第26話 さてはお前……クーデレだな?
「土日みっちりやり込んだお陰か、ちょっとは前みたいに脳みそ動き出したかなぁ……」
月曜日の放課後。
いつもであれば終礼が終わるや否やすぐに帰路に就くか、シスターさんが待つ懺悔室へと足を運んでいるところ。
だが、今日はこうして学校の図書室の一角で少し残って勉強することにした。
帰宅すればスマホやパソコン、ゲーム機、漫画やラノベと誘惑が沢山ある。
俺はどちらかというと誘惑に左右されないタイプではあるが、それはそれとして今日は残って自習して帰りたい気分だったのだ。
図書室は静か。
若者の本離れを表しているかのように利用生徒は少なく、片耳に図書室のスライド式の扉が開閉される音が聞こえてくるのも稀。
ガラガラ――――
あ、扉開いた。
三、四十分ぶりの利用者だな。
そんなことを片隅で考えながらも、俺の意識と視線は手元のテキストに向かっている。
シャーペンの芯が擦れる音。
入室してきた何者かが歩く音。
「…………」
「…………」
何者かの足音は、俺のすぐ傍らで止まった。
気配に気付きながらも、俺が意識をテキストに落としたまま手を止めずにいると、しばらくしてから声が掛けられた。
凛とした、やや勝気な少女の声。
「今晩辺り雪でも降るのかしら」
「大雪警報かもなぁ」
「局地的な被害ね」
「加えてしばらくは天候荒れるかも」
よく会話はキャッチボールに例えられるが、ご覧の通りお互い投げる球は変化球。
素直に「自習してるの珍しいね」と言えば良いものを、こんなひねくれた会話に昇華させられる相手なんて、その姿を見るまでもなく一人しか思い至らない。
とはいえ、ずっと隣に立たれたままでも集中出来ないので、俺はシャーペンを置いて顔を向けることにした。
案の定、そこには腕を組んだ格好で佇んでこちらを見下ろしてくる天羽の姿があった。
「んで、何か用か?」
「…………」
尋ねると、天羽は相も変わらず不機嫌そうではあるものの、やや神妙な表情を浮かべた。
「聞かせてもらったの。貴方が……そうなった理由」
今度はこちらが一旦黙る番だった。
恐らく屈み合わせのように、俺も天羽と似たような表情を浮かべていることだろう。
「……どこまで?」
「簡単によ。貴方があれほどまでに向上心に溢れていたワケと、一気にそれを失ったワケ」
つまりは、俺が過剰なまでに教育熱心な母親に認められたくて必死になっていたことと、その母親の存在が消えたことで目的を見失ったことか。
もちろん勝手に調べられていい気はしない。
だが、俺は今少しホッとしてしまった。
何故なら、現在の家庭環境――父が再婚して義姉が出来て、その正体が【日溜まりの聖女様】であると知られる方が今は面倒だからだ。
そして、誰が調べて誰に聞いたのか。
そんなことはあえて聞くまでもない。
ここしばらく楓夏が執拗に俺の周りをうろちょろしていた理由が判明したと言うくらいなものだ。
今度顔を合わせたら手刀を入れてやるくらいのことは許されるだろう。
いや、むしろ俺の情報を入手したのだから、交換条件としてアイツにも他人に知られたくないあんな情報やこんな情報を教えてもらうか。
いやぁ、楽しみだ。
ま、それは一旦置いといて…………
「そっか」
「……拍子抜けね。てっきり怒られるかと思ったのだけれど」
天羽が意外そうに目を丸くするので、俺は肩を竦めてみせる。
「別に? ただあえて説明するようなことでもなかったから言わなかっただけで、隠してたワケじゃないしな」
そう説明すると、天羽の視線が伏せられた。
組まれていた腕は下ろされ、片方の手でもう片方の二の腕辺りをギュッと掴む。
「……して……けど……」
「え?」
「っ、私はッ……!」
自分が予想するより大きな声が出たのだろう。
驚きながらも、ここが図書室であることを思い出してギリッと歯を噛み締めながら声量を抑える。
「説明、して欲しかったっ……!」
怒りや憎しみ、そんな感情も含まれているだろう。
だが、一番その表情に色濃く浮き上がっていたのは、悔しさ、か。
「えぇ、貴方の人生だもの。好きにすればいい。勝手に何もかも諦めるのも、勝手に去っていくのも貴方の自由よ。でもねっ……!」
伏せられていた天羽の瞳がキッと細められてこちらを睨んでくる。
「ちょっとは相談しなさいよっ……!? ちょっとは頼りなさいよ……ちょっとは……!」
灰色の瞳が水面に揺れる。
ジワリと目尻に涙が溜まっていた。
「あのとき、貴方にとって私ってその程度の存在だったの? そんなすぐ、何も言わずに姿を消せるくらい、どうでもいい関係だったの……? 少なくとも私にとってはっ……」
