第03話 もちろん『義姉』は最高ですとも!えぇ!
「ひ、【日溜まりの聖女様】っ……!?」
「ふふっ、その呼ばれ方はちょっと恥ずかしいかなぁ」
父さんと一緒に料亭の一室に案内された。
中に入ると、父さんの再婚相手の女性とその娘さんは既に到着していたようで、並んで立って部屋の窓から中庭を眺めていた。
別に何もおかしくない。
では、どうして俺がこんなに驚いているのかというと、振り返った少女の姿に心当たりがありすぎたからだ。
そして、それは彼女も同じだったらしい。
驚愕したまま立ち尽くす俺と、照れ笑いを浮かべる少女を交互に見やった父さんが不思議そうに聞いてくる。
「もしかして、知り合いだったか?」
「いや、直接の面識はないけど……」
女性の平均身長より、少し高めの背丈。
線は細いのに、女性的な凹凸にも恵まれた身体つき。
色白で、腰ほどまで伸ばされた亜麻色の髪はふわっとウェーブが掛かっており、あどけなさを残しながらも楚々と整った顔には、柔和な印象を抱かせる垂れ気味の瞳が二つ琥珀色に輝いている。
間違いない。
間違えるはずもない。
――聖陽葵先輩だ。
私立英誠院学園高等部生徒会執行部の副会長にして、すべてを受け入れて寄り添い肯定してくれるような雰囲気から【日溜まりの聖女様】と学年男女問わず親しまれている存在。
月光すら届かないスクールカーストの最底辺で周囲に軽蔑されている俺の、対極に位置するような人物だ。
「陽葵? 司くんのこと知ってるの?」
「う、うん」
聖先輩のお母さんであり、父さんの再婚相手であり、俺の新しい義母さんになる女性に尋ねられた聖先輩が、頷いてから俺の方を見る。
こんな美少女に目を向けられれば、本来心臓の一つや二つをドキッと跳ねさせるべきところ、残念ながら俺の胸の奥にはズキッ……と、鈍痛が生まれた。
聖先輩ほどではないが、俺も学園では有名人だ――悪い意味で。
嘘が大半を占める俺の悪い噂を、もちろん聖先輩は知っているだろう。
どうする?
これで俺みたいなのを義弟にするのは嫌だと言い出したら。
父さんの再婚の話に影響しないか?
聖女様なんて呼ばれるほどの娘を育てた母親だ。
自分の幸せよりも娘を一番に考えて、父さんとの再婚をなかったことにする……なんてことになるかもしれない。
考えすぎか?
でも、考えられることだろ?
ヤバい…………
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい――――
「一学年下の後輩で――」
終わっ――――
「――良い子だよ」
「……へ?」
無意識に間抜けな声が漏れ出てしまった。
「まぁ、やっぱりそうなのね~」
聖先輩のお母さんがパッと表情を和らげて、こちらを向いてくる。
「初めまして司くん、って呼んで良いのかしら? お話は和馬さんから沢山聞いてたのよぉ~? 私は聖茉莉で、こっちは娘の陽葵。同じ学校とは知ってたけど学年も違うし……ふふ、まさか知り合いだとは思わなかったわ~」
事前に父さんから、同じ職場で働く自分の四つ歳下――四十一歳の女性だと伝えられているが、とてもそうは見えないくらいに若々しく愛嬌のある笑顔。
俺は聖先輩に対する驚きも未だ収まらないままに挨拶を返す。
「あっ……は、初めまして。えっと、諸星司です。父がいつもお世話になっています」
お辞儀して顔を上げると、隣に並んだ父さんが背中をポンと優しく叩いてきた。
「親バカかもしれないけど、ウチの息子は誠実で優しいから、信用してもらって良いよ」
何をこっ恥ずかしいことを言ってるんだ父さんは。
「ちょ、父さ――」
「――ふふっ。陽葵と和馬さんのお墨付きなんだから、間違いないないわね~。でも、一つだけ訂正させてくれるかしら、和馬さん?」
聖先輩のお母さん――茉莉さんがニコリ、と温かく微笑んだ。
「私達の息子でしょ?」
「……っ!?」
茉莉さんの言葉を受けて、グッと胸が苦しくなった。
重くて、大きくて、熱いものが込み上げてきそうになる。
だが、不思議とそれは不快じゃない。
「……ははっ、そうだったね」
「そうよ~?」
「もぉう、ママぁ? 私のことも忘れないでね~?」
「ふふっ、もちろんよ~」
溢れそうになる何かを、俺が頑張って押し堪えて落ち着かせている間に、三人は意気投合して早速盛り上がっていた。
このあと、親睦を深めるために四人で色んな話をしながら、旅館のちょっと豪華な夕食を食べたのだった――――
◇◆◇
夕食を片したあと、俺は父さんと茉莉さんの二人で話が盛り上がっているのを見て、一声掛けてから部屋を出た。
「……はぁ」
料亭の庭は、細部まで手入れの施された日本庭園。
池では錦鯉が鮮やかな鱗を踊らせており、その舞台の上を小さな石造りの橋で渡ることが出来る。
砂利の川に浮かぶ浮島のような石畳。
道に迷わないように配置された石灯篭の淡い火の光。
それを辿っていけば、月明かりに映し出された燃え上がるような紅葉に出逢えた。
だが、そんな幻想的な景色を目の当たりにしても心が落ち着かないのは、やはり新しい家族というものに実感が追い付いていないせいだろう。
そんなときだった――――
「わぁ、綺麗だね~」
「……聖、先輩……?」
俺が部屋を出るときは、まだ父さん達と喋っているようだったが、追い掛けてきたのだろうか。
