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野草食堂 春の芽  作者: やしゅまる
22/23

第XXII話 草にふれる日

朝から、春乃の手のひらはじんわり汗ばんでいた。


取材の日。

小さな店「春の芽」は、いつもと同じように静かで、いつもと違う気配をまとっていた。


佐伯は、予告通りカメラマンを連れてやってきた。

背の高い、落ち着いた雰囲気の女性で、春乃の第一印象は「想像より穏やか」で、少しだけ緊張がほぐれた。


「春乃さん、どうぞいつも通りで。私たちは邪魔しないようにしますから」


そう言って佐伯は笑ったが、「いつも通り」という言葉ほど、難しいものはない。

厨房に立つ春乃の動きは、普段より少しぎこちない。包丁の音も、足取りも、どこか硬い。


「深呼吸ですよ、店主さん」


そう声をかけてくれたのは、いつもの常連・青木さん。

この日も予約していたらしく、早めに来て、カウンター席に座っていた。


「こんな日くらい、俺も背筋伸ばして食いますから。春乃さんがつくる料理って、草も喜んでるような味だし。雑誌の人にも伝わりますよ、きっと」


「……ありがとうございます」


春乃はもう一度、深く息を吸った。

そして、いつものように野草の皿を仕上げる。


今日の一皿は、「ノカンゾウとスズメノエンドウの白味噌ソテー」。

昨日ようやく完成した、新しい春の味。


皿を置いた瞬間、カメラのシャッター音が鳴った。

だがそれよりも先に、佐伯が「ふっ」と目を細めるのが見えた。


「……この香りですね。私が忘れられなかったのは」


そうつぶやく佐伯の表情を見て、春乃は少しだけ肩の力を抜いた。


取材は淡々と進んだ。

佐伯の質問は、どれも草の扱い方や味の構成について丁寧で、カメラマンも草のアップを撮りながら、ときおり店内の雰囲気を切り取っていく。


「春乃さんは、どうして“野草”だったんですか?」


インタビューの最後に、佐伯がそう尋ねた。


「銀座の店にいたころは、素材はすべて“育てられた”ものでした。でもある春の日、道端に生えたヨモギの香りが、ふと鼻に触れて……」


春乃は、あのときの気持ちを思い出す。


「“生えてきたもの”も、ちゃんと生きてる──って気づいたんです。誰かが育てたわけじゃないのに、ちゃんとそこに在って、香って、味があって。だから私は、その草たちを料理にしたかったんです」


佐伯はしばらく何も言わず、手帳に静かにメモを取り続けていた。

やがて目を上げて、ゆっくりうなずく。


「伝わると思います。ちゃんと、言葉じゃなくても」


取材が終わると、夕方の光が店内に差し始めていた。

カメラマンは名残惜しそうにカウンターの器を撮り、佐伯は最後にこう言った。


「この店、しばらく“秘密のまま”にしておきたい気持ちにもなりました。でも、きっと誰かに届いて、救われる味だと思います。だから、書かせてください」


春乃は、深くお辞儀をした。


その夜、青木さんが最後の客として皿を置いたあと、ふとつぶやいた。


「今日はちょっと味が違った気がしたな。……春乃さん、緊張してた?」


「やっぱり、わかっちゃいました?」


「うん。でも、悪くなかったよ。緊張してるぶん、草たちにすがる感じがして、それが逆に、ぐっときた」


その言葉に、春乃は思わず笑ってしまった。


店の外では、カラスノエンドウが風に揺れていた。

雑誌に載ることも、読者が増えることも、少し怖い。

でも──


(草と向き合う日々を、ちゃんと大切にしていれば、どんな形でも、きっと大丈夫)


春乃は、草の声に耳をすます。

これからもずっと、そうして生きていこうと、心の奥で静かに決めていた。

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