第22話 腹黒小悪魔の独白
《九重楓夏 視点》
詳しくは知らないし興味もないが、どうやら楓夏の家は代々『天羽』の家に仕えてきた歴史があるらしい。
父が梓沙の父親の秘書をやっているのもその関係だろう。
そんなしがらみの中に生まれたからなのか、当時楓夏はまだ幼いながらに、『天羽』の家の娘である梓沙に初めて会ったときから、あぁ、この人を支えていかなくちゃいけないんだと自然に認識していた。
とはいえ、梓沙には支えなんて必要ないんじゃないかというのが素直な感想だった。
楓夏と同い年であるにもかかわらず、英才教育の名の下に沢山の習い事をこなして、年齢で手加減をされることのない厳しい教育を受けていた。
その甲斐あってか、梓沙は同世代とは一線を画した風格を有していた。
まさに輝く一番星。
凛とした佇まいに、迷いのない眼光。
でも――――
『こんなものですか?』
『他の子より優れているのは最低条件です』
『貴女のお兄様はもっと出来ていました』
『天羽家の娘として恥じないように』
『家を背負っているんですよ?』
『お兄様のように』
『お兄様を見習って』
『お兄様――』
『お兄様――』
『お兄様――』
「俺を失望させるな、梓沙」
「……す、すみません。お兄様……」
世間の評価なんて『天羽』の鳥籠の中では関係ない。
価値基準が違う。
目指すレベルが異なっている。
世間では天才と称される梓沙も、『天羽』という閉じられた蟲毒の中では弱者。
親。親戚。教師。兄。
劇物のような毒に苛まれながらも、梓沙は必死に藻掻いていた。
納得させられる結果を追い求めて。
認めてもらえる成果を探し続けて。
必死に、必死に、必死に、必死に――――
だから、私は一度聞いたことがある。
「ねぇ~、梓沙ぁ?」
「何よ」
「楽しい?」
「……何が?」
「いやぁ、いっぱい頑張ってるじゃん? 結果出してるじゃん? 普通だったら、そういうのって苦労した分嬉しいとか楽しいとかって思うんじゃないかなぁ~って思って」
確かまだ小学生の頃だった気がする。
子供だ。
本来なら、無邪気に駆け回って遊んでいていい子供。
そんな子供の梓沙が、ハッキリと答えたのだ。
どこまでも怜悧で、真っ直ぐで、世間を見透かした大人のように。
「……ないわ。出した結果がすべてよ。そこに何の感想もない」
その答えを、私は理解は出来ても納得は出来なかった。
私は楽しいことが大好きだ。
面白いことをして生きていきたいし、幸せな人生を送りたいと思っている。
でも、梓沙にはそれがない。
なかったのだ。
中学生に、なるまでは――――
「……は?」
「わぁ……信じられない……」
今でも鮮明に覚えている。
中学一年生での最後のテスト。
学年末試験だ。
その上位数十人の結果が廊下に貼り出されており、楓夏も梓沙も目を疑っていた。
これまで一番最初には必ず『天羽梓沙』の名前があって、それが当たり前だった。
しかし、今日この瞬間、その当たり前が覆った。
「諸星……司……? 誰?」
「あはっ、梓沙一位以外興味なさすぎだよぉ~」
そうそう見ることの叶わない間抜けな顔をしている梓沙に、私は教える。
「中等部から英誠院学園に来た男子で、入学時点で学年順位が一桁だったから話題になってたんだよぉ~?」
一位以外を見ていない――いや、一位しか知らない世界で生きてきた梓沙には、未知の情報だった。
「そこから順当に成績上げてきてて、この前は梓沙に続いて二位。それで今回、一位になったって感じだねぇ~」
そんな説明をしていたときだ。
こちらに向かって歩いてくる男子がいた。
件の諸星司だった。
「お前だろ? 天羽梓沙って」
「……貴方が、諸星司?」
初めて二人が直接言葉を交わした瞬間だった。
「いやぁ、やっと追い抜いたな。お前マジで強すぎ。めっちゃ頑張ったんだぞ? つっかれたぁ……」
勝者としての言葉にしてはあまりに情けなかったが、変にマウントを取ってこようとしないからか、嫌味は一切感じなかった。
穏やかで気の良い少年。
楓夏的な第一印象は、そんな感じだった。
そして、楓夏は、梓沙に黒星をつけた人が彼で良かったと思うことになる。
「……追い抜いた? ふっ、フフフ……思い上がりも甚だしいわね、貴方」
悔しかったのだろう。
家の中で失敗を突き付けられるならともかく、勝って当然と思っていた同級生に初めて負けたのだから。
生み出した結果に対して、梓沙が感情を見せた初めての瞬間だったのかもしれない。
「たった一度勝ったくらいで」
「お前にたった一度勝てたんだから凄くね、俺?」
梓沙が言葉を詰まらせていた。
