第VII話 最初の一皿
「できました!」
美咲が差し出したのは、小さな白い陶皿に盛られたひと口サイズの料理。
ヨモギのグリーンが鮮やかな、小さな団子のようなものだった。
春乃は割烹着のまま、カウンターの向こうから身を乗り出す。
「これは……“ヨモギの白玉”?」
「はい。図鑑づくりのときに、ヨモギをすりつぶしてたら、ふと白玉粉と合わせたらどうかなって。中に、甘く煮たカラスノエンドウのあんこを入れてみました」
春乃は目を丸くして笑った。
「へえ、カラスノエンドウをあんこにするなんて、なかなか思い切ったね」
「ネットで調べたら、昔のおばあちゃんが“ちょっとえぐいけど甘くすると美味しい”って書いてて。試してみたら……ちょっとクセはあるけど、面白い味になって」
「じゃあ、いただきます」
春乃は箸で団子を割り、ひとくち口に含んだ。
もぐもぐ、とゆっくり咀嚼して、やがて目を細める。
「……うん、いいね。ヨモギの香りが先に立って、あとから豆のコクが広がってくる。クセを丸ごと楽しませるって、なかなかできることじゃないよ」
「ほんとですか……!」
「うん。これは“誰か”に食べてもらいたくなる味。野草食堂の新しい看板になれるかも」
美咲は、胸にじわっと何かが広がるのを感じた。
自分の手で、生まれた味。草の名前を知って、摘んで、考えて、形にした。
誰にも求められていないと思っていた自分が、今、確かにこの場所に根を張っている。
その日の午後、春乃は手書きのメニュー札を一枚増やした。
《週末限定・ヨモギとカラスノエンドウの白玉》――
開店時間、店のドアがからん、と鳴る。
やって来たのは、先日草の庭を案内してくれた白髪の男性だった。
「今日は食いに来た」と短く言ってカウンターに座ると、美咲の白玉を注文した。
「……ふぅん。ヨモギとエンドウね。嫁が好きだった組み合わせだ」
一口食べたあと、男は黙って皿を見つめた。
やがて、スプーンを置いてぽつりと言う。
「草の味がすんのはいい。草の記憶がすんのは、もっといいな」
その言葉に、美咲の胸がいっぱいになった。
草には、誰かの思い出が宿る。人の記憶と、名前と、時間と。
食べることは、そのすべてを受け取ることかもしれない。
「ありがとうな。いい皿だった」
男が店を出たあと、美咲はそっと自分の図鑑を開いた。
ヨモギのページの端に、小さくこう書き添える。
《春の香り。心の奥にある懐かしさを呼び起こす草。名前を呼ぶと、人の記憶がかすかに応えてくれる。》
その夜、美咲は厨房の片隅で次の草を手にとる。
「次は、ハルジオン。どんな味がするんだろう?」
“草の図鑑”はもう、彼女だけのものではない。
料理となって、お客さんに届き始めていた。
そしてまたひとつ、物語の芽が、春の夜にそっとふくらんだ。