表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野草食堂 春の芽  作者: やしゅまる
5/23

第V話 草の名前を呼ぶとき

「これ、なんて草だろう……?」


翌朝、美咲は店の裏手で草を見つめていた。細く尖った葉がうねるように伸びて、小さな白い花が風に揺れている。


春乃が、摘んだ草の束を持って戻ってくる。


「あ、それは“ハコベ”。昔からおかゆに入れる七草のひとつだよ」


「へぇ……この花、よく見かけてたけど、名前なんて知らなかった」


「名前を知ると、急に仲良くなれるよ。不思議だけどね」


春乃は微笑み、草の束を紙に並べていく。ヨモギ、カラスノエンドウ、ノビル、ハルジオン……美咲はじっと見入りながら、小さく息を吐いた。


「春乃さん……私、草の名前、もっと知りたいです。何のために生えてるのか、どんな味がするのか、ちゃんとわかるようになりたい」


「うん、いいね。じゃあ、図鑑つくろうか。うちの“野草図鑑”。この店だけの」


「図鑑?」


「写真とスケッチ、それに味の感想とか、採れる時期、調理法も書いてさ。お客さんにも見せられる。楽しそうでしょ?」


美咲はぱっと顔を輝かせた。


「やりたいです! 私、絵も字も下手だけど、全部書きたい!」


「それがいいの。手書きの図鑑って、味があるもん」


こうして、“野草図鑑づくり”が始まった。


その日の営業後、美咲はスケッチブックと色鉛筆を広げ、黙々と草の葉を描いていた。

横には春乃が、やさしい文字で「ハコベ」の効能を書いていく。


「ハコベは、歯ぐきの腫れに効くらしいよ。昔の人はすりつぶして塗ったんだって」


「そんな使い方……まるで草のお医者さんだ」


「草は、生きてる人間にとっての知恵袋だよ。ほら、美咲ちゃんの絵、すごくいい。花の感じ、ちゃんと出てる」


「ほんとに? よかったぁ……」


図鑑の1ページ目には「春の芽 野草帖」と手書きのタイトルが添えられた。


「ねえ、美咲ちゃん。どうしてそんなに名前を知りたくなったの?」


春乃の問いに、美咲は少し照れたように頬をかいた。


「うまく言えないけど……たとえば、道端で咲いてる草を見て“名前がある”って知ると、自分のことも少し大事に思える気がして」


「……」


「私、社会に出てから“代わりなんていくらでもいる”って言われることが多くて。名前じゃなくて“人員”として見られてた。でも、草にも名前があって、意味があるなら、私だって――」


言いかけて、美咲は黙った。

でも、春乃は何も言わず、そっとお茶を差し出した。


「いい言葉だね。草にも名前がある。人にもある。だから、ここで働くなら、“名前”を大事にする料理をつくろう」


「……うん!」


美咲は小さく拳を握った。

彼女の前に開かれたスケッチブックは、まだ真っ白なページばかり。


けれど、そこには確かに始まったばかりの物語がある。

草と向き合い、自分の“名”を見つけていく旅路が。


夜の店に、灯りがひとつともった。

台所の片隅で、美咲はまた新しい草を拾い上げる。


「これ……花びらが四枚。白くて、小さくて……」


彼女はそっと名前を呼ぶように、スケッチの端に書き込んだ。


“シロツメクサ”


――小さな草にも、ちゃんと名がある。

そのひとつひとつが、世界と自分をつなぐ鍵になる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