声に振り返ると、今ちょうど池を渡り、石灯篭の導きに従ってこちらに向かって歩いてきているところだった。
「ふふっ、これから家族になるんだよ? 確かに学校では『聖先輩』でも、今は違うんじゃないかな?」
目の前まで来て立ち止まった聖先輩が、後ろ腰に手を組んだまま、柔和に花を咲かせた表情で覗き込んできた。
うん、可愛い。
なんだこの生き物は。
俺の淀んだ心にまで、その笑顔が染み入ってくる。
流石は【日溜まりの聖女様】。
月明かりすら届かない湿った大地にすら、光を届けることが出来るらしい。
「司くん?」
「あ、えと、どうしましょう。一応俺のお義姉さん……ってことになるんですよね? なら――」
義姉さん――と、呼び方を決定しようとしたとき、俺の口が言葉を紡ぐ前に聖先輩の少し困ったような笑顔が制止してきた。
隣に並んで、一緒に月下の紅葉を見上げる。
「君には、私がお姉ちゃんに見えてる?」
「え……?」
「私は……うん。君が弟だっていう実感は、ないかな。少なくとも今はまだ」
薄明りに照らされる紅葉を見詰めているせいか。
聖先輩の琥珀色の瞳は、やや赤みを帯びているように見えた。
この日本庭園に負けず劣らずに人の心を惹き付ける綺麗な横顔をこちらに向けたまま、聖先輩は語る。
「確かにママは君のことを『私達の息子』って言ってたし、さっき司くんのパパ――和馬さんも私のことを『娘』って言ってくれたんだ。
でも、それはそうなりたいねっていうことで、二人とも私達のことを本当の意味で自分の子供だとは実感出来てないんじゃないかな」
それはそうだ、と思った。
俺達は確かに行政上は家族になる。
だが、本当の意味で家族になるには、まだ時間が掛かる。
父さんだって、俺に接するように心置きなく聖先輩とコミュニケーションを取れるかと言ったら無理だろうし、茉莉さんだって、すぐに俺と実の子のようにわかり合うのは不可能だろう。
そして、それは俺達も同じ。
母さんは誰? と問われれば、俺は真っ先に実母の顔を思い浮かべるし、聖先輩も似たようなもののはずだ。
今日から家族ね、と言われても、理解出来るだけで実感は伴わない。
俺が聖先輩と同じようなことを考えていると見て取ったのだろう。
聖先輩はいつの間にかこちらを向いており「でしょ?」と同意を確認するかのように微笑んだ。
「だからね、無理に家族の代名詞を使わなくてもいいんだよっていうことを伝えたかったの」
聖先輩が身体の向きもこちらに合わせる。
「いずれは私も和馬さんのことをパパって思えるようになりたいし、司くんのことも弟なんだって思いたい。和馬さんにも私のことを娘だと思って欲しいし、司くんにもお姉ちゃんとして認めてもらいたい。本当の意味で家族になりたいなって思ってるよ?」
だから――と、聖先輩はまるで本当の聖女のように慈愛に満ちた温かな笑みを浮かべて、自分の胸に手を当てて言った。
「それまでは、私のことを『陽葵』って呼んでくれると嬉しいな」
一言一句が。
その声色が。
スッ、と心の障壁をすり抜けて、真っ直ぐ胸の奥に届く不思議な感覚に呆然としてしまった。
すると、聖先輩が少し不安そうに眉尻を下げて、上目遣いで見詰めてきた。
「ど、どう……かな……?」
「……っ」
ドキッ、と胸の奥が騒がしくなった。
わざとやってるのか……!?
いや、わざとじゃないからこそ厄介だ。
心臓に悪すぎる表情を前に、俺は気恥ずかしさを誤魔化すように指で頬を掻く。
「ひ、陽葵、さん……」
「な~んか、他人行儀だなぁ?」
「い、いや、呼び捨ては流石に――」
「――じゃあ『陽葵ちゃん』にする?」
「っ、僭越ながら呼び捨てさせてもらいます」
「敬語も要らないかなぁ~」
「うっ、わかり――了解……」
ふぅ、と俺は呼吸と精神を整えるように息を吐いた。
真っ直ぐ正面から向かい合って言う。
「じゃあ、えっと……これからよろしく。陽葵」
「ふふっ、うん。よろしくね、司くん」
聖先輩は――いや、陽葵は、満足そうに笑った。
その頬が微かに赤らんで見えたのは、やはりすぐ傍に照らし出された紅葉があるせいだろう――――
◇◆◇
「あ、そういえば聞こうと思ってたんだけどぉ~」
庭から部屋に戻る途中。
陽葵がふと思い出したように振り返ってきた。
「兄弟が出来るなら、お姉ちゃんで良かった? やっぱり男兄弟が良かったな~とかある? それとも……」
数歩前に立っていた陽葵がこちらに引き返してきて、妙に悪戯っぽい微笑みを湛えた顔を覗き込ませてくる。
「妹……が良かった?」
「えぇっと……!?」
俺は自分の表情が引き攣ったのを自覚した。
本当は義妹が欲しかったです! なんて義姉の目の前で言えるワケもなく、凝り固まった表情筋に鞭打って笑みを作る。
「ま、まっさかぁ~! 実は俺、ずっとお姉ちゃんが欲しくて! あは、あっははは……!」
後ろ頭を掻き掻き。
さて、陽葵の反応は…………
「……ふぅん」
何だそのジト目は。
もしかして、俺の心が見透かされている……?
「ならよかったー」
「え、ちょ……?」
良かったという割には、声に抑揚がない。
クルリと身を翻した陽葵が、再び部屋に向かって歩き出す。
気持ち、先程より足取りが早かった。
一体、どういう意図の質問だったんだ……?




