第II話 たんぽぽと旅人
新しく現れた若い女性は、湯気の立つたんぽぽご飯を前にして、しばし目を丸くしていた。
「ほんとに……これ、たんぽぽですか?」
「うん、根っこを薄く刻んで、軽く干してから炊きこんだの。ちょっと苦味があるけど、大人の味」
春乃は笑って答える。その横で松山は、黙々とスギナのかき揚げをかじっていた。衣の隙間から、細く青い葉が顔を出している。
女性は一口、恐る恐るご飯を口に入れた。
「……わ、なんだろ。苦いけど、くせになる。深い味……?」
「うれしいなあ。たんぽぽの根って、実はコーヒーみたいに焙煎もできるんだよ」
「へぇ……なんか、草の見方変わっちゃうかも」
女性の顔に、ようやくほぐれた笑みが広がった。春乃はお茶を差し出しながら、静かに尋ねた。
「旅の途中、なんだよね?」
「あ、はい。就職、うまくいかなくて、地元戻る前にちょっと……逃げ道です」
「逃げ道で、野草食堂に来たんだ」
「……えへへ、なんか不思議ですね」
春乃はうなずいた。
「草もね、たいてい“邪魔”って思われて引っこ抜かれる。でも、どこにでも根を張って、ちゃんと咲いてる。強いよ」
「……たしかに」
女性はもう一口、ご飯を口に運んだ。
「私、佐藤美咲っていいます。……お姉さんは?」
「春乃。佐原春乃。もともと料理人だったけど、いまは草を拾って飯つくる、ただの変な人よ」
「ふふ、変な人……でも、素敵です」
そのとき、カウンターの端で松山が手を止めた。
「……名前、言ったほうがいいのかな」
春乃が笑いながらうなずくと、彼は少し照れたように言った。
「……松山です。清掃局」
「清掃局? すごい、街を守るお仕事ですね」
「いや、草とかよく見ます。道路のすみとか。名前、知らんけど」
「今度、一緒に観察しますか? 私、雑草図鑑つくるのが夢なんです」
「……いいですね、それ」
美咲は、松山のまじめな顔を見て、ちょっと驚いたように笑った。
春乃はその様子を見ながら、小さな器にデザートをよそいはじめる。
「これは……?」
「カラスノエンドウのゼリー。草だけど、春になると小さな豆ができるの」
「え、これ草なんですか? すごい!」
「都会の春は、足元にあるのよ。気づいてないだけ」
その一言に、美咲はしばし黙ってゼリーを見つめた。
――知らなかったものが、こんなに美しいなんて。
スプーンを手に取ると、ゼリーの中に透けて見える小さな豆が、まるで宝石のように輝いていた。
「……こんなお店、あってよかった」
「また逃げたくなったら、おいで」
春乃はそう言って、最後に静かに一言つけ加えた。
「逃げるのも、生き方のひとつ。草も、踏まれたら別の道を探して生えてくるんだよ」
夜の街に、野草の香りがほのかに残る。
その香りを吸い込みながら、美咲はカウンターの外へ出た。
玄関先には、名も知らぬ小さな白い花が咲いていた。