第90話 私にとっての純白のタキシード
「おい、速水! 速水少尉‼」
俺は焦りながら、速水さんの頬をペチペチ!と叩く。
次元の狭間の膜を、飽和の力で強引に突破して引きはがすのは、やはり強引過ぎたか⁉
けど、ここも長居はできないので、何としてでもここから移動しなくてはならない。
「ユウ……様……申し訳……」
ポツポツと速水さんが、言葉を絞り出すように返答する。
よし、意識はある。
俺はホッと息を吐く。
ただ、速水さんはかなり衰弱しているようだ。
「ほら、水だ。ゆっくり飲め」
軍用水筒の口を開けて、速水さんの口元に持って行くが、まともに起き上がれないようなので、俺は速水さんの上体を抱き起こして軍用水筒を傾ける。
「んくっ……んくっ……」
まるで赤ちゃんがミルクを飲むように、ゆっくりと喉を鳴らして速水さんが水を飲んでいく。
ツーッと速水さんの目から涙が一筋流れ落ちる。
そうだよな。
何日間ぶりの水って、涙が出るくらい美味しいんだよな。
そのへんの川で汲んだ、浄水カートリッジを通しているとはいえ、泥臭くてマズい常温の水でも。
「食事もさせてやりたいけど、まずはここからの移動が先決だ」
そう言って、俺は速水さんを肩に担ぎあげる。
「あ、ユウ様そんな……」
速水さんは恥ずかしがるが、短距離を走り抜けるなら、肩にかつぐファイヤーマンズキャリーがやはり一番早い。
「この間担いだ時より、飲まず食わずだから軽いと思ったけど、重く感じるな。やっぱり、ここに来るまでに匍匐前進で進んできたから、俺も腕が疲れてるのかな」
速水さんも飲まず食わずで大変だったろうが、俺も結構大変だったのだ。
もう、戦闘服は汚れに汚れ切っている。
「え⁉ この間担いだって、何です⁉」
担がれながら、俺の言葉に顔を赤くしながら速水さんが聞き返す。
「沖縄合宿の時に、泡盛で酩酊した速水さんを担いだ時」
「あの時ですか! ああ……私ったら、そのこと記憶にない……」
肩に担いでいるので速水さんの表情は見えないが、きっと赤面しているのだろう。
「あの時は、酩酊して脱力状態だったから重かった」
「すいませ……降ります……歩けますから!」
速水さんは、俺の肩の上でジタバタする
「ハハッ! そうやって動いてくれると、こっちも安心する。よく粘って生きててくれた。ありがとう速水さん」
「……そんな、私が不甲斐ないばかりにユウ様に迷惑を……」
生きていてくれたことにしみじみ感謝すると、速水さんはようやく大人しくなってくれた。
「帰って元気になったらお説教ね。まぁ俺も独断で勝手に動いたから、橘元帥からお説教だろうけど」
「すいません……あ、そう言えば、周囲にあるこれらは一体……」
ようやく周囲について気を払う余裕が出来たのか、速水さんが閉じこもっていた辺りの場所を見て俺に訊ねる。
周りには、自然の中にはそぐわぬ、サーバ機器を収納するサーバーラックのようなフレームが焼け焦げた状態で何基か転がっていた。
「これが、今回の速水さんの空間転移術式を阻害していた魂装能力者だよ」
「え⁉ これが……ですか?」
無機質なフレームを魂装能力者と俺が呼んだ事に、意外感を露わにして、速水さんが訊ね返す。
「うん。速水さんも以前、沖縄の海で対峙したでしょ? あの空中浮遊する大型のクジラ型戦艦。おそらくは、あの動力源になっていた魂装能力者と同じ物だと思う。出力を上げるためなのか、鍾乳洞から移動させられてて良かった」
「あ……」
速水さんも合点がいったようだ。
「一体、この一基を作るのに、何人の魂装能力者が犠牲になったんだか……」
このサーバーラックは、いわば燃料として魂装能力者を詰め込むための棚、皮肉をこめれば棺桶とでも表すべきなのだろうか。
いや、棺桶は狭くても1人1基が与えられるのだから、この例えは適切ではないだろう。
集団埋葬地だって、ここまで過密にはしないだろう……それ位のおびただしい数の魂魄の残滓が確認できると、コンが吐き捨てるように、俺にこの憐れなサーバーラックの正体を教えてくれていた。
「それで、あの術式出力を実現していた訳ですか……って、1基まだ健在じゃないですか!」
「うん。前回の沖縄では自爆して回収できなかったけど、今回は運良く1基だけ上手く自爆装置箇所を射抜いてたみたいで、自爆に失敗した物があったんだ。動作はもう停止しているよ」
自身の天敵と言えるサーバーラックがまだ形を残していることに怯えた速水さんに説明して安心させる。
「そうだったんですか……。すると、これは貴重な敵軍の機密サンプルですね」
「そうなんだけど、流石にこんな大きい物を担いでこれから逃走するわけには行かないし、諦めるしかないね」
俺はボリボリと頭を掻きながらボヤく。
「あの、ユウ様。ちょっと降ろしていただいてよろしいですか?」
「なんだい? 速水さん」
俺は、ゆっくりと速水さんを肩から降ろして、地面に立たせる。
「これ、私が運びます」
「……ダメだ! 無理するな。もう、俺と一緒の空間転移以外は認めない。速水さんは、俺とずっと一緒にいるんだ」
「がはっ‼」
俺の言葉を聞いて、速水さんが文字通り、血反吐を吐きながら、その場にうずくまって膝をついてしまい、俺は仰天する。
