第86話 不正確な状況報告と別離
「目標捕捉。琴美は準備OK?」
「ちょっと待って」
目標のデータセンターは山深い中を分け入った先の、天然の鍾乳洞の中に設置されていた。
しかし、凄い所にデータセンターを作ったもんだな。
こんな場所、内部情報を入手していないと絶対に見つけられないだろう。
当たりをつけて空爆したとしても、内部の機器までは完全に破壊出来るか解らない。
そして、鍾乳洞内部は天然の冷蔵庫のように冷えているから、サーバ機器の冷却も出来る訳だ。
まぁ、その結果、何千万年もかけて自然が作り出した美しい鍾乳洞は、施設の設置によって破壊されてしまっているのだろうけれど……
それだけ、相手さんも追い込まれているという証左でもあるか。
「OKです。魂装術式 レッドオーシャン 発動できます」
是の返答をした琴美は、鍾乳洞の入口から伸びている通信ケーブルに、チュウスケのぬいぐるみを取りつかせている。
ほんと、この絵柄はシュールだな。
可愛い縫いぐるみだが、既にこの子によって敵国の経済損失は数兆円という試算が出ている。
元は、俺の家にあった、何の変哲もない縫いぐるみだったんだがな。
すでにUFOキャッチャーでの散財分は稼いだと言えるだろう。
「レッドオーシャン発動せよ」
「発動します」
この場の責任者である俺の号令により、チュウスケが光り、琴美の術式が発動する。
「ふぅ……敵システムの破壊を確認しました」
しばし、沈黙した後に琴美が戦果報告をする。
チュウスケが可愛く抱え込んでいた通信ケーブルは、ピシッ! パシッ! と音を立ててショートしている。
このケーブルを辿った先の機器も同様だろう。
「ご苦労様。これにて任務完了。帰投する。速水少尉、空間転移の準備」
俺が、任務の完了とこの場からの撤収を指示する。
「……? ユウ様。指令内容は、敵システムのシステム的な破壊と、合わせて物理破壊の実施ですが?」
指示を受けた速水さんが、軍事ポケット端末で、指令内容を再度確認しながら俺に意見具申する。
「目標の敵拠点は、自然が育んだ芸術品である。故に、物理破壊を実施すれば、人類の敵として我が国が非難の的となる。故に、現場判断により、物理破壊の指令は不実行とする」
「了解しました」
速水さんが苦笑しながら了解の返事をする。
まぁ、屁理屈だけど、一応、筋は通ってるよな。
敵国のとは言え、こういう世界的にも貴重な遺跡や名所を破壊するのは最終手段としたい。
どうせ、こちらに場所は割れているのだ。
相手さんも、攻撃をすでに受けた隠密活動拠点に固執したりはしないだろう。
「それでは、空間転移の術式を発動します」
「まずは琴美からね」
「移動の際は目上の方が先だと思いますが……」
「何かあった時に、戦闘力が高い俺が残っていた方が良いでしょ」
速水さんが俺の指示にまたしても不服そうだが、こういうのは合理的に行かないと。
タクシーの席の場所や、会議室の席順なんて、実際の戦場でなんて気にしていられない。
生存戦略上、合理的な判断こそが正義だ。
「じゃあ、お先に」
「統合幕僚本部に先に帰投します。すぐに戻りますから」
「ゆっくりミスなくね~」
琴美を抱えて、速水さんが転移して行く。
俺は、鍾乳洞の方を双眼鏡から確認する。
入り口から白い煙が立ち昇っているが、大きな火事が内部で起きている様子はない。
「ん……?」
妙だな……
俺は、攻撃目標の様子を見て、違和感を感じた。
データセンターとは言え、内部には保守管理の人間がいるはずだ。
洞窟の中で火の手が上がれば、あっという間に内部は煙が充満する。
自然構造物を使っている以上、排気設備が整っているようにも見えない。
なので、内部にいる技術者たちは、血相変えて外に出てくると思ったのだが……
「お待たせしましたユウ様」
「あ、速水さん。お疲れ様」
戻って来た速水さんの声で、俺は一旦、双眼鏡から目を離す。
「どうかされましたか?」
「いや、何も」
「何だか不安そうな顔をされています」
俺はすぐさま速水さんの問いかけに、何でもないと否定したが、速水さんはそれには惑わされずに核心を突いて来た。
「あ~、部下に顔色覚られてるようじゃ、俺もまだまだだな」
頬をポリポリかきながら、タハハと俺は自虐的に笑った。
部下を不安にさせるのは、上官として失格だ。
「今回の任務で、何か懸念事項が?」
「そうだね。悪いんだけど、速水さん。琴美を呼び戻して」
琴美の魂装能力でスタンガスか麻痺毒を鍾乳洞内に充填して、中をきちんと制圧した方がいいと、俺は先ほどの方針を変更した
元の指令通りに、物理破壊をすれば後顧の憂いは無いのだが、やはり鍾乳洞を傷つけるような真似はしたくない。
「承知しました。では行ってきま…………って、あれ?」
速水さんが気の抜けた声を上げる。
「どうしたの速水さん?」
「転移術式が……不発で……申しわけ……」
「……⁉ 速水さん!」
こめかみを抑えながら身体をふらつかせた速水さんを、俺は慌てて抱きとめた。
「すいませ……ちょっと頭が……」
速水さんが俺の腕の中で苦悶に耐えるように顔を顰める。
なんだ。体調不良か?
