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第15話 感じちゃダメな類いのドキドキ……

《聖陽葵 視点》


 それは、夕食の買い出しで司くんと並んで歩いているときだった――――


「――陽葵、こっち」

「あっ、司くん……!?」


 そっ、と。

 私の腰に司くんの手が添えられた。

 突然のことで思わずビクッと身体を震わせてしまった。


 え、なになに……?

 急にどうしたの司くん?


「ウチの学校の生徒。見られるとマズい」


 端的に。

 簡潔に。


 必要最小限の情報が少し潜めた声で呟かれて前を見てみれば、こちらに向かって歩いてくる二人組の姿があった。


 もちろん言われる前から私の視界にも入っていたけど、通行人がいても別に珍しくもないし、特に気には留めていなかった。


 でも、確かによく見てみれば今の私と同じ格好をしている。


 私は腰の添えられた司くんの手に促されるまま進路を変えて、脇道に逸れる。


 チラリと司くんの横顔を盗み見てみれば、普段は目にすることが出来ない少し真剣な表情をしていて。


 ……胸の奥にさざ波が立つような感覚がした。


 少し赤みを帯びたような司くんの黒目が右へ……左へ……でも、すぐにある一点に止まって、一回り大きく目蓋が見開かれた。


「ゴメン、陽葵。ちょっと我慢して」

「え、ぁ……」


 ずっと司くんの横顔を眺めていたせいで気付くのに遅れたけど、私は通りから死角となる自動販売機の側面に立たされたみたいだ。


 そして、念には念をということだろうか。

 司くんが私の顔の隣に肘から先をついて覆い被さってくる。


 ち、近いなぁ…………


 わかってる。

 もちろんわかってるよ?


 司くんも同じ場所に身を隠しているんだから、ある程度密着しないといけないことはわかってる。


 でも…………


 目の前に司くんの胸。

 日焼けしていない首筋。

 少し上目に向けば、貴重な真剣顔がある。


 ギリギリ触れ合ってはない。

 もしかすると、無意識に私に触れないように配慮してくれているのかもしれない。


 それでも、司くんの体温が僅かな空気の隙間を伝播して私の肌に伝わってくるのがわかる。


 静かだ。

 息を潜めているのだから当たり前。


 静寂、静寂、静寂…………


 ……静かな、はずなのに。

 辺りはこんなにも不自然なまでに静かなのに。


 ドクン、ドクン、ドクン…………


 私の心臓は空気を読めていない。

 ドキドキなんて、しているような状況じゃないのに。


 気付いたときには、微かに伝わる司くんの体温もわからなくなっていた。


 それは、司くんの体温を私の体温が越した証拠だ。


 だ、ダメだよ。

 ダメ、ダメダメダメ……!


 私の熱が、司くんに伝わっちゃダメ。

 私達は家族なんだから。


 家族に、なるんだからっ……!


「……はぁ」


 司くんの息が吐き出された音。

 張り詰めていた空気がゆとりを取り戻したようだった。


 司くんの真剣な表情が少しほぐれる。

 通りを睨んでいた目が一度目蓋の奥に隠れて、次の瞬間にこちらを向いた。


 あ、目が合――――


「ひ、陽葵……?」


 赤みがかった黒い瞳に、少し怪訝な色が浮かぶ。


 その瞬間、惚けいていた私の意識が一気に現実に引き戻された。


 慌てて顔を背ける。

 両手を挙げて、出来る限り司くんの視界を塞ぐ。


「ぁ、ちょ、待って……見ちゃダメっ……!」


 ダメ、ダメっ……本当に駄目っ……!

 今、絶対、家族に見せる顔してないから、私……!


 熱い、熱い、熱い。

 あぁ、もう……!

 心臓がうるさいよぉ……!


「ほんと、ダメだよっ……!?」


 慌てすぎていて。

 半分パニックになっていて。

 口から「駄目」という言葉しか出てこない。


 司くん、見てない?

 見ないでくれてる?


 チラリ、と横目に確認。


 っ、こっち見てるよぉ……!!


「あぁ、もうっ……ダメって言ってるのにぃ……!」


 私も全然司くんの視界を隠せてなかった。

 じたばたするだけで役に立っていなかった手で、今度は素直に自分の顔を隠す。


「ごめん、なんかね……変にドキドキしちゃって……」


 もぉう、絶対今顔赤いよぉ。

 司くん、絶対困ってるよぉ。


 でも、もう遅いよね。

 これは言い訳出来ない。


 明らかに、司くんにドキドキしてた……そのことも、バレてるはず。


 どうしよう。

 単純に、男子に対して免疫がないから……ってことにする?


 別に司くん個人を意識していたワケじゃないよって……そう、弁解する?


