第25話 脳みそにもブランクがあるらしい
写真撮影のあった緑道公園からの帰りの電車の中の空気が妙にじっとりしていたことを除けば、俺は無事に玲美の家まで辿り着いた。
久し振りに顔を合わせる玲美の母親への挨拶もほどほどに、玲美の部屋でテスト勉強を始める。
床に長方形のテーブルを出し、向かい合うように座ってそれぞれテキストを開く俺と玲美。
シャーペンの芯が紙面を走る音が静かな部屋に小気味よく響いていた、のだが――――
「――って、おいおいおい!?」
「えっ、なに?」
すまん、この心地良い静寂を破らざるを得なかった。
わからないところがあれば聞いてくれ、と一言伝えてから自分の勉強をしていたのだが、一応玲美の様子も見ておこうと少し顔を上げてみれば、玲美の手元に衝撃を受けた。
テスト勉強開始からこの数十分。
玲美が一体何をしていたかと言えば――――
「一応、何してるか聞いて良い……?」
「いや、見たらわかるじゃん? まとめノート的なやつ?」
……おわかりいただけだろうか。
是非ともホラー番組に取り上げていただきたい。
もう来週に迫ったテスト期間に向けて、今からやる勉強内容が『まとめノートの作成』だ。
怖い。怖すぎる……!
「つぁ~。ストップ、ストップ」
俺は片手で自身の顔面を覆った。
目の前の現実を直視したくなかったのだ。
「れ、玲美。前回の……中間テストは大体何点くらいだった?」
そ、そうだ。
頭ごなしに否定するのは良くない。
勉強方法なんて人それぞれ。
まとめノートの作成が悪というワケではない。
それが本人の成長に効率よく繋がっているのなら、とやかく言うつもりはない。
「えぇっと、大体どの教科もよ、四十点台で……あ、でも社会科目は五十とか取れてたかな」
よし。
とやかく言うしかないな、これは。
どうやらまとめノートの作成はあまり結果に繋がているとは言い難い状況のようだ。
「……了解だ。まずはそのノート閉じろ、間抜け」
「ま、間抜け言うなし……」
玲美は不満げに唇を尖らせながらも、色彩豊かなペンで文字列や吹き出しが描かれたノートをパタリと閉じた。
「いいか? まとめノートの作成はテスト勉強とは言えない。少なくともテスト一週間前に始めることじゃないんだよ。作りたいなら日々コツコツと作っておいてくれ」
「えっ、マジ……?」
「おおマジだ」
ほぇ~、と玲美が残念というよりは初めて触れる真実に驚いたようなリアクションを見せる。
「問題集出してくれ。あと、ノート」
「う、うん」
玲美がまとめノートを床において、代わりに学校で配布される問題集と自分のノートを机に置く。
学校によってはあまり使い物にならない問題集を取り敢えず買わされるなんてこともよくあるが、秀誠院学園はその辺りはきちんとしており、変に邪道なものでなく広く使われている王道の問題集を指示してくれる。
一応中を開いて確認してみる。
一応だ。
「ふぅ、流石に直書きしてるってことはないな」
「いや、流石に舐めすぎだから」
「教科書の重要そうなところに取り敢えずノリでマーカー引いてるヤツが言うな」
玲美が不服そうに睨んできたので、俺も呆れた半目で見詰め返すと「うっ」と声を詰まらせていた。
「よし、まずは例題を解いて行くんだ。解法の手順がすぐ下に書いてるからちょっとでも詰まったら見ていい。考えて解法に自力で辿りつける奴なら数分考えてくれてもいいが、お前は考えてもただ時間が過ぎるだけだからさっさと解き方見ろ」
酷い言われよう、と玲美が愚痴を溢すが、傷付いたような様子はない。
俺と玲美の仲だからハッキリ言えるのだ。
いくら俺だってそこまで関係値のない相手に、ここまでストレートにモノを言ったりしない。
「で、正解することに重点を置くな」
「え? 正解しないと意味ないじゃん」
「最終的にはな? でも、正解という結果は正しい過程を経た上に自然と成り立つものだ。答えよりも、この問題はどこに注目して何を考えながら解けばいいんだろうってことに意識を置きながら進めて行ってくれ」
