第XIII話 異国の舌とハコベの記憶
その日は、昼下がりににわか雨が止み、街にほのかな光が戻った頃だった。
野草食堂のドアベルが、少し高めの音で鳴った。
「こんにちは〜!」
元気な日本語と共に入ってきたのは、金髪に青い瞳の若い女性。
カジュアルなジーンズに、大きなリュック。
どこか旅の途中といった風情で、店内の空気をぱっと明るくした。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
「はい、ワタシ、アメリカからきました。タビの途中デス。ワイルドプランツ、食べられるトコロ、ここ、見つけて、うれしいデス!」
たどたどしいけれど熱のこもった日本語に、美咲も思わず笑みを返した。
「ありがとうございます。よかったら、今日のおすすめは“ハコベのお粥”です。春の七草の一つで、胃にやさしいんですよ」
「ハコベ……?」
首をかしげる彼女に、春乃が小さなスケッチ帳を持ってきて見せた。
淡い緑の葉と、星のような白い小さな花――。
「あ、コレ!見たコトある。パークで見た。でも、食べられるって、知らなかった!」
「そう。日本では昔から、お腹にいい薬草として親しまれてるのよ」
しばらくして、ハコベ粥が運ばれた。
とろりと炊かれた米の中に、細かく刻まれたハコベが混ぜ込まれ、ほんのりとした香りが立ちのぼる。塩と胡麻だけの、控えめな味つけ。
彼女はスプーンでそっとすくって口に入れた。
一口、そしてもう一口。目を見開き、やがてふわりと笑った。
「……ナツカシイ。どこかで、食べたこと、アル気がスル……」
「アメリカにも、ハコベありますか?」
「たぶん、ある。でも、ワタシのグランマ、よくお粥つくってくれた。ミントとレモンバーム、ちょっと似てる。カゼのときとか……」
彼女の言葉は少しずつ、思い出とともに日本語になっていった。
「グランマのキッチン、ハーブの匂いした。ワタシ、いつもソファでブランケットにくるまって……。たぶん、味より、記憶がよみがえってる」
春乃が頷く。
「草の味には、記憶が宿るのよ。どこの国でも同じ。名前は違っても、思い出は似てるのよね」
彼女は、しばらくゆっくりと粥を食べ続けた。
食べ終わる頃には、頬の緊張がほぐれ、瞳にうっすらと涙がにじんでいた。
「ここ、ふしぎナ店デスネ。野草、ただのたべものジャナイ。ココロのドア、ひらくミタイ」
「その通りです。この店は、草で人の心を耕す場所なんです」
美咲がそう言うと、彼女はスケッチ帳に小さな絵を描き始めた。
数分後、ページには、ハコベの花と湯気を立てるお粥の鉢、そして“ありがとう”の文字が添えられていた。
「お礼に、コレ。いつかまた、きっと来マス」
リュックを背負い、ドアを開けると、外には虹が出ていた。
彼女はそれに気づいて、もう一度振り返る。
「ワタシの国にも、ワイルドプランツ、たくさんある。今度、日本のハーブと、いっしょに食べタイデス!」
そして彼女は、雨上がりの路地に消えていった。
静けさが戻った店内。
カウンターのノートに、美咲はそっと書き足した。
《ハコベ粥――異国の旅人の記憶を結んだ、やさしい緑のひとさじ》