戦闘中の魂装能力者が体調不良を起こしたとなると、原因として一番考えられるのは、魂装能力の連発による精神エネルギーの枯渇だ。
だが、今日の速水さんは、普段とは違って俺と琴美の2人を移動させているとは言え、そこまで空間転移術式を連発はしていない。
今日はまだ1件目の任務で、普段は1日で何件も任務をハシゴし、その都度、空間転移術式を発動させるので、まだ限界回数には遠い。
だが、現に今、速水さんが苦しんでいる。
これからどうする……
どこかで休ませるか? と頭を巡らせていたが、残念ながら現実はそんな猶予は与えてはくれなかった。
『マスター、敵襲です』
「ちっ!」
コンからの警告を受けて、俺は思わず声に出して舌打ちをしてしまう。
やはり、この状況は相手が仕組んだものだったか。
『コン! 全方位機銃掃射! どこに敵が居るか解らないから、ばら撒いて場をかき回せ!』
周囲全方位、対空を含めて銃座を展開させて、機銃が火を噴く。
ここにいる自軍は、俺と速水さんだけだ。
故に、自軍を巻き込むような無差別射撃が出来るのだが、この戦い方ではいずれこちらの弾切れで終わる。
『何やら、次元の阻害系統の魂装攻撃を受けていますね』
『阻害系統って何だ? コン!』
俺は激しい銃声が断続的に飛び交う中で、速水さんを肩に背負って移動しながら聞き返す。
『内心の会話なんですから、そんな大声を出さなくても聞こえますよマスター。どうやら、女性副官の空間転移を阻害する働きをする魂装能力のようですね』
『当該の術式の魂装能力者はどこだ?』
『私に探知系の能力はありませんから。ただ、そんなに遠くない場所に居ると思われますよ。マスターを中心に円状に半径1kmも吹き飛ばせば確実でしょう』
『ただ、そうすると鍾乳洞が……』
『跡形もなく吹き飛びますね。そもそも、あそこに当該の魂装能力者が潜んでいる可能性が、一番高いですし』
俺は、ここでしばし黙考する。
速水さんを肩に担ぎ、応戦した状態で相手の魂装能力者の能力範囲外まで移動するのは難しい。
そもそも、相手の能力の有効範囲も解らない。
そして、鍾乳洞だけを攻撃ターゲットから外すと、こちらが自然遺産への被害を危惧していることを敵相手に覚らせてしまう。
この認識は、この戦場だけではなく、他の戦場にも派生して利用されかねない。
そして……
速水さんが、長時間、阻害術式を受けることは避けたい。
未知の攻撃なのだから、その健康被害の多寡も不明なのだ。
「なら、俺が悪者になるしかないか……」
俺はボソッと呟いたが、同時に乾いた笑いが出た。
俺は齢10歳から数えきれない程の命を奪ってきたのだ。
そんな奴が、いまさら自然遺産の一つや二つを護ろうが破壊しようが、評価は変わらない。
俺の手は既に汚れ切っているのだから、今更言わなくても俺は悪者だろうがと、そんな自虐的な思考が頭をもたげたのだ。
「コン。周囲1km圏内をカノン砲で更地に」
「なりません……ユウ様」
肩に担がれた速水さんがゼェゼェと荒い息をしながら、身を捩らせる。
「速水少尉、無理して動くな! おそらく、速水少尉の空間転移能力相手に特化した阻害能力の魂装能力者の攻撃だ。だから……」
ここは、上官として毅然とした態度で
「解っています……だから、この場から離脱します」
喘ぐように苦しそうに息を吐きながら、速水さんが
「転移出来るのか?」
「はい……1回なら飛べます。阻害術式の影響下なので、時間的猶予がありません……ご命令を」
「よしっ! 速水少尉、空間転移術式発動せよ」
「発動します」
この時の選択を俺は悔やむことになる。
何故、きちんと実施内容を速水さんに確認しなかったのか。
空間転移術式の発動が可能という速水さんの言い分を一方的に信じて、命令を発してしまったのか。
彼女の言い分をすんなり信じてしまったのは、本心では自然遺産を自分の手で破壊したくはないという、己の迷いや甘さのせいであると悔やんだ。
「すいません、ユウ様……キチンと正確に報告できない副官で……貴方に……私なんかのために汚名を着せる訳にはいかないので……」
ドサッ! と支えを失った速水さんの身体が、草地の地面に落下する。
速水さんの独白を、この場から転移された俺は、知る由も無かった。