに返した。


「ヒトコが槍を折られた。次にあの獣が来たとき、仕留められる保証はない。集落には今、百二十人いる」


「そのために自然に背くのか」


「生きるために使えるものは使う。それが猟団の考え方だ」


 ヨルは二人の言葉を聞きながら、頭の中では別のことを考えていた。


 シズの「森が怒る」という言い回しを、ヨルはこれまで迷信だと思っていた。シズは口伝を知らない。語り部ではないから、知らなくて当然だ。だがシズは集落の最年長として、祖父の祖父の世代からの話を断片的に聞いてきた。その断片が、シズの中で「森が怒る」という形になった。


 口伝の第五節は言う。「空の目の命令は変わらない。人が再び蟲に触れたなら、それを止めよ」。


 シズの「森が怒る」と、口伝の「空の目の命令」は——同じ恐れから来ている。


 別の経路で、別の言葉になった。だが根は同じだ。


 ヨルは炬火の揺れを見ながら、そのことに気づいていた。シズは正しい。正しいが、正確ではない。カヤも正しい。正しいが、見えていない部分がある。


「ヨル」


 シズが呼んだ。


「口伝に、あのような力の話はあるか」


 来た、とヨルは思った。


「ある」


「どう書いてある」


 ここだ。


 ヨルには選択肢があった。第五節を引けば、シズの立場を支持する根拠になる。「空の目の命令に反する行為は止めるべきだ」と口伝が言っている、と言えば、シズの主張に重みが加わる。集落の人間は語り部の言葉を軽く扱わない。シズを助けることができる。


 だが。


 口伝は政治の道具ではない。


 三十年以上、ヨルはそれを守ってきた。口伝は保存するものだ。特定の立場を強化するために使うものではない。シズの言いたいことはわかる。シズが正しいかもしれない。だが口伝をその支持に使えば、今日それが通っても、次にカヤが「口伝を自分の立場に引け」と言い出す。口伝が道具になった瞬間から、口伝は終わる。


「力を持つ者が過去にいた、と書いてある。それだけだ」


 ヨルは答えた。


 シズの目が細くなった。


「それだけか」


「今言えるのはそれだけだ」


 カヤが続けた。


「つまり前例がある。今日の件は、前例の延長だ」


 シズが反論した。しばらく二人が言葉を交わした。ヨルは聞いていた。聞きながら、自分の選択が正しかったかどうかを考えた。


 正しかったかはわからない。だが今は、これしかできなかった。


 会議は結論を出さなかった。「今後の使用は集落全体で判断する」という言葉で終わった。それはシズもカヤも納得しないが、今日の場は収まる形だ。ヨルには、それが精一杯だった。



 夕暮れ、ヨルは崖際の岩場へ歩いた。


 炬火の煙が服に染みている。石が平たく張り出した場所に腰を下ろして、手のひらを眺めた。老いた手だ。七十年近く、語り部の手として使ってきた。何を保存してきたのか。何を失ってきたのか。


 底白川の音が遠く聞こえる。西の空が赤く染まり始めていた。


 口伝の第五節を、ヨルは一人で繰り返した。「空の目の命令は変わらない。人が再び蟲に触れたなら、それを止めよ」。


 止めよ、とはどういう意味か。


 力を使わせるな、ということか。集落から追い出せということか。それとも、もっと別の何かを意味するのか。


 師匠はこの節を「命令として受け取るものだ」と言った。だが誰の命令か、というところには答えなかった。空の目、とは何か。命令を出したのは誰か。百五十年前、誰かがナギのような人間を「止めた」とすれば、どうやって止めたのか。


 ヨルには答えがない。


 足音がした。岩場に近づいてくる。振り向くと、ナギが立っていた。


「会議はどうなった」


「結論なしだ」


「俺の話か」


「そうだ」


 ナギは岩の上に座った。ヨルの横に。夕暮れの赤い光が崖の縁を照らし、底白川の水面が遠く光っていた。


「シズじいさんが言うことって、あんたの話と似てるな」


 ヨルは体を動かさなかった。


「何が似ている」


「森が怒る、って言い方は違うけど、どっちも——やめておけ、って言いたいんだろ」


 ヨルは答えなかった。


「あんたも、俺にやめてほしいと思ってるのか」


「俺が思っているかどうかは、今日の話には関係ない」


「関係ある」


 ナギが正面からヨルを見た。夕暮れの赤い光の中で、目が光っていた。


「あんたが俺に教えてる。それで俺は今日、獣を仕留めた。それはあんたも関係してる」


 ヨルは黙った。


「シズじいさんと同じことを思ってるなら、なんで教えた」


 問いが刺さった。


 ヨルには答えがなかった。否定する言葉も、肯定する言葉も、今は出てこない。


「似ている、と言ったな」


 ヨルは静かに言った。


「シズの言葉と、俺の話が」


「そう言った」


「どこが似ていると思う」


 ナギが少し考えた。


「どっちも、過去を根拠にしてる。昔そうだった、だから今もそうだ、って」


 ヨルは頷かなかった。頷けなかった。


 その通りだ、と思ったから。


「答えられないか」


「今は答えられない」


 ナギが立ち上がった。崖の縁の方を向きかけて、止まった。


「あんたの口伝に、何か書いてあるんだろ。あの力のことが」


「ある」


「それを今まで言わないのは、なんでだ」


 ヨルは答えなかった。


 ナギは岩場を離れた。夕暮れの光の中に消えていった。


 ヨルは一人になった。


 「似ている」——ナギの言葉が残っている。シズが別の道筋から、ヨルと同じ恐れに辿たどり着いた。それは何を意味するのか。百五十年の伝言が、どれだけ歪んでいても、核となる何かは残った、ということか。


 それとも——誰もが、深くこの地と生きていれば、同じ恐れに辿り着く、ということか。


 ナギの観察は、正確だった。


 ヨルはそれを、否定できなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