第91話 豚のしっぽ
「へっくち!」
「もう、季節を考えなさいよユウ。それでなくても無茶したんだから」
毛布に包まり、温かいコーヒーの入ったカップをかじかんだ手で包み暖めながら、俺は琴美からのお小言を頂戴していた。
ここは、戦艦の艦橋の作戦司令室だ。
救助されて海水でベトベトになった身体を、真水のシャワーで洗わせて貰って、ようやく人心地ついたところだ。
なお、速水さんは直ぐに医務室に直行させた。
「しかし、随分と大きな艦隊の動員だね。しかも、琴美が搭乗してるとは思わなかった」
「安座名四席が話を通してくれてね。あの人、本当に軍に色々と無理が利くんだね。ついでに海戦を見ておくといいって言ってくれて」
そう言いながら、相変わらず制服に着られている感じの琴美が、落ち着かないといった様子で艦長席の隣のシートにちょこんと座っている。
「安座名の爺さんは元大将だもんね」
「私は今まで、呑気に後方の電脳世界で暴れてただけだけど、これが本物の戦場なんだね……」
琴美は、俺たちの艦から少し離れた艦隊が、絶えず砲を撃ち続けているのを艦橋から眺めながら、少し顔を青ざめさせていた。
「と言っても、これは一般的な海戦とは呼べない、一方的な蹂躙だけどね。それを可能にしているのは、やっぱり桐ケ谷ドクターと琴美のおかげなんだから、海軍の人も琴美に感謝してるよ」
なにせ、敵の艦隊は桐ケ谷ドクターと琴美の凶悪タッグのせいで電子戦に完全敗北し、コンピュータ制御の機器や衛星通信が使えず、旧式のレーダーや星を頼りに航行をしているとの噂だ。
そんな装備で勝負になる訳もなく、敵艦隊はその寄港地である軍港ごと吹き飛ばされている真っ最中なのだ。
「そうなのかな……」
「担当が違うだけで、それぞれがベストを尽くしてる。仕事って、そうやって回ってるんだから、後ろめたさなんて覚える必要は無いさ」
「うん……」
前線で身を晒す人がいるからこそ、拠点は最終的に攻略されるし、拠点を攻略する上で兵の損耗を少なくするために魂装能力者の大規模攻撃手段がある。
お互いがお互いをリスペクト出来るのが理想だけど、せめて後ろめたさや劣等感、敵愾心は持つべきじゃない。
なにせ、こっちだって一般の兵とそんなに変わらない給料で働いてるんだから。
そこの所は、一般兵の皆々様には解って欲しい。
「それにしても、今回は随分、敵の領地にまで突っ込むんだね」
「私も、なんでなのか安座名第四席に聞いたんだけど、『奴らは世界の秩序を壊しかねなかったから、正しく報復を受けているんだ』って言ってた」
「世界の秩序って何だろ?」
「さあ? 私も聞いたんだけどはぐらかされた」
聞くところによると、北側の連邦側からも大規模侵攻が展開されているらしく、隣国は挟撃によりすでに虫の息だそうだ。
そんな相手に、なぜ今回は周辺国と連携してまで大規模攻勢をかけたのか?
正直、ここまでボロボロにしてしまうのはやりすぎかと個人的には思うが。
「まぁ、取り敢えず俺たちは生きて帰られたんだ。これ、明日の朝には港に着くのかな?」
「ギリギリ、月曜日の学校に間に合うね」
「え~、流石に明日は休まない? 琴美」
「だ~め。生徒会の仕事、名瀬会長に任せて来ちゃってるから、ちゃんと行かないと。照会もので明日までが回答期限の奴があったでしょ?」
「うへぇ~い」
未だ、周囲の艦が砲をひっきりなしにぶっ放す中、俺たちの乗った艦だけは一足先に帰路に着くことになった。
本来、1隻で単独航行は無謀だが、すでに完全に領海を掌握している現況下では余裕だった。
◇◇◇◆◇◇◇
市ヶ谷の統合幕僚本部の元帥室。
その部屋の主であるはずの元帥は、今、部屋の隅っこで震えていた。
「さて、説明してもらおうか。桐ケ谷」
「何だかいつにも増して顔が怖いですな、安座名のご老公。私、また何かやっちゃいましたかな~?」
応接ソファに鷹揚に座った安座名第四席が鋭い視線を向ける先は、いつもの通りに飄々とした桐ケ谷ドクターだった。
「とぼけるな。今回の神谷第一席の敵地孤立騒ぎに関する案件。お前が、持ちこんだ情報だろ?」
「不正確な情報を提供してしまって、本当に申し訳ないですな~ 帰還したら、神谷殿と速水殿に謝らないとですな。それで足りぬというなら、降格でも、現在の魂装研究所の所長職の解任でも、どんな処罰も受ける所存ですぞ」
桐ケ谷ドクターは、先回りするように謝罪し、あっさりと自身の進退について言及する。
「私と安座名四席が言っているのは、そういった些末な話ではないんですよ。私たちが貴女に聞きたいのは、なぜ、故意に相手の罠にはまるような真似をしたのかという点です」
安座名四席の隣に座った、特記戦力第五席の真凛が追及に加わる。
「故意だなんてとんでもない。あれは、吾輩のミスでござるよ。いや~、吾輩もすでにアラサーですからな。ここ最近の任務続きのスケジュールが堪える身体になったでござるよ」
「「…………」」
軽い態度を崩さぬ桐原ドクターとは対照的に、重苦しい空気が元帥室を支配する。
「んで、どうなります? 吾輩、特記戦力からクビですかな?」
沈黙を破り、桐ケ谷ドクターが安座名四席に問いかける。
「個人的にはそうしてやりたいが、お前が居なくては電子戦が立ち行かん。各国が、お前と火之浦の嬢ちゃんの電子戦対応について躍起になっている現況で、お前を外すなんて事が出来る訳がなかろう」
吐き捨てるように言い放つ安座名四席の顔は、慚愧の念に堪えぬといった様子だ。
「ナハハッ! それは良かったでござる。特記戦力を外されたら、名取さんとお別れでしたからな。じゃあ、話は終わったという事で」
高笑いしながら元帥室を後にしようとする桐ケ谷ドクターの背中に向かって、真凛が口を開く。
「今回は、隣国への共同制裁のよき口実になった事、そして速水少尉の能力覚醒が成ったという結果を考慮して不問となります。ですが……」
ここで、意図的に言葉を切った真凛が
「次は、豚のしっぽを掴んでみせますわ」
蔑むような視線を桐ケ谷ドクターに向けながら、宣戦布告とも取れるような言葉を投げつける。
「豚さんのしっぽを無理に掴もうとすると足蹴にされて、骨折するでござるよ。思わぬ反撃にはお気を付けなされよ~」
桐ケ谷ドクターは真凛の方を振り返らずに手をヒラヒラしながら、そのまま元帥室を退室していった。