必死に涙を流さないように我慢していたせいで、溜まりに溜まったものが雫となって溢れて、頬を伝うことなく零れ落ちた。
「大切にしたいって思える関係だった……!」
「天羽……」
ひねくれて、ひねくれてひねくれてひねくれた先に打ち明けられた、真っ直ぐな天羽の心の内。
俺が何もかも諦めたあの頃からずっとわだかまっていた想いなのだろう。
「……初めてだったの。私、ずっと一人だったから……もちろん楓夏はいてくれたけれど、対等に物言ったり、ぶつかったりして居心地が良いと思える相手。だから嬉しかった、楽しかった。ずっとこのまま過ごしていきたいって思っていたのに……」
そっと天羽の両手が伸ばされる。
俺の首元、そのやや下に向かって、ギュッと襟首を掴んだ。
力は込められているが、息苦しくはない。
ただひたすらに、胸が締め付けられるように苦しかった。
「私、こんなだから。気付かないうちに私が何かしちゃったんじゃないかって思ったわ。私のことなんて嫌になって貴方は去っていったんだって。だからどうにかして戻ってきてほしくて、貴方を追い掛けたのに、貴方はまともに口も利いてくれなくなった……」
襟首を掴む手が小刻みに震えている。
「裏切られたんだって……見捨てられたんだって思うしかないじゃない……! だってわからないんだもの。何も話してくれないんだものっ……!」
天羽が椅子に座る俺の前に両膝をついた。
「貴方にとって私の存在ってその程度だったんだって思うと、悔しくて、悔しくて悔しくて悔しくてっ……辛くてっ……!」
プラチナブロンドの髪。
その前髪の合間から覗く灰色の視線が、鋭く俺に突き刺さる。
「悲しかったのよっ……!」
「…………」
俺と天羽の視線が交わり合う。
数秒の沈黙を経て、俺は自分の襟首を掴み上げる天羽の手に、自身の手を添えて言った。
「……ゴメン」
「っ、どうして貴方が、謝るのよっ……!」
天羽が眉間にシワを寄せたまま、眉尻と目尻を大きく下げる。
「ワケも知らずに、私ずっと被害妄想で……!」
「違う、違うんだ」
俺は首を横に振る。
「確かに辛辣な言葉だったり、当たりがキツかったかもしれないけど……それが、お前が俺を見てくれてるって言う証だって気付くべきだった。いや、気付いてたのに、勝手にわかり合うことすら諦めて、逃げてたんだ……」
被害妄想をしていたのは一体どちらだ。
上手く関わり合えていた天羽の傍から何も言わずに姿を消したのは俺。
自分の置かれている状況を説明しなかったのも俺。
天羽からすれば急に絶交されたも同義。
ワケも教えられず、何も情報が与えられないまま去って行かれる。
怒って当然だ。
悲しんで、辛くなって当然だ。
それを俺は二年間もコイツを避けて、当たりのキツイ面倒臭い奴としてあしらってきた。
関係を壊したのは、俺だ。
「でも、もうやめた」
「……え?」
「もう逃げない。沢山諦めて、沢山取りこぼしてしまったものがあるけど、少しずつでも取り戻していこうって決めたんだ」
ポカンと間抜けにこちらを見上げる天羽に、俺は思わず少し笑ってしまいながら、ブレザーのポケットからハンカチを取り出して涙に濡れた彼女の目元を拭う。
まったく、何をやっているんだ俺は。
こんな美少女の目元を腫らしてしまうなんて。
「天羽、お前も俺が失てしまったものの一つだ。あの楽しい日常を、俺は何も考えずに捨ててしまった。だから、お前さえ良ければもう一度拾わせてくれないか? 今度は手放したりしないからさ」
「っ、ば、ばかっ……!」
飛んできたのは嗚咽混じりの罵倒。
そりゃそうだよな。
そう簡単に落としたものを拾わせてはくれない。
「あ、あはは。だよな、自分勝手だった――うおっ?」
ボスッ、と。
梓沙が俺の襟首を両手でしっかりつかんだまま、胸に頭突きを繰り出してきた。
ちょっと痛い。
しかし、それ以上に温かい。
「あ、天羽さん……?」
「捨てても、見失ってはいなかったようね」
「……ああ」
「いい? もう不法投棄禁止よ?」
「えぇっと、次捨てるときは各自治体の指示に従ってくださいってこと?」
胸の中からゾッとするような極寒の視線を向けられて、俺はすぐさま「すみません冗談です」と早口で謝る。
「ま、まぁ、そのアレだ……はい、大切にします」
しばらくその言葉の真偽を見定めるような視線が向けられたが、天羽は再び俺の胸に頭突きして呟くように言った。
「最初から素直にそう言いなさい、ばか……」
「あい……」
その後、俺は少しの間、宥めるように天羽の小さな頭の上に手を乗せていた――――