「あ、あぁ、いや――」


 少しの間沈黙していた司くんが口を開いた。


 何を言う?

 何を、何を――――


「――俺が急に詰め寄ったから。そりゃ誰だってビックリしてドキドキするよな」


 …………あ、れ?

 バレて、ない?


 司くん、結構鈍い……?


「驚かせてごめん」


 ……よ、良かった。

 うん……良かった。


 私が君にドキドキしてしまったって、バレなくて……良かった…………


 ……はず、なのに。


「まっ……」


 何で、私……今ちょっと残念に思ってるの……?


 バレなくて、伝わらなくて良かったはずなのに。


 バレたらどうなっていたのか、伝わっていたらどういう反応が返ってきたのか、気になってしまっているの……?


「……陽葵」


 司くんが私を呼ぶ。


 なに?


 そう聞き返す前に、私はいつの間にか自分の手が司くんのパーカーの裾を摘まんで引き留めてしまっていることに気付いた。


「ぁ、うん……!」


 な、何やっちゃってるの私……!?

 本能で動きすぎだよぉ……!!



 ――正直、このあと自分が何を喋ったのか覚えていない。


 さっきのことから意識を逸らすのに精一杯で、その場で適当に何かを話していた気がする。


 買い物を終えて家に帰るまで、気が気じゃなかった――――



 ………………。

 …………。

 ……。



「――んぱい。聖先輩っ!」

「は、はいっ!? って、あ……梓沙ちゃん?」


 しまった、ぼーっとしてたみたい。

 間違いなく、昨日のことを引き摺ってる…………


「大丈夫ですか? 珍しいですね、聖先輩が心ここに在らずなんて」


 そうだ。

 今、生徒会活動中だった。

 梓沙ちゃんと資料室に来てたんだよね。


 どこか浮世離れした美しさ。

 プラチナブロンドの髪を絹のように流す梓沙ちゃんの灰色の瞳がこちらを向いていた。


「あ、あぁ、うん。ちょっと寝不足かも~」


 あはは、とそれっぽい理由を口にする。


 まぁ、実際なかなか寝付けなかったのは本当だし、嘘は言ってないよね?


「えっと、それで……どうしたの?」

「あ、はい。目当ての資料、コレじゃないでしょうか?」


 梓沙ちゃんが手に持っていたファイルを見せてくる。


「わぁ、見付けるの早いね~」

「いえ、それほどでも」


 クールに謙遜する梓沙ちゃん。


 でも、彼女が凄いのは本当だ。

 幼稚園からここ英誠院学園に通っていて、当時から同世代とは一線を画す能力を発揮していた。


 聞くところによると家の方針で色んな英才教育を受けてきたみたいだけど、そのお陰なのか今では【極星の女王(ポラリス・クイーン)】なんて二つ名もついて、次期生徒会長候補とも呼び声高い。


 高等部へ進級早々、一年次にして生徒会書記として名を連ねていることから、本人も将来的には会長を目指すつもりなのだろう。


 ……あ、そういえば。

 確か梓沙ちゃんは一年B組。


 司くんと、同じクラスだよね……?


「どうぞ」

「うん、ありがとう。見てみるね~。あ、そういえば――」


 梓沙ちゃんがファイルを差し出してくるので、私はそれに手を伸ばしながら聞いてみた。


「――梓沙ちゃんって、つかっ……諸星司くんと同じクラスだよね?」


 ピクッ、と。

 梓沙ちゃんの手にあるファイルが震えた。


「ほらまぁ、何かと話題の中心に上がる子でしょ? 色んな噂を聞くけど、梓沙ちゃんから見て彼はどういう人なのかなぁ~って」


 私がファイルを掴んで受け取ろうとしても、梓沙ちゃんが手を離さない。


 それどころか、グッ……とファイルを持つ手に強く力が込められていた。


「あ、梓沙ちゃん……?」

「……っ」


 灰色の瞳は、何とも言い表し難い激情の光を浮かべてファイルを睨みつけていた。


「嫌いです……大っ嫌いッ……!!」

「――っ!?」


 いつも冷静な梓沙ちゃんの全身から発せられるような感情の津波に、私は思わず呼吸を詰まらせてしまった。


「嘘吐きで、裏切り者よっ……あんな奴ッ……!!」


 一人のクラスメイトとして。

 他より一歩分程度身近な生徒として。


 少しは客観的な印象がわかるかと思って聞いてみただけだったけど…………


 二人の間に何があったのかはわからない。


 でも、一部で人形みたいとも言われるクールな梓沙ちゃんをここまで感情的にさせるなんて…………


 少なくとも、ただのクラスメイトでないことだけはわかった。


 私が想像つかないほど、梓沙ちゃんの中で司くんという存在が大きいことが、わかった――――

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