第61話 懐かしの氷菓
【ミーナ視点】
「むにゃ……」
霞がかった目の前の視界が、徐々にピントが合うように明瞭になっていく。
しかし、普段よりまだ視界と頭がボンヤリとしている。
いつもの我が家と違う天井。
そうか…… 私、今沖縄に来てて、それで体調不良でベッドで寝て……
「あ、起こしちゃった? ミーナ」
「んみゃ⁉」
視界のピントが合った瞬間に、ユウ君の顔がかなり至近距離にあって、私は思わず声を上げかけた。
「顔に置く氷嚢は落っこちやすいからね」
そう言って、ユウ君は氷嚢を私の右頬にそっと置いてくれた。
冷たくて気持ちいい……
私は、その心地よさに目を細める。
「足の辺りの保冷材はもう溶けちゃったかな?」
「へっ……? うひゃん!」
布団の下から、太ももの内股あたりをユウ君にゴソゴソとまさぐられて、変な声が漏れてしまう。
「ん、やっぱり皮膚が熱を持ってるから溶けるのが早いね。新しいの持ってくる」
「う……うん……」
薄手のタオルで太ももに巻き付けられていた保冷剤を取り出し、ユウ君が冷蔵庫のあるリビングへ席を立った。
ビックリした……そうか、これは日焼けで負った私の皮膚の炎症を和らげるための処置なんだよね。
うん、断じて邪なものじゃないんだよね。
だから、されてるこっちが恥ずかしがっちゃダメ。
ユウ君が席を外している間に、私は乱れた心臓の鼓動を落ち着けようと、上半身だけをベッドの上で上げ起こした。
「ん……?」
手を当てて胸の鼓動を落ち着かせようとした私は、自分の胸元の違和感に気付く。
(コロコロッ)
パジャマの裾から、コロンッと布巾に包まれた保冷剤が落ちてきた。
私は、自分の胸元あたりから飛び出てきた四角い保冷剤を、しばらく無言で見つめる。
「ミャ……ミャ……⁉」
え……今、私の胸元あたりから出てきたよね? この保冷剤。
ということは……って、私ブラもしてない⁉
え、ブラどこ?
私のブラ!
「あ、ブラならここにあるよミーナ」
「ありがとユウ君……って……」
その瞬間、時が止まったような錯覚を私は覚えた。
加速する思考の速度に、周りの風景がまるでスローモーションのように感じられる。
私のブラがサイドテーブルに置かれていた。
昨夜寝た時に着用していたままの、スポーツタイプの気の抜けたナイトブラが……
あ、このスローモーションってあれだ……
死ぬ間際に見る奴だ……
加速した思考の世界の中で、私は精神的な面での死という物を実感した。
「うう……何で脱がしちゃうのよユウ君……」
私はヨヨヨと布団にくるまって泣いていた。
ユウ君が初めて私の下着を脱がすイベントが、こんな雑に消費されちゃうなんて……
「ミーナ、寝ぼけて自分でブラ脱いでたんだよ。パジャマの上着着たままブラ脱げるんだって感心した。女の人って、みんなあれ出来るの?」
はい、私の単独犯でした。
ユウ君はとんだ冤罪ですね、はい。
けど、私とユウ君の大事な、嬉し恥ずかしイベントが雑に消費されていなかったことは喜ぶべきなのかな?
いや、良くない!
「下着見られた……しかも、気の抜けた奴……」
「昨日、セクシーな水着姿を見せてもらったよ」
「水着と下着は違うの! 水着は公的な場で見られる前提の物だけど、下着は本来見せる物じゃない物なの! だからこそ、それを相手の前で詳らかにするっていうのは、男女にとって、とても大きな意味を持つの!」
「ミーナめっちゃ語るね。少しは元気出たのかな」
ユウ君は笑いながら、保冷剤にタオルを巻きつけると、ベッドで仰向けに寝ている私の首の下に手を差し込んできた。
「み⁉」
「首周りは特に焼けてるから、ちゃんと保冷剤巻いておかなきゃ駄目だよ」
首に後ろ手を回されて、またユウ君の顔が至近距離まで近づいてきて、私の心拍が上がる。
「うんOK」
首周りに保冷剤をタオルで巻いてくれたおかげで、ヒンヤリと気持ちが良い。
さっき、起き上がった時に胸元から零れ落ちた保冷剤はこれだったんだ……
ノーブラの胸元に入れられてたのかと思って、肝が冷えたよ……
一安心……
って、そうだ! 私、ノーブラのままじゃん!
何、安心してんの私!
何も問題解決してないじゃない!
