第IV話 ヨモギ団子とお客さま
「もっと、やさしく丸めて」
春乃の声が台所に響く。
美咲は真剣な顔で、手のひらの上のヨモギ団子を見つめていた。
「でも、べたつくし、形が……ああっ、ひび入っちゃった!」
「ヨモギの水分が少ないかもね。もうちょっと湯を足して、練り直してみよっか」
春乃が笑いながらアドバイスを送る。
今日の営業は夕方五時から。それまでに、ヨモギ団子を三十個つくるのが美咲の“草摘み係”としての初仕事だった。
窓の外では、風が枝を揺らしている。
少し前まで「帰る場所もない」なんて思っていたのに、今はここが、確かな足場になりつつあった。
「でも、団子って奥深いですね……簡単そうに見えて、難しい」
「うん。手って、気持ちが出るから。イライラしてると、かたくなる。お団子って、やさしい食べものなんだよ」
「やさしい……か」
美咲はもう一度、掌に粉をのせて、そっと団子を丸め直す。
すると今度は、つるんとした形になった。
「……できた!」
「うん、いい感じ!」
春乃がにっこりと笑い、美咲はその笑顔に胸があたたかくなるのを感じた。
夕方になると、灯りをともした野草食堂にぽつぽつと客が訪れはじめた。
その中に、やや大きなリュックを背負った高齢の女性がひとり。
少し腰を曲げながら、ゆっくりと店内を見渡す。
「いらっしゃいませ。お席こちらどうぞ」
美咲が案内すると、女性は小さくうなずいて座った。
どこか寂しげな眼差し。春乃が厨房から顔を出す。
「おひとりですか?」
「ええ、夫を亡くしてから……食事、どうでもよくなってて。でも、こんな看板見つけて、ふらっと……」
「よくいらっしゃいました。今日のおすすめは、ヨモギ団子の椀ものです。若い子が、がんばってつくりました」
「まあ、それは楽しみ」
美咲は、少しどきりとした。
春乃から小声で「出番だよ」と促され、お盆に団子入りの椀を乗せて運ぶ。ヨモギの鮮やかな緑と、薄い白だしの香りが立ちのぼる。
「お口に合うといいんですが……」
「ありがとうね。あなたがつくったの?」
「……はい。ヨモギ、今朝摘んできたばかりで」
女性は椀を手に取り、ひと口すすると、ふっと目を細めた。
「……ああ、春の味だわ」
その声が、まるで風鈴のように澄んで響いた。
そして彼女は、静かに言った。
「昔、庭にヨモギが群れててね。よく孫と草団子つくったの。あの子、もう大人になっちゃって……こんな味、忘れてたわ」
美咲の胸に、小さな温かい灯りがともる。
「また、来てくださいますか?」
「ええ、もちろん」
厨房の春乃と目が合い、美咲はそっと頷いた。
彼女のヨモギ団子が、誰かの“思い出”に触れたことに、確かな手応えを感じていた。
夜の帳が下りるころ、団子の器はすべて空になり、台所にはほんのり草の香りが残った。
「どう? 今日の団子係は」
春乃が尋ねると、美咲は少し照れながら、でもまっすぐ答えた。
「……草の力って、すごいですね。ちゃんと、人の心まで届くんだ」
「うん。届くよ。草だって、生きてるから」
その言葉に、美咲はそっと手のひらを見た。
草を摘み、丸めたその手に、春のあたたかさが残っていた。