「ど、ど、どうした速水さん⁉ やっぱりまだ無理して立っちゃいけなかったんじゃ」
「いえ……これは大体、ユウ様のせいです」
俺のせい⁉ やっぱり、あの謎の膜を強引に突破したのが、速水さんに深刻なダメージを……。
『あーあー。神谷先輩聞こえますか? コント中に失礼します』
『コントなんかしとらんわ!』
『それが、お兄様との楽しい楽しい三連休をフイにされた私への態度ですか? 挙句、人を通信兵みたいに使って』
『それは本当にゴメン! それで真凛ちゃん、何用?』
エスピオを介した真凛ちゃんの内心の通話で、俺はツッコミを入れたり謝ったりで忙しくしていた。
実は、速水さんの救出活動中の通信については、機密保持のために情報端末ではなく真凛ちゃんのエスピオを介して行っていたのだ。
『その無事なサーバーラックに興味があります。是非、回収を願います』
『とは言え、運ぶのは無理だぞ』
速水さんの空間転移術式はそもそも、自分以外の1人と、自身の装備品、ないしは速水さんが手荷物として持てる程度の物しか一緒に飛べない。
サーバーラックは高さも2メートル以上あり、俺が一緒に手伝っても持ち上がらないほどの重量だ。
手持ち物品のカテゴリーからはどう見ても外れていると思われた。
『大丈夫です。今の速水先生ならば飛べますわ』
『……なんで、真凛ちゃんがそう言いきれるの?』
『コン様の見立てを教えてもらったからです』
俺の懐疑的な問いかけに、真凛ちゃんはあっさりとタネを暴露する。
『なんだよコン。俺にも早く教えろよ』
『マスターは速水嬢と何やら盛り上がっていたので、話しかける機会を逸していただけです』
コンが素知らぬ風に答える。
それにしたって、俺を飛び越えてエスピオと真凛ちゃんに先に話さなくていいじゃん。
3人でコソコソしてさ。
『で、なんで速水さんの空間転移が可能って言いきれるのさ?』
『速水嬢の魂魄が喜んでいましたから。先ほどのマスターが、痛みという祝福を与えてくださったおかげで目覚めたと』
『いや、それだと速水さんの魂魄がただのドMに目覚めたようにしか聞こえないぞ』
『失礼。要は、我々の飽和の術式で次元の狭間の膜を破る時の衝撃で、速水嬢が無意識に架していた脳のリミッターが外れたのですよ。相手の限界を超えさせるという意味での飽和が、今回はむしろプラスに影響したと言えますね』
『それで、速水さんの魂装能力の上限値が上がったと?』
『本来の力を取り戻したという方が正しいですかね。ほら、速水嬢も早く試したそうにウズウズしていますよ』
コンに指摘されて見ると、吐血した血を戦闘服の袖で拭いつつも、速水さんがワクワクとした目で、まるで忠犬のように俺の命令を待っていた。
「速水さん。いけるか?」
「はい。この重要参考物も、ユウ様も間違いなく目的の場所に飛んでみせます」
部下が、ここまでヤル気に満ちているのだ。
なら、上官としては部下を信じて任せてやるのが正道か。
「よし。頼むぞ」
「はい!」
俺は、情報端末を起動し、あらかじめ決められていた合流ポイントの座標を速水さんに見せる。
「術式発動します!」
そう言うが一瞬、景色は新緑の森から海岸の砂地に様変わりして、目の前には青い海が広がっている。
そして隣には笑顔の速水さんが居て、今まではとても空間転移では運べなかった重量物であるサーバーラックも一緒に移動してきている。
「私を信じてくれてありがとうございますユウ様」
見事に、自分の殻を破った速水さんが笑顔で俺の方を向く。
「おりゃ~! 海だ~~!」
突然雄たけびを上げて海に駆け出した俺に驚く速水さんを尻目に、俺は海に飛び込んだ!
「クハァ~~~‼ 気持ち良いぃ‼」
俺は頭まで海に潜った後に、海面から顔を出して快哉を叫び上げる。
「ユ、ユウ様⁉」
「速水さんもおいでよ。すっごく気持ち良いよ。うへっ、こんな戦闘服汚れてたんだ」
プカプカと浮かびながら、俺は自分の戦闘服から洗い落とされる汚れで濁る海水面に笑いながら、速水さんを誘う。
速水さん救出のために森の中を延べ3日間歩き続けて、目標地点付近では第4匍匐前進で地面に這いつくばりながら移動していたので、全身泥まみれなのだ。
「ユウ様~‼」
俺の誘いに、躊躇することなく、空間転移で俺の目の前にヒュパッ! と勢いよく現れた速水さんを抱きとめるが、勢いがつきすぎていたのか、そのまま海の中に2人で一緒に倒れ込んでしまう。
「そんな抱き着いてきたら汚いよ。俺の戦闘服、すんごい汚れてるから。イテテ、塩水だから色々沁みる」
匍匐前進で地面に擦られ過ぎたせいで、丈夫な戦闘服でも膝や肘といった色んな箇所が破れて擦り傷を負っていたことに、今更ながら気付く。
「いいえ。私を救ってくれるために、ユウ様がこんなに傷だらけ、泥だらけになってくれたんです。だから、このボロボロの戦闘服は、結婚式で着るどんな純白のタキシードよりも素敵です」
そう言って、速水さんはいつまでも愛おしそうに、俺のボロボロの戦闘服に顔を埋めながら、俺から離れようとしなかった。
祝90話到達!
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