「ユウ君……ちょっとだけ席外してくれるかな……」
「ん、着替えるの? 手伝おうか?」
「だ……大丈夫だから!」
「そ? じゃあ、ちょっと外してるね。ちょうどやる事あったし」
そう言って、ユウ君は女子部屋から出て行った。
私は急いでパジャマを脱いで、旅行カバンから新しいパジャマと下着を引っ張り出す。
朝にあった悪寒や寒気は、ひと眠りしたおかげなのか、無くなっていた。
ただ、身体は依然として熱を帯びたままだ。
とは言え、いつまでも裸でいると身体を冷やす。
タオルで寝汗を拭う。
「あ……下着、これか……」
旅行カバンから適当に引っ張って来た下着を前に、私はしばし逡巡する。
もしも……もしも、そういう時になった時のあれのために……念のため……ね!
夏のボーナスを握りしめて、ランジェリーの専門ショップで店員さんにちゃんと採寸してもらって選んだ大人っぽい黒の上下セットの下着。
「まぁ、念のために……ね……。」
私は誰に向けてでもない言い訳をしながら、その下着をモソモソと着用する。
「さ……流石に大人っぽかったかな?」
たまたま角度的に化粧台の鏡に映った自分の姿を見て、今更ながら恥ずかしくなる。
「ミーナ、着替え終わった~?」
「は、は~い! ちょっと待ってね~」
ドア越しにかけられたユウ君の呼びかけに、私は慌てて新しいパジャマを着ると、布団を被った。
「ど、どうぞ~」
「入るよ。ミーナ、具合はどう? 寒い? それとも暑い?」
ドアに向かって返事をすると、ユウ君が一拍置いてドアを開けて入室してきた。
「寒気は無くなったから、今はどちらかと言うと、暑いかな」
そう言って、私は手で顔のあたりを扇ぐ。
「あ、さっき首に巻いた保冷剤取れちゃったね」
「あ……ゴメンね。着替える時に外しちゃって……」
「じゃあ、また俺が着けてあげ……」
「だ、大丈夫だよ! 自分で出来るから!」
そう言って、私は慌てて自分で保冷剤のタオルを首に巻く。
「少しは自分で動けるようになったみたいだけど、無理は禁物だよ。これ食べたら、また寝てなね」
ん? 何だろう?
疑問に思いつつ、ユウ君が差し出してきた皿を受け取る。
「あ、これ……」
「懐かしい?」
ちょっと薄いオレンジ色の見た目と、皿から伝わる冷気が、子供の頃の記憶を呼び起こす。
「うん。これって、ユウ君のお母さんが、よく夏のオヤツで作ってくれてた……」
「ミーナも憶えてたんだ。そう、みかんのシャーベットだね」
夏休みにユウ君の家で遊んでいた時に出てくる、定番のオヤツだ。
懐かしさから、すぐに私はスプーンで、みかんシャーベットを口に運ぶ。
「美味しい。口の中がさっぱりする」
「うん。久しぶりに作ったけど、やっぱり美味いな」
ユウ君も、自分の分のシャーベットを美味しそうに頬張る。
「よくレシピ再現できたね」
「それがさ。実はこれ、すごい作り方簡単だったんだよ。みかんの缶詰の中身をボウルに移して冷凍庫で凍らせて、フォークでザクザク削るだけで出来るんだ。主婦の知恵だよな~」
「え? そうなんだ」
この歳になって知る、意外な事実。
でも、夏休みはオヤツも毎日用意しなきゃで大変だって、うちのお母さんもボヤいてたな。
「このシャーベット、軍の仲間にも好評だったんだ。軍で支給される缶詰でも作れるから、氷雪系の魂装能力者の人に作ってもらってた。アマゾンの奥地では本当に文字通りのオアシスだったな……」
「よく……戦場でも食べてたんだね……」
戦場のことを懐かし気に思い出しながら、噛み締めるようにシャーベットを食べているユウ君の横顔を見ながら、私は全く別のことを思っていた。
戦場での束の間の癒しとして食べた、お母さんの懐かしい氷菓の味。
異国の地の空の下で、ユウ君は何を思っていたんだろう……
「今頃、周防先輩と真凛ちゃんも、国際通りのお洒落なお店で、かき氷でも食べてるのかな。周防先輩は、きっと真凛ちゃんには甘々で、色々ショッピングに付き合わされてるんだろうな。琴美は桐ケ谷ドクターにうんざりしてて、速水さんは同期の人と語り合ってるとかかな」
あ……そうだ……
私のせいで、ユウ君の旅行の1日を台無しにしちゃったんだ……
「ユウ君……私……」
「食べたら、またひと眠りしなミーナ」
まるで私の考えなんてお見通しとばかりに、額を撫でながら有無を言わせず、ゆっくりと私をベッドに押し倒して、掛け布団をかける。
(こういう所、本当に年下なのにズルい……)
と思いながら、私は幸福な気持ちのまま、また眠りについた。
女性用の水着や下着について無駄に熱心に調べていたせいか、最近ネットブラウザのバナー広告が女性用下着で埋め尽くされています。
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