白いニット
マンションまでの帰り道、五分。いつもはイヤホンで推しの曲をシャッフルしてる。
今日は、検索窓に「凪紗」と打った。
ストリーミングに出てきたアーティストページの写真は、さっきの凪紗だった。白いニット——たぶん同じやつ。小さな画面越しでも、左袖のあたりに編み目のズレがあるような気がした。気のせいかもしれない。
フォロワー数はそこまで多くない。でも写真の中の凪紗は、さっきコインランドリーで笑ってたのと同じ顔をしていた。作り込んだアーティストの顔じゃなくて、ただの——凪紗の顔。
一曲目。「編みかけの私」。
再生ボタンを押した。
一音目で、あ、と思った。凪紗の声だった。
前奏もなく、いきなり。アコギとシンセの上に、さっき隣で聞いていたのと同じ声が乗ってる。話してるときと同じ声で、でもぜんぜん違う強さで。
——一目ずつ繋ぐ意志
静かに始まった、と思った次の瞬間——
——誰にも渡さない
ドラムとベースが入ってきた。身体が勝手に前に出るみたいなビート。速い。明るい。冬の夜道なのに、耳の中だけ違う季節みたいだった。
コインランドリーの凪紗はふわっとしてて穏やかで、猫みたいだった。だからもっと静かな曲を想像してた。想像してたのと、ぜんぜん違う。
——「こっちが綺麗」と 解かれる糸
——誰かが決めた 正しい編み方
面接官の声がよみがえる。「もう少し具体的なエピソードを」。大学の教授。「もっと勉強しなさい」。言われたことを、言われた通りにやること。
——私が消える ありきたりの服
——着せられて笑うのは もう疲れたよ
あたしの笑顔。あたしの「そうですよね!」。あたしのリクルートスーツ。
足が止まった。
——歪んだ網目も 愛しい私
——完璧じゃなくて いいから
左袖の編み目のズレ。「あたしが編んだってわかるし」。あの笑い方。
——型にはまらない シルエットもいい
——誰かの好みで 私を決めないで
——編みかけの明日 まだ未完成でいい
——不器用なままで 進んでいきたい
——私は 私の カタチにしたいんだ
冬の夜の空気が頬に冷たくて、耳のなかだけがあたたかくて明るかった。
ビートが走ってる。速くて、明るくて、切ない。矛盾してるのに成立してる。なんなんだろうこの曲。
——ほどけても 何度でも
——自分の手で 結ぶから
——見守ってて 構わないで
歩いた。引っかかりを抱えたまま。胸のどこかに——なんて言えばいいのかな。セーターの毛糸がどこかに引っかかったときみたいな、小さな、小さなもの。普段なら気にして取るのに。今夜はそのままでいい気がした。
曲の終わり際、アウトロのシンセが少しずつ静かになっていって、凪紗の声がぽつりと残った。
——私の白いニット 私を抱きしめて
マンションのエントランスが見えた。