諸星くんは自分の成果をひけらかしたのではない。
梓沙の才能を、努力を、真正面から認めた上で、一度とはいえそれを上回るという凄さを、素直に伝えたのだ。
誉め言葉と言っても良い。
梓沙もそれがわかっていたからこそ、悔しさと嬉しさがごちゃ混ぜになったような表情を浮かべたのだろう。
「ばっ、馬鹿じゃないの貴方……!?」
「そんな馬鹿に負けたのはどこの誰だっけ?」
「~~っ!?」
凛とした佇まい。
迷いのない眼光。
そんなものは最早一切なく、梓沙は歳相応に中学生をしていた。
「い、今は勝利の美酒に酔っていればいいわ。でも次ッ、来年になったらすぐ酔いを醒ましてあげるから、覚悟していなさい……!」
「残念ながら俺は未成年なので酔うことはないな。今まで同様、油断なく、全力で戦うつもりだ」
多分、この瞬間にはもう梓沙の中で『諸星司』という生徒の存在が大きなものへとわかっていたのだろう。
一言で言えば、ライバルか。
初めて出来た、対等な存在。
切磋琢磨し、高め合える相手。
それからの日々、これまでモノクロームだった梓沙の立つ世界は、楓夏の目から見ても明らかに色付き始めていた――――
「ん、補習終わったけど帰らないのか?」
「私は習い事まで自習して行くわ」
「ふぅん……」
「……ちょ、何で貴方まで座り直すのよ」
「俺も残る」
「っ、この負けず嫌いが……」
「お前もだろ」
「フッ、天羽。お前にこの問題が解けるか?」
「はぁ? えぇっと……あぁ、こうね」
「んなっ!? 解法見付けんの早すぎだろ!?」
「ふふっ、じゃあ私からもお返しね?」
「な、なんじゃこりゃ……」
「数学オリンピックの過去問よ?」
「教科書のワークよ? みたいなノリで言うな」
「いいから解いてみなさいって」
「えぇ、見てもサッパリなんだが……」
「もう、仕方ないわね。ここはまず――」
「あ、貴方、次の休日の予定は?」
「ん? 特にないけど?」
「そ、そう。私、たまたま本当に珍しく、それはもう天文学的な確率で次の休日はオフなの。だから図書館に行こうと思うのだけれど、良ければ、その……」
「お、じゃあ俺も行くわ」
「えっ……」
「どうする? 午前中に合流して適当なところで一緒に昼食取ってから行くか? ほら、腹が減っては何とやらって言うし」
「っ、わ、悪くない提案ね!? ふ、楓夏! 次の休日の昼、ウチの系列のレストラン押さえておいて。もちろん貸し切りよ」
「お、お前の提案は悪いよっ!?」
楓夏は嬉しかった。
出した結果がすべてでそこに感想はないなんて言い切っていた梓沙が、歳相応に楽しそうにしているのが。
結果を求める際も、その過程に意味を――諸星くんと競う楽しさを見出すようになっていた。
このままずっと。
二人でぶつかり合って、高め合って、楽しく過ごして欲しい。
そう、思っていたのに――――
「ふんっ、今回は私の圧勝ね?」
「……はは、だな」
「まぁ、点数を見た感じ、どうせ体調でも悪くて本調子じゃなかったんでしょう? でも言い訳にしちゃダメよ? 体調管理も含めて実力なんだから」
「ああ、わかってるよ……」
「……ちょ、ちょっと。どうしたのよ? もしかして、まだ具合が悪いのかしら? はぁ、仕方ないわね。ウチがよくお世話になっているお医者様を紹介してあげるから――」
「ゴメン。俺、もう――」
諸星くんは、唐突に梓沙の隣から姿を消した。
どうして?
なにがあって?
諸星くんの口からその理由が語られることはなく、あるのはただ踊る意味を見失った糸の切れた人形のような姿だけだった。
そこからは時が逆流していくような感覚だった。
裏切られたような心地になった梓沙は孤独で孤高な世界へと引き返し、何者も寄せ付けない星へと変わった。
対する諸星くんは、密かに彼のことを妬み嫉んで良く思っていなかった一部の生徒らが吹聴した根拠のない悪い噂のせいもあって、どんどん落ちぶれていった。
信じられない。
信じたくない。
見られない。
見たくない。
かつて、唯一自分の隣に立ってくれた彼のそんな姿が、受け入れられない。
だから、梓沙の心はいつだって掻き乱されてしまう。
そんな梓沙の辛そうな姿を、もう楓夏は見ていられない。
ゴメンね、諸星くん。
これは楓香のエゴ。
梓沙のためになることなら、楓夏は何だってする。
君がそうなった理由はなに?
どうして戻ってこないの?
知られたくないから、言わないんだよね。わかってる。
でも、これも全部梓沙のため。
何が君をそうしたのか。
今の君が何をしているのか。
そしてこれからどうしたいのか。
秘密にしていること、全部こじ開けさせてもらうね――――