そうアドバイスしても玲美は「ふぅん?」とまだよくわかってなさそうに返事をするが、今はまだ実感が伴っていないだけだからそれで良い。
そこに意識を置きながら解き進めていけば、ある程度のところでその重要さに気が付くはずだ。
玲美が言われた通りに問題集に手をつけ始めるのを見届けて、俺も同じ問題集を少し先のステップに進んだ方法で進め始める。
一応今日買ってきた参考書も脇に置いてあるが、恐らく今日中に開くことはないだろう。
なぜなら、自分でも驚くくらいに目の前の問題集レベルで躓いてしまっているからだ。
……やっべぇ、頭が全然回んない。
前は全然わからん問題でも薄っすら筋道みたいなのは見えてきてたんだが。
未踏破ダンジョンでも少しずつマッピングして全体構造を把握していけるようなあの感覚が、今はまるっきり失せてしまっている。
筋肉と同じで、脳みそも使わないと能力落ちるんだなぁ……。
でも、立ち止まってはいられない。
今の自分のレベルを客観的に理解して、それにあった勉強をして横着せずに階段を一段ずつ登っていくしかないのだ。
早く登るにしても、段差を飛ばして進むのではなく、一段一段登る速度を高める方向で。
勉強に近道はないが、道のりを進む速さを決めるのは自分自身だ。
「よっしゃ……」
「……司、何か変わったね」
「え?」
しばらく己の勉強に没頭していると、対面から玲美がそんなことを言ってきた。
「いや、戻ったって感じかな。ちょっと懐つい」
玲美が小さく笑みを溢す。
「頑張ってんじゃん、司」
「……はは」
ふと、シスターさんの言葉を思い出す。
『大丈夫、君の頑張りは報われます。だって、君を見ている人はちゃんといるんですから』
本当にその通りだな。
自分のことなのに俺なんかよりよっぽど、懺悔室という密室で外を見ることが出来ないシスターさんの方がわかっている。
「ん、どしたん司?」
「んにゃ、何でもない」
俺も小さく笑みを溢した。
「ただ、お前って俺のこと見てくれてんだなって思って」
そう言うと、玲美は言葉の意味を咀嚼するまでの時間を表すようにゆっくり目を見開いて、顔を赤くしていき――――
「い、いやっ……べつ、そんな見てないし……! と、時々ちょっと……視界に入ってるだけだし……」
「まぁ、それでもいいけど。ありがとな」
「な、なに急に……!? 意味不明なんだけどっ……」
意味なんて特にない。
ただ単に、数少なくても俺のことを見てくれている人にお礼を言いたくなっただけ。
「ほら、手ぇ止まってんぞ?」
「っ、だ、誰のせいだと……」
そう指摘すると、玲美は急に感謝されて恥ずかしいようで変に顔を赤くしたまま、ブツブツと文句を呟きながら再び視線を手元に落とした――――
◇◆◇
《天羽梓沙 視点》
休日を利用して、自室でテスト勉強もついでに含まれる勉強をしていると、コンコンコンと扉がノックされてから開けられた。
まだ私、入室の許可出してないのだけれど。
「ちょっと楓夏。ノックの意味を考えなさいっていっつも言ってるでしょう?」
呆れて振り返ると、案の定そこには楓夏が立っていた。
「あっはは~、ごめんごめん。もし梓沙がこっそり自分を慰めてるところになんて鉢合わせたら大事故だしねっ」
「っ、いやらしいわね。破廉恥なこと言わないでちょうだい……」
まったく。
楓夏にはもうちょっと女性としての慎みを持ってもらいたい。
まぁ、もう今更かもしれないけれど。
「それで、何の用?」
「あぁ~、うん」
珍しく楓夏の歯切れが悪い。
どんなデリケートな話題でもデリカシーなんてお構いなしにズバッと口にするような子なのに。
しばらくその口が開くのを待っていると、楓夏は少し暗く笑いながら話題を切り出してきた。
「わかったよ、諸星司が堕ちた理由」
「…………」




