第12話 やっぱり日溜まりは温かい……
「ただいまー」
教会を出たあと電車に乗り、危うく今までの自宅があった二駅目で降りそうになりながらも、寸前のところで引っ越したことを思い出し、三駅目まで堪えた俺。
新居であるマンションの扉を開けてみても、やはりまだ少し帰ってきたという感覚には遠い。
「って、父さんも茉莉さんも仕事か。陽葵は……」
玄関で足元を見下ろしてみるが、陽葵が学校に履いて行っているローファーは見当たらない。
「まだか」
生徒会の用事だろうか。
それか、何かのボランティア活動か。
【日溜まりの聖女様】がボランティア活動に熱心だというのは、学園でも有名な話だからな。
今度どんなボランティアをしているのか聞いてみようかな、なんて考えながら、俺は一旦自室に向かう。
カバンを下ろし、教材やノートを整理する。
それからしばらくは各教科で出された課題に手をつけ、一段落したところでいつでも風呂を溜められるように浴室の掃除を済ませる。
そんなときだった――――
「ただいまぁ~」
ガチャッ、と玄関扉が開き、制服姿の陽葵が帰ってきた。
「あ、司くん」
「おかえり、陽葵」
俺は浴室に繋がる洗面所から出て、玄関でローファーを脱いだ陽葵を出迎える。
「もしかして、お風呂洗ってくれたの?」
「あぁ、まぁ」
洗面所から出てきたこと。
腕まくりしている俺の手が少し濡れていることから察したのだろう。
「取り敢えず洗って浴槽の栓も閉めてあるから、あとは入る前にお湯張りすれば――」
そう説明していると、突然ポン……と頭の上に何かが乗せられた。
それが陽葵の右手であることに気付くのに、俺の静止した脳では少し時間が掛かった。
「ふふっ、ありがと。司くんは偉いね~」
「……ほぇ?」
呆然としている間に、陽葵の右手が俺の頭を優しく撫でてくる。
柔らかな感触が。
触れた箇所から伝わる温もりが。
あまりに心地良くて、俺はしばらく惚けてしまっていた。
「ひよ、り……?」
「ん~?」
「え、えぇっと……なに、コレ……?」
なにって、と陽葵は柔和な微笑みを目の前で湛えたまま、さも当然とばかりに答えてくる。
「褒めてるんだよ?」
おかしなこと聞くんだ~、と更に笑い声を溢す陽葵。
果たして俺はそんなにおかしなことを聞いただろうか?
俺はただ、いつも通りに過ごしていただけだ。
帰ってきて、宿題をやって、お風呂掃除をして……ただそれだけ。
何も褒められるようなことはしていない。
と、俺が困惑しているのを察したのだろう。
陽葵の表情が可笑しそうにしている笑顔から、温かく包み込むような笑みに変わった。
「ふふっ、司くんは今『何でこの程度で褒められてるんだ』って、不思議に思ってるね?」
コクリ、と一つ頷く。
「私はね、褒めること褒められることに基準なんかないんじゃないか~って思ってるの。事の大きさに関係なく、褒めたければ褒めていいと思うし、認めてあげればいいと思うんだ」
あっ、ちょっと待って。
ヤバいかも。
何かが……何かが込み上げてくる。
身体の奥底から喉を伝って、鼻にツンとくる。
じわりじわり、と目元も熱を湛え始める。
ことあるごとに脳裏にフラッシュバックし、頑強な鎖のように俺を雁字搦めにしてくる光景が――――
『もっと頑張りなさい』
『この程度で喜ばないでちょうだい』
『理解に苦しむわ』
『はぁ、どれだけ掛かってるの……』
『何をやっているのッ!?』
『一番じゃないと!』
――今、解き放たれる。
懺悔室で背を押してくれたシスターさん。
小さな行いを認めてくれる【日溜まりの聖女様】。
流石にそのダブルパンチには、俺のひねくれきった心も震えざるを得なかった。
つぅ――――
「ぁ、あれ……? ははっ、おかしいな。え、何だコレ? えぇ……?」
生温かいものが頬を伝い、顎で雫を作って廊下に落ちた。
もう何が何だかわからない。
目が熱い。
鼻水が出てくる。
まともに喋れないくらいに声が震えて、嗚咽が漏れる。
「っ、はぁっ……くっ……つぅ……!」
「ふふっ」
ギュッ、と。
陽葵が前から優しく、それでも確かな力を込めて俺を抱き締めてきた。
あ、あぁ……もったいないな。
折角こんなラッキーなシチュエーションなのに、ホントどうしたんだろう、俺。
ふわりと香る陽葵の匂いも。
じわりと伝わるその体温も。
ぎゅうと触れる柔らかさも。
いつもなら内心でガッツポーズくらいしてやるのに、今はただひたすらにそれらの温もりすべてが心地良くて…………
「司くんは頑張ってる。偉いね」
「はっ……俺はっ……!」
「もし君が君の努力を、頑張りを、行いを認められなくても、私が見ていてあげるよ。私が凄いね、頑張ったね、よくやったね、って言ってあげるよ」
だから――と、その先に紡がれる言葉。
色んな感情が溢れすぎていて脳がまともに思考出来ていないせいか。
グチャグチャな感情の嵐の中、俺は今目の前に立って俺を抱き締めて温かな言葉を語りかけてくれているのが、陽葵なのかシスターさんなのかすらよくわからなくなってしまっていた。
「甘えて良いんだよ?」
「っ、あぁっ……! うあぁぁっ……!!」
力んで喉が絞まって上手に泣き声すら上げられない俺。
その場にゆっくりと膝をついてしまうが、陽葵も一緒に膝立ちになってその胸に俺の頭を抱え込んでくれる。
「よしよし、よしよし……」
温かい。
体温が、言葉が、そして想いが温かい。
日陰で湿気ていた俺の心に差し込んだ一筋の木漏れ日は、徐々に大きくなって包み込むようにその場所を日溜まりへと変えた。
ただひたすらに、日溜まりは心地良く温かかった――――




